丸山正雄の情報(まるやままさお) アニメプロデューサー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
丸山 正雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
丸山正雄と関係のある人
今敏: 今の劇場作品をすべてプロデュースした丸山正雄はその後も4、5年ほどプロジェクトを続行しようと粘り続け、2012年時点では「2017年までに映画を完成させるための資金を集めるつもりだ」と語っていた。 今敏: きっかけは、映画の制作会社マッドハウスの丸山正雄からさそわれたこと。 杉野昭夫: 1972年には『ジョー』班の丸山正雄、出崎、川尻善昭らと共にマッドハウスの設立に参加。 出﨑統: 『ジョー』終了後、1年ほど絵コンテマンとして活動した後、1972年10月にプロデューサーの丸山正雄、おおだ靖夫、作画監督の杉野昭夫とともに、演出の波多正美、原画の川尻善昭ら『ジョー』制作班を引き連れてマッドハウスを設立。 出崎統: 長年にわたってジュール・ルナールの「にんじん」をアニメ化したいと話していた他、晩年には丸山正雄の要請により、オリジナル時代劇の草案も書き起こしていた。 高坂希太郎: 1993年、マッドハウスの丸山正雄のプロデュースにより、OVA『A-Girl』で監督デビュー。 片渕須直: 1995年、虫プロ時代の『うしろの正面だあれ』の仕事で注目したというプロデューサーの丸山正雄に声をかけられ、マッドハウスの仕事を手伝うようになる。 川尻善昭: 近年も、マッドハウスおよびMAPPA(マッドハウス創設者・丸山正雄が作った会社)を基盤としてアニメーター活動中。 出崎統: 出﨑とともにマッドハウスを設立した丸山正雄は、同社の若いスタッフが出﨑をまねた粗い筆致の絵コンテを描くことがあるが、出﨑の場合は絵が巧いので粗いタッチでも絵コンテが成立するのだと述べた。 出崎統: 丸山正雄は、『時をかける少女』の細田守を「面白い」と評したのが唯一であったと証言している。 出崎統: 同作の企画は、出﨑が自ら虫プロの企画室にいた丸山正雄に「どうしてもこれをやりたい」と持ちこんだものであった。 糸曽賢志: アニメプロデューサーの丸山正雄からの誘いで今敏監督の長編アニメーション「夢みる機械」に演出として参加後、2012年にSMAP全国ツアーで上映する映像を監督したほか、駐日フィンランド大使館の公式キャラクター「フィンたん」をデザインし、 ユルキ・カタイネン元首相と面会した。 出﨑統: 同作の企画は、出﨑が自ら虫プロの企画室にいた丸山正雄に「どうしてもこれをやりたい」と持ちこんだものであった。 杉野昭夫: 丸山正雄によれば、『あしたのジョー』制作時、杉野は作画監督として原画修正作業を行うにあたって絵コンテを再チェックせず(すべて頭の中に入っている)、また原画家による衣装や小道具の描き間違いも完璧に直していたという。 出﨑統: またアートフレッシュ~マッドハウス在籍時代は、自分の車に丸山正雄を乗せ、卓を囲む相手2人を探し歩く日々を送るほどの麻雀好きでもあったという。 片渕須直: 制作はこの映画のために丸山正雄が設立したMAPPAが行った。 りんたろう: 1982年には椋尾篁、マッドハウスの丸山正雄らとプロジェクトチーム・アルゴスを結成する。 出﨑統: 出﨑とともにマッドハウスを設立した丸山正雄は、同社の若いスタッフが出﨑をまねた粗い筆致の絵コンテを描くことがあるが、出﨑の場合は絵が巧いので粗いタッチでも絵コンテが成立するのだと述べた。 出﨑統: 長年にわたってジュール・ルナールの「にんじん」をアニメ化したいと話していた他、晩年には丸山正雄の要請により、オリジナル時代劇の草案も書き起こしていた。 大友克洋: 『幻魔大戦』の際、プロデューサーの丸山正雄に「ヒロインのルナ姫が可愛くない」と指摘されて何度も描き直したが、どうしても可愛く描けず、監督のりんたろうが間に入って可愛くないままのデザインでOKとなった。 出﨑統: 『家なき子』『宝島』『劇場版エース』はいずれも後述の杉野、小林、高橋との「出﨑カルテット」の連携で作られた作品であり、丸山正雄は『劇場版エース』において出﨑の作風が完成したとの認識を示している。 細田守: しばらく鳴かず飛ばずの状態が続いたが、2004年にマッドハウスの丸山正雄社長(当時)から『時をかける少女』の監督のオファーが来る。 岩男潤子: そのアフレコから20年ほど経った頃のフォトエッセイ集では当時のプロデューサーであった丸山正雄が「『何もできない子が入ってきた』とみんなで笑いながら見守っていた」と振り返っている。 出崎統: またアートフレッシュ~マッドハウス在籍時代は、自分の車に丸山正雄を乗せ、卓を囲む相手2人を探し歩く日々を送るほどの麻雀好きでもあったという。 出崎統: 『ジョー』終了後、1年ほど絵コンテマンとして活動した後、1972年10月にプロデューサーの丸山正雄、おおだ靖夫、作画監督の杉野昭夫とともに、演出の波多正美、原画の川尻善昭ら『ジョー』制作班を引き連れてマッドハウスを設立。 出﨑統: 丸山正雄は、『時をかける少女』の細田守を「面白い」と評したのが唯一であったと証言している。 大友克洋: 『幻魔大戦』の後、アニメ制作会社マッドハウスの丸山正雄プロデューサー(当時)から「短編を1本作ってみないか」と誘われ、二つ返事で引き受けた。 小山田シン: マッドハウス、MAPPA、スタジオM2のアニメ制作会社を創設した丸山正雄、ジェンコの真木太郎、GKIDSのエリック・ベックマン、元アトラスの猪狩茂らがエグゼクティブ・プロデューサーとして加わる。 小山田真: マッドハウス、MAPPA、スタジオM2のアニメ制作会社を創設した丸山正雄、ジェンコの真木太郎、GKIDSのエリック・ベックマン、元アトラスの猪狩茂らがエグゼクティブ・プロデューサーとして加わる。 出崎統: 『家なき子』『宝島』『劇場版エース』はいずれも後述の杉野、小林、高橋との「出﨑カルテット」の連携で作られた作品であり、丸山正雄は『劇場版エース』において出﨑の作風が完成したとの認識を示している。 |
丸山正雄の情報まとめ
丸山 正雄(まるやま まさお)さんの誕生日は1941年6月19日です。宮城出身のアニメプロデューサーのようです。
人物、主な参加作品などについてまとめました。映画、テレビ、卒業、ドラマ、趣味に関する情報もありますね。丸山正雄の現在の年齢は83歳のようです。
丸山正雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)アニメーション映画 『獣兵衛忍風帖』(制作プロデューサー) 『PERFECT BLUE』(制作プロデューサー) 『千年女優』(企画) 『東京ゴッドファーザーズ』(企画) 『パプリカ』(企画) 『時をかける少女』(企画) 『サマーウォーズ』(企画) 『マイマイ新子と千年の魔法』(企画) 『この世界の片隅に』(企画) テレビアニメ 『YAWARA!』(プロデューサー) 『MONSTER』(プロデューサー) 『はじめの一歩』(プロデューサー) 『花田少年史』(プロデューサー) 『NANA』(プロデューサー) 『DEATH NOTE』(プロデューサー) 『逆境無頼カイジ』(企画) 『ちはやふる』(クリエイティブプロデューサー) 丸山 正雄(まるやま まさお、1941年6月19日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー。元・株式会社マッドハウス取締役社長、現・MAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長。 2002年に第7回アニメーション神戸特別賞、2003年に第23回藤本賞奨励賞をそれぞれ受賞した。 1941年、宮城県塩竈市に生まれる。 法政大学文学部を卒業後、やりたいことが見付からずに1年ほどフリーターのようなことをしていたが、知人の紹介で1965年に虫プロダクション(旧虫プロ)にアニメの会社とは知らずに入社する。 1972年、経営危機を迎えた虫プロから出崎統、りんたろう、川尻善昭ら、その後の日本のアニメ文化を牽引することになる作り手たちと共に独立して有限会社マッド・ハウス(現:株式会社マッドハウス)を設立、1980年には代表取締役社長に就任する。以降、数多くのOVAやテレビシリーズ、劇場作品の企画・プロデュースを手掛ける。 1993年公開の川尻善昭監督の映画『獣兵衛忍風帖』が、北米で『Ninja Scroll』というタイトルでビデオ発売され、50万本近い売上を記録するヒットとなった。 1998年公開の今敏監督の映画『パーフェクトブルー』が、日本公開に先駆けて海外の映画祭などで上映され、各地で称賛を浴びる。様々な賞を受賞し、世界21ヶ国での販売ライセンスを獲得した。 2002年公開の今敏監督の映画『千年女優』が、ドリームワークスにより世界配給される。 2006年、今敏監督の映画『パプリカ』が公開され、第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品される。同年、細田守監督の東映アニメーション独立後初の映画『時をかける少女』が公開される。原作者の筒井康隆から『パプリカ』映像化の許諾を受けた時、同時に『時をかける少女』の許可も得ていた丸山は、細田がスタジオジブリの『ハウルの動く城』の監督を降板して東映に出戻ったすぐ後から彼に監督をさせようと接触していた。 2010年8月14日、今敏が急逝する。丸山は『パプリカ』公開後から今監督の次の映画『夢見る機械』の準備を進めていたが、これによって制作は中断したままとなっている。今の死後、4〜5年ほどは他の監督に引き継いでもらって完成させることを考えていたが、資金集めが上手く行かずにプロジェクトは中断。その後は資金の問題よりも「誰が今敏の才能を引き継ぐことができるか」という問題に直面し、やめることを決断した。 2011年6月にマッドハウスを退職すると、70歳にして阿佐ヶ谷に新たなアニメ制作会社・MAPPAを設立する。もともとはマッドハウス時代に担当した片渕監督の『マイマイ新子と千年の魔法』の後で次の作品として企画されていたのを引き継いだもので、設立当初からスタジオには、片渕須直監督作『この世界の片隅に』の制作ルームが置かれていた。しかし、資金が全く集まらず、制作は難航したが、2016年にようやく公開されると、日本国内では最長となる1133日連続ロングラン上映となり、累計動員数210万、興行収入27億円を突破するヒット作となった。MAPPA制作の最初のアニメ『坂道のアポロン』では、マッドハウス時代から何か一緒にやろうと話をしていた渡辺信一郎に声をかけた。当時、3年ほど仕事をしていなかった渡辺に、「君のような人が3年も仕事していないのは良くない」と監督を薦めたところ、「大塚学と組みたい」と言ってきたので、プロデューサーとして大塚もMAPPAに来ることになった。 2016年4月、プリプロダクション専門のアニメ制作会社・スタジオM2を設立する。MAPPA代表取締役の座を設立メンバーの大塚学に譲って自身は会長に退くと、新たに立ち上げたスタジオM2の社長に就任した。 2022年6月19日、81歳の誕生日でもあるこの日に生前葬を行った。 人物日本のアニメ業界の黎明期からプロデューサーとして活躍している一人であり、「マッドハウス」や「MAPPA」など、有名アニメスタジオの設立者としても知られる。50年以上にわたって日本アニメの第一線に携わり続け、多くのクリエイターの才能を見出し、作品を企画・プロデュースすることで業界を支えてきた。 丸山のプロデューサーとしての能力はアニメ業界随一と言われ、川尻善昭監督の『妖獣都市』『獣兵衛忍風帖』『バンパイアハンターD』、今敏監督の全作品(『パーフェクトブルー』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』)、細田守監督の『時をかける少女』『サマーウォーズ』、片渕須直監督の『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』など、ヒットメーカーたちの代表作・出世作を企画・プロデュースしている。 特に人材の才能を見抜き、起用する力はずば抜けており、彼がピックアップして世の中に送り出した才能としては、前述の今敏、細田守、片渕須直らがいる。2010年に他界した今敏については、全劇場作品にプロデューサーまたは企画で関わっており、亡くなる直前まで制作を進めていた映画『夢みる機械』でもプロデューサーを務めることになっていた。細田には、スタジオジブリの『ハウルの動く城』の監督降板で挫折して東映アニメーションも辞めることになった後に、フリーになって最初の劇場作品の監督のチャンスを与えている。またMAPPAは、片渕監督の『この世界の片隅に』をどうにかして世に出そうと設立したものだった。 それ以外にも、湯浅政明(『ケモノヅメ』『カイバ』)、磯光雄(『電脳コイル』)などにかなり早い時期に監督のチャンスを与えている。また、MAPPAの主力監督となった境宗久(『ゾンビランドサガ』)、朴性厚(『呪術廻戦』)、マッドハウス時代の直弟子である山本沙代(『ユーリ!!! on ICE』)も丸山に才能を見出された人間であり、この丸山の名伯楽としての能力がそのままアニメ制作会社としてのマッドハウスやMAPPAのパワーの源泉や躍進の原動力となっている。 手塚治虫については、「カルチャーショックを受けた人。それまで出会ったことの無い、常識の範疇では考えられない人物」「無茶苦茶な人でした。その時その時、自分が良いと思ったようにやろうとするから、昨日と今日で言うことが違う。だから指示を受ける側としては腹が立つこともあった。でもそうやって完成したものが、説得力があってものすごく面白いわけです」と回顧し、その魅力に取り付かれたせいでアニメーションの世界から抜けられなくなったと語っている。 マッドハウス初期に大きな影響を受けたクリエイターに、出崎統監督と平田敏夫監督の名前を挙げ、「スタジオの両輪だった」と語っている。 大友克洋を彼がキャラクターデザインを担当した映画『幻魔大戦』(1983年)の後でアニメの実制作に誘い、オムニバス映画『迷宮物語』の一篇「工事中止命令」でアニメ監督デビューに導いた。 梅津泰臣の『ストップ!! ひばりくん!』(1984年)の作画監督回を見てマッドハウスに引っ張り、川尻善昭のもとで『SF新世紀レンズマン』を担当させて彼のブレイクのきっかけを作った。 雨宮慶太を特撮物だけでなく日本のいろいろなエンターテインメントの中でも特別な存在であると考えており、2014年に彼の原作による特撮ドラマ『牙狼〈GARO〉』シリーズが10周年を迎える際にオファーを出し、シリーズ初のアニメ作品として『牙狼〈GARO〉-炎の刻印-』を制作した。 制作会社については「予算を守ってつくることも大事だけれど、新しいことにもチャレンジしていかなければいけないと思う」と語っている 「最初に井戸を掘った人は偉い」という考えを持ち、どんなジャンルでも最初にやった人が尊敬すべき人だと思っている。 丸山にとっての「面白い」は幅が広く、作品ごとに別の意味での面白さを感じている。それぞれの作品ごとに質が違うので、「真面目なものでもフザけたものでもそれぞれが面白ければいい」というのが丸山の基本ラインであり、ほかの会社がどんな作品をつくっているかはあまり気にならない。 自分のプロデュース作品については、「これはダメかも知れない」「企画にならないかも知れない」というよその会社で断られたような企画が自分のところに来ると「何とか形にしたい」とその気になったり、断られた理由がわかると「ならば何とかしてみせよう」とやる気になってしまったりする傾向があると分析している。 プロデューサーという立場ではあるが、本人のメディア露出は少ない。本来、取材を受けるべきは監督や絵を描く人など実際に現場で頑張っている人たちであって、基本的に縁の下にいる自分たちプロデューサーなどが自分で作品を作ったような顔をすべきではないと思っているからである。 アニメーションとはチームプレイであり、自分の世界観だけを主張する人間は一人で作業すればよいと思っている。ただし、新人だろうがベテランだろうが相手を言い負かして「自分はこうしたいんだ」というのを周りに納得させることが出来れば、自分はその人になるべく頑張ってもらい、余計なものが挟み込まれそうになったら必ずそれを排除するとも語っている。アニメの制作では、団体の総意としてどういう方向へ行くか、その幅振りや方向付けをするのが監督やプロデューサーであるが、誰かの個人的な意思が強く働くか働かないか、どの選択肢が良いかはケースバイケースで、作品によってもタイミングによっても変わるし、同じ監督であってもチームが違えばまた変わってしまうこともあり得ると考えている。 丸山が常々言っていることの一つに「魅力ある欠陥商品を作りましょう」というものがある。予算、時間、人、そしてそれぞれの組み合わせやさらなる条件の追加により、欠陥商品が生まれるのは止むを得ないし、完璧な作品などというものはできるはずがないが、お金をもらって仕事をしている以上、完璧に近づけるための努力はする。ただし、作品に必要なのはどこかに欠陥があっても「魅力がある」と思えるものかどうかということであり、だからこそ欠陥商品であることを恐れるのではなく、魅力があるかないかについてこだわるべきだと語っている。 丸山正雄の名前が「設定」としてクレジットされている場合、初期の一部の作品を除いて制作進行や設定進行が行う一般的な設定とは全く意味が異なるものである。丸山の行なう「設定」とは、大きく言えば作品の基本構成や人員配置を行なうこと。丸山自身が監督・作画監督・美術監督の三名の組み合わせを選び、作品の構成・テーマ・映像表現など作品の根幹をなすイメージを提示し、クリエイティブな面でもプロデュースすることにより、より良い作品を創作する事を意味する。初めは監督よりも前に作品全体のレールを敷き、それを監督に渡す仕事だったのが、その後、人材派遣までもやるようになった。 趣味は料理。普段の住居のほかにマンションをひと部屋持ち、そこで自分が市場で仕入れた食材を料理して人をもてなすほか、制作現場でも手料理を振る舞うことで知られている。 アニメ業界の内幕を描いたテレビアニメ『SHIROBAKO』に登場する架空のアニメスタジオ「武蔵野アニメーション」の丸川正人社長は、丸山がモデルになっている。 主な参加作品テレビアニメーション
OVA・短編
劇場アニメーション
2024/06/19 01:08更新
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maruyama masao
丸山正雄と同じ誕生日6月19日生まれ、同じ宮城出身の人
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