二本柳寛の情報(にほんやなぎひろし) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
二本柳寛の情報まとめ
二本柳 寛(にほんやなぎ ひろし)さんの誕生日は11月20日です。東京出身の俳優のようです。
卒業、姉妹、解散、現在、映画、退社、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。1970年に亡くなられているようです。
二本柳寛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)二本柳 寛(にほんやなぎ ひろし、1917年〈1912年説もあり〉11月20日 - 1970年1月28日)は、日本の俳優である。本名及び旧芸名は黒井 洵(くろい じゅん)。戦中戦後、主に敵役として活躍した二枚目俳優である。 1917年(大正6年)11月20日、北海道札幌市に生まれる。横浜高等工業学校(1951年廃校)を卒業。 1933年(昭和8年)、劇団築地座に入団し、『三人姉妹』で初舞台を踏む。ところが、同劇団は1936年(昭和11年)に解散し、その後は東京中央放送局(現在の日本放送協会)に入社し、そのまま終戦を迎える。この間、本名の黒井洵名義で1942年(昭和17年)に公開された東宝映画製作の山本嘉次郎監督映画『ハワイ・マレー沖海戦』と、1943年(昭和18年)に製作された満州映画協会・東宝映画共作の島津保次郎監督映画『誓ひの合唱』『私の鶯』の3本の映画に出演しているが、1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集 男優編』など、ほとんどの資料では戦後に映画初出演としている。また、日本映画データベースでは黒井旬と記載されているが、誤りである。 1947年(昭和22年)、本名で松竹京都撮影所製作の高木孝一・沢田正平両監督映画『踊り子劇場』に出演し、芸能界に復帰。1948年(昭和23年)、大映に入社。芸名も二本柳寛と改名して、1949年(昭和24年)2月に公開された安田公義監督映画『最後に笑う男』で主演を務めた滝沢修の敵役が入社第一作となる。また、本作は京マチ子にとっても大映入社第1作でもあった。二枚目ぶりと重厚な演技がたちまち注目され、1949年(昭和24年)公開の森一生監督映画『地下街の弾痕』で早くも主演に 退社後は早くも脇役に回り、同年に東宝へ入社するが、わずか1年ほどで退社してフリーとなる。以後も多数の作品に主演・助演し、あまり目立たない役が多かったが、1951年(昭和26年)に公開された松竹大船撮影所製作の小津安二郎監督映画『麦秋』では原節子演じる間宮紀子の戦死した兄の親友役、同年の東宝製作の成瀬巳喜男監督映画『めし』では原節子演じる岡本三千代の従兄役、1954年(昭和29年)に公開された新星映画社製作の山本薩夫監督映画『太陽のない街』では組合指導者・萩村を好演するなど、名匠の作品でも堅実な演技力を見せた。1956年(昭和31年)、今度は日活へ移籍。日活名物のアクション映画に脇役として多く出演した。また、テレビドラマにも出演している。 1970年(昭和45年)1月28日、創映プロダクションが製作した萩原遼監督映画『やくざ非情史 血の決着』の封切りを待たずに、東京都品川区の昭和大学病院で心不全のため死去した。52歳没。ただし『日本映画俳優全集 男優編』など、一部の資料では1967年(昭和42年)公開の江崎実生監督映画『黄金の野郎ども』を最後に日活を退社としている。 ハワイ・マレー沖海戦 (1942年) めし (1951年) 麦秋 (1951年) 舞姫 (1951年) 風船(1956年) しあわせはどこに(1956年) 地底の歌 (1956年) 人間魚雷出撃す (1956年) 川上哲治物語 背番号16 (1957年) ジャズ娘誕生 (1957年) 明日は明日の風が吹く 赤い波止場 南国土佐を後にして (1959年) 大学の暴れん坊 (1959年) 逃亡者 (1959年) 二連銃の鉄(1959年、日活) 都会の空の用心棒 霧笛が俺を呼んでいる (1960年) 拳銃無頼帖 不敵に笑う男 拳銃無頼帖 抜き射ちの竜 銀座旋風児 目撃者は彼奴だ(1960年、日活) 海から来た流れ者(1960年、日活) 白い閃光(1960年、日活) 人間の條件 完結篇 (1961年) 高原児 (1961年、日活) 北帰行より 渡り鳥北へ帰る (1962年、日活) 男と男の生きる街 (1962年) 青い街の狼 (1962年) ひとり狼 (1962年) 無宿人別帳 (1963年) 男の紋章 喧嘩状 (1964年) 生きている狼 (1964年、日活) 拳銃無頼帖 流れ者の群れ (1965年) 拳銃無宿 脱獄のブルース (1965年) あばれ騎士道 (1965年、日活) ぜったい多数 (1965年、松竹) 夜霧の慕情 (1966年、日活) 網走番外地 南国の対決 (1966年) 若親分あばれ飛車 (1966年、大映) 夜霧よ今夜も有難う (1967年、日活) 日本のいちばん長い日 (1967年) 解散式(1967年、東映) 黄金の野郎ども (1967年、日活) 超高層のあけぼの やくざ非情史 血の決着など 秘密指令883(1967-68年、大映テレビ室/フジテレビ)
第12話「初陽が海にもえるとき」- 落合教授 戦え! マイティジャック 第4話「とられたものはとりかえせ!!」(1968年、CX / 円谷プロ) - 西村博士 ブラックチェンバー 第2話「殺し屋を消せ」(1969年、CX / 東映) ^ 『週刊平凡』1970年2月12日号、平凡出版、。 ^ 「日本映画俳優全集 男優編」『キネマ旬報』第772号、キネマ旬報社、1979年、441頁。 ^ 日外アソシエーツ編集部(編) 編『芸能人物事典 明治大正昭和』日外アソシエーツ、1998年、頁。ISBN 4-8169-1513-3。 ^ 石割平 著「略歴」、円尾敏郎 編 編『日本映画美男俳優 戦前篇』 戦前篇、ワイズ出版、277頁。ISBN 978-4-89830-272-9。 二本柳寛 - 日本映画データベース 二本柳寛 - KINENOTE 二本柳寛 - 文化庁日本映画情報システム Hiroshi Nihon'yanagi - IMDb(英語) 二本柳寛 - テレビドラマデータベース VIAF アメリカ 日本の男優 日本の舞台俳優 日本放送協会の人物 大映の俳優 東宝の俳優 日活の俳優 アクション俳優 札幌市出身の人物 1917年生 1970年没 出典のページ番号が要望されている記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID VIAF識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/21 20:57更新
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