小川千甕の情報(おがわせんよう) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小川 千甕さんについて調べます
■名前・氏名 |
小川千甕の情報まとめ
小川 千甕(おがわ せんよう)さんの誕生日は1882年10月3日です。山梨出身の漫画家のようです。
1971年に亡くなられているようです。
小川千甕のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小川 千甕(おがわ せんよう、1882年10月3日 - 1971年2月8日)は、京都市出身の仏画師・洋画家・漫画家・日本画家。本名は小川多三郎。 京都に生まれる。15歳で仏画師・北村敬重の徒弟となり日本画を学ぶ。一方で20歳の時には洋画家の浅井忠に師事し、洋画を学ぶ。24歳からは雑誌『ホトトギス』の挿絵なども手掛ける。京都市立陶磁器試験場の技手として絵付けに従事する。28歳で東京に移り、『ホトトギス』『太陽』などに挿絵や漫画を発表し、人気を得る。 1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にはヨーロッパに遊学し、帰国後は仁科展に油彩画を発表する。その後、日本画家の平福百穂の主催する日本画グループである珊瑚会に参加すると日本画へ移行し、1921年(大正10年)には院展に日本画を出展している。自由な表現できる日本画である「南画」を追求。多くの作品を発表し、戦後にかけて文人への憧れから「詩書画」を多く手掛けるようになる。 1916年(大正6年)には山梨県東八代郡境川村(現・山梨県笛吹市境川町小黒坂)出身の俳人・飯田蛇笏(いいだ だこつ)が排誌『雲母』を創刊する。小川は『雲母』の表紙絵を手がけており、1915年(大正5年)3月には『ホトトギス』同人の高浜虚子らが「甲州吟行」を行うと、蛇笏ら山梨県の俳人が一行を案内しており、この甲州吟行には平福や小川も参加している。小川は1928年(昭和3年)にも山梨県を旅行しており、甲府近郊の御岳昇仙峡を訪れ、甲府・長禅寺における句会にも参加し、その際の様子を《甲州紀行画巻》として描いている。 『西遊画帖』上・下(1914年)(所蔵:京都国立近代美術館) 『東京写生画帖』其の一、其の二(1917年)(所蔵:京都国立近代美術館) 小川千甕展 縦横無尽に生きる―彼は仏画師・洋画家・漫画家・日本画家だった。(福島県立美術館:2014年10月11日〜11月24日、泉屋博古館分館:2015年3月7日~5月10日)、京都府立京都文化博物館:2015年12月8日〜2016年1月31日) 小川千甕、再び―池上百竹亭コレクション(松本市美術館、2016年9月27日〜 2017年1月9日) ^ 井澤(2003)、p.27 ^ 井澤(2003)、pp.27 - 28 ^ 井澤(2003)、p.34 ^ 井澤(2003)、pp.34 - 35 ^ 井澤(2003)、p.35 ^ 『西遊画帖』上・下(1914年)国立美術館所蔵作品総合目録検索システム ^ 『東京写生画帖』其の一、其の二(1917年)国立美術館所蔵作品総合目録検索システム ^ 福島県立美術館>過去の企画展:2014年度 ^ 京都府立京都文化博物館>特別展 ^ 松本市美術館>展覧会情報>コレクション展 井澤英理子「珊瑚会の活動に見る大正期日本画の一様相」『山梨県立美術館 研究紀要 第17号』山梨県立美術館、2003年 「小川千甕の画迹」刊行会編『小川千甕の画迹』(平成柳枝軒、2012年12月) 小川千甕展実行委員会編『縦横無尽 - 小川千甕という生き方』(求龍堂、2014年10月)ISBN 978-4-7630-1443-6 C0071 京都文化博物館 kotobank 物故者記事-東文研アーカイブデータベース-東京文化財研究所 FAST VIAF WorldCat アメリカ 日本 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 仏画 洋画家 日本の漫画家 日本画家 京都市出身の人物 1882年生 1971年没 2024/11/17 01:07更新
|
ogawa senyou
小川千甕と同じ誕生日10月3日生まれ、同じ山梨出身の人
TOPニュース
小川千甕と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小川千甕」を素材として二次利用しています。