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伊集院光の情報 (いじゅういんひかる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

伊集院光の情報(いじゅういんひかる) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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伊集院 光さんについて調べます

■名前・氏名
伊集院 光
(読み:いじゅういん ひかる)
■職業
タレント
■伊集院光の誕生日・生年月日
1967年11月7日 (年齢56歳)
未年(ひつじ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和42年)1967年生まれの人の年齢早見表

伊集院光と同じ1967年生まれの有名人・芸能人

伊集院光と同じ11月7日生まれの有名人・芸能人

伊集院光と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


伊集院光と関係のある人

龍勝: 伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ)


杉山貢一: メンバーの中では真面目で、伊集院光と飲みに行った際に伊集院は「おつかれちゃ〜ん」と言ってくれるのを期待したが、最後はきちんと「お疲れさまでした」と挨拶したという。


森脇優雅: 伊集院光のてれび(BS12トゥエルビ)


せきしろ: 伊集院光のラジオ番組で作家見習いを経て、椎名基樹の紹介で「SPA!」の連載「バカはサイレンで泣く」を始める。


龍勝: 伊集院光のしんばんぐみ(日本BS放送)


河野かずお: 2009年4月2日 伊集院光のしんばんぐみ(BS11デジタル) - 新レギュラーオーディションに出演


向井理: TBSラジオ『伊集院光とらじおと』にゲスト出演した際、少年時代、『伊集院光のOh!デカナイト』のリスナーだったことを告白している。


楠野一郎: 伊集院光のOh!デカナイト


大槻ケンヂ: 伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った(後に伊集院とは和解している)。


川田亜子: 「伊集院光 日曜日の秘密基地」(月1回、第1日曜日)


柴田理恵: 伊集院光とらじおと(TBSラジオ、2016年4月 - 2022年3月) - 木曜パートナー


浜ロン: 伊集院光のばらえてぃーばんぐみ(東名阪ネット6)


うえやなぎまさひこ: また、このことが『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)内のコーナー「秘密キッチの穴」で取り上げられ、17年後の2006年5月14日に放送されたその解決編では上柳がゲストとして再びTBSラジオに生出演した。


柿辰丸: 伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ)


佐藤祐造: メンバーの中では真面目で、伊集院光と飲みに行った際に伊集院は「おつかれちゃ〜ん」と言ってくれるのを期待したが、最後はきちんと「お疲れさまでした」と挨拶したという。


森脇優雅: 伊集院光とらじおと(TBSラジオ)※河野のみ


新保友映: 伊集院光とらじおと内、TBSラジオショッピング(TBSラジオ) - 2021年6月9、16日※竹下佳奈の代理


浜ロン: 伊集院光のばんぐみ (日本BS放送)


餅田コシヒカリ: 伊集院光とらじおと(2021年1月 - 、TBSラジオ) - レポーターとして不定期出演


鷲崎健: 伊福部と共同しラジオネーム「ポアロ」名義で『伊集院光 深夜の馬鹿力』の「輝け! 紅白電波歌合戦」コーナーへの投稿などをする。


升野英知: 『水曜日のダウンタウン』2021年3月24日放送で開かれた30秒ネタのネタバトル企画「30-1グランプリ」でプレゼンター、そして松本人志や伊集院光らとともに審査員を担当。


河野和男: 伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ)


三ヶ尻知子: 伊集院光とらじおと


山本シュウ: 地震の第一報がニッポン放送の『伊集院光のOh!デカナイト』で報じられ、心配されたがレモンさんは無事であった。


清原正博: 伊集院光とらじおと(ニュース/不定期)


ふなつ一輝: 好きなラジオ番組は伊集院光 深夜の馬鹿力。


まんしゅうきつこ: 高校時代に伊集院光や大槻ケンヂのラジオがきっかけで、『ガロ』を読むようになる。


皆口裕子: 1学年後輩にタレントの伊集院光が在籍していた。


とよた真帆: 伊集院光とらじおと(2021年9月23日・TBSラジオ) - ゲスト


若林正恭: 伊集院光を尊敬しており、伊集院がパーソナリティーを務めているラジオを昔からよく聞いている。


伊集院光の情報まとめ

もしもしロボ

伊集院 光(いじゅういん ひかる)さんの誕生日は1967年11月7日です。東京出身のタレントのようです。

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経歴、人物などについてまとめました。テレビ、卒業、兄弟、家族、結婚、事故、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。伊集院光の現在の年齢は56歳のようです。

伊集院光のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

伊集院 光(いじゅういん ひかる、1967年〈昭和42年〉11月7日 - )は、日本の男性タレント、俳優、お笑い芸人、ラジオパーソナリティである。

本名:篠岡 建(しのおか けん)、旧姓:田中(たなか)。東京都荒川区西尾久出身。妻は元タレントの篠岡美佳。

かつては六代目・三遊亭円楽門下の落語家・三遊亭楽大(さんゆうてい らくだい)として活動していた。

東京都立足立新田高等学校中退。ホリプロ所属。落語家時代は星企画に所属していた。

1984年(昭和59年)に三遊亭楽太郎(のちの六代目・三遊亭円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大として活動後、1987年頃から、タレント・伊集院光として『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や、『Oh!デカナイト』(ニッポン放送)、『深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)などラジオパーソナリティとして人気を博す。

『深夜の馬鹿力』は25年以上続く深夜ラジオ番組であり、『オールナイトニッポン』『Oh!デカナイト』から数えると30年以上ラジオの第一線で活動していることから、メディアなどでは「ラジオの帝王」と称されることも多い。

テレビでの伊集院は『Qさま!!』(テレビ朝日系)のような、博学で人当たりの良いおおらかな人物であるが、深夜ラジオでは歯に衣着せない毒舌と、タブーを恐れない軽妙なトークが特徴である。

経歴

三遊亭楽太郎に入門

1984年(昭和59年)7月、不登校を案じられて、叔父の知り合いである「吉河さん」の紹介で、圓楽一門の三遊亭楽太郎(のちの六代目・三遊亭円楽)に弟子入りし、三遊亭楽大を名乗った。卒業間近の3年次の2月に高校を中退している。

初高座は1985年(昭和60年)9月10日、寄席若竹で演目は「釜泥」。

師匠には内緒で、当時ニッポン放送ディレクターだった安岡喜郎に「伊集院 光」と名付けられ、ラジオ番組に出演を始める一方、1988年に二つ目に昇進し、同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人落語大賞)本選に、「子褒め」で出場している」。楽太郎から伝授された噺は40から50以上あり、『笑点』の「若手大喜利」にも出演したことがある。

ラジオ(ニッポン放送時代:1987 - 1995年)

1987年(昭和62年)、兄弟子であった石田章洋からの誘いで、ニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』に出演し、オーディションで優勝したことが、お笑いタレントとしてのデビューのきっかけと語っている。優勝の結果、ニッポン放送の「山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲」のレポーターになる。

当時のキャッチフレーズは「オペラ座の怪人」を捩った「オペラの怪人」。タキシードで正装し、威風堂々と「オー・ソレ・ミオ」を「恐ぉ〜れ山のイタコ」、「鰹風味のほんだし」(味の素「ほんだし」サウンドロゴ)を「鰹風味のふんどし〜」、「静かな湖畔の森の影から」の歌詞を「静香の眉間にシワがある〜、クドークドー」など、替え歌ギャグをオペラ調に歌うギャグオペラ歌手という肩書きだった。

テレビの深夜番組や、『笑っていいとも!』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、上記のギャグオペラを披露する仕事が時々あったが、リサイタルと称した舞台(お笑いライブ)でもギャグオペラのコーナーを設けなければならず、また当時は「足立新田高校声楽科中退」後イタリアに留学し、ルチアーノ・パヴァロッティに師事していたと語ってしまったため、ある程度オペラについての知識を勉強せねばならず苦労したという。本物のオペラ歌手だと間違われて、オペラのCDのライナーノーツ(解説)の依頼があったという逸話もある。

『あごはずしショー』終了後は『山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲』のレポーターや『寺内たけしのオールナイトニッポン』の笑い役などを経て、1988年(昭和63年)10月より冠番組『伊集院光のオールナイトニッポン』を開始。伊集院は後年「当時の2部に出ているアーティストの方が、だんだん有名になってきて、得体の知れない人がいないと。余裕の産物で、ジョーカーを入れようってなった」と述べている。『あごはずしショー』で共演した岩井富士夫が制作スタッフであった『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(CBCラジオ)にも1989年(平成元年)10月より週1レギュラーで出演を始め、以来、名古屋でも断続的にレギュラー番組を持つようになる。『オールナイトニッポン』では番組内から生まれた架空のアイドル・芳賀ゆいが話題になるなど、次第にコアな人気を集めてゆく。

一方で1990年(平成2年)には「伊集院光」として脚光を浴びていたラジオ番組出演が一門に知られ、楽太郎の師匠五代目・三遊亭圓楽も「弟子が勝手やってるらしいな」と問題視する事態となった。楽太郎は日々関係各所に出向き伊集院のために頭を下げていたという。また、この時期五代目圓楽が、一門の定席であった若竹の閉鎖という暗いニュースを打ち消そうと、一門の二つ目を一斉に真打にしようとしており、まだ5年ほどのキャリアしかなかった伊集院はそれに困惑し、落語そのものへの迷いも生じ始めた。さらに人間関係のストレスも抱えた伊集院は「伊集院という名前で落語をやったっていいんだよ」と楽太郎から言われたものの、若さゆえに「いや、落語の方はこれでキッパリとケリをつけます」と言い出て行き落語から離れた。伊集院はこれにより破門状態になったと認識していたが、師匠の楽太郎は一貫して伊集院を弟子扱いしている。

1990年(平成2年)には平日の帯番組である『伊集院光のOh!デカナイト』が放送開始され、人気となった。『Oh!デカナイト』内の企画で久保こーじと組み「荒川ラップブラザーズ」(略して「ARB」)のクレジットでラップのCDをリリースしたり、名物コーナーであった「ザ・ベースボールクイズ」をメインとして電気グルーヴ、THE BLUE HEARTS、福山雅治なども登場したイベントで東京ドーム・西武球場のスタンドをリスナーで満員にするなど人気番組となった。一方でスポンサーやニッポン放送との関係は悪化していった。

これを聞いたTBSラジオの永田守は、『Oh!デカナイト』の番組生放送中に番組スタッフ向けの差し入れの品を携えてスタジオに来訪。さらに番組内番組である『ピンクワンダーランドCoCo一番』の録音やCMが流れている間に生放送ブースに闖入し、伊集院に対して『TBS来いよ』とあからさまな引き抜きをかけている。

1995年(平成7年)4月末に『Oh!デカナイト』が終了。これに伴い、伊集院はニッポン放送と一種の冷戦状態となっていた。

TBSラジオ時代:1995-

1995年(平成7年)10月からTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力』を開始し、主なラジオでの舞台をTBSラジオへ移す。初代の番組ディレクター兼プロデューサーは永田が勤めた。

『深夜の馬鹿力』は2024年時点も続いており、1998年(平成10年)4月から2008年(平成20年)3月までの10年間に渡って日曜午後のワイド番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のパーソナリティも務めた。この時、一番長くアシスタントを務めたTBSアナウンサー(当時)の竹内香苗からはその「妻に対する誠実な人柄」により「理想の男性」と評されている。

TBSラジオでの活動において、2000年(平成12年)には「ナイスプレー賞」、2001年(平成13年)にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」、2003年(平成15年)には放送批評懇談会から「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」、『日曜日の秘密基地』の2006年(平成18年)2月のスペシャルウィーク企画「どこの誰かは知らないけれど、話してみたらスゲー人スペシャル」にてギャラクシー大賞ラジオ部門をそれぞれ受賞した。

毎年大晦日にTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送の在京3局が持ち回りで担当していた全民放AMラジオ局およびラジオたんぱ合同の『ゆく年くる年』では、ニッポン放送時代に1993年(平成5年)年明けまで、TBSラジオ時代には1997年(平成9年)及び2000年(平成12年)年明けまでと3度パーソナリティを担当した。

2016年(平成28年)春より、30年間放送された『大沢悠里のゆうゆうワイド』の後を継ぎ、TBSラジオの平日午前帯ワイド番組のパーソナリティを務めることが2016年(平成28年)1月18日に発表された。2016年(平成28年)4月11日、『伊集院光とらじおと』のタイトルで新番組開始。同日、オフィシャルブログ「伊集院光とらじおとぶろぐと」を開設した。

2022年(令和4年)1月11日、パーソナリティを務める『伊集院光とらじおと』が、今春いっぱいで終了することを番組内で発表し、同年3月24日に最終回を迎え、6年の歴史に幕を下ろした。

雪解けへ:2023-

2023年からはニッポン放送にもレギュラー番組を持つようになった。ナイターの無い日に『ニッポン放送ショウアップナイタースペシャル 伊集院光の集まれ!野球おじさん』を担当したりナイターオフには『伊集院光のタネ』を担当したりしている。これには以下のような心境の変化がある。

そもそもTBSで担当を開始した『伊集院光とらじおと』は伊集院自身のラジオの集大成として15年は続けようと考えていたという。その点を踏まえ、これまで自身が担当してきた様々なジャンルのコーナーを詰め込んでいた。その一方でそれが却ってスタッフの負担を増やしているのではないかと危惧した。曰く「番組が楽しくなるなら、自身の労力が増える分には構わないが、各家庭もあるスタッフを含め同じ方向を向くのは難しい。構造的な問題を抱えていては最後のラジオにはできない。いろいろ考えを変えねばならない。」と考え、最終的に「辞任」という形で番組を終えることとなった。 この価値観の変化がラジオ局に対するスタンスへも変化をもたらす。もともと伊集院はお世話になっている局に忠誠を誓う性格であり、「TBSに出ている以上他局に出てはいけない」という考えでいた。しかし、ナイツが局をまたいで平日帯と土曜縦長の両ワイドをかけ持つように、一種の専属形態が薄れたうえ、TBSは2018年10月期をもって対外的に聴取率調査を取りやめ、スペシャルウィークを無くした。伊集院はこれまで「聴取率さえ上げていれば番組は続けられる」と考えていたが、聴取率が関係ないとなると「いつでも切られる可能性がある」と考えるようになる。事実TBSラジオでは「役目を終えた」ことを理由に番組が終了したり、枠を縮小させた番組が増えていく。これ以降、「(番組を持った局とは)ギヴ・アンド・テイクでウィンウィンな関係を作りたい」と考えているが、ニッポン放送においては古巣かどうかではなくラジオそのもの、そしてリスナーに誠実にいたいという考えに変わったことによる。

さらに伊集院は改めて5年以内に5年間にわたって「自身の集大成的番組を持ちたい」と考えており、多様な番組を持つのはその「下地作り」だという。また、この先は次シーズンやネット配信にも視野に入れ、スポンサーとも関係を作りながら全体の向上につなげたいと語る。

人物

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "伊集院光" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年6月)
家族
    家族構成は父、母、兄、姉、弟の6人で、4人姉弟の次男。

1995年(平成7年)11月7日に歌手・タレントだった篠岡美佳と結婚。篠岡姓となる。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災およびそれに伴う原発事故の際には、余震や放射線を心配して妻を和歌山県西牟婁郡白浜町の実家に愛犬を連れて一時帰宅させていた。事実上の別居状態であったが、仕事で名古屋・関西方面に訪れた際に会いに行くなど特に不仲などではなかった。妻は2012年(平成24年)5月に帰京している。

師匠・六代目円楽との関係

楽太郎は六代目円楽を襲名して以降も一貫して伊集院を弟子として扱い続けた。

伊集院が落語家を廃業した後、約10年ぶりに再会した際、「伊集院さんは弟子ですか」と聞かれた楽太郎は「クビにした覚えはない。俺を尊敬してるなら弟子だ」と述べている。

その後も2003年(平成15年)4月の三遊亭楽太郎一門会へ出演させたり、毎年正月3日に行われる六代目円楽一門の新年会に招待し、ラジオやテレビ番組でも共演するなど、身内(弟子)として扱い続けた。伊集院もタレント転向以降も、円楽のことを「師匠」として敬意を払っている。テレビ番組『プレバト!!』の「俳句の才能査定ランキング」では六代目円楽が俳句部門の名人として出場していたが、2021年(令和3年)6月10日放送回で共演した際に円楽は、伊集院を「今まで見てきた弟子の中で一番の弟子です」と紹介している。

2020年(令和2年)5月、自身のラジオ番組にゲスト出演した六代目円楽から、新型コロナウイルスの流行が落ち着いた後に二人会をやろうと提案され、2021年(令和3年)6月13日に有楽町読売会館内のよみうりホールにて「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」が昼夜2公演で開催された。伊集院としてはこれが約30年ぶりの高座復帰となった。

2022年(令和4年)9月30日に六代目円楽が肺がんで死去した際には報道陣へのコメントの他、『深夜の馬鹿力』内で心境を吐露している。また、同年12月2日に都内で開催された円楽のお別れの会に参列した際には、門弟を代表して石田章洋・楽大(後述)・一太郎含めた六代目円楽一門の弟子達と共に登壇し、遺された兄弟弟子達を1人ずつ紹介し、円楽の教えを継承していくことへの意気込みを語っている。円楽の死後も円楽門下の弟子達とは交流を持っており、円楽の73回目の誕生日である2023年(令和5年)2月8日には、円楽門下の末弟である三遊亭楽太がプロデュースした「円楽師匠の誕生日落語会~弟子と仲間に囲まれて一門の再出発~」(深川江戸資料館)に楽太からの指名で出演し、三遊亭楽生、三遊亭楽京、楽大、三遊亭楽八、三遊亭楽花山と共に座談会のトークゲストとして共演した。

円楽が生前担当していた『三遊亭円楽のおたよりください!』(JRN系ネットワーク)は、伊集院がTBSラジオで『伊集院光とらじおと』を担当していた際の企画ネット(『伊集院光とらじおとお便りと』)になっていた事から、円楽が2022年1月に脳梗塞で療養となって以降『おたよりください』についても、同年2月14日放送分から7月20日放送分まで伊集院が代演として担当(その間に『伊集院光とらじおと』は同年3月24日に放送終了している)、さらに円楽が同番組に一時復帰の際にはアシスタントを務めた。その後、円楽が再入院したことから再び伊集院がアシスタント待遇のまま代演し、同年9月の円楽の死去を受け、同年12月5日放送分以降は『伊集院光のおたよりください!』に改題する形で正式に後任パーソナリティを引き継ぐこととなった。

三遊亭楽大

伊集院が名乗っていた「三遊亭楽大」の高座名は、伊集院が自主廃業を決めてから17年後に入門した天野吉秀が名乗っている。楽大は学生時代から伊集院のラジオのファンであり、圓楽門下に入ったのも伊集院の師匠だったことが理由の一つであると明かしている他、伊集院のことを先輩落語家に対しての呼称である「兄(あに)さん」と呼び、相弟子として交流を持っている。

伊集院は2020年(令和2年)4月に真打に昇進した楽大の口上書きに寄稿を行い、楽大も前述の二人会に開口一番として出演している。

ニッポン放送との関係

伊集院自身の回想によれば、ニッポン放送のプロデューサーである宮本幸一は初対面で伊集院の頭を掴み、「売れる匂いが全くしねぇ」と述べ、それ以降も様々なことから確執が生まれたとされる。後年、宮本はこのエピソードを「ネット上のデマ」であるとして対処を求めたが、伊集院は「本当のことだよ!上から下まで100%本当のことだよ、デマじゃねえよ!思い出したよ、あんたのそういうところが出たくなくなるとこだよ!」と反論している。

さらに『Oh!デカナイト』が改編期でない時期での番組終了となった事とニッポン放送幹部から出入り禁止を告げられたことから、伊集院とニッポン放送は「冷戦状態」となり、降板から2年が経過した1997年(平成9年)3月23日に放送された『ニッポン放送社屋移転特別番組 有楽町からお台場へ 1242人夢のマイクリレー』においても、伊集院は同局の歴史上から抹消された扱いを受けており、番組出演の話も来なかったと後年述懐している。

『Oh!デカナイト』の終了から14年が経過した2004年(平成16年)7月15日、開局50周年記念特番として放送された『ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年』にて『Oh!デカナイト』の一夜限りの復活放送が行われ、伊集院は久々のニッポン放送への出演を果たした。その後、上柳昌彦の仲介で2014年(平成26年)7月15日に放送された開局60周年記念特番『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた『忘れられぬミュージック』』にて再びニッポン放送の番組に出演をしているが、宮本と遭遇して口論したことにより、ふたたび疎遠となったという。

2019年(令和2年)、事務所の大先輩である和田アキ子と会食した際、伊集院はニッポン放送とのエピソードを伝え、「あんだけのことをぶち上げて、ニッポン放送と絶縁というか、出てないから、アッコさんが呼びつけてくれるという形が一番スムーズなんですよ」と述べた。これをうけた和田が『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』のゲスト出演を要請、同年5月18日放送分にて5年振りにニッポン放送の番組にゲスト出演。同年6月19日には『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』放送分にゲスト出演、翌2020年5月にはお互いにホリプロ所属で同い年である三村マサカズの番組『さまぁ〜ず三村マサカズと小島瑠璃子の「みむこじラジオ!」』に3週連続でゲスト出演、2020年(令和2年)には『春風亭一之輔 あなたとハッピー!』10月16日放送分でゲスト出演するなど、継続的にニッポン放送の番組にゲスト出演を続けている。

2023年(令和5年)2月19日には『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』の一環として、「伊集院光のオールナイトニッポン」が33年ぶりに放送されることとなった。

同年10月にはナイターオフ番組として「伊集院光のタネ」が始まり好評を博し、翌年春にナイター中継が開始されたが、番組が継続された。

若手芸人との関係

自らが主宰する草野球チームなどで、若手芸人との親交を持つ。アンタッチャブルとは「師弟関係」とされており、2019年のコンビ復活の際にも相談を受けている。

趣味

少年時代からの家庭用ゲーム愛好家である。感動したテレビゲームに『MOTHER2 ギーグの逆襲』を挙げている。長年『ファミ通』にコラムを掲載しているためラジオでもTVゲーム関連の話題をすることが多い。スマホゲームの『ドラクエウォーク』をプレイしている。2020年(令和2年)、YouTubeチャンネル『伊集院光とはいしんと』で、『あつまれ どうぶつの森』のゲーム実況配信を始める。

    MOTHERシリーズの熱烈なファンである身として『MOTHER3 豚王の最期』開発中止が発表された折に、『伊集院光 深夜の馬鹿力』で「5年もの間、開発、投資し続けたものを、(通常、多くの企業が行うように)少しでも回収するために不完全な形で商品化するのではなく、『中止』ときっぱり公表出来るのは任天堂の凄い所だと思う」とコメントした。その後、製品版が発売直前には貸与された試作版をやり込む様子を語ったり、糸井重里との対談など行った。

    プロ野球は、本拠地が東京だった子供の頃からの北海道日本ハムファイターズファンで、長年名古屋の番組に携わっていることもあり中日ドラゴンズにも関心を持っている。また、両チーム共に例年沖縄キャンプの観戦にも赴いている。

    草野球チーム『ビッグ・アスホールズ』の主宰。ブッチャーブラザーズのぶっちゃあが主催する草野球リーグ戦「Gリーグ」に参加している

    ウルトラシリーズ、ゴジラシリーズなど特撮作品のファンである。

    音楽は安室奈美恵や黒木渚、THE BLUE HEARTS(THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズ)、坂本龍一(特にBallet Mécanique)、電気グルーヴ、フラワーカンパニーズ、竹原ピストル(野狐禅)、SION、真心ブラザーズ、ECD、A.K.I.PRODUCTIONS、ヒグチアイ、MOROHAなど、洋楽ではトム・ウェイツ、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、ピンク・フロイド、オフスプリング、アート・オブ・ノイズ、ケミカル・ブラザーズ、ザ・プロディジーなどを好み、自らの番組内でも度々SEとして使われているクラフトワークは中学生の頃から聴いていたと語っている。

    『伊集院光とらじおと』がきっかけで観音巡りを回っており、代参メールを拝読後に参拝している。江戸三十三箇所巡りでは徒歩で2016年7月頃に制覇し、アイカツスターズ!スタンプラリー(劇場版アイカツスターズ)の後に2016年7月10日から始めた坂東三十三箇所巡りでは距離が長いため電動アシスト自転車や、輪行ができる自転車などがメインとなる。坂東三十三箇所巡りは2016年12月10日に結願し廻り終える。しかし、御朱印帳の最後の欄にはお礼参りとして「善光寺」となっており、番組の都合上、ジョギングで走った分だけマイルが溜まる「走ってガッポリ善光寺マイル」を始める。また、スタッフの調査で善光寺だけでは片参りとなることが判明したため、北向観音の分も距離が増加した。2017年3月18日に両寺院のお礼参りを終え「坂東三十三観音巡り」及び「走ってガッポリ善光寺マイル」は完結した。

    近年では位置情報ゲームに熱を上げ、2014年のIngressに始まり、ポケモンGO、テクテクテクテク(テクテクライフ)、ドラゴンクエストウォークなどを主にプレイしている。しばしば国内旅行や海外旅行でプレイし、後日ラジオにてトークをしている。

    2021年に普通自動二輪免許取得。直後に大型自動二輪免許取得。都内で自動車教習所を探したが教習所不足により見つからず、千葉県船橋市の教習所に通う。普通自動二輪免許課程を卒業直後に大型自動二輪免許取得のために再度教習所に通った。2023年、バンバン200を購入し、愛車としていることを明かしている。

    芸名と同じ名前ゆえにプライベートで伊集院町へ時々行くことをラジオで時折明かしており、自身のTwitterのアイコンには伊集院駅の駅名標と自身の顔を撮影したツーショット写真を使用している。

2024/06/19 22:47更新

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夏居 瑠奈(なつい るな)
1995年11月7日生まれの有名人 東京出身

夏居 瑠奈 (なつい るな、1995年11月7日 - )は、日本の元女優、元ファッションモデルである。東京都出身。スターダストプロモーションに所属していた。 0歳から3歳まで乳幼児モデルを務め、小…

飯窪 春菜(いいくぼ はるな)
【ハロプロ】
1994年11月7日生まれの有名人 東京出身

飯窪 春菜(いいくぼ はるな、1994年11月7日 - )は、日本の歌手、女優、ファッションモデル。女性アイドルグループ・モーニング娘。の元メンバー(10期)。愛称ははるなん。イメージカラーはハニー色…

松平 定知(まつだいら さだとも, )
1944年11月7日生まれの有名人 東京出身

松平 定知(まつだいら さだとも, 1944年〈昭和19年〉11月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部教授、早稲田大学専門職…

堀米 聰(ほりごめ あきら)
1962年11月7日生まれの有名人 東京出身

堀米 聰(ほりごめ あきら、1962年〈昭和37年〉11月7日 - )は、日本の男性俳優。東京都出身。 舞台芸術学院を経て1983年に劇団四季研究所に入所。1990年に退団。 舞台を中心に活動中。…

寺田 農(てらだ みのり)
1942年11月7日生まれの有名人 東京出身

寺田 農(てらだ みのり、1942年〈昭和17年〉11月7日 - 2024年〈令和6年〉3月14日)は、日本の俳優、声優。本名同じ。最終所属は株式会社CESエンタテインメント。 1942年11月7…

田丸 裕臣(たまる ひろおみ)
11月7日生まれの有名人 東京出身

田丸 裕臣(たまる ひろおみ、11月7日 - )は、日本の男性声優。以前はゆーりんプロ、ビーボに所属していた。東京都出身。アミューズメントメディア総合学院出身。 夢色パティシエール(カメラマン) …


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伊集院光と近い名前の人

来住 沙耶香(らいじゅう さやか)
1985年4月10日生まれの有名人 愛知出身

来住 沙耶香(らいじゅう さやか、1985年4月10日 - )は、日本の女性声優。愛知県出身。A&Gアカデミー出身。 RD 潜脳調査室(中谷サーヤ) 図書館戦争(キャスター、業務部員C、子…

伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ)
1988年6月4日生まれの有名人 鹿児島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 大竜小1年の時、ソ…

荒船 清十郎(あらふね せいじゅうろう)
1907年3月9日生まれの有名人 埼玉出身

荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本の政治家、実業家。運輸大臣(第33代)、行政管理庁長官(第40・42代)、衆…

伊集院 静(いじゅういん しずか)
1950年2月9日生まれの有名人 山口出身

伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 2023年〈令和5年〉11月24日)は、日本の作家、作詞家。 作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)、本名は西山 忠来(…

石井 十次(いしい じゅうじ)
1865年5月5日生まれの有名人 宮崎出身

石井 十次(いしい じゅうじ、1865年5月5日(慶応元年4月11日) - 1914年(大正3年)1月30日)は、明治期の慈善事業家。岡山孤児院を創設した人物である。その功績から、「児童福祉の父」と言…

野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう)
1913年6月19日生まれの有名人 兵庫出身

野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年(大正2年)6月19日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、日本の政治家。1978年から1990年までの3期にわたり、兵庫県尼崎市長を務めた。勲三…

笠井 重治(かさい じゅうじ)
1886年7月14日生まれの有名人 山梨出身

笠井 重治(かさい じゅうじ、1886年7月14日 - 1985年4月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 山梨県南巨摩郡西島村(中富町を経て現身延町)出身。1904年に渡米。1913年…

伊集院 彦吉(いじゅういん ひこきち)
1864年7月22日生まれの有名人 鹿児島出身

伊集院 彦吉(いじゅういん ひこきち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1924年(大正13年)4月26日)は、明治、大正時代の日本の外交官。外務大臣。男爵。妻の芳子は大久保利通の長女 …

戸井 十月(とい じゅうがつ)
1948年10月12日生まれの有名人 東京出身

戸井 十月(とい じゅうがつ、1948年10月12日 - 2013年7月28日)は、日本の作家、ルポライター、映像ディレクター。factory喜望峰(株式会社 喜望峰)所属。 東京都新宿区生まれ。…

松井 啓十郎(まつい けいじゅうろう)
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松井啓十郎(まつい けいじゅうろう、1985年10月16日 - )は、日本の男子バスケットボール選手。ポジションはガード。B3.LEAGUEの香川ファイブアローズ所属。愛称は「KJ」。メディア関係のマ…

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