三浦方義の情報(みうらまさよし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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三浦方義の情報まとめ
三浦 方義(みうら まさよし)さんの誕生日は1933年8月23日です。青森出身の野球選手のようです。
兄弟、卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。
三浦方義のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 三浦 方義(みうら まさよし、1933年8月23日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 男3人・女3人の6人兄弟の末っ子として生まれ、幼少期はスキーやスケートを通じて足腰が鍛えられた。五戸高校2年次の1950年6月28日に青森市営球場で行われた巨人-西日本戦を観戦し、この試合で巨人先発の藤本英雄が日本プロ野球史上初の完全試合を達成したのを目撃。これがきっかけで藤本に憧れるようになり、同年冬には和歌山市で実施された早稲田大学野球部の冬季練習に参加し、その中には広岡達朗・荒川博・小森光生らがいた。エースとして3年次の1951年春季東北大会県予選決勝に進むが、七戸高に敗退。 同年11月に読売ジャイアンツの入団テストを受けて合格し、高校卒業後の1952年に入団。1年目の同年は洋松ロビンス監督を辞してコーチとして入団していた新田恭一の指導を受けて、それまでの自己流の投法を修正し、ボールが楽に投げられるようになる。3年目の1954年には憧れの藤本が二軍多摩川グラウンドにやって来てブルペンにて投球練習を行っているところを、三浦は後ろから見学。藤本の持ち球であるスライダーを目で見て盗むが、巨人では4シーズンで9試合、投球回数15回1/3のみと出番は少なく、1955年限りで三浦は巨人を自由契約となった。 1956年に三浦は同期生の笠原正行と共に大映スターズへ移籍し、エース格でコーチ兼任の林義一から左足の踏み込みについて欠点を指摘されフォームを修正。それまでの過去4シーズン0勝から一気に飛躍して29勝14敗、防御率1.77(リーグ5位)の好成績で最多勝のタイトルを獲得し、それまでのパ・リーグのシーズン勝利記録を更新した。同年は終盤まで梶本隆夫(阪急)と最多勝のタイトルを争い、10月7日の時点で共に27勝で並んでいた。シーズン最終日となる翌8日の近鉄戦(茅ヶ崎)ダブルヘッダー2試合で共に救援登板して一挙に2勝を挙げて29勝となり、東映戦(駒沢)で28勝の梶本を振り切り、最多勝を確定させた。当時のパ・リーグは年間勝率が3割5分を割ったチームには500万円の罰金を科す規約があり、同年の大映は57勝94敗でパ8球団中7位で勝率3割8分1厘であったため辛うじて罰金を逃れたが、三浦はチーム勝利数の半分以上を一人で稼いだことになる。 チームが高橋ユニオンズと合併した1957年は12勝21敗でリーグ最多敗戦、毎日オリオンズと合併して大毎オリオンズとなった1958年は11勝8敗と3年連続2桁勝利を記録するが、1959年以降は4シーズンで4勝に終わる。肘を痛めた影響で1962年限りで現役を引退。 引退後は大毎→東京→ロッテで二軍投手コーチ(1963年 - 1965年, 1968年, 1973年)・スカウト(1966年 - 1967年)を歴任し、コーチ時代には成田文男・木樽正明・八木沢荘六らを育成、スカウトとしては弘田澄男を獲得している。1971年には1年だけ千葉テレビ「CTCダイナミックナイター」解説者を務め、ロッテ退団後は東京都内で会社員として勤務した。 各年度の太字はリーグ最高 最多勝利:1回 (1956年) オールスターゲーム出場:1回 (1956年) 31 (1952年) 34 (1952年 - 1955年) 51 (1956年) 12 (1957年) 10 (1958年 - 1962年途中) 63 (1962年途中 - 同年終了) 66 (1963年 - 1965年) 56 (1968年) 82 (1973年) ^ 週刊ベースボール1979年4月30日号「プロ野球名投手列伝 三浦方義 巨人で0勝、大映で29勝した不思議スライダー」48-52頁 ^ 『日本プロ野球トレード大鑑』83頁 ^ 1957年に稲尾和久(西鉄)が35勝で記録を更新。 週刊ベースボール1979年4月30日号「プロ野球名投手列伝 三浦方義 巨人で0勝、大映で29勝した不思議スライダー」p48-p52 『日本プロ野球トレード大鑑』ベースボールマガジン社、2001年 青森県出身の人物一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 大映ユニオンズの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 野口正明 1953 川崎徳次 1954 宅和本司, 田中文雄 1955 宅和本司 1956 三浦方義 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保征弘 1963 稲尾和久 1964 小山正明 1965 尾崎行雄 1966 米田哲也 1967 池永正明 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 成田文男 1971 木樽正明 1972 山田久志, 金田留広 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 東尾修 1976 山田久志 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 今井雄太郎, 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修, 山内和宏 1984 今井雄太郎 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 山沖之彦 1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野田浩司, 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 K.グロス 1996 K.グロス 1997 西口文也, 小池秀郎 1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 涌井秀章 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 和田毅, 金子千尋 2011 D.ホールトン, 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平, 涌井秀章 2016 和田毅 2017 東浜巨, 菊池雄星 2018 多和田真三郎 2019 有原航平 2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平、伊藤大海 日本の野球選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 大映ユニオンズ及びその前身球団の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 最多勝利 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 青森県出身の人物 1933年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/19 20:40更新
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