ロベルト=マルカーノの情報(RobertoMarcano) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ロベルト=マルカーノの情報まとめ
ロベルト=マルカーノ(Roberto Marcano)さんの誕生日は1951年6月7日です。
卒業、引退、兄弟に関する情報もありますね。1990年に亡くなられているようです。
ロベルト=マルカーノのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ロベルト・アントニオ・マルカーノ・チェルビーニ(Roberto Antonio "Bobby" Marcano Cherubini, 1951年6月7日 - 1990年11月13日)は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(内野手)。 ベネズエラのカラカス高校を卒業後、同国のプロ球団「ラ・グアイラ」を経て、1969年にシンシナティ・レッズと契約。AAA級ポートランド(クリーブランド・インディアンス傘下)やAAA級ソルトレイクシティ(カリフォルニア・エンゼルス傘下)などのマイナーリーグでプレーしたがメジャー昇格はならず。阪急・上田利治監督からの依頼を受けた上田の広島時代の同僚で、当時カリフォルニア・エンゼルスのスカウトを務めていた平山智(フィーバー平山)の斡旋により、1975年阪急ブレーブスに入団。 1年目から強肩巧打の二塁手として活躍し、球団初の日本一に貢献。1978年には94打点で打点王を獲得。福本豊、加藤英司、簑田浩二、長池徳士らとともに阪急黄金時代を支えた。1983年、ヤクルトスワローズに移籍し、1985年に現役引退。 メジャー経験の無いマルカーノが活躍したことから、野球ファンの間ではMLBでの実績は当てにならないという見方も定着した。 引退後、読売ジャイアンツの中南米担当スカウトとして契約し、ルイス・サンチェを紹介するとともに自身もサンチェの通訳として日本を訪れた。サンチェ退団後は帰国。 1990年11月13日、肺癌のためカラカスの自宅で死去。39歳だった。神戸の教会で行われた日本での追悼式には、同年までオリックスの監督を務めた上田利治や福本などかつてのチームメイトが参列し、その若すぎる死を悼んだ。 なお、スポーツライター・藤井薫の著書によれば、「マルカーノの曽祖父は天草出身の日本人である」というが、真相は不明。カリフォルニア・エンゼルスでプレーしていたオーランド・ラミレス(英語版)、1980年ワールドチャンピオン フィリーズの二塁手マニー・トリーヨはともに従兄弟である。 マルカーノ、ケルビーニ、ともにイタリアでは一般的な姓である。 藤井薫の著書によれば、マルカーノが語った先祖に日系移民がいるという新聞記事から、天草在住の浦本家の男性が自分の祖父の弟、山田万造がマルカーノの先祖ではないかとマルカーノに手紙を出し、新聞に報道された。その男性や親族の話によると万造は、天草から上海に密航し、そこからさらに南米へ労働移民船で渡り、鉱山で労働し、いったん山を降りて商売を始めたが、失敗したのか再び鉱山で働くようになったころまで故郷と手紙のやり取りがあったという。なお、手紙は散逸し、送り先も万造が手紙の中に住所を書いて同封してきた返信用封筒で送っていたため、送り先は南米であるということくらいしかわからないという。 藤井のベネズエラでの調査では、ボビー・マルカーノの曾祖父がフランクリーノ・トモウラという日本人ふうの名字で、フランクリーノと現地女性との息子クワン・アントニオ・トモウラの写真の外見が日本人らしいこと、曾祖父一家はサーカス団を率いてペルーからベネズエラへ移ってきたということはわかった。クワン・アントニオ・トモウラの息子がボビー・マルカーノの実父ミゲル・マルカーノで、母の姓を名乗ったため、トモウラ姓は名乗らなかった。 藤井は、浦本家の男性の山田万造はサーカスをやっていてペルーからベネズエラに移ったらしいという証言、ベネズエラに戦前に移民した日系人から聞いた1928年に出会ったサーカス団のリーダーがフランクリーノ・トモウラらしく日本人それも天草出身だと言った証言、トモウラは浦本の変名ではないか(万造の兄=天草の男性の祖父が浦本家へ婿入りしたので、万造も一時期浦本家で生活をし、浦本の万造と呼ばれていた)という推測から、フランクリーノと万造を同一人物と判断しているが、山田万造がフランクリーノ・トモウラであること、フランクリーノが日系移民であることの直接的な証拠は示されていない。 福本豊によると、マルカーノのルーツが日本にあるという記事が最初にスポーツ新聞に載ったのは1978年のシーズン中だった。英語で話しかけた記者に対して自らのルーツを明かしたが、カラカスに住む叔母と電話して詳細を確認するので紙面に出すのはその後にしてほしいという依頼を守らず即座に記事にされたことに立腹し、以後その記者とは話さなかったという。 各年度の太字はリーグ最高 打点王:1回 (1978年) ベストナイン:4回 (1975年、1977年 - 1979年) ダイヤモンドグラブ賞:4回 (1975年、1976年、1978年、1979年) オールスターゲームMVP:1回 (1979年 第2戦) 日本シリーズ技能賞:1回 (1976年) パ・リーグプレーオフ優秀選手賞:1回 (1975年) パ・リーグプレーオフ首位打者賞:1回 (1975年) 初出場・初先発出場:1975年4月6日、対近鉄バファローズ前期1回戦( 阪急西宮球場 )、6番・二塁手として先発出場 初安打:1975年4月6日、対近鉄バファローズ前期2回戦(阪急西宮球場)、3回裏に加藤英夫から 初打点:1975年4月12日、対日本ハムファイターズ前期2回戦(後楽園球場)、4回表に渡辺秀武から適時三塁打 初本塁打:1975年4月18日、対太平洋クラブライオンズ前期1回戦(西京極球場)、5回裏に浜浦徹から2ラン 100本塁打:1979年5月12日、対西武ライオンズ前期8回戦(西武ライオンズ球場)、6回表に東尾修から左越2ラン ※史上102人目 150本塁打:1980年8月30日、対近鉄バファローズ後期7回戦(阪急西宮球場)、4回裏に柳田豊からソロ ※史上58人目 1000本安打:1982年7月2日、対西武ライオンズ後期1回戦(西武ライオンズ球場)、5回表に東尾修から左中間二塁打 ※史上123人目 1000試合出場:1983年5月27日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤ球場)、5番・二塁手として先発出場 ※史上234人目 200本塁打:1983年9月4日、対阪神タイガース20回戦(札幌市円山球場)、4回裏に小林繁から左越先制3ラン ※史上42人目 オールスターゲーム出場:5回 (1975年、1976年、1978年 - 1980年) 4(1975年 - 1982年) 3(1983年 - 1985年) ^ “川上巨人に「最低勝率」の屈辱を味わわせた64年広島カープの4首脳”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2015年4月6日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150413-01 2017年7月26日閲覧。 ^ 「対談 上田利治×佐々木信也 昭和の名将を語る」『草創期から支え続けた147人の監督列伝 日本プロ野球、昭和の名将』、ベースボール・マガジン社、2012年、p58 ^ “【追悼・上田利治さん(上)】 常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2017年7月9日). オリジナルの2017年7月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170725141911/http://www.sankei.com/premium/news/170709/prm1707090002-n1.html 2017年7月26日閲覧。 ^ メジャーで活躍!でも期待外れも…プロ野球「大物外国人選手」列伝 FRIDAY DIGITAL 2020年05月09日(2020年6月14日閲覧) ^ “【6月2日】1985年(昭60) 仕方なく来日したマルカーノ 11年目の外国人最高記録―”. スポニチ (2009年6月1日). 2020年6月20日閲覧。 ^ 藤井薫『天草男児マルカーノ』、ベースボールマガジン社、1986年 ^ 藤井、p.44 ^ 藤井、p.33 ^ 藤井、p.52 ^ 藤井、p.77 ^ 藤井、p.76 ^ 藤井、p.247-8。ボビーの母デリラへのインタビュー。藤井は続いて「マンゾウ」という名に聞き覚えがないかと尋ねたが記憶にないという答えだった。 ^ 藤井、p.237 ^ 藤井、p.249 ^ 藤井、p.243 ^ 藤井、p.254 ^ 藤井、p.277 ^ 藤井、p.282 ^ 藤井、p.257 ^ 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社、2014年、pp.148 - 150 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ベネズエラ オリックス・バファローズの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 B.マルカーノ - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1953 与那嶺要 1954 本多逸郎 1955 木塚忠助 1956 関口清治 1957 和田博実 1958 川上哲治 1959 岡本伊三美 1960 鈴木武 1961 中村稔 1962 張本勲 1963 広岡達朗 1964 小池兼司 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 高倉照幸 1968 王貞治 1969 高田繁 1970 王貞治 1971 王貞治 1972 末次民夫 1973 王貞治 1974 有藤通世 1975 福本豊 1976 B.マルカーノ 1977 大熊忠義 1978 D.ヒルトン 1979 三村敏之 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 中西太 1954 山内和弘 1955 山内和弘 1956 中西太 1957 中西太 1958 葛城隆雄 1959 葛城隆雄 1960 山内和弘 1961 山内和弘 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 G.アルトマン 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 門田博光 1972 野村克也, 大杉勝男 1973 長池徳二 1974 長池徳二 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 L.リー 1978 B.マルカーノ 1979 加藤英司 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 水谷実雄 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 ブーマー 1988 門田博光 1989 ブーマー 1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦 1991 O.デストラーデ, J.トレーバー 1992 ブーマー 1993 R.ブライアント 1994 石井浩郎 1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄 1996 T.ニール 1997 小久保裕紀 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 T.ローズ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 小笠原道大, A.カブレラ 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 中田翔 2015 中村剛也 2016 中田翔 2017 A.デスパイネ 2018 浅村栄斗 2019 中村剛也 2020 中田翔 2021 島内宏明 2022 山川穂高 2023 近藤健介 2024 山川穂高 表 話 編 歴 投 鈴木啓示 捕 野村克也 一 加藤秀司 二 B.マルカーノ 三 有藤道世 遊 大橋穣 外 佐々木恭介 / 白仁天 / 弘田澄男 指 長池徳二 表 話 編 歴 投 山田久志 捕 加藤俊夫 一 加藤秀司 二 B.マルカーノ 三 有藤道世 遊 石渡茂 外 門田博光 / 福本豊 / L.リー 指 高井保弘 表 話 編 歴 投 鈴木啓示 捕 中沢伸二 一 柏原純一 二 B.マルカーノ 三 島谷金二 遊 真弓明信 外 福本豊 / 簑田浩二 / 佐々木恭介 指 土井正博 表 話 編 歴 投 山田久志 捕 梨田昌崇 一 加藤英司 二 B.マルカーノ 三 島谷金二 遊 石渡茂 外 福本豊 / 新井宏昌 / 栗橋茂 指 C.マニエル 表 話 編 歴 1972 大下剛史 1973 桜井輝秀 1974 桜井輝秀 1975 B.マルカーノ 1976 B.マルカーノ 1977 山崎裕之 1978 B.マルカーノ 1979 B.マルカーノ 1980 山崎裕之 1981 山崎裕之 1982 大石大二郎 1983 大石大二郎 1984 大石大二郎 1985 西村徳文 1986 辻発彦 1987 白井一幸 1988 辻発彦 1989 辻発彦 1990 辻発彦 1991 辻発彦 1992 辻発彦 1993 辻発彦 1994 辻発彦 1995 小久保裕紀 1996 大島公一 1997 大島公一 1998 金子誠 1999 金子誠 2000 大島公一 2001 井口資仁 2002 高木浩之 2003 井口資仁 2004 井口資仁 2005 西岡剛 2006 田中賢介 2007 田中賢介 2008 田中賢介 2009 田中賢介 2010 田中賢介 2011 本多雄一 2012 本多雄一 2013 藤田一也 2014 藤田一也 2015 L.クルーズ 2016 藤田一也 2017 鈴木大地 2018 中村奨吾 2019 浅村栄斗 2020 外崎修汰 2021 中村奨吾 2022 外崎修汰 2023 中村奨吾 2024 小深田大翔 VIAF 日本 ベネズエラの野球選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 打点王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 読売ジャイアンツ関連人物 日本の球団通訳 在アメリカ合衆国ベネズエラ人の野球選手 在日外国人の野球選手 在日ベネズエラ人 イタリア系ベネズエラ人 日本・ベネズエラ関係 カラカス出身の人物 スペイン語通訳 1951年生 1990年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/24 01:15更新
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