上野貴久の情報(うえのたかひさ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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上野貴久の情報まとめ
上野 貴久(うえの たかひさ)さんの誕生日は1982年12月9日です。東京出身の野球選手のようです。
卒業、引退、兄弟に関する情報もありますね。上野貴久の現在の年齢は41歳のようです。
上野貴久のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツに所属していた。実弟は千葉ロッテマリーンズに所属していた上野大樹。 中学時代は地元の軟式野球チームブラックキラーズに所属していた。帝京高時代は控え投手だったが、進学した東洋大学の野球部では1年生春から主戦投手になる。東都大学リーグ通算75試合登板し14勝28敗、防御率3.43、228奪三振。 大学卒業後の2005年はNTT東日本に入社、同社硬式野球部に所属。2006年の都市対抗では、予選で3勝、本戦で1勝をあげた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で読売ジャイアンツから3巡目指名を受け入団(契約金1億円、年俸1500万円)。 2007年の春季キャンプで、希望枠の金刃憲人・大社4巡目の円谷英俊・同じく6巡目の寺内崇幸と共に、球団としては4年ぶりのキャンプでの新人一軍スタートとなった。しかし、3年間一軍登板なしに終わる。 2010年シーズンは、2軍で40試合に登板し、4勝1セーブ、防御率1.30という成績を残した事から李承燁と入れ替わりという形で9月7日に初めて一軍登録され、同月9日に対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板した。 2011年は、二軍で防御率4.41に終わり、結局一軍登板は無く、11月15日に球団から戦力外通告を受けた。 2012年、プロ入り前に所属したNTT東日本に6年ぶりに復帰したが、この年限りで現役を引退した。 今後は同社で社業に就く。 最速144km/hのストレートに、スライダー・シュートを加え左右に揺さぶる投球が持ち味。両サイド低めに集められる制球力も武器としている。 初登板:2010年9月9日、対横浜ベイスターズ18回戦(横浜スタジアム)、8回裏1死に5番手で救援登板・完了、2/3回無失点 38 (2007年 - 2008年) 62 (2009年 - 2011年) ^ 『プロ野球カラー名鑑 2008』ベースボール・マガジン社、2008年、14頁。ISBN 978-4-583-61526-4。 ^ 一軍昇格時の成績。 ^ 巨人の上野が初の出場選手登録 デイリースポーツ ^ “元巨人左腕が6年ぶり社会人復帰「感謝しています」”. スポーツニッポン (2012年2月4日). 2012年2月4日閲覧。 ^ 引退選手のご挨拶 2013年2月11日閲覧 東京都出身の人物一覧 東洋大学の人物一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 兄弟スポーツ選手一覧 個人年度別成績 上野貴久 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 希望入団枠:金刃憲人 3巡目:上野貴久 4巡目:円谷英俊 5巡目:深沢和帆 6巡目:寺内崇幸 7巡目:深町亮介 1巡目:坂本勇人 3巡目:田中大二郎 4巡目:伊集院峰弘 1巡目:鈴木誠 2巡目:下山学 3巡目:松本哲也 4巡目:隠善智也 5巡目:芦沢明 6巡目:作田啓一 7巡目:大抜亮祐 日本の野球選手 帝京高等学校出身の野球選手 東洋大学硬式野球部の選手 NTT東日本硬式野球部及びその前身チームの選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 東京都区部出身の人物 1982年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/10 16:05更新
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ueno takahisa
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