宮原晃一郎の情報(みやはらこういちろう) 児童文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮原 晃一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮原晃一郎と関係のある人
鶴田知也: ふたりの母・瀬戸人形 / ジグリット・ウンセット 著 宮原晃一郎 訳 クヌート=ハムスン: 『飢ゑ』宮原晃一郎訳 新潮社 泰西最新文芸叢書 1921 のち角川文庫 クヌート=ハムスン: 『白夜の牧歌』宮原晃一郎訳 ノーベル賞文学叢書 今日の問題社 1941 鶴田知也: ふたりの母 / S.ウンセット 作 宮原晃一郎 訳 内藤濯: 『サロメ』(ワイルド、宮原晃一郎共訳、白水社) 1923 クヌート=ハムスン: 『愛の物語』宮原晃一郎訳 新潮社 海外文学新選 1924 クヌート=ハムスン: 『土の恵み』宮原晃一郎訳 三笠書房 1939-40、新潮文庫 1943-44 ジュゼッペ=マッツィーニ: 信仰と未来 マツジニイ 宮原晃一郎訳、杜翁全集刊行会, 1921 杜翁紀念文庫 ビョルンスチャーネ=ビョルンソン: 日向丘の少女 アルネ (宮原晃一郎訳 ノーベル賞文学叢書 6 今日の問題社 1940年) 鶴田知也: 瀬戸人形 / S.ウンセット 作 宮原晃一郎 訳 シーグリ=ウンセット: ふたりの母・瀬戸人形 ジグリット・ウンセット 宮原晃一郎訳 ノーベル賞文学叢書、今日の問題社、1940 クヌート=ハムスン: 『収穫』宮原晃一郎訳 万里閣 ノーベル文学賞選集 1946 |
宮原晃一郎の情報まとめ
宮原 晃一郎(みやはら こういちろう)さんの誕生日は1882年9月2日です。鹿児島出身の児童文学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1945年に亡くなられているようです。
宮原晃一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮原 晃一郎(みやはら こういちろう、1882年9月2日 - 1945年6月10日)は、日本の児童文学者、英文学者、北欧文学者、翻訳家。本名の宮原 知久(みやはら ともひさ)名義での編書もある。 鹿児島県鹿児島市加治屋町に生まれ、10歳より北海道札幌市に育つ。成績優秀のため高等小学校を飛び級で卒業、鉄道運輸の事務職に就く。 20歳でキリスト教の洗礼を受け、牧師から英語を学ぶ。小樽新聞記者のかたわら外国文学を読み漁り、英語を基礎に独学でドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語を身につけ、翻訳家となる。ノルウェーのノーベル文学賞作家、クヌート・ハムスンを初めて原語から邦訳し、シグリ・ウンセットやヨハン・アウグスト・ストリンドベリの翻訳も行った。1910年頃から、有島武郎と交流を持った。 上京後、1924年『世界文学』に参加する。児童文学の創作も行い、童話雑誌『赤い鳥』に54篇の作品を残した。1930年代には、雑誌『作品』に北欧文学、ソビエト文学を紹介する記事を書いた。 疎開中の1945年に死去し、蔵書は北海道大学附属図書館に寄贈された。 文部省唱歌『われは海の子』の作詞者と目されている(詳細はわれは海の子#作詞者にて)。 『龍宮の犬』(赤い鳥社、赤い鳥の本) 1923 『悪魔の尾』(講談社) 1927 『新しい童話 5年生』(金の星社) 1935.8 『スエズ運河乗切り』(童話春秋社) 1941 『感想と表現 評論随筆』(有光社) 1943 『北欧の散策』(生活社) 1943 『海洋の研究』(宮原知久名義、春秋社、新學藝講座 第4編) 1922 『野性より愛へ』(ジヤツク・ロンドン、叢文閣) 1920 『織匠』(ゲルハルト・ハウプトマン、叢文閣、労働文芸叢書) 1920 『信仰と未来』(マツジニイ、杜翁全集刊行会、杜翁紀念文庫) 1921 『アンドレエフ選集』(佐藤出版部、露西亜現代作家叢書4) 1921 『飢ゑ』(クヌウト・ハムスン、新潮社、泰西最新文芸叢書) 1921、のち角川文庫 『黎明期の思想家』(ブランデス、杜翁全集刊行会、杜翁紀念文庫) 1922 『新エロイズ』(ルツソオ、光文社、ルツソオ全集1) 1922 『即興詩人』(アンデルセン、金星堂、全訳名著叢書) 1923 『オウガスチン懺悔録』(アウグスティヌス、文明書院、冥想懺悔叢書) 1923 『サロメ』(ワイルド、内藤濯共訳、白水社) 1923 『アンデルセン童話』(春秋社、春秋社童話文庫) 1924 『愛の物語』(ハムスン、新潮社、海外文学新選) 1924 『運命の舟』(タゴール、第一出版協会) 1925 『憂愁の哲理』(キエルケゴール、春秋社、世界大思想全集36) 1930、のち春秋社思想選書 1946 『南欧北欧短篇集』(有島生馬共訳編、河出書房、世界短篇傑作全集) 1936 『北欧近代短篇集』(白水社) 1939 『土の恵み』(クヌウト・ハムスン、三笠書房) 1939 - 1940 『黒矢物語』(ロバート・スチヴンスン、童話春秋社) 1940 『ふたりの母 / 瀬戸人形』(ジグリット・ウンセット、今日の問題社、ノーベル賞文学叢書1) 1940 『日向丘の少女 / アルネ / 漁師の網 / 薄幸詩人の死 / 何年ぶりかの哄笑』(ビヨルンソン他、西田正一共訳、今日の問題社、ノーベル賞文学叢書6) 1940 『ネバタ號の小船長』(アクセルソン、主婦之友社、世界名作家庭文庫) 1941.1 『白夜の牧歌』(クヌート・ハムスン、今日の問題社、ノーベル賞文学叢書12) 1942 『日向丘の少女』(ビヨルンソン、鎌倉文庫、青春の書) 1946 『収獲』上巻(クヌウト・ハムスン、萬里閣、ノーベル文学賞選集 第1期) 1946 『愛の学校 クオレ』(アミーチス、新潮文庫) 1955 『莫科の知人と陣中の邂逅』(トルストイ、春秋社、トルストイ全集2) 1920 『闇の力 独和対訳』(トルストイ、佐久間政一共訳、南山堂書店) 1928 『生ける屍』(トルストイ、春陽堂書店、世界名作文庫) 1936 『講演論文及び書翰』(ツウルゲニエフ、杜翁全集刊行会、杜翁紀念文庫) 1920 『文学的回想 文学及び生活の回想に関する諸論文』(ツルゲーニエフ、聚芳閣、海外芸術評論叢書) 1926 『ハムレットとドン・キホーテ』(ツルゲネーフ、春陽堂、世界名作文庫) 1935 『海の労働者 / 九十三年』(ユーゴー、ユーゴー全集刊行会、ユーゴー全集6) 1920 『レ・ミゼラブル』第1 - 5部(ユーゴー、冬夏社) 1921 『笑ふ人』(ユーゴー、冬夏社) 1922 『死の舞踏 / 父 / 債権者 / パーリヤ / 復活節』(ストリンドベルィ、世界文豪代表作全集刊行会、世界文豪代表作全集16) 1926 『歴史の縮図』(ストリンドベルグ、春陽堂、世界名作文庫) 1934 『青書』(ストリンドベーリ、日月書院) 1943 『愛の一家』(アーグネス・サッベル、平凡社、世界家庭文学全集) 1930 『愛の一家 続』(サッペル、中央公論社) 1940 『一年生物語』(サツペル、中央公論社) 1941 『リーゼちゃん サッペル短篇集』(童話春秋社) 1942、のち改題『リーゼちゃん サッペル短篇童話』 1954 『嘘の力 / 人生 / 世界の顔』(ヨハン・ボーエル、新潮社、世界文学全集) 1931 『移民』(ヨハン・ボーエル、西外次郎共訳、四元社) 1939 『開拓者』(ヨハン・ボーエル、西外次郎共訳、三和書房) 1940 『大飢餓』(ヨハン・ボーエル、中央公論社、現代世界文學叢書) 1940 『父を尋ねて』(ジュウル・ヴェルヌ、童話春秋社) 1943 『ダンカン号の冒険』(ジュール・ベルヌ、同和春秋社、世界少年少女名作選集) 1955 『船長のゆくえ』(ジュール・ヴェルヌ、平凡社、冒険小説北極星文庫) 1956 - 1957 ^ 第一次『世界文學』(金星堂)のこと。 ^ ソビエト文学については、グリヤン(О. М. Гурьян)作「黄金の尾」の紹介。雑誌『作品』第35号(作品社) 1933年 歴史が眠る多磨霊園 宮原晃一郎 『文藝年鑑1940』 日本の小説家一覧 児童文学作家一覧 宮原 晃一郎:作家別作品リスト - 青空文庫 宮原晃一郎 - 歴史が眠る多磨霊園 鹿児島市祇園の洲公園 「我は海の子の歌碑」 FAST ISNI VIAF WorldCat イスラエル アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 20世紀日本の児童文学作家 イギリス文学者 北欧文学者 日本の文学研究者 日本の英語文学研究者 戦前日本の学者 20世紀日本の翻訳家 日本のキリスト教徒 鹿児島県出身の人物 1882年生 1945年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ
2024/11/23 21:41更新
|
miyahara kouichirou
宮原晃一郎と同じ誕生日9月2日生まれ、同じ鹿児島出身の人
TOPニュース
宮原晃一郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「宮原晃一郎」を素材として二次利用しています。