小田嶽夫の情報(おだたけお) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小田 嶽夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
小田嶽夫と関係のある人
永井荷風: 宮尾しげをと住職とが発議し、森於菟・野田宇太郎・小田嶽夫らが実行委員となり、計42人の発起人によって、1963年(昭和38年)5月18日、遊女らの「新吉原総霊塔」と向かい合わせに、谷口吉郎設計の詩碑と筆塚が建立された。 北林透馬: 1942年、陸軍報道班員として徴用され、豊田三郎、高見順、清水幾太郎、山本和夫、小田嶽夫、榊山潤らと共にビルマ(現ミャンマー)に赴任。 井伏鱒二: また、1929年(昭和4年)頃に発足した『阿佐ヶ谷将棋会』(会員は、外村繁<自身は将棋を指さず>、古谷綱武、小田嶽夫、中村地平、木山捷平、濱野修、安成二郎、上林暁、田畑修一郎、青柳瑞穂、浅見淵、太宰治、亀井勝一郎、秋澤三郎、瀧井孝作、三好達治、火野葦平、島村利正、河盛好蔵、中野好夫、宇野千代、真杉静枝など)の中心となって活躍した。 鶴田知也: 林房雄によって推挙された同作は同年8月、小田嶽夫の『城外』とともに第3回芥川賞を受賞。 |
小田嶽夫の情報まとめ
小田 嶽夫(おだ たけお)さんの誕生日は1900年7月5日です。新潟出身の作家のようです。
人物と作品、著書などについてまとめました。卒業、事件に関する情報もありますね。78歳で亡くなられているようです。
小田嶽夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年6月2日) は、日本の小説家。本名は、小田武夫。 新潟県高田町字(現・上越市)竪春日町出身。実家は呉服商。呉服商を営む父熊吉と母登美の間に生まれる。高田中学(現新潟県立高田高等学校)時代は短歌と野球に熱中。東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語学科を卒業後、外務省亜細亜局入省。当時の局長は芳澤謙吉(後の外務大臣)。外務書記として中国・杭州の領事館などに勤務。 1926年に蔵原伸二郎の紹介で同人誌『葡萄園』に参加。のちに『文藝都市』にも寄稿する。 1930年7月に外務省を退職して文筆で身を立てることを決め、1931年に寺崎浩、田畑修一郎らと同人誌「雄鶏」(後に「麒麟」と改題)を創刊。当初はなかなか小説が評価されず生活が困窮し、春陽堂書店で中国文学の翻訳や「支那語雑誌」の編集で糊口を凌ぐ。1936年に「城外」(『文學生活』創刊号、1936年6月)で第3回芥川賞受賞。それまでは文壇でもほぼ無名だったが、これをきっかけに生活が安定する。太平洋戦争中はビルマに従軍。戦後も旺盛な執筆活動を続け、1975年に『郁達夫伝』で第3回平林たい子文学賞受賞。78歳没。墓所は多磨霊園。 人物と作品ほとんどの作品が中国に眼を向けたもので、代表作の「城外」もその一つである。日中戦争で中国への関心が高まり始めると中国通として注目されるようになった。「高陽草子」のように、郷土(高田)への思いをこめた文章が多く書かれた作品もある。『真実の行方』は松川事件に取材したものである。 日本における魯迅の紹介者という役割もあり、『魯迅伝』を著している。太宰治とは交友関係にあり、小田の助力によって太宰は『魯迅伝』『大魯迅全集』『東亜文化圏』などを入手し『惜別』(朝日新聞社、1945年9月)執筆の材料とした。 著書『城外』(竹村書房、1936年) 『志那人・文化・風景』(竹村書房、1937年) 『杭州城図絵』(版画荘、1938年) 『泥河』(砂子屋書房、1940年) 『あたたかい夜』(人文書院、1940年) 『魯迅伝』(筑摩書房、1941年) 『揚子江文学風土記』(龍吟社、1941年)※武田泰淳との共著 『紫禁城の人』(墨水書房、1941年) 『大陸手帖』(竹村書房、1942年) 『ビルマ戦陣賦』(文林堂双魚房、1943年) 『裏がはの町』(東方社、1949年) 『魯迅の生涯』(鎌倉文庫、1949年) 『魯迅伝』(乾元社、1953年、大和書房、1966年) 『寡婦しげ女』(東方社、1956年) 『真実の行方』(藝文書院、1957年)※全2巻 『河をわたる女』(光書房、1958年) 『薔薇の間』(東方社、1960年) 『望郷』(学習研究社、1964年) 『文学青春群像』(南北社、1964年) 『漂泊の中国作家』(現代書房、1965年) 『中国武将伝』(人物往来社、1965年) 『石川啄木』(鶴書房、1967年) 『義和団事件』(新潮社、1969年) 『小説坪田譲治』(東都書房、1970年) 『桃花扇・朱舜水』(新潮社、1971年) 『下北半島の風』(実業之日本社、1972年) 『恋に滅びた人びと 近松の名作から』(読売新聞社、1973年) 『高陽草子』(さ・さ・ら書房、1973年) 『郁達夫伝 その詩と愛と日本』(中央公論社、1975年) 『断橋の佳人 中国男女怪談』(中央公論社、1978年) 『回想の文士たち』(冬樹社、1978年) 『城外 夜ざくらと雪』(青英舎、1979年) 『三笠山の月 小田嶽夫作品集』(小沢書店、2000年) 翻訳茅盾『大過渡期』(第一書房、1936年) 蕭軍『第三代』(改造社、1938年) 蕭軍・郁達夫・茅盾『同行者』(竹村書房、1938年) 林語堂『北京好日』(四季書房、1940年)※全3部、庄野滿雄共訳 2024/06/23 10:48更新
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小田嶽夫と同じ誕生日7月5日生まれ、同じ新潟出身の人
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