宮脇俊三の情報(みやわきしゅんぞう) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮脇 俊三さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮脇俊三と関係のある人
酒井順子: 中学時代に紀行作家宮脇俊三の『時刻表2万キロ』を読んだことをきっかけに鉄道ファンとなり、鉄道関係のエッセイも書いている。 高柳良一: 宮脇俊三の『インド鉄道紀行』の取材に編集者として同行していた。 双葉山定次: この作の中で宮脇俊三(取組を父親の宮脇長吉と見ていた)は、宙を舞った火鉢のことを「火の粉をまき散らしながら飛ぶ」という表現で事を書き記し、舞った火鉢を「焼夷弾」とまで表現している。 矢吹申彦: 『時刻表おくのほそ道』宮脇俊三 イラスト 酒井順子: 『鉄道無常 内田百けんと宮脇俊三を読む』 KADOKAWA 2021年 角川文庫 2023年 小池滋: 『宮脇俊三鉄道紀行セレクション』(編、ちくま文庫)2014 宮脇愛子: マン・レイ、北杜夫(前夫宮脇俊三の友人でもある)らと親交があった。 種村直樹: これは種村と同じように鉄道旅行を書籍化し、種村との親交も深かった宮脇俊三の著作が、比較的誰にでも親しまれているのとは異なる。 川島令三: 内田百閒や宮脇俊三のような紀行文学や、種村直樹のような乗車記録とその感想、雑学的なものや時事問題(種村は元毎日新聞記者であった)と絡めての論評とは異なり、鉄道に関する評論家として「利用する側に立った辛口の感想と改善への提案」を文章で書くスタイルを確立したパイオニア的存在である。 高柳良一: 角川書店の編集者時代、担当編集者として鉄道紀行作家の宮脇俊三と共にインドへ鉄道旅行に赴いている。 三土忠造: 甥 宮脇俊三 - 紀行作家。 宮脇愛子: 1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。 |
宮脇俊三の情報まとめ
宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう)さんの誕生日は1926年12月9日です。埼玉出身の作家のようです。
年譜、刊行著作などについてまとめました。趣味、卒業、現在、結婚、父親、退社、離婚、再婚、テレビ、ドラマ、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。76歳で亡くなられているようです。
宮脇俊三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉12月9日 - 2003年〈平成15年〉2月26日)は、日本の編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。 父は陸軍大佐で後に衆議院議員となった宮脇長吉。娘に作家の宮脇灯子。 編集者として日本出版史に残る企画に数多く携わり、名編集者と謳われる。作家北杜夫を世に出したのも功績の一つである。紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。 初作『時刻表2万キロ』で「鉄道に乗る」ことを趣味とする者の存在を世間に認知させ、第2作の『最長片道切符の旅』では「最長片道切符」を広く知らしめることとなった。これらの作品によって「鉄道紀行」を文学の一ジャンルにまでした、とも評される。 晩年に刊行した『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ(全10巻、1995年 - 2003年、JTB)では、「廃線跡探訪」という、これまでほとんど注目されていなかった鉄道趣味を記し、一般に知らしめた。 年譜1926年(大正15年)12月9日、埼玉県川越市で7人きょうだいの末子(三男)として生まれる。
1927年(昭和2年)、父長吉が退役した為、東京府(現・東京都)渋谷に転居。 1933年(昭和8年)、東京府青山師範学校附属小学校入学。 1939年(昭和14年)、小学校を卒業し旧制成蹊高等学校進学。 1943年(昭和18年)、成蹊高等学校理科乙種進学。 1945年(昭和20年)、東京帝国大学理学部地質学科入学。同年8月15日、米坂線今泉駅前で玉音放送を聞き、敗戦を知る。
1949年(昭和24年)、共産党員の学生に反発し反共グループを組織し、ガリ版刷りの学生新聞をつくって学内で撒く。 1951年(昭和26年)、東京大学文学部西洋史学科卒業。旧制大学課程としての卒業である。中央公論社(現在の中央公論新社)に入社。同年10月、日本女子大学史学科の学生だった荒木愛子と結婚。愛子を介して広津和郎と知り合う。 1952年(昭和27年)、肺結核のため休職し、熱海の妻の実家で療養。 1953年(昭和28年)、脳出血で父親が急逝。 1954年(昭和29年)、休職期限が切れ退社。小説家や建築家を目指すがどちらも断念。 1956年(昭和31年)9月、中央公論社に復職。
1965年(昭和40年)5年前から別居していた妻・愛子と協議離婚。その後再婚した社員の井田まちとの間に2子をもうけた。 1977年(昭和52年)5月28日、国鉄足尾線を最後に国鉄全線を完乗。 1978年(昭和53年)6月30日、常務取締役編集局長を最後に中央公論社を退社。
1978年(昭和53年)7月10日、国鉄全線完乗の旅をつづった『時刻表2万キロ』で作家デビュー。 1978年(昭和53年)12月12日、『時刻表2万キロ』で第5回日本ノンフィクション賞受賞。 1981年(昭和56年)、『時刻表昭和史』で第6回交通図書賞受賞。 1985年(昭和60年)、短編小説集『殺意の風景』で第13回泉鏡花文学賞を受賞。
1992年(平成4年)、『韓国・サハリン鉄道紀行』でJTB第1回紀行文学大賞受賞。 1999年(平成11年)、第47回菊池寛賞受賞。気力・体力に限界を感じ、休筆を宣言。この頃、家族には「宮脇俊三も、もう終わりだな」と漏らしていたという。 2003年(平成15年)2月26日、肺炎のため入院先の虎の門病院で死去。76歳没。悪性リンパ腫の治療中であった。戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」。命日の2月26日は「周遊忌」と呼ばれるようになる。
2008年(平成20年) 7月12日から9月15日にかけて、地元世田谷区の世田谷文学館で「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」が開催された。 なお、宮脇の行状記録としては『私の途中下車人生』(話し手:宮脇俊三。講談社 1986年(昭和61年)10月9日刊、2010年(平成22年)2月に角川書店から文庫化)、「自筆年譜」[1978まで](『宮脇俊三鉄道紀行全集』第6巻 角川書店 1999年5月31日刊の巻末)および「自筆年譜」[2003まで](「宮脇俊三の旅」雑誌『旅』2003年8月号臨時増刊、巻末)が詳しい。 刊行著作時刻表2万キロ(河出書房新社、1978年7月)- ※第5回日本ノンフィクション賞受賞
最長片道切符の旅(新潮社、1979年10月)
汽車旅12カ月(潮出版社、1979年12月)
時刻表昭和史(角川書店「角川選書」、1980年7月)※第6回交通図書賞受賞作
完全版 時刻表昭和史:中公文庫(2023年6月)、北杜夫との対談「それぞれの汽車旅」を増補 台湾鉄路千公里(角川書店 1980年12月)
時刻表ひとり旅(講談社現代新書、1981年6月、※巻末に「国鉄全線一覧」あり) 時刻表おくのほそ道(文藝春秋、1982年4月) 終着駅は始発駅(新潮社 1982年8月) 徳川家康 タイムトラベル(講談社、1983年4月)
シベリア鉄道9400キロ(角川書店、1983年5月) 終着駅へ行ってきます(日本交通公社出版事業局、1984年2月) 旅の終りは個室寝台車(新潮社 1984年10月) 椰子が笑う 汽車は行く(文藝春秋、1985年4月)、東南アジア紀行 殺意の風景(新潮社、1985年4月) 汽車旅は地球の果てへ(日本交通公社出版事業局、1986年4月1日) 線路のない時刻表(新潮社、1986年5月)
再訂版:全線開通版 線路のない時刻表(講談社学術文庫、2014年3月)、※巻末に「付録『自筆年譜』」あり 鉄道旅行のたのしみ(集英社文庫、1986年6月)、解説:長谷川卓也、※文庫判のみで刊行 私の途中下車人生(講談社、1986年10月)、談話回想 汽車との散歩(新潮社、1987年5月)※巻末に著作目録あり 中国火車旅行(角川書店、1988年2月) 途中下車の味(新潮社、1988年3月)※巻末に著作目録あり ローカルバスの終点へ(日本交通公社出版事業局、1989年1月20日) 車窓はテレビより面白い(徳間書店、1989年2月28日) 失われた鉄道を求めて(文藝春秋、1989年9月15日) インド鉄道紀行(角川書店、1990年4月30日)※巻末に著作目録あり 古代史紀行(講談社、1990年11月12日) 日本探見二泊三日(JTB日本交通公社出版事業局、1991年3月) 韓国・サハリン鉄道紀行(文藝春秋、1991年9月15日) ※JTB・第1回紀行文学大賞を受賞 旅は自由席(新潮社、1991年12月10日)※巻末に著作目録あり 夢の山岳鉄道(JTB日本交通公社出版事業局、1993年6月) 線路の果てに旅がある(小学館、1994年1月10日)※巻末に「終着駅の10の型」を収録 平安鎌倉史紀行(講談社、1994年12月19日) 昭和八年 澁谷驛(PHP研究所、1995年12月)、※少年時の回想記 ヨーロッパ鉄道紀行(JTB日本交通公社出版事業局、1996年8月)※巻末に著作目録あり 駅は見ている(小学館、1997年11月1日) 豪華列車はケープタウン行(文藝春秋、1998年7月) 宮脇俊三鉄道紀行全集 全6巻(角川書店、1998年12月 - 1999年5月) 室町戦国史紀行(講談社、2000年11月) 乗る旅・読む旅(JTB、2001年1月1日) 七つの廃線跡(JTB、2001年1月1日)
宮脇俊三自選紀行集(全1巻)(JTB、2001年12月1日)、※JTB旅行文化賞10周年記念出版、シリーズ全5巻の一冊 史記のつまみぐい(新潮社 2004年2月20日) 「最長片道切符の旅」取材ノート(新潮社 2008年4月)、まえがきは宮脇灯子が、脚注と解説は原武史が担当。 終着駅(河出書房新社、2009年9月30日)、あとがき:宮脇灯子。※全編が単行本未収録の発掘作品で、最後のオリジナル随筆集 宮脇俊三鉄道紀行セレクション 全1巻(小池滋 編、ちくま文庫、2014年6月) 宮脇俊三 電子全集 全23巻(小学館、2014年11月 - 2016年9月) 時刻表・駅・切符-行先不明列車・出発進行の巻(原田勝正との対談、現代史研究会刊/徳間書店、1981年10月) 中央線各駅停車(保育社カラーブックス667、1985年1月)、※松尾定行と分担共著 鉄道に生きる人たち 宮脇俊三対話集(中央書院、1987年5月3日) ダイヤ改正の話:宮脇俊三対話集(中央書院、1988年5月30日) シベリア鉄道ものがたり(福音館書店、1990年10月)絵:黒岩保美 ※絵本 御殿場線ものがたり(福音館書店、1992年10月)絵:黒岩保美 ※絵本 青函連絡船ものがたり(福音館書店、1992年10月)絵:黒岩保美 ※絵本 スイス鉄道ものがたり(福音館書店、1995年9月)絵:黒岩保美 ※絵本 廃線跡懐想 北海道編 ヴィークル・グラフィック(JTB、単行本、2002年3月) 廃線跡懐想 中部信越編 ヴィークル・グラフィック(JTB、単行本、2002年4月) 参考Ⅰ:雑誌の特集記事“特集・宮脇俊三の世界”(月刊誌『旅』第74巻9号・通号884号 JTB刊 2000年9月)pp10–139 “追悼特別企画・さよなら、宮脇俊三さん”(月刊誌『旅』第77巻5号・通号916号 JTB刊 2003年5月)pp115–130 「宮脇俊三の旅」(月刊誌『旅』臨時増刊 JTB 2003年8月) 「宮脇俊三:鉄道に魅せられた旅人」(『別冊太陽』、平凡社 2007年1月14日) “特集・宮脇俊三と旅する”(月刊誌『小説新潮』第62巻5号・通号768号 新潮社刊 2008年5月)pp235–305 内容:『殺意の風景』のうち単行判・文庫いずれでも未収録の2作品を掲載、未発表短編小説1作品を掲載、ほか 「宮脇俊三:時刻表が生んだ鉄道紀行」(『KAWADE夢ムック 文藝別冊』、河出書房新社 2009年6月30日)
参考Ⅱ:回想・関連文献ほか夢の車窓 : 櫻井寛写真集(講談社、1994年12月15日) 表紙揮毫 “美しい老人”(新潮社の出版PR誌『波』第22巻3号、1998年3月)※逐次刊行物の表紙筆蹟、その紹介 p11 テリーピンデル『アメリカ鉄道3万マイル』(小林理子と共訳 角川書店 1993年10月5日) 『鉄道が好き』 日本名作シリーズ・日本ペンクラブ編(宮脇俊三選、集英社文庫 1985年11月) 『父・宮脇俊三への旅』(宮脇灯子、グラフ社 2006年12月30日)
『父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って』(宮脇灯子、JTBパブリッシング 2008年8月1日) 『宮脇俊三と旅した鉄道風景』(櫻井寛写真・文、ダイヤモンド社 2013年3月8日) 『鉄道紀行 宮脇俊三取材ノート:鉄道紀行作家を支えた記憶』(同・製作委員会編、誠文堂新光社 2013年8月29日) 『鉄道無常 内田百間と宮脇俊三を読む』(酒井順子、KADOKAWA(角川書店)、2021年5月/角川文庫、2023年12月) 『宮脇俊三の紀行文学を読む』(小牟田哲彦、中央公論新社、2021年10月) 2024/06/14 07:33更新
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miyawaki syunzou
宮脇俊三と同じ誕生日12月9日生まれ、同じ埼玉出身の人
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