もしもし情報局 > 1944年 > 3月3日 > ミュージシャン

南正人の情報 (みなみまさと)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

南正人の情報(みなみまさと) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

南 正人さんについて調べます

■名前・氏名
南 正人
(読み:みなみ まさと)
■職業
ミュージシャン
■南正人の誕生日・生年月日
1944年3月3日 (年齢2021年没)
申年(さる年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和19年)1944年生まれの人の年齢早見表

南正人と同じ1944年生まれの有名人・芸能人

南正人と同じ3月3日生まれの有名人・芸能人

南正人と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


南正人と関係のある人

遠藤賢司: 高田渡、南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。


高田渡: 菅沼宏、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活動)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。


後藤次利: なお、同時期にレコーディング参加した南正人のアルバム『回帰線』ではギタリストとして演奏している。


クドー・シュンサク: 渋谷の老舗ライブハウスAPIA(現APIA40)で南正人の前座として弾き語りで出演。


南正人の情報まとめ

もしもしロボ

南 正人(みなみ まさと)さんの誕生日は1944年3月3日です。東京出身のミュージシャンのようです。

もしもしロボ

卒業、事件、解散、現在、家族、テレビ、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2021年に亡くなられているようです。

南正人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

南 正人(みなみ まさと、1944年3月3日 - 2021年1月7日)は、日本のフォークシンガー。レゲエ、ロック歌手。

東京都杉並区出身。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。死去当日までライブツアーを行っており、ライブ中に逝去した。

1960年代後半、東京外国語大学外国語学部スペイン語学科在籍中、休学届けを出し、少年の頃からの夢を実現すべく、太平洋を船で渡り、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ各地を丸2年間放浪。帰国後、大学を卒業するものの就職せず、都内のバーで弾き語りのアルバイトをする。ベトナム戦争という時代背景のもと、反戦集会などで自作のメッセージソングを歌い始める。高田渡、遠藤賢司、真崎義博らと日本語フォーク・ソングのチーム「アゴラ」に参加し、東京を拠点に活動する。

1968年、「アゴラ」の仲間と共に、京都の「第3回関西フォークキャンプ」に出演。「ジャン」、「こんなに遠くまで」などを唄う。他出演者に高石ともや、岡林信康、中川五郎、豊田勇造、中山ラビなど。

1969年、ファーストシングル『ジャン/青い面影』をRCAよりリリース。東京青山の「汽車クラブ」で弾き語りのアルバイトをしていたところを、浅川マキのプロデューサーであった寺本幸司にスカウトされて制作した記念的初シングルレコード。A面「ジャン」の作詞を手がけたのは、ロンドンのユースホステルで知り合った友人山田タツロー(ジャケットではヤマダジロウと表記)。南にとって作詞という行為は、まったく未知の領域であったが、同じ汽車クラブのカウンターで働いていた成田ヒロシという同世代の友人に刺激され、シンガーソングライターとしての生き方を決意し、都内ライブハウスにてコンサートを始める。

1970年、岐阜県で行われた「中津川フォークジャンボリー」に出演。シングル「ヨコスカブルース/赤い花」をRCAより発表。「赤い花」の詞が放送禁止、発売禁止となる。

あさってカムパニー主催〈魂のコンサート〉(出演者:遠藤賢司、藤原豊、長谷川きよし、南正人、シモン・サイ、ブレッド&バター 他)

あさってカムパニーは南正人と成田ヒロシたちが、その活動基地としてつくったもので、南たちは孤立無援ながらも、フォークブームの向こう側に見える時代に照準を合わせ、実弾を発射することと同じ重さを引き受けて、このような自主企画をしていた。歌う場を自らでつくるより他なかったのだ。

1971年、東京の都区部を脱出し、多摩地域の八王子山中で暮らす。自宅の古民家でレコーディングしたファーストアルバム『回帰線』(RCA)を発表(泉谷しげるに影響を与える。細野晴臣、水谷孝をバックに迎えている。)

1972年 8月長男誕生。

1973年、ベルウッドから、アルバム『南正人』を発表。シングル「上海帰り」もリリース。

1975年、フィリップスから、アルバム『南正人LIVE』を発表。

1977年、キングレコードから、アルバム『希望峰』を発表。

1979年、日本コロムビアから、『Lady Let Me Go』を発表。

1980年、11月の薬物事件のため、音楽活動がしばらく停滞する。

1980年代、ライブ活動を中心に全国を回る。

1981年、「ONE LOVE CONCERT」(一橋大学兼松講堂/共演:憂歌団/喜多郎/白竜ほか)

1984年、音楽活動再開ロックバンド「River」結成。

1985年、「ジャパン・レゲエ・フェスティバル」出演。

レゲエはかつてのロックが持っていたつかみどころのない強烈なエネルギーが“おーい、こっちだ、こっちだ”と俺たちを呼んでいた。

1986年、全国ライブツアー、マンスリーコンサート(高円寺稲生座、吉祥寺曼荼羅)

1987年、「寿町夏祭りコンサート」に出演。ピースボート水先案内人として乗船。

1988年、8月1日〜8月8日の8日間、「NO NUKES」、「ONE LOVE」、「いのちの祭り」の中心メンバーとして祭りを開催。(マスコミから日本のウッドストックと称される)。

1989年、お互いのコンサートにゲスト出演しあう仲の浅川マキをゲストに迎え『スタート・アゲイン』(テトラ)をリリース。ジャケット写真は群馬県の樹齢千年のカヤの大木の根に素足で腰かけて撮影。撮影は『AERA』(朝日新聞社出版本部(現朝日新聞出版))の表紙の人物を撮り続けていた坂田栄一郎。

熱帯森林保護団体 –(Rainforest Foundation Japan)[1]RFJ発足のサポート。

12月3日、全労済ホールにて「南正人20周年記念コンサート」開催。

1990年、全国ライブハウスツアーマンスリーコンサート

「アパルトヘイト否!国際美術展コンサート」(杉並)「丸木美術館支援コンサート」(北浦和)長谷川行進「かっぽれdeかっぽれ」コンサート「アースデイコンサート」(夢の島公園)「地球人学校コンサート」(和歌山)森の音楽祭(渋川)「風土記の丘コンサート」(山梨)「地球回帰の祭り」(福島獏原人村)「みどりの祭り」(熊本)「大山いのちの祭り」(鳥取)熱帯林週間アピール街頭パフォーマンス(渋谷)ネルソン・マンデラ歓迎集会(日比谷野外音楽堂)

1991年、タイ北部山岳地帯を約2ヶ月回る。

1992年、全国ライブハウスツアー、コンサートあわせて200か所を回る。

1993年、自叙伝『風のように自由に旅するヒッピー人生』(JICC出版局(現宝島社))を出版。

1995年、『恋心』(ペルメージ・レコード)をリリース。タイ・チェンマイで出会ったタイ人ロックアーティストトゥックを日本に招待。九州を皮切りに広島、神戸、京都、新潟、佐渡、東京全7か所にてライブ。

1996年、全国ライブハウスツアー。

1997年、「ジュビリー・ジャム」(タイ)

1999年、『馬尾馬尾 Mao Mao』(テトラ)をリリース。芝居に初出演。

2000年、『人生の楽屋裏』(キャプテン・トリップ・レコーズ)をリリース。

2001年、全国ライブハウスツアー

2002年、日タイ交流コンサート、全国ライブハウスツアー

2003年、『SONGS〜歌たちよ〜』(ペルメージ・レコード)をリリース。

2004年、『Live on The Road 80s』(LA VIDA MUSIC COLLECTION)をリリース。九州にて還暦祝い第一回「ナミさん祭り」開始。

2005年、書籍『KEEP ON! Minami Masato』(マガジン・ファイブ)を出版。

2006年、『風来坊の唄』(LA VIDA MUSIC COLLECTION)をリリース。書籍『国境の南』(マガジンファイブ)を出版。

2007年、DVD『'88 いのちの祭り』(テトラ)を再発売。

2008年、バンド「みどり組」結成(元Big Frogのton(ドラム)、 shimi(ベース) と元アナコンダの孝介(ギター) と南正人が合体)。バンド活動も含め、引き続き、ギター片手に全国各地400箇所以上を回る。

2009年全国ライブハウスツアー120か所ほど回る。「みどり組」解散

2010年2月、「第1回シャンバラ祭り」[2](タイ・チェンダオ)ほか全国ライブツアー100か所ほどを回る。

2011年2月、「第2回シャンバラ祭り」5月、「虹の岬祭り」7月、「風の祭り」9月、「山水人祭り」10月、「平和の祈り」(仙台)12月、「なみさん祭り」

東北大震災発生時はタイに居たため帰国時に食糧(パン)をたくさん持ってきて周りから喜ばれる。以後、チャリティーコンサートなどで定期的に東北に向かう。

2012年、「第3回シャンバラ祭り」、「いのちの祭り2012ーNO NUKES ONE LOVEー@ふもとっぱら」、全国ライブツアー

2013年、「第4回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー

2014年、「第5回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー

2015年、「第6回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー

2016年、「第7回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー

2017年、「第8回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー、73歳、「NAMI'S DAY」原宿クロコダイルにて7月1日〜7月3日開催。

2018年、「第9回シャンバラ祭り」(10日間 参加者のべ3,500人、63カ国籍)、全国ライブツアー

2019年、「第10回シャンバラ祭り」、全国ライブツアー

2020年、「第11回シャンバラ祭り」、タイから帰国後コロナ禍のためライブ活動が中止や延期などライブツアーも激減し、時間を有効に使って自身の過去のライブ音源も含めた『南正人自選集』を発表する。vol.1〜vol.12の大作(2021年3月3日現在vol.1〜3までリリース)

2021年1月7日、横浜サムズアップでライブ中に意識を失い救急搬送された。搬送先の病院で家族立会いのもと、解離性大動脈瘤での死亡が確認された76歳没。

南は、テレビ東京系のバラエティ番組「家、ついて行ってイイですか?」に生前取材を受けており、自宅を公開していた。その映像は、最後のライブ映像とともに番組で2021年3月10日に放送された。スタジオゲストは、南とは旧知の友人である泉谷しげる。撮影スタッフはディレクターの渕聡、ライブ映像を撮影していたのは沖内辰郎。

南正人直筆の英文による 1988年いのちの祭り/1998年タイのジュビリージャム/2010年シャンバラ祭り/についての紹介文

People started to ask me many questions how shambhala Festival started. So today I write for the first time about this Festival.

It was 1988 when in Japan we held a 8 days outdoor camping festival. It's about 2 years after Chernobyl nuclear disaster. We named the Fes "INOCHINO-MATSURI" (No Nukes One Love) It was really the first big gathering to protest and fight for the world without Nukes. More than 10,000 people (including 6,000young Japanese hippies) gathered to this MATSURI. Many musicians played their music and declared their strong will to create a better world.

Caravan, famous Thai band was invited to this MATSURI. Mr. Surachai, the leader of the band told me, "Nami-San, What a nice beautiful festival! I hope we will hold peaceful festival like this someday in my country. In Thailand when we plan these festivals most of the time we get in trouble and never be peaceful like this."

I could not forget his words for a while. So when I had a chance to visit Thailand in 1992, I tried to find him. Pik-San took me to meet him.

"Hello! Mr. Surachai, I finally came to see you! I'll give you my hand if you plan the festival." I expected his good reaction. But he said "I'm sorry, Nami-San, I'm now sick and I don't have enough energy. So please find someone as your partner.

I was a little bit disappointed but quickly changed my idea. OK. I'll find someone. There must be someone. So I visited Thailand 6 years from then on. But everything was not in good condition. I almost gave up the plan. Then a man, Mr. Took, a famous rock guitarist, said to me "Senpai!! I will do it! Let me do it!

So the first Japan-Thai-grassroots festival (we named this "Jubilee Jam) was held in 1998 in Chiangmai University. A part of the profit was donated to the elephant hospital. In 2003, we held second festival in Chiangmai University. Pro. SPACHAI showed himself up as a representative. The festival was not what I expected, but somehow it was a o.k when I think this was held in foreign country.A part of our profit was donated to A.D.E.P-Aka Daughter Education Program. But actually I had to spend quit a lot of my money for those two festivals. I was tired of money trouble and thought no more festival in Thailand.

Some years have passed and in Japan many of my friends requested me to open the festival again. So I decided to hold festival again, but this time I wanted to do outside of the city in some local nature with no sponsor.

At first we looked for the location in Pai. We (Stephan, Pik and me) drove around Pai area everyday but we couldn't find. I went back to Chiangmai to tell Urano (Japanese friend living in Chiangmai ) this story. Then he said, "Nami-San, there are many nice places in Chiang Dao. You sure like it." Next day we headed for Chiang Dao. At the big cross road in Chiang Dao, we turned left. After that we were standing on the ground Doi Luang camp site, as if some invisible energy carried our car. Looking up the Doi Luang mountains in front, I sensed this is the place. That year when I came Thailand I saw the very strange mountain from the airplane's window and the mountain in front of me was that mountain. This must be a guidance from heaven. And four or five villagers gathered in one place, pointing their fingers to a silver snake and talking each other. "Servant of God has come. Something good will happen." The silver sneak rarely come down to people. People never kill this sneak.

In October in that year, I visited again and contracted with Mr. Nikom who is the top of this land. In 2010, the first Shambhala festival was held. It turned out very small festival, about 250 people joined. We had small income and budget was minus. But we were happy and decided to carry on.

We do this festival not for money, but for a bright future. Yes! At least here in Shambhala we have lots of time. We can think, talk, watch, walk, find, far from the city lights. We slowly become one family. This is quite different from the full moon party.

I think of myself as a carrier of Japanese style MATSURI to Thailand.

Every each year more people came from all over the world. In this year 3,500 people from 63 countries enjoyed the festival. No troubles and no fighting in past 9 years. Local people like this festival very much and Thai people is the big party of the participants of this festival.

This is the short story how this movement has started.

日本語訳

いのちの祭り

チェルノブイリ原発事故から2年後に行われた。 延べ10000人が集い、6000人の若者たちがそこにいた。 8日間のキャンピングのフェスティバルで、日本におけるこのスタイルのフェスティバルの始まりだったと言われている。

ジュビリージャム

いのちの祭りに演奏しに来ていた、タイの伝説的バンド”カラワン”のリーダーのスラチャイに タイでもこのような祭りをしたいと言われたことがきっかけとのこと。 その後1998年、チェンマイ大学で日タイ草の根交流を主旨とした、音楽イベント”ジュビリージャム”を主催。タイや日本のバンドが数多く出演した。 2003年にも再び開催された。

シャンバラまつり

ジュビリージャムとはまた違う、10日間ほどのイベント期間、キャンピング主体のスポンサーなどがいないまつりをやりたいと、 その後、チェンマイの街中から離れ、 自然に囲まれた、”星の街”という意味の、”チェンダオ”という街で、シャンバラまつりを2010年より主催。10日間のキャンピングスタイルのまつりで、近くに村の天然の温泉もあり、チェンダオ山の麓の絶景の街だ。 タイ人をはじめ、日本人、中国人、韓国人、台湾人、そのほか欧米から来た外国人をはじめとして、新しく出会った若い現地のアーティストや村の人たちも含めて、一緒にイベントを作り上げていくスタイルとなった。その後、2020年まで毎年開催。(2021年はコロナウイルスにより中止) 2019年には4500人、延べ63か国もの人が訪れ、海外でも特集されるなどしている。 そこで生まれた友情や縁は深く、温かな広がりを見せて、フェスティバルの後も、各地で小さなフェスが開かれ、 彼が亡くなった2021年の3月3日の誕生日には、追悼のピクニックフェスティバルというものがタイで開かれた。

回帰線(1971年、RCA/1982年、RVC (LP)、1994年、BMGビクター (CD))1999年BMGファンハウス(CD)※紙ジャケット仕様CDが2004年に再発売された。

TRAIN BLUE

夜をくぐり抜けるまで

こんなに遠くまで

海と男と女のブルース

It Can't Be Over

愛の絆

青い面影

悲しみ忘れた悲しさ

果てしない流れに咲く胸いっぱいの愛

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo,Gr)/石川鷹彦(Gr,Organ)/細野晴臣(B)/安田弘美(G,Harmonica)/林立夫(Dr)/田中正子(P)/後藤次利(G)/水谷孝(G)/吉野金次(Mix)

セカンドアルバム『南正人ファースト』(1973年、ベルウッドレコード (LP)、1987年、キングレコード (CD))※紙ジャケット仕様CDが2004年に再発売された。

いやな雨

午前4時

紫陽花

A WEEK

愛のふきだまり

ブギ

五月の雨

家へ帰ろう

LAZY BLUE

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo,G)キャラメルママ〜 細野晴臣(B)/鈴木茂(G)/林立夫(Dr)/松任谷正隆(Key)/吉野金次(Mixer)

『南正人ライブ1975.10.7MANDA-RA』(1975年、フィリップス (LP)、1988年、徳間ジャパン (CD))

THIS TRAIN Ⅰ

SUMMER'S ALMOST GONE

さすらい

LLORONA

ジャン

銀の糸

HONKY TONKY BLUES

LOVE SICK BLUES

THIS TRAIN Ⅱ

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo,12G,AG,CG)/山木幸三郎(Arr,EG)/鷹野潔(P)/四方田勇夫(Dr)/福島靖(WB)/古田勘一(G)/鈴木義博(Engineer)/田村仁(photography)/寺本幸司/成田ヒロシ(Producer)

『希望峰』(1977年、キングレコード (LP)、1982年、キングレコード (CD))

上海帰り

IF YOU EVER

バラのつぶやき

希望峰

メケ・ママル

EVERY DAY

オー・エンジェル

泣きぬれて

お気に召すまま

朝の雨

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo,G)/古田勘一(G)/田中章弘(B)/上原裕(Dr,Per)/ペッカー(Per)/森村献(P)/有田武生(G)/小島康夫(Violin)/エド、岩沢幸矢、岩沢二弓(Cho)/多田賢一(B.Sax)/片岡輝彦(Trombone)/武田和三(Trumpet)/森マモル(T.Sax,S.Sax)/中島政雄(Clarinet)/多グループ(Strings)/コーポレーション・スリー(Cho)

Lady Let Me Go(1979年、日本コロムビア) - LP

裸の心

青春の三叉路

It Can't Be Over

Lady Let Me Go

はぐれ者

Sugar

Baby Where Are You?!

River

Start Again スタートアゲイン(1989年、テトラ)

スタートアゲイン

今夜はオーライ

アジア

ローリングストーン

Do You Love Me?

バーニングファイア

喜望峰

さすらい

恋心(1995年、ペルメージ・レコード)

蝉とブルース

DAY BY DAY

蟻ん子

恋心

風たちは今

ゴスペル・ボーイ

愛を信じて

ローン・ゴーン・ジョン

人は独りで

馬尾馬尾 (mao-mao)(1999年、テトラ)

街の風 

キャンセル待ち

何処かで誰かが

レインボウ

馬尾・馬尾

法然さん

青空と小鳥と終身刑

人生の楽屋裏(2000年、キャプテントリップレコーズ) - 南正人&マイペンライバンド名義

Rock me,baby

ボーダーライン

たばこの煙

春の夜風

オープンyourハート

星空のタオ

入れば

人生の楽屋裏

There's a man

春の夜風(カラオケ)ボーナス・トラック

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo,G)/ 萩原信義(G)/ 南泰人(Dr)/ 須川光(Key)/ 大久保晋(B)/ 武田由美子(Piano,Accordion)/ もろいみちこ(Vo,Co)/ 小川圭一(Sax)

SONGS〜歌たちよ〜(2003年、ペルメージ・レコード)

メッセージソング

心のブーメラン

鏡の中

ガットギター

どっちの気持ちも

ON MY WAY

太陽賛歌

我が祈り

マオ・マック・マー

【参加ミュージシャン】 南正人(Vocal,Acoustic Guitar,Gut Guitar,Bass,Percussion,Harmonica)/ 竹田裕美子(Piano,Keyboad)/ 萩原信義(Acoustic Guitar)/ 吉田達二(Bass)/ 古田勘一(Acoustic Guitar)

Live on the Road 80s(2004年、LA VIDA MUSIC COLLECTION)- 南正人&リバー名義

法然さん

アフリカ#1

LADY LET ME GO

SUGAR

霧を抜けて

アフリカ#2

ダブントゥドゥン

キャンセル待ち

風来坊の唄(2004年、LA VIDA MUSIC COLLECTION)

おいらの村

THIS TRAIN

リコデラチカ

春の夜風

家へ帰ろう

都会の孤独

ゴスペルボーイ

ボーダーライン

ヘイメン

ヨコスカブルース

あたしのブギウギ

風来坊の唄

裸の心

平和のラップ(2012年1月&4月TETRA)

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo.G)/ ヨシダタツジ(B)/ ミナミヤスト(Dr)/ コマツザキ(Per)/ デムラカツアキ(Per)/ タケダユミコ(Acco)/ シバタエミ(Piano)/ テル(三味線)/ タケル

ON THE ROAD AGAIN

南正人&OLD SPACESHIP BAND(2019 Naminabe-Records)

キャンセル待ち

ロンゴーンジョン

わたしのブギウギ

ローリングストーン

レインボー

【参加ミュージシャン】 南正人(Vo.G)/ 南泰人(Dr)/ 須川光(key.p)/ 萩原信義(AG)/ 八幡"PON"健造(AG)/ 沖内辰郎(W.Bass)/ 辻村マリナ(cho)

南正人 歌日記自選集

Vol.1 Vol.2 Vol.3 (2020 tabisuru 🐜 arinko Records) 自選集vol.4〜12制作準備中 (2021年現在

ジャン/青い面影(1969年11月、RCA)

ヨコスカブルース/赤い花(1970年5月、RCA)

五月の雨/家へ帰ろう(1973年9月、ベルウッドレコード)

上海帰り/川に沿って(1974年3月、ベルウッドレコード)

あたしのブギウギ/気ままなあの娘(1975年10月、フィリップス)

ヨコスカブルース/大森三丁目(1976年7月、フィリップス)

風のように自由に旅するヒッピー人生(1993年、JICC出版局)

KEEP ON!(2005年、マガジンファイブ)

国境の南 元祖ジャパニーズ・バックパッカー1964/1966(2006年、マガジンファイブ)

KEEP ON!(2005年、マガジンファイブ)

^ 自叙伝『KEEP ON! Minami Masato』(マガジンファイブ)

^ Facebook Live Schedule Minami Masato 2021年1月7日

^ “フォークシンガーの南正人、ライブ中に死去”. 音楽ナタリー (2021年1月8日). 2021年1月8日閲覧。

^ “シンガー・ソングライターの南正人氏が死去 ライブ出演中に倒れ”. 産経新聞 (2021年1月8日). 2021年1月8日閲覧。

^ 『家、ついて行ってイイですか?』南正人の生き様と死に様を偶然にも記録した、日本ロック史の貴重な資料 日刊サイゾー2021年3月17日

南正人 Official Website

南正人 (@minami_masato) - X(旧Twitter) - 公認bot

南正人 (@minamimasato73) - X(旧Twitter)

ディスクユニオン 南正人CD

シャンバラ祭り

この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。

ISNI

VIAF

日本

CiNii Books

CiNii Research

MusicBrainz

日本のフォークシンガー

東京外国語大学出身の人物

東京都区部出身の人物

1944年生

2021年没

Wikifyが必要な項目/2021年9月

2024/11/20 13:07更新

minami masato


南正人と同じ誕生日3月3日生まれ、同じ東京出身の人

権田 修一(ごんだ しゅういち)
1989年3月3日生まれの有名人 東京出身

権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、神奈川県川崎市生まれ、東京都世田谷区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・清水エスパルス所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。…

吉沢 明歩(よしざわ あきほ)
1984年3月3日生まれの有名人 東京出身

吉沢 明歩(よしざわ あきほ、1984年3月3日 - )は、日本の女優、タレント、YouTuber。元AV女優。有限会社アイナ所属。 当初はグラビアアイドルとして活動後、2003年にAV女優に転向。…

沢田 彩実(さわだ あやみ)
1986年3月3日生まれの有名人 東京出身

沢田 彩実(さわだ あやみ、1986年3月3日 - )は、日本の元グラビアアイドルである。東京都出身、現在東京都在住。 1stDVD「Nu Image」で2009年2月27日「沢田あやみ(さわだ あ…

坂口 杏里(さかぐち あんり)
1991年3月3日生まれの有名人 東京出身

坂口 杏里(さかぐち あんり、1991年(平成3年)3月3日 - )は、日本の元タレントで、元AV女優。 東京都世田谷区出身。母は女優の坂口良子。継父はプロゴルファーの尾崎健夫。現在は一般人。 19…

小松 千春(こまつ ちはる)
1974年3月3日生まれの有名人 東京出身

小松 千春(こまつ ちはる、1974年3月3日 - )は、日本のAV女優、元タレント。東京都出身。 第16代旭化成水着キャンペーンモデル。2008年頃までオフィス・メイに所属していた。 趣味は詩を書…


木幡 美子(こばた よしこ)
1967年3月3日生まれの有名人 東京出身

木幡 美子(こばた よしこ、1967年(昭和42年)3月3日 - )は、フジテレビの総務局次長兼CSR推進室部長。元アナウンサー、アナウンス室副部長。本名は岡 美子(おか よしこ)で、木幡は旧姓。趣味…

大村 晟(おおむら まさと)
1992年3月3日生まれの有名人 東京出身

大村 晟(おおむら まさと、1992年(平成4年)3月3日 - )は、フジテレビの社員。元アナウンサー。 北海道出身で、後に東京都で育った。身長178cm。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部卒…

小島 功(こじま こお)
1928年3月3日生まれの有名人 東京出身

小島 功(こじま こお、1928年3月3日 - 2015年4月14日)は、日本の漫画家、イラストレーター。本名︰小島 功(こじま いさお)。 「漫画界一の流麗な線描」と評された画風を特徴とし、エロテ…

八百屋 杏(やおや きょう)
3月3日生まれの有名人 東京出身

八百屋 杏(やおや きょう、3月3日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。リマックス所属。 太字はメインキャラクター 輪るピングドラム(女性、女将) 戦国コレクション(コーラスグループ、おばば、…

折笠 奈緒美(おりかさ なおみ)
1981年3月3日生まれの有名人 東京出身

折笠 奈緒美(おりかさ なおみ、1981年3月3日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。夫はゲームクリエイターの時田貴司。 漫画『ガラスの仮面』の影響で、舞台に興味を持つ。昔から『ガラスの仮面』の…


原田 喧太(はらだ けんた)
1970年3月3日生まれの有名人 東京出身

原田 喧太(はらだ けんた、1970年3月3日 - )は、日本のギタリスト、俳優。アクセルミュージックエンターテイメント(吉川晃司の設立した事務所)、株式会社H3を経て、父・原田芳雄が設立した事務所ギ…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


南正人と近い名前の人

南 麻衣子(みなみ まいこ)
1961年3月8日生まれの有名人 東京出身

南 麻衣子(みなみ まいこ、本名:高橋 幸代(たかはし ゆきよ)、1961年3月8日 - )は、日本の女性タレント、女優である。アクターズプロモーション所属。 血液型B型。サイズは身長168cm、B…

南 まりか(みなみ まりか)
1985年11月18日生まれの有名人 東京出身

南 まりか(みなみ まりか、1985年11月18日 - )は、日本のタレント、元グラビアアイドル。愛称は、まりかさん。 東京都出身。サンズエンタテインメント所属。 夫はプロサッカー選手・小池純輝。…

汾陽 麻衣(かわみなみ まい)
1982年8月7日生まれの有名人 鹿児島出身

汾陽 麻衣 (かわみなみ まい、1982年8月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 鹿児島純心女子中学校、鹿児島純心女子高等学校、清泉女子大学文学部英語英文学科 卒業。 2005年NHK鹿児…

南 昌輝(みなみ まさき)
1989年1月18日生まれの有名人 和歌山出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。妻は歌手の柴田あゆみ。…


南野 拓実(みなみの たくみ)
1995年1月16日生まれの有名人 大阪出身

南野 拓実(みなみの たくみ、1995年1月16日 - )は、日本のプロサッカー選手。大阪府泉佐野市出身。リーグ・アン・ASモナコ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。日本代表。 小学生…

大南 拓磨(おおみなみ たくま)
1997年12月13日生まれの有名人 愛知出身

大南 拓磨(おおみなみ たくま、1997年12月13日 - )は、愛知県刈谷市出身のプロサッカー選手。ベルギー・ファースト・ディビジョンA・OHルーヴェン。ポジションはディフェンダー(センターバック、…

南 美希子(みなみ みきこ)
1956年2月26日生まれの有名人 東京出身

南 美希子(みなみ みきこ、1956年2月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、ナレーター。元テレビ朝日アナウンサー。東京女学館大学(現在は閉学)客員教授。東京都世田谷区出身。2024…

南後 杏子(なんご きょうこ)
2001年2月1日生まれの有名人 福井出身

南後 杏子(なんご きょうこ、2001年2月1日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。福井県福井市出身。 福井大学教育地域科学部附属中学校時代、理科研究の論文発表で優良賞を受賞した。同じく中学時代…

南波 雅俊(なんば まさとし)
1988年5月4日生まれの有名人 大分出身

南波 雅俊(なんば まさとし、1988年〈昭和63年〉5月4日 - )は、TBSテレビのアナウンサーで、元NHKアナウンサー。 國學院大學久我山高等学校を経て、立教大学法学部政治学科卒業後の2012…


南野 陽子(みなみの ようこ)
1967年6月23日生まれの有名人 兵庫出身

南野 陽子(みなみの ようこ、1967年〈昭和42年〉6月23日 - )は、日本の女優・タレント、歌手。愛称はナンノ。兵庫県伊丹市出身。1999年から2022年末までケイダッシュ所属。現在の所属は個人…

南 夕花(みなみ ゆうか)
1967年3月2日生まれの有名人 出身

南 夕花(みなみ ゆうか、1967年3月2日 - )は、日本の元女優、元タレント。 旧芸名は渡辺夕子、南夕子。父は山城新伍、母は花園ひろみ。 1986年、東京女子大学文理学部2年の時に、南夕子の名…

南 ななこ(みなみ ななこ)
1997年10月5日生まれの有名人 大阪出身

南 ななこ(みなみ ななこ、1997年〈平成9年〉10月5日 - )は、日本の歌手、タレント。女性アイドルグループ・GEMの全活動期(2012年 - 2018年)のメンバー。2018年4月1日、南口 …

南 明奈(みなみ あきな)
1989年5月15日生まれの有名人 東京出身

南 明奈(みなみ あきな、1989年〈平成元年〉5月15日 - )は、日本のタレント、女優、ファッションモデル、元グラビアアイドル。オスカープロモーション、TWIN PLANETを経てフリーランス(2…

日南 響子(ひなみ きょおこ)
1994年2月6日生まれの有名人 愛知出身

日南 響子(ひなみ きょおこ、1994年〈平成6年〉2月6日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、タレント、歌手。愛知県稲沢市出身。 名前の仮名表記は一般の読みである「きょうこ」ではなく、「き…


南條 有香(なんじょう ゆか)
1989年6月24日生まれの有名人 兵庫出身

南條 有香(なんじょう ゆか、1989年6月24日 - )は、日本のファッションモデル、タレントである。兵庫県三田市出身。 ファッション雑誌『ラブベリー』の読者モデルオーディションに参加した2004…

田原 可南子(たはら かなこ)
1994年2月14日生まれの有名人 東京出身

田原 可南子(たはら かなこ、1994年(平成6年)2月14日 - )は、日本の女優、歌手。本名、同じ。旧芸名、綾乃 美花(あやの みか)。夫は俳優の高良健吾。 東京都出身。スターダストプロモーショ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
南正人
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

CheekyParade AKB48G SUPER☆GiRLS SUPER EIGHT SMAP 夢みるアドレセンス Rev.from DVL HKT48 PASSPO☆ 私立恵比寿中学 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「南正人」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました