もしもし情報局 > 12月30日 > 洋画家

小杉放庵の情報 (こすぎほうあん)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

小杉放庵の情報(こすぎほうあん) 洋画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

小杉 放庵さんについて調べます

■名前・氏名
小杉 放庵
(読み:こすぎ ほうあん)
■職業
洋画家
■小杉放庵の誕生日・生年月日
1881年12月30日
巳年(へび年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
栃木出身

小杉放庵と同じ1881年生まれの有名人・芸能人

小杉放庵と同じ12月30日生まれの有名人・芸能人

小杉放庵と同じ出身地栃木県生まれの有名人・芸能人


小杉放庵と関係のある人

鈴木進: 『池大雅画譜」第1-5輯 小杉放庵等編 鈴木進等解説 中央公論美術出版 1957-59


小杉二郎: 父は洋画家の小杉放庵、兄は美術史学者の小杉一雄、甥には洋画家の小杉小二郎(一雄の子)がいる。


小杉小二郎: 祖父 - 小杉放庵(日本画家)


中川一政: 1922年 小杉放庵らと「春陽会(しゅんようかい)」設立に参加。


小杉二郎: 1915年(大正4年)、東京市滝野川区にて洋画家である父・小杉放庵(国太郎)と母・ハルの二男として生まれる。


小杉義男: 叔父に日本画家の小杉放庵、長女は元女優の小杉公子。


小杉放庵の情報まとめ

もしもしロボ

小杉 放庵(こすぎ ほうあん)さんの誕生日は1881年12月30日です。栃木出身の洋画家のようです。

もしもしロボ

絵画、スポーツ、その他などについてまとめました。脱退、趣味、結婚、現在に関する情報もありますね。亡くなられているようです。

小杉放庵のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月30日 - 1964年(昭和39年)4月16日)は、明治・大正・昭和時代の洋画家・日本画家・歌人・随筆家。本名は国太郎、別号に未醒、放菴。

長男は東洋美術研究者の小杉一雄で、放庵の著作を多数編纂している。二男はインダストリアルデザイナーの小杉二郎。俳優の小杉義男は甥。

栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)に二荒山神社の神官・富三郎の子として生まれる。父は国学者でもあり、1893年(明治26年)から1897年(明治30年)にかけては日光町長も務めていた。

1896年(明治29年)から日光在住の洋画家・五百城文哉の内弟子となるが、五百城に無断で出奔、上京して白馬会洋画研究所に入る。しかしこれに馴染めず、肺尖カタルをも患ったため帰郷。再び五百城の元に戻る。1900年(明治33年)に今度は許可を得て再度上京し、小山正太郎の不同舎に入門し、滝野川村(当時)の田端で下宿生活を始めた。1902年(明治35年)に太平洋画会に入会し1904年(明治37年)に未醒の号で出品する。

なお、1903年(明治36年)からは国木田独歩の主催する近時画報社に籍をおいて挿絵を描き、漫画の筆もとっている。1904年から始まった日露戦争には、『近事画報』誌の従軍記者として戦地に派遣され、迫真の戦闘画や、ユーモラスな漫画的な絵などで、雑誌の人気に大きく貢献した。1904年11月に反戦詩集『陣中詩篇』を刊行した。また、同1905年には美術雑誌『平旦』を石井柏亭、鹿子木孟郎らと創刊した。

1908年(明治41年)に美術誌『方寸』の同人に加わり、この年から文展に出品し、第4回展で3等賞、第5回展で『水郷』、第6回展で『豆の秋』と題した作品が続けて2等賞となる。また、同年に田端で新居を構え、「田端文士村」の一員となった。1913年(大正2年)にフランスに留学するが、当地で池大雅の「十便図」を見たことがきっかけで、日本画にも傾倒。翌年の帰国後は墨絵も描き始めるようになる。同年、再興された日本美術院に参加し、同人として洋画部を主宰する。また、二科会にも同時に籍を置いていた。

その後、絵に対する考え方の違いから1917年(大正6年)に二科会を、1920年(大正9年)には日本美術院を脱退し、1922年(大正11年)に森田恒友、山本鼎、倉田白羊、足立源一郎らとともに春陽会を創立する。1924年(大正13年)に号を放庵と改めたが、これは親友である倉田白羊が一時期使っていた「放居」という雅号から「放」の字を貰って付けたものである。

1925年(大正14年)、東京大学安田講堂の壁画を手がける。1927年(昭和2年)には、都市対抗野球大会の優勝旗である「黒獅子旗」のデザインを手がけた。

1929年(昭和4年)に中国へ旅行。1933年(昭和8年)12月に自身初の歌集『放菴歌集』を竹村書店から刊行した際、初めて「放菴」の号を用いた。

1935年(昭和10年)に帝国美術院の改革が進められる中で、官選という形で会員に選出されたが、同年末に洋画壇と帝国美術院との対立構造の中で会員を辞任した。 第二次世界大戦中に疎開のため新潟県赤倉に住居を移し、滝野川区となっていた東京・田端の自宅が空襲で失われたため戦後もそのまま暮らす。ここで、新文人画ともいうべき独自の水墨画を残した。

1954年(昭和29年)正月、宮中歌会始召人となった。1958年(昭和33年)、日光市名誉市民となる。同年秋に高齢を理由に日本芸術院会員を辞任。1964年(昭和39年)、肺炎のため死去。墓所は日光市所野字丸美。

没後は長男の小杉一雄を中心として放菴の紹介や顕彰が続けられ、1980年(昭和55年)に文集『放庵画談』(小杉一雄ほか編、中央公論美術出版)が刊行。1992年(平成4年)には一雄から1459点の美術関連資料が「(仮称)小杉放菴記念日光美術館整備構想」を進めていた日光市へ寄贈された。これを元に、一雄が存命中の1997年10月に「小杉放菴記念日光美術館」が開館し、放菴や関連画家の作品が通年で展示されるようになった。この美術館の公式サイトでは、出生から逝去までの放菴の経歴が詳細に紹介されている。

絵画

文典に入選した初期の画は、東洋的ロマン主義の傾向を示す。未醒の号で書いた漫画は当時流行のアール・ヌーヴォー様式を採り入れ、岡本一平の漫画に影響を与えている。安田講堂壁画は、フランス画、特にピエール・シャバンヌなどの影響を残しているものの、天平風俗の人物を登場させ、日本的な志向もあらわしている。フランス帰国後から東洋趣味に傾き、油絵をやめ墨画が多くなる。こうした洋画からの転向は「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」という認識に支えられていた。

代表作は『山幸彦』(1917年)、『老子出関』(1919年)、『炎帝神農採薬図』(1924年)など多数。晩年には『放庵画集』(藤本韶三編、三彩社、1960年)、『奥のほそみち画冊』(龍星閣、1962年)が刊行した。

画文集『絵本 新訳西遊記』(左久良書房、1910年/新版・中公文庫、1993年)、また画担当した田山花袋『耶馬溪紀行』(図書出版のぶ工房、2018年)が改訂刊行されている。

スポーツ、その他

テニス・野球・空手など趣味が多彩であり、「ポプラ倶楽部」という芸術家の社交団体を主催してテニスを多く行ったほか、押川春浪が中心である社交団体「天狗倶楽部」にも所属しており、ここでも野球などを多く行っている。なお、押川とは『冒険世界』など押川が主筆を務めた雑誌の表紙を小杉が描いていたことがあって関係が深かった。また、テニスプレーヤーとして、東日トーナメント(現・毎日テニス選手権)ベテラン男子の部において、日本庭球協会の理事ともなった針重敬喜とのダブルスで3回の優勝を記録している。1945年には小杉放菴からの申し出により次男の二郎と針重の次女である千鶴子が結婚し、小杉家と針重家は姻戚関係になった。

作品としてスポーツを題材とすることもあり、2022年(令和4年)10月から11月まで開催の「華厳社 下野の画人たち」展では水墨画でラグビーを描いた「闘球図」が展示され、地元紙の下野新聞では「(スポーツを描くのは)水墨画では珍しい」と評された。

歌人としても知られ、略伝内の『放菴歌集』の他、『故郷』などの歌集がある。画論の古典「芥子園画伝」の注解(公田連太郎と)を行い、『帰去来』などの随筆、唐詩人についての著作(新版は創拓社 全2冊)がある。

1928年(昭和3年)1月28日に、富山県八尾町(現 富山市八尾町)の、初代越中八尾民謡おわら保存会(現 富山県民謡越中八尾民謡おわら保存会)初代会長川崎順二に招かれ、当時のおわら節を聴いて、「曲はいいのだが唄には下品なものも多く、このままではおわらは廃れる」と進言、そこで川崎順二が放庵に頼み作詞したのが「八尾四季」で、八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で構成され、これ以後新しく作られたものを新作おわらとしており、現在もこの唄に合わせ、舞踏家若柳吉三郎が振付けした、女子の「四季踊り」と共に唄い踊り継がれている。放庵は翌年2月10日夜付けの手紙でこの八尾四季を川崎に送っており、約10日の間に詠んでいる。なお、この手紙は現在、八尾町東町の「八尾おわら資料館」にて展示されている。また「八尾八景」8首も作詞しており、二人の交友はこの後30数年に及んだ。

2024/06/26 12:41更新

kosugi houan



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


小杉放庵と近い名前の人

小杉 怜子(こすぎ れいこ)
2004年2月7日生まれの有名人 山口出身

小杉 怜子(こすぎ れいこ、2004年2月7日 - )は、青山学院大学に在学中の日本の女子大生タレント。 「FRESH CAMPUS CONTEST 2022」グランプリ。『オールナイトフジコ』(フ…

小杉 ゆう子(こすぎ ゆうこ)
8月19日生まれの有名人 静岡出身

小杉 ゆう子(こすぎ ゆうこ、8月19日 - )は、日本の女性声優。静岡県出身。 職業としての声優があると初めて知ったのは、小学生の頃、元々アニメは好きだったが、画面の中にいるのは生きている人達だ…

小杉 竜一(こすぎ りゅういち)
1973年7月5日生まれの有名人 京都出身

小杉 竜一(こすぎ りゅういち、1973年(昭和48年)7月5日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビ・ブラックマヨネーズのツッコミ担当。相方は吉田敬。京都府京都市右京区(現・西京区)桂出身。…

小杉 勇(こすぎ いさむ)
1904年2月24日生まれの有名人 宮城出身

小杉 勇(こすぎ いさむ、本名・小杉助治郎、1904年2月24日 - 1983年4月8日)は、日本の映画俳優、映画監督。作曲家の小杉太一郎は息子。息子の妻は漫談家の山野一郎の娘。 宮城県石巻市に生…

小杉 小二郎(こすぎ こじろう)
1944年2月27日生まれの有名人 東京出身

小杉 小二郎(こすぎ こじろう、1944年 - )は、日本の洋画家。 東京都滝野川区出身。1966年、日本大学工業デザイン専攻。中川一政に師事し、1970年に渡仏。グラン・ド・シュミエール研究所に…

小杉 まりさ(こすぎ まりさ)
1976年3月12日生まれの有名人 東京出身

3月12日生まれwiki情報なし(2024/06/19 15:50時点)

小杉 光正(こすぎ みつまさ)
1979年5月20日生まれの有名人 茨城出身

小杉 光正(こすぎ みつまさ、1979年5月20日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。Jリーグのセレッソ大阪の分析兼アシスタントコーチを務めている。 東京学芸大学蹴球部を経て同…

小杉 二郎(こすぎ じろう)
1915年3月25日生まれの有名人 東京出身

小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月17日)は、日本のインダストリアルデザイナー。東洋工業(現在のマツダ)の乗用車やトラック、新三菱重工業(現…

小杉 益二郎(こすぎ ますじろう)
1909年3月31日生まれの有名人 群馬出身

3月31日生まれwiki情報なし(2024/06/13 20:19時点)

小杉 太一郎(こすぎ たいちろう)
1927年6月6日生まれの有名人 宮城出身

小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる…

小杉 敏(こすぎ さとし)
1948年8月11日生まれの有名人 静岡出身

8月11日生まれwiki情報なし(2024/06/26 04:50時点)

小杉 隆(こすぎ たかし)
1935年9月25日生まれの有名人 東京出身

小杉 隆(こすぎ たかし、1935年9月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、文部大臣(第2次橋本内閣)、東京都議会議員(4期)を務めた。 東京都目黒区八雲出身。1959年、東京大学…

小杉 理宇造(こすぎ りゅうぞう)
1947年11月10日生まれの有名人 東京出身

小杉理宇造(こすぎ りゅうぞう、本名同じ、1947年11月10日 - )は、日本の実業家、音楽プロデューサー。スマイルカンパニー元代表取締役社長。ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)元顧問、元ジ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
小杉放庵
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

GEM ALLOVER E-girls palet 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小杉放庵」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました