山口文憲の情報(やまぐちふみのり) フリーライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
山口文憲の情報まとめ
山口 文憲(やまぐち ふみのり)さんの誕生日は1947年5月1日です。静岡出身のフリーライターのようです。
卒業、結婚、離婚に関する情報もありますね。山口文憲の現在の年齢は77歳のようです。
山口文憲のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山口 文憲(やまぐち ふみのり、1947年5月1日 - )は、日本のノンフィクション作家・エッセイスト。親しい知人には「ブンケン」「ブンケンさん」と呼ばれる。 静岡県浜松市生まれ。父の山口文太郎は静岡大学名誉教授で、戦中は浜松高等工業学校で化学を教えていた。その父から「文化国家・平和憲法」から「文憲(ふみのり)」と名付けられた。 静岡大学教育学部附属浜松小学校、中学校を経て、静岡県立浜松北高等学校を卒業。 東京芸術大学器楽科(トランペット専攻)を受験するが、不合格。高校卒業後、1966年に、東京に上京して予備校に通うが、受験に失敗し、浪人生活がつづく。 1967年、トランペットのレッスンの帰りに、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の事務所を覗いてみたところ、後にノンフィクション作家となる吉岡忍から「ベ平連ニュース」を封筒に詰める作業を頼まれ、そのままベ平連に入会。ベ平連の活動で、鶴見俊輔、小田実、武藤一羊、鶴見良行、室謙二らを知る。 同1967年、20歳にして「朝日ジャーナル」に寄稿し、ライターとなる。 1968年、「3浪」の時代に、予備校に新たに浪人生として入ってきた亀和田武に出会う。亀和田によると、このころの山口は、話がうまく、20歳そこそこの若造の話に、30代、40代の大人が笑いころげるというほどの、話芸の天才であった。一方で、他人から話を引き出すのも、非常にうまかった。 ベ平連の中の、米兵の脱走を支援する組織「JATEC(反戦脱走米兵援助技術委員会)」に参加するが、1968年11月、北海道の弟子屈で、山口が運転するレンタカーに乗っていた、19歳の米脱走兵のジェラルド・メイヤーズが、日本の警察により逮捕され、アメリカ海軍に引き渡された。 また、山口は、自宅でメイヤーズにモデルガンを見せていたが、それを本物の銃と勘違いしたメイヤーズの供述により、1969年2月15日に「銃砲刀剣等取締法違反」容疑で、日本の警察に逮捕された。だが、銃は保有していなかったため、釈放された。また、高橋武智(当時立教大学助教授)宅も、メイヤーズ逮捕の関連で、警察による家宅捜索を受けた。 逮捕され、マスコミに大々的に報道されたことにより、音楽家志望は完全にあきらめる。 同1969年、新宿西口のベ平連のフォークゲリラたちの運動を助け、音楽家志望を生かしてギターを調弦、また中心にいて歌を歌った。助っ人であるにも係わらず、当時の「フォークゲリラの記録写真」では、山口が真ん中に写っている。 1970年には、アルバイトで『週刊ポスト』のデータマンを3ヶ月つとめる。 その後は、さまざまなアルバイトを行う。音楽出版社で、渡された演奏テープを聞いて、フォーク歌集一冊分の採譜をするアルバイトをしたこともあったが、その作業の際にたまたま、三上寛と出あった。 1974年から1975年にかけて、パリに滞在。 帰国後、某新聞社で「アイドルへのインタビュー」の仕事を請け負っていた際、アグネス・チャンのインタビューを行い、「16歳で海外に出稼ぎに出るアイドル」を生んだ香港に興味を抱く。 そこで、何ら先の見込みもなく、1976年のクリスマスの朝に、横浜から船に乗り、香港へ着き、そのままそこに1年ほど居つく。生活費の足しにするため、原稿を書いて日本に送り、雑誌『面白半分』に連載エッセイ「香港漫歩」として掲載。その内容はのち、1984年に『香港世界』としてまとめられた。 そののちも、香港に滞在し、その魅力のとりことなる。1979年には、玉村豊男『パリ・旅の雑学ノート』(1977年)を刊行していたダイヤモンド社から、『香港・旅の雑学ノート』を刊行。自身で撮った写真や自筆のイラスト満載で、新しい視点から都市・香港を解剖した本であり、話題となる。 なお、前書きには、「日本の観光客が香港に求める二つの楽しみ、ショッピングと中国料理の食べ歩き、この本には、この二つについては一切書かれていない。しかし、それ以外はあらゆることを盛り込んだ」とあった。また、当書の文庫化の際の解説は、アグネス・チャンが担当している。 以降、ノンフィクション作家、エッセイスト、書評家などとして活躍。新鮮な視点とユーモアに満ちた著書を、刊行し続けている。 1980年代には、雑誌「漫画アクション」の名物匿名コラム「アクション・ジャーナル」に、阿奈井文彦、亀和田武、呉智英、関川夏央、堀井憲一郎、村上知彦らとともに、執筆者の一員となった。 同世代の関川夏央、呉智英と仲がよく、3人とも独身である(関川は1度結婚したが、離婚)。 著書『読ませる技術』は、関川と2人で朝日カルチャーセンターで行っていた、「コラム・エッセイの講座」での体験が、元になっている。 また、独身女性である、檀ふみとも仲がよい。 『香港旅の雑学ノート 出街・街坊・享受』ダイヤモンド社 1979 のち新潮文庫 『香港世界』筑摩書房 1984 のちちくま文庫 『ソウルの大観覧車』(橋口譲二写真)平凡社 1986 『空腹の王子』主婦の友社 1992 のち新潮文庫 『燃えないゴミの日』平凡社 1994 『読ませる技術 コラム・エッセイの王道』マガジンハウス 2001 のちちくま文庫 『日本ばちかん巡り』新潮社 2002 のちちくま文庫 『団塊ひとりぼっち』文春新書 2006 『若干ちょっと、気になる日本語』筑摩書房、2013 『越境する東南アジア』(鶴見良行共著)平凡社 1986 『東京駅探険』(中川市郎、松山巌共著)新潮社 1987 『香港読本』(編)福武文庫 1989
『東京的日常』(関川夏央共著)メディアファクトリ- 1990 のちちくま文庫 『やってよかった東京五輪 オリンピック熱1964』編(新潮文庫 2020. ^ 亀和田武『人ったらし』より 婦人公論「酸いも甘いも食べ分けて」-ほぼ日刊イトイ新聞 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 20世紀日本のノンフィクション作家 21世紀日本のノンフィクション作家 20世紀日本の随筆家 21世紀日本の随筆家 静岡県立浜松北高等学校出身の人物 浜松市出身の人物 1947年生 存命人物 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事
2024/11/24 22:04更新
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yamaguchi fuminori
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