宮崎市定の情報(みやざきいちさだ) 歴史学者(東洋史) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮崎 市定さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮崎市定と関係のある人
横光利一: 行きの船は日本郵船の箱根丸であったが、そこでは高浜虚子や宮崎市定が同乗していて、虚子は句会をひらいていたため、横光も参加した。 宮脇俊三: 東洋史学者の宮崎市定に『科挙』『大唐帝国』執筆を依頼し、一般読書人に宮崎の名を知らしめてもいる。 谷川道雄: 内藤湖南・宮崎市定・宇都宮清吉の流れを汲む京都学派の一人であり、川勝義雄と共に魏晋南北朝時代の豪族・貴族を理解する上で「豪族共同体論」を展開した。 内藤虎次郎: この説は内藤の死後、宮崎市定ら次世代の京都学派の東洋学で発展させ、宋以後中世説を唱える歴研派との時代区分論争が展開された。 陳舜臣: 東洋史学者宮崎市定の門弟に師事、宮崎の孫弟子にも当たる。 |
宮崎市定の情報まとめ
宮崎 市定(みやざき いちさだ)さんの誕生日は1901年8月20日です。長野出身の歴史学者(東洋史)のようです。
現在、卒業、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1995年に亡くなられているようです。
宮崎市定のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮﨑 市定(みやざき いちさだ、1901年(明治34年)8月4日 - 1995年(平成7年)5月24日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。 1901年、長野県下水内郡秋津村(現在の飯山市)静間で宮崎市蔵・悦の次男として生まれた。父の市蔵は、飯山小学校の教師であった。 その後、秋津小学校、県立飯山中学校(現:長野県飯山北高等学校)を卒業し、1919年に新設まもない松本高校(現:信州大学)文科甲類に入学する。同校の後輩には、後の東洋史学者、曽我部静雄と仁井田陞がいた。 1922年に京都帝国大学文学部史学科に入学、東洋史を専攻し、内藤湖南・桑原隲蔵・羽田亨・狩野直喜らに師事する。卒業論文は、南宋滅亡期の中国社会と北方民族との交渉の一場面を題目とした。中国史の研究対象を中近世期から古代期にまで拡げた。 1932年(昭和7年)、第一次上海事変により応召。3ヶ月で無事帰還するが、馬廠長としての勤務中に蓄えた馬の知識は後々役に立ったという。 1934年(昭和9年)発表の「遊侠に於いて」では、中国古代における都市国家の存在を指摘している。 1936年(昭和11年)2月より文部省在外研究員として第三共和期のフランスに留学、パリの東洋語学校でアラビア語を学ぶ。アメリカ経由で、1938年(昭和13年)8月に帰国する。 1944年(昭和19年)5月 - 京都帝国大学文学部教授に就任。 1947年(昭和22年) - 『アジヤ史概説:続編』を発表する。文学博士(京都大学)(学位論文『五代宋初の通貨問題』) 1950年(昭和25年)に『東洋的近世』を出版、宋代近世説を展開する。 1960年(昭和35年)10月 - パリ大学客員教授としてフランス赴任。帰国後にハーバード大学の客員教授を委嘱されてアメリカへ行き、1962年(昭和37年)7月に帰国する。 1965年(昭和40年) に京都大学を定年退官、名誉教授となる。 退官後は、吉田山東側・左京区浄土寺の自宅にて著述活動に専念、『論語の新研究』・『中国史』などを執筆した。全集が1990年代に刊行され、自跋(あとがき)が好評を博し、没後に自跋集として出版されるなど最晩年まで東洋史論文を書く筆力は健在であった(全集の刊行はほぼ2ヶ月に1冊のペースであり、90歳代前半で隔月連載をこなした計算になる)。 1995年(平成7年)5月24日に肺炎で死去。
1901年(明治34年) - 長野県下水内郡秋津村で出生。 1914年(大正03年) - 秋津小学校卒業、県立飯山中学校に入学。 1919年(大正08年) - 飯山中学校卒業、松本高校文科甲類に入学。 1922年(大正11年) - 松本高校卒業、京都帝国大学文学部史学科に入学。 1925年(大正14年) - 京都帝大卒業、同大学文学部副手。1年志願兵として宇都宮輜重兵第14大隊に入隊。 1927年(昭和02年) - 第六高等学校教授に赴任。 1929年(昭和04年) - 第三高等学校教授に転任。 1930年(昭和05年) - 小西松枝(小西謙三の妹)と結婚。翌年、長女の一枝誕生。 1932年(昭和07年) - 第一次上海事変により応召。 1933年(昭和08年) - 論文「古代支那賦税制度」「支那城郭の起源異説」を発表。 1934年(昭和09年) - 京都帝国大学文学部講師、12月助教授。「遊侠に於いて」発表。 1936年(昭和11年)~1938年(昭和13年) フランスなどに留学。 1940年(昭和15年) - 『東洋に於ける素朴主義の民族と文明主義の社会』(冨山房刊、『支那歴史地理叢書』所収)を発表。 1943年(昭和18年) - 学位請求論文『五代宋初の通貨問題』を出版。 1944年(昭和19年) - 京大文学部教授に昇任。 1945年(昭和20年) - 『科挙』(秋田屋刊、再刊時に『科挙史』と改題)を出版。召集令状を受け出征。 1947年(昭和22年) - 『アジヤ史概説:続編』発表。文学博士(京都大学)。 1950年(昭和25年) - 文学部長に就任、教育学部長事務取扱を兼任。『東洋的近世』を出版。 1956年(昭和31年) - 羽田亨の死去に伴い東洋史研究会会長就任。 1959年(昭和34年) - 京都大学人文科学研究所教授 1960年(昭和35年)~1961年(昭和36年) - パリ大学客員教授 1961年(昭和36年)~1962年(昭和37年) - ハーバード大学客員教授 1965年(昭和40年) - 京都大学を定年退官、名誉教授。ハンブルク大学客員教授。 1966年(昭和41年) - ルール大学客員教授 1995年(平成07年) - 死去 1942年(昭和17年) - 正五位 1944年(昭和19年) - 勲四等瑞宝章 1958年(昭和33年) - 日本学士院賞(『九品官人法の研究:科挙前史』) 1971年(昭和46年) - 勲二等旭日重光章 1978年(昭和53年) - フランス学士院ジュリアン賞 1983年(昭和58年) - 京都府文化賞特別功労賞 1989年(平成元年)秋 - 文化功労者 1995年(平成7年) - 叙従三位、銀杯一組・金一封下賜。 『日出づる国と日暮るる処』星野書店 1943/新編・中公文庫 1997 『五代宋初の通貨問題』星野書店 1943 『科挙』秋田屋 1946
『アジヤ史概説』正・続、人文書林 1947-1948
『アジア史概説』中公文庫 1987、改版 2018。ISBN 4122066034 『雍正帝:中国の独裁君主』岩波新書 1950、復刊 1988
『東洋的近世』教育タイムズ社 1950 『科挙:中国の試験地獄』中公新書 1963。ISBN 4121000153。中公文庫 1984、新版 2003。ISBN 4122041708 『隋の煬帝』人物往来社 1965
『鹿洲公案:清朝地方裁判官の記録』平凡社東洋文庫 1967 『清帝国の繁栄 東洋の歴史 9』人物往来社 1967
『中国のめざめ 東洋の歴史 11』人物往来社 1967
『世界の歴史7:大唐帝国』河出書房新社 1968、新版 1977、河出文庫 1989。中国史上景気循環概念図を提示
『中国に学ぶ』朝日新聞社 1971/中公文庫 1986、新版2003 随想集 『中国文明選11:政治論集』朝日新聞社 1971、再版 1977
『中国政治論集』中央公論新社〈中公クラシックス〉2009。ISBN 4121601122 『水滸伝:虚構のなかの史実』中公新書 1972/中公文庫 1993、新版 2017。ISBN 4122063892 『木米と永翁』朝日新聞社 1975/中公文庫 1988 随想集 『東風西雅』岩波書店 1979 随想集
『史記を語る』岩波新書 黄版 1979、復刊 1992/岩波文庫(吉川忠夫解説)1996。ISBN 4003313321 『謎の七支刀-五世紀の東アジアと日本』中公新書 1983/中公文庫 1992 『中国史』上下、岩波書店〈岩波全書〉 1983/岩波文庫(井上裕正解説)2015 『独歩吟』岩波書店、1986 随想集 『中国古代史論』平凡社選書 1988 自選での論考集 『古代大和朝廷』筑摩書房〈筑摩叢書〉1988/ちくま学芸文庫 1995、復刊 2010。ISBN 4480082298 『遊心譜』中央公論社 1995/中公文庫 2001 随想集で生前最後の刊行 『中国文明論集』礪波護編・解説、岩波文庫 1995。ISBN 4003313313 『自跋集:東洋史学七十年』岩波書店 1996 『論語の新研究』岩波書店 1974
『現代語訳 論語』岩波現代文庫 2000。ISBN 4006000170 『東西交渉史論』中公文庫 1998 砺波護編 『東洋的近世』中公文庫 1999 砺波護編 『東洋的古代』中公文庫 2000 砺波護編 『アジア史論』中公クラシックス 2002。ISBN 4121600274 『史記列伝 抄抄』国書刊行会、2011。ISBN 4336053413 『中国史の名君と宰相』中公文庫 2011。ISBN 4122055709 『素朴と文明の歴史学 精選・東洋史論集』井上文則編、講談社学術文庫 2021。ISBN 4065263166 『アジア史研究 東洋史研究叢刊』全5巻、同朋舎 1957-1964(4巻目まで)
『九品官人法の研究 東洋史研究叢刊』同朋舎 1956/第2版 同朋舎 1974/中公文庫 1997 『宮崎市定 アジア史論考』朝日新聞社 1976
『宮崎市定全集』岩波書店(全24巻・別巻1)、1991-1994、再版1999-2000 中国史 東洋史 古代 論語 史記 九品官人法 六朝 唐 五代宋初 宋 宋元 水滸伝 明清 雍正帝 科挙 近代 中国文明 アジア史 東西交渉 菩薩蛮記 日本古代 日中交渉 随筆(上) 随筆(下) 礪波護、間野英二 著「宮崎市定」、藤井譲治 編『京大東洋学の百年』京都大学学術出版会、2002年5月。ISBN 978-4876984398。 『東方学 第100号 「先学を語る」――宮崎市定博士』(東方学会、2000年7月) 井上文則 『天を相手にする-評伝 宮崎市定』(国書刊行会、2018年7月)。ISBN 4336062765 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム ^ 「宮崎市定先生の略歴と著作目録(宮崎市定教授退官記念東西交渉史の研究特集)」『西南アジア研究』第14巻、西南アジア研究会、1965年6月、3-12頁。 ^ 礪波護、間野英二「宮崎市定」『京大東洋学の百年』京都大学学術出版会、2002年5月1日。ISBN 978-4876984398。 ^ 『官報』第2096号、大正8年7月31日、p.705.NDLJP:2954209/10 ^ 『官報』第2929号、大正11年5月10日、p.254.NDLJP:2955046/6 ^ 『官報』第5197号、昭和19年5月15日、p.233.NDLJP:2961699/13 ^ 佐伯富ほか「宮崎市定博士追悼録」『東洋史研究』第54巻第4号、1996年、ISSN 03869059。 ^ 加地伸行『加地伸行著作集1 中国論理学史研究 経学の基礎的探求』研文出版、2012年(原著1983年)、454頁。ISBN 978-4876364022。 ^ 論考「雍正硃批諭旨解題」を増補。 ^ 論考「隋代史雑考」を増補 ^ 藍鼎元(1680-1733)の著作を訳・解説、「全集 別巻」に再録 ^ 全集の跋文(あとがき)集成。礪波護解説 ^ 全集未収録を含む人物論集、砺波護編 吉川幸次郎 - 宮崎の親友であり研究仲間であった。 礪波護 - 宮崎の高弟として著書の紹介に努めている。「全集」編集委員(他は佐伯・島田・岩見) 陳舜臣 - 宮崎の孫弟子に当たり、全集の月報に執筆している。 宮脇俊三 - 中央公論社の担当編集者。全集の月報に執筆している。退職後は紀行作家で活躍。 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 人物の画像提供依頼 日本の東洋史家 論語学者 戦前日本の学者 日本学士院賞受賞者 文化功労者 文学博士取得者 第一次上海事変の人物 勲二等旭日重光章受章者 京都大学の教員 京都大学出身の人物 旧制松本高等学校出身の人物 長野県出身の人物 飯山市の歴史 1901年生 1995年没 記事名の制約を受けている記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/03 10:25更新
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miyazaki ichisada
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