井口小夜子の情報(いぐちさよこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
井口 小夜子さんについて調べます
■名前・氏名 |
井口小夜子と関係のある人
時雨音羽: 『日本行軍歌』(1944年(昭和19年)2月)[島田逸平作曲、佐藤長助編曲、歌:鬼俊英、井口小夜子、伴奏:陸軍軍楽隊] 友竹正則: 花笠おどり(キングレコード EB-732、1962年) - 「井口小夜子、友竹正則」名義 時雨音羽: 『輝く青空』(1941年(昭和16年)2月)[中川栄三作編曲、歌:井口小夜子] 林伊佐緒: 青春二重奏(1951年5月発売)共唱:井口小夜子 福井直秋: 朝日を浴びて(作詞:武内俊子、アーティスト:樋口静雄、井口小夜子、河村順子) 時雨音羽: 『若い母の歌』(1944年(昭和19年)4月)[細川潤一作編曲、歌:井口小夜子] 林伊佐緒: 出征兵士を送る歌(1939年10月発売)共唱:樋口静雄、児玉好雄、三門順子、井口小夜子、横山郁子 |
井口小夜子の情報まとめ
井口 小夜子(いぐち さよこ)さんの誕生日は1914年4月17日です。東京出身の歌手のようです。
卒業、テレビ、結婚、現在に関する情報もありますね。2003年に亡くなられているようです。
井口小夜子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)井口 小夜子(いぐち さよこ、1914年(大正3年)4月17日 - 2003年(平成15年)11月9日)は昭和期の歌手。東京市神田区出身。本名は田沼とみ子。 生家は東京・神田の文具店。東京市立忍岡高等女学校1年生のときの音楽講師は四家文子だった。武蔵野音楽学校に進み、卒業の頃、大日本雄弁会講談社のレコード部(のちのキングレコード)の歌手募集に応募し、「赤城の子守唄」を歌って合格。専属歌手第1号となった。 童謡歌手として1935年(昭和10年)キングレコードより「ベゴニアの花」でデビュー。1939年(昭和14年)、武蔵野音楽学校本科声楽部を首席で卒業し、キングレコードより「乙女十八」で歌手デビュー。同年の10月発売の「出征兵士を送る歌」の吹き込みに参加。その後も、流行歌や軍国歌謡を吹き込む。一方、本名の井口とみ子の名でクラシック歌曲(ソプラノ)の舞台にも立った。キングレコードの音楽監督の助言により、ベルトラメリ能子の指導を受けた。 ラジオ体操の主題歌やラジオ歌謡の数々など、NHKラジオとSPレコード全盛時代を代表し、民放テレビの開局段階まで第一線で活躍した。 1944年に結婚し、神奈川県藤沢市に住む。1947年「みかんの花咲く丘」発売。戦後を代表する童謡となる。同年、自宅に「井口小夜子音楽研究所」を開設。また、子どもたちの音楽教室「キングさゆり会」で後進の育成に努めた。 1954年、NHKラジオ第1放送の連続放送劇「新諸国物語 紅孔雀」の主題歌「紅孔雀の歌」を歌い大ヒットした。 1992年に設立された藤沢市芸術文化振興財団(現在の公益財団法人藤沢市みらい創造財団)の評議員を務め、地元の芸術文化の振興にも終生貢献した。 2003年(平成15年)11月9日、急性心不全で死去。享年89。 ^ “井口 小夜子”. 新撰 芸能人物事典 明治~平成(コトバンク). 2020年3月1日閲覧。 ^ 江刺昭子・史の会編『時代を拓いた女たち 第2集』神奈川新聞社、2011年、26-27頁。ISBN 978-4-87645-475-4。
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2024/11/22 03:18更新
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iguchi sayoko
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