内藤濯の情報(ないとうあろう) フランス文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
内藤 濯さんについて調べます
■名前・氏名 |
内藤濯と関係のある人
アナトール=フランス: 「アナトオル・フランス短篇小説全集」山内義雄・内藤濯・渡辺一夫・佐藤正彰・杉捷夫他訳 ジュール=ルナール: 『ルナアルの言葉』内藤濯訳 錬金社 1961 石井桃子: 同年、内藤濯に「おもしろいから」と勧めて訳させた『星の王子さま』を岩波書店から刊行した。 塩澤大輔: 九州沖縄スペシャル『朗読ドキュメント 〜もうひとりの星の王子さま・内藤濯〜』(2007年12月21日) - ディレクターとして番組を制作。 内藤初穂: 父は仏文学者で『星の王子さま』の翻訳で知られる内藤濯。 大田黒元雄: 「ドビュッシーを日本で初めて紹介した」とされることが多いが、同書刊行以前に、『星の王子様』の邦訳で知られる内藤濯が、1908年(明治41年)に「印象主義の学才」というエッセイを雑誌『音楽界』(1908年9月号、楽会社)に、永井荷風が「西洋音楽最近の傾向」を『早稲田文学』(1908年10月)で紹介している。 田辺貞之助: 『実習フランス文典』改訂版(内藤濯共著、白水社) 1966 伊藤整: 内藤濯教授のゼミナールに所属し、フランス文学を学ぶ。 宮原晃一郎: 『サロメ』(ワイルド、内藤濯共訳、白水社) 1923 |
内藤濯の情報まとめ
内藤 濯(ないとう あろう)さんの誕生日は1883年7月7日です。熊本出身のフランス文学者のようです。
卒業、現在、結婚に関する情報もありますね。1977年に亡くなられているようです。
内藤濯のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、日本のフランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。 フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『Le Petit Prince』(直訳すると「小さな大公」)を初めて『星の王子さま』と訳したことや、1908年に雑誌『音楽界』の中で「印象主義の楽才」として日本に初めてクロード・ドビュッシーの作品を紹介したことで知られる。 熊本県熊本市に生まれる。父・泰吉は軍医。熊本市立慶徳小学校から福岡県立中学伝習館に進む。同期に北原白秋がいた。 上京して開成中学校に転校。在学中に文学に目覚め、和歌や新体詩に熱中。1903年、卒業。第一高等学校文科丙類では日本ユニテリアン協会に参加。 1907年、東京帝国大学文学部仏文学科に入学。1910年、卒業。フランス語教官として陸軍幼年学校に勤務。のち第一高等学校に奉職中、文部省在外研究員となり、パリ留学。1924年に帰国後、東京商科大学(現在の一橋大学)教授となる。当時の教え子に伊藤整・葛川篤・佐倉潤吾・瀬沼茂樹・田中西二郎がいた。1931年、フランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受ける。1944年、商科大を定年退官。 戦後、昭和女子大学講師を務める。1971年1月、歌会始の召人に選ばれ「鞍馬苔からみあひつつ庭つちに居つけりと見ゆ小さきわが家」が詠進される。1972年、昭和女子大を退職。 長男の内藤初穂(1921 - 2011)は編集者などを経て作家。父の伝記『星の王子の影とかたちと』を執筆している。次男の内藤幸穂(1924 - 2014)は学校法人関東学院元理事長。 『生の更改と新藝術』(警醒社書店、近代思潮叢書) 1914 『ロマン・ロオランの思想と藝術』(天弦堂、近代思潮叢書) 1915 『實習佛蘭西文典』(佛蘭西學會) 1918 『佛蘭西近代詩評釋』(白水社) 1933 『思はざる収穫 - 佛蘭西文藝随筆』(白水社) 1935 『いっすんぼうし』(至光社) 1964 『星の王子とわたし』(文藝春秋) 1968、のち文春文庫 1976、のち丸善 2006 『未知の人への返書』(中央公論社) 1971、のち中公文庫 1978 『思索の日曜日』(木耳社) 1973 『落穂拾いの記』(岩波書店) 1976 『星の王子パリ日記』(グラフ社) 1984 『サロメ』(ワイルド、宮原晃一郎共訳、白水社) 1923 『ラシイヌ傑作集 第1巻』(ブリタニキユス、第一書房) 1925 『ミシェル・オオクレエル』(ヴィルドラック、春陽堂) 1925、のち岩波文庫 『ベリアル夫人』(シャルル・ヴィルドラック、白水社) 1927 『人間ぎらひ / 女学者の群 / 気で病む男』(モリエエル、新潮社、世界文學全集6) 1928、のち改版(新潮文庫) 「近代劇全集」(第一書房) 1927 - 1929
『第15巻 佛蘭西篇』- 「ブランシェット」(ブリユウ) 『第19巻 佛蘭西篇』 - 「事業は事業」(ミルボー) 『第20巻 佛蘭西篇』 - 「家」(ジャック・コポオ) 『追ひつめられる男』(フランシス・カルコ、白水社) 1931、のち新潮文庫 『ゴブセツク』(バルザツク、河出書房、バルザツク全集14) 1935 『箴言集』(ラ・ロシュフコー、白水社) 1939、のち改訂版『箴言と考察』(岩波文庫)、のちグラフ社 2010 『弟子』(ポール・ブールジェ、岩波文庫) 1941 『私の生活技術』(モーロア、白水社) 1941、のち新潮文庫 『省察と箴言』(ヴォーヴナルグ、創元社) 1948 『フィガロの結婚』(ボーマルシェ、訳編、新月社) 1950 『アンドロマク』(ジャン・ラシーヌ、岩波文庫) 1951 『嘘』上・下(ブールジェ、岩波文庫) 1951 - 1952 『チビ君 ある子どもの話』(ドーデー、岩波少年文庫) 1953 『形影集』(白水社) 1953 『星の王子さま』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、岩波少年文庫) 1953、新版・岩波文庫 2017 ほか 『宿駅』(ブールジェ、田辺貞之助共訳、岩波文庫) 1954 『フェードル』(ジャン・ラシーヌ、岩波文庫) 1958 『ロダンに聞く』(東京創元社) 1961 『ルナアルの言葉』(錬金社) 1961、のち改題『ルナアル詞華集』(グラフ社) 2003 『つきのオペラ』(ジャック・プレベール、至光社) 1979 『星の王子の影とかたちと』(内藤初穂、筑摩書房) 2006 ISBN 4-480-81826-X ^ 内藤初穂『星の王子の影とかたちと』筑摩書房、2006年 ^ 内藤濯とは - コトバンク ^ 伊藤整『我が文学生活 I』講談社、1954年、238p頁。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz IdRef この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 19世紀日本の教育者 20世紀日本の教育者 19世紀日本の評論家 20世紀日本の評論家 19世紀日本の翻訳家 20世紀日本の翻訳家 19世紀日本の随筆家 20世紀日本の随筆家 19世紀のプロテスタント信者 20世紀のプロテスタント信者 日本の文学研究者 フランス文学者 日本の文芸評論家 フランス語教育 一橋大学の教員 昭和女子大学の教員 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 開成中学校・高等学校出身の人物 熊本市出身の人物 日本のユニテリアン 1883年生 1977年没 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 16:37更新
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naitou arou
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