上原裕の情報(うえはらゆたか) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
上原 裕さんについて調べます
■名前・氏名 |
上原裕と関係のある人
冨田麗香: メンバーはJesee nakamura(Vo,Gt)、田中章宏(Ba)、上原裕(Ds)、中山努(Key)、冨田麗香(Vo,Cho) 青木真一: 記録映画『ロッカーズ』に青木のインタビューが収録されており、その中で「ニューミュージックの世界から抜けられなくなった元村八分のドラマー」を激しく非難しているが、このドラマーは上原裕(当時はシュガー・ベイブやナイアガラ系の作品に多数参加)のことと思われる。 遠藤賢司: また、「やっぱりあなたの歌じゃなきゃ」では湯川トーベン、鈴木茂、上原ユカリ(上原裕)が参加し、ニール・ヤングへの対決意識をむき出しにした演奏をしている。 南正人: 南正人(Vo,G)/古田勘一(G)/田中章弘(B)/上原裕(Dr,Per)/ペッカー(Per)/森村献(P)/有田武生(G)/小島康夫(Violin)/エド、岩沢幸矢、岩沢二弓(Cho)/多田賢一(B.Sax)/片岡輝彦(Trombone)/武田和三(Trumpet)/森マモル(T.Sax,S.Sax)/中島政雄(Clarinet)/多グループ(Strings)/コーポレーション・スリー(Cho) 山下達郎: アルバム・リリースと前後してメンバーに変動があり、野口・鰐川に替わって上原裕・伊藤銀次・寺尾次郎が加入することで、6人組となった。 野口明彦: 1975年 シュガー・ベイブ脱退後(後任は上原裕)、センチメンタル・シティ・ロマンスへ移籍。 |
上原裕の情報まとめ
上原 裕(うえはら ゆたか)さんの誕生日は1953年12月4日です。京都出身のミュージシャンのようです。
ドラマ、解散、テレビ、引退に関する情報もありますね。上原裕の現在の年齢は70歳のようです。
上原裕のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上原 裕(うえはら ゆたか、1953年12月14日 - )は、日本のミュージシャン(ドラマー)。 16歳の頃、既にバンド“ハウス・グラス・ホッパー”でドラマーとして活動していた時に伊藤銀次と知り合い、1970年夏に伊藤らと“グラス・ブレイン”を結成。1971年には“村八分”、1972年には“ごまのはえ”に参加し、そのまま“ココナツ・バンク”のメンバーとなる。解散後の1975年にはシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』のレコーディングに参加する一方、ハイ・ファイ・セットのバック・バンドに加入。同年3月には同バンドのメンバーだった伊藤、寺尾次郎とともにシュガー・ベイブのメンバーになり、以後1976年4月の解散まで活動。解散後は大瀧詠一主宰のナイアガラ・レーベルのセッションや、りりィのバック・バンド“バイバイ・セッション・バンド”、伊藤のアルバム『DEADLY DRIVE』など、レコーディングでも活動。その後、1981年から1984年まで沢田研二のバック・バンド“EXOTICS”に加入。1986年10月 (1986-10)、TBSテレビで放送された伊藤出演のスタジオ・ライヴ番組収録をもって一時ドラマーを引退。 1996年 (1996)復帰、大滝のシングル「幸せな結末」のレコーディングや、忌野清志郎のバンド“ラフィータフィー”のメンバーとしての活動のほか、2002年には伊藤とココナツ・バンクを再始動させた。 愛称の“ユカリ”というミドル・ネームは、明治「マーブルチョコレート」のCMに出演していた上原ゆかりに因んで付けられたもの。 「留子ちゃんたら」 (1972年9月25日 (1972-09-25))- 7":OF-6 『春一番コンサート・ライブ』 (1972年8月5日 (1972-08-05))- 2LP:OFW-1/2
『春一番』 (1973年3月 (1973-03))- 10LP:UGD3001~10 ※1972年5月6日 (1972-05-06),7日、大阪天王寺野外音楽堂で開催された『第2回春一番ライヴ』を収録した風都市自主制作による非売品10枚組LP。
まにあっています 語呂合せ しゃべりたいなあ 留子ちゃんたら 布谷文夫「台風13号」 (1973年9月21日 (1973-09-21))- 7":DR-1799 ※布谷文夫&ココナツ・バンク 布谷文夫『悲しき夏バテ / 布谷文夫I』 (1973年11月21日 (1973-11-21))- LP:DR-1799 ※布谷文夫 & ココナツ・バンク はっぴいえんど『ライブ!! はっぴいえんど 』 (1974年1月10日 (1974-01-10))- LP:OFL-20 ※1973年9月21日 (1973-09-21)に文京公会堂で行われたはっぴいえんどのラスト・ライヴ“CITY-Last Time Around”での演奏を収録したライヴ・アルバム。大瀧詠一とココナツ・バンク名義。
空飛ぶウララカサイダー 『1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出』 (1974年1月15日 (1974-01-15))- LP:3A-1014 ※三部構成のライヴ“CITY-Last Time Around”より、第一部の吉田美奈子、南佳孝、ココナツ・バンク。第二部のムーンライダースの4組の演奏を収録。
無頼横町 『1974 HOBO'S CONCERTS V(ありがとう ありがとう ありがとう)』 (1976年6月21日 (1976-06-21))- LP:OFM-16 ※1974年に池袋シアター・グリーンで行われた“ホーボーズ・コンサート”のライヴ・アルバム。布谷文夫 & ココナツ・バンク名義。
深南部牛追歌〜大阪へやって来た 『SONGS』 (1975年4月25日 (1975-04-25))-LP:NAL-0001
風の世界 ためいきばかり いつも通り すてきなメロディー 今日はなんだか 雨は手のひらにいっぱい 過ぎ去りし日々 “60's Dream” りりィ『AUROILA』(1976年5月20日 (1976-05-20))- LP:ETP72168 『Library』(1983年10月 (1983-10)) 忌野清志郎 矢野顕子
伊藤銀次
大瀧詠一
『GO! GO! NIAGARA』(1976年10月25日) 『NIAGARA CALENDAR』(1977年12月25日) 『A LONG VACATION』(1981年3月21日) 『EACH TIME』(1984年3月21日) 甲斐バンド 吉川晃司
沢田研二
『A WONDERFUL TIME』(1982年6月1日 (1982-06-01)) 『MIS CAST』(1982年12月10日 (1982-12-10)) 『JULIE SONG CALENDAR』(1983年3月5日) 『女たちよ』(1983年10月1日 (1983-10-01)) 『NON POLICY』(1984年6月5日 (1984-06-05)) 山下達郎
『GO AHEAD!』(1978年12月20日) 『MOONGLOW』(1979年10月21日) 『POCKET MUSIC』(1986年4月23日) 『COZY』(1998年8月26日) 『SOFTLY』(2022年6月21日) 吉田拓郎 井上陽水
『EVERY NIGHT』(1980年12月5日) 高中正義
『SUPER TAKANAKA LIVE!』(1980年3月1日) 『T-WAVE』(1980年6月1日) 間宮貴子
^ 本盤収録のムーンライダースは松本隆を中心に結成されたソウル・ミュージック的なリズムを演奏したバンドで、後に鈴木慶一を中心とする“ムーンライダーズ”とは、メンバーに鈴木博文が重複する以外は、ほとんど別物。 ^ 小川真一「大滝詠一を頂点とした複合的な人脈のトライアングル」『レコード・コレクターズ』第25巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2006年4月1日、78-81頁。 , JAN 4910196370466 12月14日は上原“ユカリ”裕の誕生日 - 大人のMusic Calendar この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 ISNI MusicBrainz 日本のロック・ミュージシャン 日本のドラマー シュガー・ベイブのメンバー 京都市出身の人物 1953年生 存命人物 出典皆無な存命人物記事/2013年3月 すべてのスタブ記事 音楽家関連のスタブ ISNI識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/24 00:30更新
|
uehara yutaka
上原裕と同じ誕生日12月4日生まれ、同じ京都出身の人
TOPニュース
上原裕と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「上原裕」を素材として二次利用しています。