丘灯至夫の情報(おかとしお) 作詞家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
丘 灯至夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
丘灯至夫と関係のある人
大杉久美子: 丘灯至夫作詞生活40年記念LPレコード『ねこふんじゃった こどもの歌アルバム』より 日高美子: ラブミーアイランド (作詞:丘灯至夫 作曲:森田公一)1982.8 春日八郎: 風林火山の唄(1962年)-丘灯至夫作詞生活40年記念LP「ねこふんじゃった こどもの歌アルバム」 作詞:沢登初義/作曲:古屋丈晴 霧島昇: 母灯台(1949) - 作詞:丘灯至夫/作曲:原六朗 中村メイコ: 雑木林に月が出た(丘灯至夫作詞・原六朗作曲、1955年1月発売) 山形英夫: 作詞:丘十四夫(丘灯至夫)/作曲:船村徹 川田正子: 1985年7月1日、日本コロムビアで久々となるオリジナルの新曲「似合わない」「花言葉あげます」(2曲共に作詞:丘灯至夫、作曲:渡辺岳夫)を吹き込み、同年10月1日に発売する(A面「花言葉あげます」B面「似合わない」規格品番:AH-655)。 しまざき由理: 竜の子プロダクション(現在のタツノコプロ)社長・吉田竜夫、同曲の作詞者・丘灯至夫が見守るなか、何度リテイクしても失敗し、嶋崎はとうとうトイレにこもって泣き出した。 富島健夫: (刊行とは『明日への握手』学習研究社〈学研新書〉(1963年5月)を指す)歌謡曲「高校三年生」(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実、歌:舟木一夫)のヒットに伴い小説化したとする資料もあるが(柳澤五郎「富島健夫」『福岡県文学辞典』志村有弘編、勉誠出版、2010年。 和田香苗: アニメの代表作としてはタツノコプロ製作アニメーション作品のコロムビアレコードの作曲、編曲を多数手掛け『紅三四郎』(丘灯至夫 詩 堀江美都子 唄)、『ハクション大魔王』のエンディング曲『アクビ娘』や『昆虫物語みなしごハッチ』のエンディング曲『ママをたずねて』などがある。 藍川由美: 「華燭」丘灯至夫作品集(コロムビア、1999年) 上原げんと: 『東京のバスガール』(昭和32年9月)[丘灯至夫作詞、歌:初代コロムビア・ローズ] 舟木一夫: 1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。 |
丘灯至夫の情報まとめ
丘 灯至夫(おか としお)さんの誕生日は1917年2月8日です。福島出身の作詞家のようです。
略歴、主な作品などについてまとめました。卒業、家族、病気、映画に関する情報もありますね。92歳で亡くなられているようです。
丘灯至夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)丘 灯至夫(おか としお、1917年〈大正6年〉2月8日 - 2009年〈平成21年〉11月24日)は日本の作詞家。本名は西山安吉。丘灯至夫以外にも丘十四夫、河野一郎など数々のペンネームを持つ。 好々爺として知られ、その明るい人柄から作品も明るい青春歌やホームソング的なものが多い。代表作は『高原列車は行く』、『高校三年生』、『あこがれの郵便馬車』など。アニメの主題歌なども手がけており、『ハクション大魔王』、『みなしごハッチ』、『ガッチャマンファイター』などが知られている。 ペンネームの由来は、新聞記者としての経験から「押しと顔」を逆から読んだものといわれている。新聞記者は押しが強くて面の皮が厚い、と言われることから。息子は救心製薬社員の丘きんじ。 略歴幼少期福島県田村郡小野新町(現・小野町)の西田屋旅館(現存)の六男として生まれる。 1929年、福島県郡山市立金透小学校尋常科を卒業。 1932年、福島県郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業。 少年時代は体が弱く、よく家族に連れられて福島県猪苗代町の旧・沼尻鉄道に揺られて中ノ沢温泉へ湯治へ出かけていた。その記憶が、のちにヒット曲『高原列車は行く』の誕生に繋がる。 詩人として体が弱かったため仕事が長続きせず、職を転々とする。ひたすら読書にふけり、詩人・西條八十主宰の雑誌に作品を載せてもらったり手紙を出したりしているうちに交流を持つ。1935年、18歳の頃に西條に弟子入り、西條八十を迎えて「蝋人形」郡山支部を結成して主宰となる。「蝋人形」誌に多くの詩作を発表する。1936年、同期の塩谷賢司とともに詩誌「蒼空」を東京で発刊(第一期1~8号)。この頃から、太田博(ひめゆり、相思樹の歌作詞)、菊池貞三、三谷晃一(元福島民報社論説委員長)など多くの詩人を育てた。1940年、詩誌「蒼空」を郡山で復刊(第二期1~5号)。1946年、詩誌「蒼空」を福島で復刊(第三期~1948年)この時期の同人として内海久二(内海久次、郡山市民の歌作詞)がいる。 作詞家へ1941年、NHKに入局。郡山放送局(当時)に勤務し、一時アナウンサーも務める。 1942年、NHKから毎日新聞社(東京)に転職し地元の福島支局記者となる。 1943年、小柄で脊椎が悪くいつもギプスを着用していた灯至夫にも召集令状が下る。海軍に配属されたものの病気になり、海軍病院に入院し召集解除されている。 1948年、毎日新聞東京本社出版局に転勤し、毎日グラフ記者として活躍。 1949年、たまたま手がけることとなった『母燈台』(三益愛子主演映画の主題歌。歌手:霧島昇)の作詞をきっかけに、日本コロムビア株式会社の専属作詞家となる。なお、作詞家となった後も毎日新聞社には籍を置き続けており1972年に毎日新聞社を定年退職している。その際、毎日新聞社会長より終身名誉職員の名を与えられ出版局特別嘱託となる。 1963年、『高校三年生』他の作詞により日本レコード大賞作詞賞を受賞。 1964年、童謡『ワン・ツー・スリー・ゴー』により日本レコード大賞童謡賞を受賞。 1982年、地方自治功労により福島県田村郡小野町特別功労表彰を受ける。 1988年、芸術文化功労により勲四等瑞宝章受章。 1993年、福島県田村郡小野町に「丘灯至夫記念館」(ふるさと文化の館内)がオープンし2001年に小野町名誉町民第1号となる。 2002年、郡山駅前に郡山商業高校同窓会(伊東善之進会長)を中心とする実行委員会により『高校三年生歌碑』建立(4月13日) 2009年11月24日、腎不全のために東京都内の病院にて永眠。92歳没。 主な作品1949年 『母燈台』(作曲:原六朗、歌:霧島昇) 1951年
『長崎の雨』(作曲:古関裕而、歌:藤山一郎) 『あこがれの郵便馬車』(作曲:古関裕而、歌:岡本敦郎) 1953年
『みどりの雨』(作曲:古関裕而、歌:藤山一郎) 1954年
『百万石音頭』(作曲:古関裕而、歌:伊藤久男・永田とよ子) 1955年
1957年 『東京のバスガール』(作曲:上原げんと、歌:コロムビア・ローズ) 1959年 『変幻三日月丸』(作曲:堀江貞一、編曲:武市昌久、歌:大野一夫) 1961年 『襟裳岬』(作曲:遠藤実、歌:島倉千代子) 1963年
『修学旅行』(作曲:遠藤実、歌:舟木一夫) 1964年 『智恵子抄』(作曲:戸塚三博、歌:二代目コロムビア・ローズ) 1965年 『二十四の瞳』(作曲:戸塚三博、歌:二代目コロムビア・ローズ) 1967年 『天才クイズの歌』(作曲:中村八大、歌:CBC児童合唱団) 1969年 『ハクション大魔王の歌』(作曲:市川昭介、歌:嶋崎由理) 1970年 『みなしごハッチ』(作曲:越部信義、歌:嶋崎由理) 1971年 『決断』(作曲:古関裕而、歌:幹和之) 1972年
『ピピのうた』(作曲:松山祐士、歌:広川あけみ) 1973年
『ぼくらのキカイダー』(大船進と共同作詞、作曲:渡辺宙明、歌:コロムビアゆりかご会) 『しあわせ見つけた』(作曲:いずみたく、歌:由紀さおり) 1976年
1979年 『ガッチャマンファイター』(作曲:小林亜星、歌:ささきいさお・コロムビアゆりかご会) 1979年『若さと英知〜日本ビジネスコンサルタント社歌』(原案:社内公募、作曲:古関裕而、歌:三鷹淳) 1980年 『おれたちゃクロダコブラザーズ』(作曲:渡辺宙明、歌:こおろぎ'73) 1985年『日立物流社歌』(作曲:古関裕而、歌:三鷹淳) 2008年 『あの世はパラダイス』『霊柩車はゆくよ』(作曲:小林亜星、歌:エノケソ) 2024/06/16 02:17更新
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oka toshio
丘灯至夫と同じ誕生日2月8日生まれ、同じ福島出身の人
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