もしもし情報局 > 1953年 > 8月11日 > 格闘家/プロレス

ハルク=ホーガンの情報 (HulkHogan)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

ハルク=ホーガンの情報(HulkHogan) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

ハルク=ホーガンさんについて調べます

■名前・氏名
ハルク=ホーガン
(読み:Hulk Hogan)
■職業
格闘家
プロレス
■ハルク=ホーガンの誕生日・生年月日
1953年8月11日 (年齢70歳)
巳年(へび年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和28年)1953年生まれの人の年齢早見表

ハルク=ホーガンと同じ1953年生まれの有名人・芸能人

ハルク=ホーガンと同じ8月11日生まれの有名人・芸能人

ハルク=ホーガンと同じ出身地の人


ハルク=ホーガンの情報まとめ

もしもしロボ

ハルク=ホーガン(Hulk Hogan)さんの誕生日は1953年8月11日です。

もしもしロボ

ミスター・アメリカ、家族などについてまとめました。テレビ、ドラマ、映画、事件、引退、解散、家族、脱退、結婚、離婚に関する情報もありますね。ハルク=ホーガンの現在の年齢は70歳のようです。

ハルク=ホーガンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ハルク・ホーガン(Hulk Hogan、本名:Terry Eugene Bollea、1953年8月11日 - )は、アメリカのプロレスラー。ジョージア州オーガスタ生まれ、フロリダ州タンパ出身。

長女は歌手のブルック・ホーガン。甥は元プロレスラーのホーレス・ホーガン(マイク・ボレア)。

自著によると少年時代のホーガンは圧倒的な体格を生かし、野球のリトルリーグでは強打者として活躍していたが、太りすぎており足が遅く、他のスポーツは苦手であったという。高校時代にボディビルディングで体を鍛える一方、南フロリダ大学時代から「ラッカス(Ruckus)」というロックバンドのベーシストで活動した。

もともとプロレスファンだったホーガンはスーパースター・ビリー・グラハムに憧れ、自身の巨体とロックバンド時代に培った観客とのやり取りの才覚を活かすべく、プロレスラーになることを決意。ビリー・グラハムには弟子入りを断られるも、NWAフロリダ地区(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)のプロモーターだったエディ・グラハムの息子マイク・グラハムを介してヒロ・マツダのトレーニングを受ける。レスラーになるのをあきらめさせるためマツダから厳しいシゴキを受けて足を折られたこともあったが、1977年8月に覆面レスラーのスーパー・デストロイヤー(The Super Destroyer)として、ブライアン・ブレアーを相手にデビューを果たした。

以後、テリー・ボールダー(Terry Boulder)、スターリング・ゴールデン(Sterling Golden)などのリングネームを用い、ビリー・グラハムの影響下にある筋肉派の新鋭選手として、アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング、テネシーのコンチネンタル・レスリング・アソシエーション、ジョージアのジョージア・チャンピオンシップ・レスリングなど、南部の各プロモーションをベビーフェイスのポジションで転戦。アラバマでは1979年6月にオックス・ベーカーから南部版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取、12月にはディック・スレーターを破り同王座の北部版も獲得している。5月から7月にかけてはモービルおよびドーサンにて、当時ハーリー・レイスが保持していたNWA世界ヘビー級王座に度々挑戦した。テネシーでは同年5月21日、メンフィスのミッドサウス・コロシアムで同地区の英雄的存在だったジェリー・ローラーとタッグを組み、ジョージアでは10月19日にアトランタのオムニ・コロシアムでスタン・ハンセンと対戦した。

同時期、テレビドラマ『超人ハルク』主演のルー・フェリグノと同じカメラに収まる機会があり、トップ・ボディビルダーのフェリグノより巨大な肉体が評判となる。これを機に、超人ハルクにあやかりザ・ハルク(The Hulk)をニックネームに用いるようになった。一時はプロレス界を離れ港湾労働者に転じていたこともあったが、テリー・ファンクやジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコらの勧めで復帰を果たし、WWF入りのきっかけをつかむ。

1979年12月、WWF(現:WWE)に初登場。ビンス・マクマホン・シニアの提案でハルク・ホーガン(Hulk Hogan)とリングネームを改め、フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎え、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおけるデビュー戦でテッド・デビアスから勝利を収める。

以後、アンドレ・ザ・ジャイアントの巨体に対抗できる超大型のヒールとしてトップ戦線で活躍。ゴリラ・モンスーン、ティト・サンタナ、ドミニク・デヌーチ、レネ・グレイ、ジョニー・ロッズ、ホセ・エストラーダ、イワン・プトスキー、パット・パターソンらを相手にデビュー戦から20数連勝という戦績を残したことから「マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡」と評され、その名を全米に知らしめた。

1980年はボブ・バックランドのWWFヘビー級王座にもフィラデルフィアやアレンタウンなどで再三挑戦、8月9日にシェイ・スタジアムで開催されたビッグイベント『ショーダウン・アット・シェイ』ではアンドレとのシングルマッチが組まれた。

1980年から1983年にかけて、日本では当時WWFと提携していた新日本プロレスを主戦場とする。初来日は1980年5月の『第3回MSGシリーズ』。アメリカでのスケジュールの都合のためリーグ戦には参加せず、初来日ながらシリーズ後半戦への特別参加という扱いで、ストロング小林から勝利を収め、アントニオ猪木とのシングルマッチもテレビ中継で組まれた。当時は1955年生まれと称しており、金色のマントをまとい背中には黒い剛毛を生やしていた。

2度目の来日となる1980年10月には、タイガー・ジェット・シンに次ぐ外国人陣営の準エース格として、猪木が保持していたNWFヘビー級王座に挑戦。スタン・ハンセンのタッグパートナーとしても活躍し、同年11月開幕の『第1回MSGタッグ・リーグ戦』では猪木&ボブ・バックランドのチームと決勝を争った。

1981年には、アブドーラ・ザ・ブッチャーを新日本プロレスに引き抜かれた全日本プロレスと『全日本プロレス中継』の放映局であった日本テレビによる外国人引き抜き工作のターゲットにされたことがあり、同年9月には全日本プロレスへの移籍が一旦発表された。実際に同年5月にボビー・ダンカン経由テリー・ファンクの仲介で契約書を交わす段階にまで至った。しかしホーガンはそれを新日本に見せ、ギャラ吊り上げの交渉に使ったためご破算となったといわれている。和田京平によれば、その後テリーは引き抜きのターゲットをホーガンからハンセンに変更したという。その行動に怒ったテリーは京王プラザホテルでホーガンを殴り倒したとされているが、テリーは自著で否定している。

ハンセンが全日本プロレスに移籍した後の1982年には、ウエスタン・ラリアットを模したアックスボンバー(右腕をL字型に曲げ、ラリアットのように肘を相手に叩きつける技)をフィニッシャーに使用。出演映画『ロッキー3』の公開もあって本国同様に日本でも大ブレイクし、ハンセンに代わる新日本の看板外国人選手となる。外国人ベビーフェイスとして日本人陣営にも加わり、猪木とのタッグやブッチャーとの対戦も実現した。坂口征二とのタッグチームでは、キラー・カーン&ブラックジャック・マリガンとの日米混合のスーパーヘビー級タッグマッチも行われた。

1983年に開催された『IWGP決勝リーグ戦』にはアメリカ代表として参加し、6月2日に蔵前国技館で行われた決勝戦では猪木をアックスボンバーでKOして優勝を果たした。

1981年から始めた右手人差し指を高々と上げ「イチバァーン!」と叫ぶ決めポーズも話題になり、リングコスチュームも黒のショートパンツに白字で「一番」と書いたものにする。「一番」と書かれたタンクトップやTシャツ、ハッピも発売された。以降 "ICHIBAN" はNo.1を意味する語としてアメリカでも有名な日本語の1つとなった。

1981年からはアメリカでの主戦場をAWAに移し、本国アメリカでもベビーフェイスとして大ブレイクを果たす。しかし、AWA世界王者ニック・ボックウィンクルを相手に何度となく「幻の勝利」を挙げたにもかかわらず、AWAの主宰者だったバーン・ガニアは他のスポーツの実績もなく、単純なパワーファイターのホーガンの商品価値を過小評価しAWA世界ヘビー級王座を与えなかった。

世界王座戴冠は果たせなかったものの、同じくスーパースター・ビリー・グラハムに憧れたジェシー・ベンチュラとの抗争や、超巨漢選手ジェリー・ブラックウェルとのボディスラム・マッチなどでも人気を博す。また、WWFや新日本プロレスでの旧敵であるアンドレ・ザ・ジャイアントともタッグを組み、悪党マネージャーのボビー・ヒーナン率いるファミリー(ボックウィンクル、ケン・パテラ、ボビー・ダンカン、アドリアン・アドニス、ミスター・サイトーなど)と軍団抗争を展開した。

同時期、ホーガンの知名度を更に向上させたのが、1982年公開のアメリカ映画『ロッキー3』への出演である。ホーガンはプロボクサーのロッキー(シルヴェスター・スタローン)と戦う敵役のプロレスラー「サンダーリップス(Thunderlips)」としてプロレス界以外でもネームバリューを高めた。

1983年12月、シニアの後継者となるビンス・マクマホン・ジュニアにWWF全米進出計画のエースとして白羽の矢を立てられ、日本滞在中にWWFと専属契約を交わす(AWAのバーン・ガニアは、この突然の引き抜き事件に激怒したという)。1984年1月23日、MSGにおいて当時の王者であったアイアン・シークを下しWWF世界ヘビー級王座初戴冠。2月10日にはNWAの総本山だったセントルイスのキール・オーディトリアムにて、マスクド・スーパースターを相手に初防衛に成功。以降、同年より開始された全米侵攻サーキットにおいて、ポール・オーンドーフ、ビッグ・ジョン・スタッド、デビッド・シュルツ、ロディ・パイパー、カウボーイ・ボブ・オートン、ニコライ・ボルコフ、グレッグ・バレンタインなどの強豪との防衛戦が各地で行われた。

シンディ・ローパーらと共にMTVに出演するようになると、その圧倒的なカリスマ性と単純だが分かり易い試合でプロレスファン以外の層にまで人気が爆発していった。1985年3月31日にレッスルマニアの第1回大会が開催されて以降は社会現象と呼べるほどの国民的人気を獲得した。このレッスルマニアという名称自体「レッスル」とハルクファンの「ハルカマニア(Hulkamania)」を足したホーガンのための大会だった。

新日本プロレスへの来日も続け、1985年6月11日には東京都体育館において、ダニー・ホッジをレフェリーに迎えて藤波辰巳を相手にWWF王座を防衛。6月13日には愛知県体育館にて猪木とIWGP選手権を争ったが、同年10月に新日本プロレスとWWFとの提携が解消されたため、しばらく来日は途絶えることとなった。

以降もWWF世界王者として活躍し、カマラやキングコング・バンディなどの巨漢ヒールから元NWA世界王者のテリー・ファンクやハーリー・レイスまでを挑戦者に迎えてタイトルを防衛。人気絶頂期に行われたアンドレ・ザ・ジャイアントとの対決(1987年3月29日、レッスルマニアIII)では9万3173人という観客動員数を記録している。タッグ戦線では、フェイスターンした旧敵のパイパー、オーンドーフ、ドン・ムラコらと共闘することもあった。

1988年2月5日の "WWF The Main Event" におけるアンドレとの防衛戦において、3カウント前に肩を上げたもののフォール負けを取られてタイトルを失うが、その後も人気は衰えず、同年3月27日のレッスルマニアIVでの新WWF世界王者決定戦では、前年にフェイスターンしていたランディ・サベージの王座戴冠をアシストした。以後、サベージと「メガ・パワーズ(The Mega-Powers)」なるタッグチームを結成し、アンドレ&テッド・デビアスのメガ・バックスやビッグ・ボスマン&アキームのツイン・タワーズなどと抗争するが仲間割れ。1989年4月2日のレッスルマニアVにおいて、再びヒールとなったサベージを破り、WWF世界王者に返り咲いた。

レスラーとしての活動と並行して、さまざまな低予算映画に主演して俳優としても活躍。1989年6月公開の映画『No Holds Barred』での敵役ゼウス(英語版)とは、同年のサマースラム'89やサバイバー・シリーズ'89においてもタッグマッチで対戦した。

1990年4月1日、レッスルマニアVIにおいてアルティメット・ウォリアーに敗れ、再び王座から陥落。同月13日、東京ドームで開催された『日米レスリングサミット』への出場で久々に来日、スタン・ハンセンとのシングルマッチで勝利を収めた。

その後、アースクェイクとの抗争を経て、1991年3月24日のレッスルマニアVIIにおいてサージェント・スローターを破りWWF世界王者に再び返り咲く。翌週の3月31日、当時のWWFの日本での提携先だったSWSの東京ドーム大会に来日、天龍源一郎と組んでロード・ウォリアーズ(ホーク&アニマル)と対戦した。翌4月1日の神戸ワールド記念ホール大会では谷津嘉章を相手に、新日本プロレス参戦時以来となる日本でのWWF王座防衛戦を行った。

同年11月27日、サバイバー・シリーズ'91においてジ・アンダーテイカーに敗れ王座から陥落。12月3日のリターンマッチで一度は奪還に成功するも、両試合ともリック・フレアーの干渉による不透明決着だったため王座は剥奪される。12月12日にはSWSの東京ドーム大会に再来日して天龍とシングルマッチで対戦したが、試合はノンタイトル戦となった。以降、フレアーやアンダーテイカーと抗争するが、同時期のステロイドスキャンダルの影響もあり、1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでのシッド・ジャスティス戦の後、しばらくリングを離れることとなった。

1993年3月に復帰後、4月4日開催のレッスルマニアIXにおいて、ブルータス・ビーフケーキと組んでデビアス&IRSのマネー・インクが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦。同大会のメインイベントではヨコズナがブレット・ハートを下して新WWF世界王者となったが、試合後にハートを介抱するホーガンをヨコズナのマネージャーのミスター・フジが挑発、ヨコズナ対ホーガンのタイトルマッチが急遽行われ、これに勝利したホーガンが約1年半ぶりに王座に返り咲いた。

しかし、同年6月13日のキング・オブ・ザ・リング'93において再びヨコズナにタイトルを明け渡し、俳優への本格的な転向による引退を理由にWWFを退団した。契約問題やステロイド裁判の影響でWWFとの間に亀裂が生じたともされるが、ホーガン自身は自著において、退団は3月に復帰した時点から合意の上であり「団体との間に確執はなかった」と記述している。

WWF時代末期の1993年5月3日、8年ぶりに新日本マットに登場。福岡ドームでグレート・ムタと対戦した。この時、新日本プロレスはWCWと提携を結んでおり、現役WWF世界ヘビー級王者であったホーガンの出場は考えられないことであった。また、ムタも当時はIWGPヘビー級王者であったため、日米のトップ対決としても注目された。同年9月23日には、横浜アリーナでムタと組み、ヘルレイザーズと対戦している。翌年1月には藤波辰爾とも対戦した。

これによってホーガンは選手としてのキャリアのリセットにも成功し、またnWoの大ヒットでWCWはWWFの人気を上回るようになっていく。ヒールサイドの主役として活躍し、WCW世界ヘビー級王座も何度となく獲得。1998年にはビル・ゴールドバーグとの超人対決が実現した。nWo解散後は他のベテラン選手たちとともにミリオネアーズ・クラブなるユニットを結成したりもしたが、家族と過ごす時間が欲しいとの理由から2001年のWCW崩壊を前に離脱した。

かつてのレッド&イエローのコスチュームでジミー・ハートの旗揚げした新団体XWFのTVテーピングにも参加したが、同団体もほどなく活動を停止した。

2002年2月、ビンス・マクマホンの刺客nWoの一員としてヒールに戻りWWF(現:WWE)に復帰する。WrestleMania X8で8年ぶりのレッスルマニア再登場を果たし当時の主役ザ・ロックとの頂上決戦が実現。WWE側は「悪の枢軸」nWo軍総帥ホーガンを絶対的ベビーフェイスのロックが迎え撃つというアングルを構成したものの、入場シーンからホーガンへの爆発的声援一色となり、ロックの方がブーイングを浴びる結果となった。この試合は「ICONvsICON」という試合タイトルに相応しい重厚な名勝負となり、ホーガンのハルクアップ、3パンチ、ビッグブート、レッグドロップというフィニッシュ・ムーヴをロックがキックアウトしたシーンは大歓声を浴びた。最後はロックがロック・ボトム2連発からピープルズ・エルボーでフォール勝ちを収めた。試合後ホーガンはnWoのメンバーであったホールとナッシュに裏切られ、暴行を受けるが、直後ロックが助けに現れ、共に迎え撃った。ホーガンはロックに握手を求め、翌日からnWoを脱退し、ベビーフェイスに戻った。

同年7月4日の独立記念日には、エッジとのタッグで自身初のWWE世界タッグ王座を獲得。ブロック・レスナーとの対戦の後、一時団体を離脱するが、復帰した冬頃からSmackDown!にてビンスとの対決アングルが組まれ、WrestleMania XIXで対決し勝利する。

2003年5月には覆面レスラーのミスター・アメリカ(Mr. America)に扮するも、その後ストーリーに不満を抱き同年6月にWWEを離脱した。同年10月13日、新日本プロレス『ULTIMATE CRUSH』にワンマッチのみ参戦、蝶野正洋とシングルマッチを行った。

2005年4月、WWE殿堂入り(プレゼンターはシルヴェスター・スタローン)。またWrestleMania 21にてWWE再登場を果たした。7月にはRAWに正式に復帰して選手登録もされ、ショーン・マイケルズと抗争を繰り広げた。両者の戦いはサマースラムで決着。

2006年のサマースラムではランディ・オートンと対戦し勝利。次回の試合は2007年のWrestleMania 23でのストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの夢の対決、あるいはアンドレ・ザ・ジャイアント戦20周年を記念したビッグ・ショーとの対戦が噂されていたが、実現しなかった。

2007年4月、PMG Clash of Legendsに単発出場。その後は2009年10月27日、TNAと契約した。その直前にはエリック・ビショフらとともに新団体「ハルカマニア」設立を発表、同年11月にオーストラリアで旗揚げ興行を開催した。

2014年2月24日、次のレッスルマニアのホストとしてWWEに復帰、公式サイトにも所属レスラーとして掲載された。しかし、2015年7月24日にWWEはホーガンを解雇したと発表した。8年前に録音された彼の会話の中で、人種差別発言を行ったことがその理由としている。WWEは声明の中で「従業員もレスラーも、世界中のファンも多様であるように、あらゆる出自の人々を受け入れ賞賛してきたのがWWE。テリー・ボレアとの契約は終わりだ」と表明、関連商品もすべて発売停止となった。

しかし、2018年7月、WWEは突如、ホーガンをWWE殿堂に再び登録した。ホーガン本人は、その日に行われたPPV『エクストリーム・ルールズ』の舞台裏にて団体関係者らと対面し、過去の件について謝罪したと報じられた。そして11月2日、リヤドで公演された『クラウン・ジュエル』にホーガンが登場。マイクパフォーマンスだけであったが、大いに観客を沸かせ、元気な姿を見せた。

2019年4月6日、ニューヨーク州ブルックリンのバークレイズ・センターにおいて、WWE殿堂に迎えられたブルータス・ビーフケーキのインダクターを務めた。同年はマッドドッグ・バション&ブッチャー・バションのドキュメンタリー映画 "Mad Dog & The Butcher" にも出演した。

同年12月、nWoとして2020年度のWWE殿堂入りした。

ミスター・アメリカ

ホーガンは2002年5月にWWEに復帰するが、その翌年、ビンス・マクマホンによって出場停止にされてしまう。しかし、そのときにスマックダウンを救うためにひとりのマスクマンがさっそうと登場した。彼こそがミスター・アメリカである。星条旗風のロングタイツ、そして中央に星をあしらったブルーのマスクが特徴的であった。

当初、ひげの生え方やビルドアップされた筋肉、白いリストバンドをしていることなどから、その正体はハルク・ホーガンではないかと騒がれた。しかし、ビンス・マクマホンの手によって嘘発見器にかけられた際、「あなたはハルク・ホーガンですか?」との質問にネガティブの結果が出ていることからも、この噂は否定されている。なお、この際ビンス自ら嘘発見器にかかり、嘘発見器が故障していないことを証明している。

本人は「ハルク・ホーガンに憧れ、トレーニングをして十分なビタミンを摂取してこの身体を手に入れた」と語っている。なお、ハルク・ホーガンがWWEから離脱すると同時にミスター・アメリカも姿をくらませている。そしてビンス・マクマホンが「ミスター・アメリカはハルク・ホーガンだったので解雇した」と番組で述べ、実際に素顔を見せている映像を流したことで、ミスター・アメリカが登場するストーリーは終了している。

家族

来日した2003年10月12日に東京ドームホテルで記者会見が開かれ、その中で新日本とIWGPに対する熱い思いを語ったが、最近は新日本とWWEの関係が断絶されたことから、IWGPヘビー級王座への挑戦はおろか来日すらほとんどしなくなった。しかし2007年5月9日、娘のブルック・ホーガン(インディーズレーベルから歌手デビューしている)の日本デビューのプロモートのために久々に来日した。フジテレビの「魁!音楽番付」で試合以外では久し振りに日本のテレビ番組に登場した。さらには2007年5月10日親子でGyaOのお昼の生放送番組に緊急生出演し、5月11日には笑っていいとも!にも生出演した。

2005年から2007年にかけて、人気リアリティ番組『Hogan Knows Best』に出演しており、ホーガン本人はもちろん、妻のリンダ、娘のブルック、そして長男のニックを含めたホーガン一家の素顔が垣間見られる。左手薬指に結婚指輪のタトゥーを彫り、愛妻家として知られるホーガンだったが、2008年、娘のブルックの友人であるクリスティアーヌ・プランテがホーガンとの長年の不倫関係を告白した。妻のリンダとは離婚し、ブルックとクリスティアーヌの友情も崩壊した。離婚裁判により、妻のリンダにほとんどの財産を奪われることとなる。

2022年2月28日、2010年に結婚したジェニファー・マクダニエルとの離婚を正式発表した。これで自身2度目の離婚となった。直近では新しい恋人とされる女性と一緒に行動を取っている写真や動画がホーガンのSNSに投稿されていた。なおTMZによると、ホーガンは2021年10月に離婚をしたと伝えている。

2024/06/07 04:43更新

Hulk Hogan


ハルク=ホーガンと同じ誕生日8月11日生まれの人

岡田 吉夫(おかだ よしお)
1926年8月11日生まれの有名人 兵庫出身

岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 2002年6月22日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。元丸紅参与。 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神…

仁科 健吾(にしな けんご)
1995年8月11日生まれの有名人 東京出身

仁科 健吾(にしな けんご、1995年8月11日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 東京都世田谷区出身。世田谷学園中学校・高等学校、中央大学商学部商業・貿易学科を卒業後、 2019年4月、テレ…

松岡 えみり(まつおか えみり)
2004年8月11日生まれの有名人 東京出身

松岡 えみり(まつおか えみり、2004年8月11日 - )は、日本の女優、タレント、ファッションモデル。 特技はバドミントン・テニス(3年)、ピアノ(5年)。 2022年広告3年生でPopte…

西脇 理恵(にしわき りえ)
1975年8月11日生まれの有名人 新潟出身

りーねぇ 西脇 理恵(にしわき りえ、1975年8月11日 - )は、日本の元AV女優、タレント、ラジオパーソナリティ、女優。旧芸名:すぎはら 美里(すぎはら みり)。 「特定非営利活動法人ミリタ…

竹内 花(たけうち はな)
1998年8月11日生まれの有名人 愛知出身

竹内 花(たけうち はな、1998年〈平成10年〉8月11日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優、アイドル、TiiiMOの元メンバー。ヤンチャン学園 音楽部の元メンバー。LeapPlan…

佐藤マクニッシュ怜子(さとう まくにっしゅ れいこ)
1995年8月11日生まれの有名人 東京出身

佐藤マクニッシュ怜子(さとう マクニッシュ れいこ、Reiko McNish Sato、1995年8月11日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント。東京都出身、国際基督教大学卒業、起業家。…

佐藤 聖子(さとう せいこ)
1971年8月11日生まれの有名人 埼玉出身

佐藤 聖子(さとう せいこ、1971年8月11日 - )は、埼玉県新座市出身の日本の女性フラメンコダンサー。元歌手・タレント。 父親は中学の美術の教師、母親もギターとピアノの教師という芸術一家、本…

さくらこ(さくらこ)
1987年8月11日生まれの有名人 福岡出身

さくらこ(1987年8月11日 - )は、日本のタレント、レースクイーン、モデル、薬剤師。福岡県出身。 1987年8月、福岡県に生まれる。 2003年3月、西南学院中学校を卒業。 2006年3月、…

木村 葉月(きむら はづき)
2000年8月11日生まれの有名人 茨城出身

木村 葉月(きむら はづき、2000年〈平成12年〉8月11日 - )は、日本の女優、モデル、元子役。茨城県出身。ワイケーエージェント所属。 4歳の時に知り合いの薦めでカタログモデルを始めた後、2…

喜多嶋 舞(きたじま まい)
1972年8月11日生まれの有名人 神奈川出身

喜多嶋 舞(きたじま まい、1972年8月11日 - )は、日本の元女優である。本名同じ(結婚まで)。神奈川県茅ヶ崎市出身。 スペースワン → フォーピース → オフィスエムアンドビー → フロム…

小野 由美(おの ゆみ)
1968年8月11日生まれの有名人 山梨出身

小野 由美(おの ゆみ、1968年8月11日 - )は、日本のタレント、元グラビアアイドル、歌手。山梨県出身。メロディー・アイランド所属。 1987年3月21日、バンダイ・オリジナル・アニメ『魔龍…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


ハルク=ホーガンと近い名前の人

ニコ=ヒュルケンベルグ(Nicolas “Nico” Hulkenberg)
1987年8月19日生まれの有名人 出身

ニコラス・"ニコ"・ヒュルケンベルグ(Nicolas "Nico" Hülkenberg, 1987年8月19日 - )は、西ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州クレーヴェ郡エメリッヒ・アム・ラ…

斎藤 ちはる(さいとう ちはる)
【乃木坂46】
1997年2月17日生まれの有名人 埼玉出身

斎藤 ちはる(さいとう ちはる、1997年〈平成9年〉2月17日 - )は、テレビ朝日アナウンサー、元子役、元アイドル。女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバー。 アメリカンフットボール選手の…

ももの はるな(もものはるな)
1991年11月25日生まれの有名人 千葉出身

ももの はるな(1991年11月25日 - )は、日本のタレント、声優。神奈川県出身。リマックス業務提携。 東京アニメーター学院を経て、2012年より東京俳優生活協同組合に所属。 趣味は料理、映…

中嶋 春香(なかしま はるか)
1986年3月15日生まれの有名人 出身

中嶋 春香(なかしま はるか、1986年3月15日 - )は、日本の女性タレントである。血液型はA型。身長 165cm、B 85・W 60・H 84。所属事務所office O:pa(オフィスオーパ)…

小嶋 陽菜(こじま はるな)
【AKB48】
1988年4月19日生まれの有名人 埼玉出身

小嶋 陽菜(こじま はるな、1988年〈昭和63年〉4月19日 - )は、日本の経営者、ライフスタイルブランド「Her lip to」の運営をする株式会社heart relation(本社:東京都渋谷…

加藤 遥(かとう はるか)
1990年9月14日生まれの有名人 東京出身

加藤 遥(かとう はるか、1990年9月14日 - )は、日本の女性タレント、モデルで、元レースクイーン。愛称は、はるきゃん。東京都出身。元プラチナムプロダクション所属。 高校卒業後、美容学校に通…

織井 遙菜(おりい はるな)
1989年2月14日生まれの有名人 東京出身

織井 遙菜(おりい はるな、1989年2月14日 - )は、東京都出身のタレント、アイドル。N&Sプロモーション所属。 趣味はネイル・バレエ・ホットヨガ・読書など、特技は料理・パン作り・人…

ハルカ・オース(本名:Ilonka Haruka Tatianna Orth)
1982年11月16日生まれの有名人 出身

ハルカ・オース(本名:Ilonka Haruka Tatianna Orth、1982年11月16日 - )は、アメリカ合衆国シカゴ出身のタレント(外国人タレント)・女優、演出家。稲川素子事務所を経て…

石田 晴香(いしだ はるか)
【AKB48】
1993年12月2日生まれの有名人 埼玉出身

石田 晴香(いしだ はるか、1993年〈平成5年〉12月2日 - )は、日本の女優、声優、タレント。女性アイドルグループ・AKB48、SAISONの元メンバーである。埼玉県出身。ホリプロ所属。 2…

砂岡 春奈(いさおか はるな)
1986年9月30日生まれの有名人 栃木出身

砂岡 春奈(いさおか はるな、1986年9月30日 - )は、日本のモデル、タレント、女優である。 栃木県栃木市出身。JOYSTAFF所属。叔父に、1984年ロサンゼルスオリンピック重量挙げ男子82…

安藤 遥(あんどう はるか)
1991年6月3日生まれの有名人 神奈川出身

安藤 遥(あんどう はるか、1991年6月3日 - )は、日本のタレント、レースクイーン、女優、元グラビアアイドル。 神奈川県出身。エヌウィード所属。 2007年、スーパー耐久レースの「OHLIN…

雨坪 春菜(あまつぼ はるな)
1984年9月19日生まれの有名人 東京出身

雨坪 春菜(あまつぼ はるな、1984年9月19日 - )は、日本のグラビアアイドル、女優、元レースクイーン。東京都出身。2TOUCH 所属。 趣味:フラダンス、和太鼓、歩くこと、お酒を飲むこと、…

浅田 晴香(あさだ はるか)
1982年4月26日生まれの有名人 京都出身

浅田 晴香(あさだ はるか、1982年4月26日 - )は、日本の元タレント、女優。京都府出身。 1986年3歳にして子供服ファッションブランド「SEEKERS AUTUM WINTER COLL…

佐々木 悠花(ささき はるか)
1987年7月23日生まれの有名人 埼玉出身

佐々木 悠花(ささき はるか、1987年7月23日)は、日本のグラビアアイドル・タレント・女優。 埼玉県出身、アルファライズプロダクション所属。愛称は「はるぴぃ」。 趣味は散歩、作詞。特技は魚の…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
ハルク=ホーガン
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

SUPER★DRAGON MAGiC BOYZ NORD (アイドルグループ) Number_i OCTPATH なにわ男子 King & Prince DISH// XOX amorecarina 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ハルク=ホーガン」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました