佐藤宏志の情報(さとうひろし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐藤 宏志さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐藤宏志と関係のある人
セドリック=バワーズ: 初安打:2004年8月15日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、3回表に佐藤宏志から二塁バントヒット 久本祐一: 大学時代は1年上に左腕・佐藤宏志、松井光介、吉川昌宏が同期、2学年下に木佐貫洋がいて2試合登板したのみで登板機会に恵まれず、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率5.40を記録。 金澤健人: 1イニング4奪三振:2004年8月1日、対読売ジャイアンツ21回戦(阪神甲子園球場)、2回表に小久保裕紀(振り逃げ)・二岡智宏・佐藤宏志・仁志敏久から ※史上9人目(10度目・阪神の投手初) 松本奉文: 大学の同期に同郷の佐藤宏志、1学年先輩に赤星憲広が、2学年先輩に井端弘和、1年後輩に松井光介、吉川昌宏がいた。 荻野忠寛: これに伴い、2007年時点で背番号0の投手は佐藤宏志、金剛弘樹に次いで3人目となった。 後原富: 指導した主な選手に佐藤宏志、延江大輔などがいる。 松井光介: 大学の同期に後にチームメイトとなる吉川昌宏投手、1年上に佐藤宏志投手、2年上に赤星憲広らがいた。 川相昌弘: 移籍後初めて巨人戦に代打出場してバントを決めたことや、札幌ドームで佐藤宏志から本塁打を打ったことで、古巣・巨人の応援席を含めて球場全体から歓声が沸き起こったこともあった。 吉川昌宏: 1学年上に佐藤宏志、2学年下に木佐貫洋もいて救援が中心であった。 |
佐藤宏志の情報まとめ
佐藤 宏志(さとう ひろし)さんの誕生日は1977年8月11日です。広島出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。佐藤宏志の現在の年齢は47歳のようです。
佐藤宏志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 瀬戸内高等学校から亜細亜大学に進学し同大学硬式野球部に所属。1996年、1年秋に明治神宮大会で初戦先発も敗れる。1997年、2年春の全日本大学野球選手権大会決勝の近畿大学戦では登板せず、4年生エース小池俊児が先発し、近大4年生清水章夫投手に4年井端弘和や3年赤星憲広擁する亜大打線も抑えられ準優勝。1998年、3年春の大学選手権で初戦を完投勝利。同年秋の明治神宮大会準決勝は、前年の大学選手権決勝と同じ相手、宇高伸次投手や二岡智宏らの4年生擁する近畿大を下し、決勝の東北福祉大戦では先発し優勝を果たした。全日本代表選手にも選ばれた。東都大学リーグでは通算50試合登板し、23勝12敗、防御率2.27、206奪三振。最高殊勲選手に1回、最優秀投手に2回、ベストナインに1回選出された。 大学在学中に巨人のキャンプにゲスト参加。当時の長嶋茂雄監督に認められた。そして、1999年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けて入団。 2001年には二軍で10勝を挙げ、2002年に一軍デビューを果たす。 2003年は一軍登板がなかった。 2004年は新監督の堀内恒夫の目に留まり、自己最多の26試合に登板し一軍に定着。プロ初勝利、プロ初セーブを含む3勝1セーブを挙げた。8月1日の阪神タイガース戦でプロ初先発を務め、7回1死まで阪神打線を無失点に抑える好投で、初先発勝利を飾っている。 2005年は開幕から13試合連続無失点を記録。この好投により4月早々に退団したダン・ミセリの後任として抑え投手に指名された。しかし、抑えとして最初の登板となった5月3日の横浜ベイスターズ戦で、1点リードの9回表に先頭打者の種田仁に本塁打を打たれたのを皮切りに、相川亮二、小池正晃にも本塁打を打たれるなど1イニングで3本塁打を喫し逆転される。この試合を境に、自身の不注意による怪我などで精彩を欠き、防御率6.87でシーズンを終えた。 2006年は急性胃腸炎で出遅れるも、交流戦中にワンポイント投手として活躍。防御率2点台をキープする。しかし、オフの10月2日に戦力外通告を受けた。 2006年オフに無償トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。「ゼロからの出発」ということで背番号は0に決定。 2007年の唯一の登板は、9月19日の北海道日本ハムファイターズ田中幸雄の東京ドームでの引退試合だったが、守備陣のミスもあり田中賢介にランニングホームランを許した。 2008年も1試合の登板に終わり、10月1日に再び戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなかった。 2010年に台湾のクラブチーム「台灣中皇工程棒球隊」でプレーしたのち、引退後は静岡県へ居住し、中古車販売業・株式会社ワールドスターエンタープライズに勤務。そのかたわらで少年野球の指導にあたっており、2020年6月27日には古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。静岡エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている。 勢いのある直球とスライダーが持ち味の左腕投手。サイドスローに似た変則フォームが最大の特徴である。登板時はゴーグルをかけている。視力も良くないが、コンタクトを装着しているので度は入っていない。本人曰く「世界が明るく見える」とのこと。交代後ベンチに戻るとすぐにゴーグルを外すシーンがよく見られる。 初登板:2002年4月7日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、8回裏に2番手で救援登板、1回無失点 初奪三振:同上、8回裏にマイク・グランから見逃し三振 初勝利:2004年6月3日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回表に2番手で救援登板、3回1/3を無失点 初先発・初先発勝利:2004年8月1日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、6回1/3を無失点 初セーブ:2004年9月11日、対ヤクルトスワローズ25回戦(東京ドーム)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点 初ホールド:2005年4月3日、対広島東洋カープ3回戦(東京ドーム)、7回表に4番手で救援登板、1回無失点 40(2000年 - 2006年) 0(2007年 - 2008年) ^ プロ野球人名事典 2003 (2003年、日外アソシエーツ)、255ページ ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球各季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社 ^ “8/9元 ○売巨●軍・投手の佐藤宏志と申します。”. 株式会社ワールドスターエンタープライズ (2010年8月9日). 2020年9月19日閲覧。 ^ G山口と同じ変則左腕だった…佐藤宏志氏の今 .SANSPO.COM (2015年5月12日) 2015年5月12日閲覧 ^ “読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。 広島県出身の人物一覧 亜細亜大学の人物一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧 内田俊雄 - 亜細亜大学硬式野球部の恩師 個人年度別成績 佐藤宏志 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1位:高橋尚成(逆指名) 2位:谷浩弥(逆指名) 3位:佐藤宏志 4位:内薗直樹 5位:條辺剛 6位:十川孝富 7位:宮﨑一彰 表 話 編 歴 大田垣耕造 垣野多鶴 萩野友康 林裕幸 荒井信久 中野渡進 上原浩治 矢野英司 山村路直 宇高伸次 吉野誠 佐藤宏志 愛敬尚史 的場直樹 藤井彰人 阿部慎之助 門間真 二岡智宏 山下勝己 吉見宏明 砂塚陽介 佐藤毅明 的場寛一 石井康雄 赤尾秀幸 板野真士 西澤祐介 日本の野球選手 広島県瀬戸内高等学校出身の野球選手 亜細亜大学硬式野球部の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手 少年野球指導者 広島県出身の人物 1977年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/21 10:19更新
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