山本冬郷の情報(やまもととうごう) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
山本冬郷の情報まとめ
山本 冬郷(やまもと とうごう)さんの誕生日は1886年11月4日です。神奈川出身の俳優のようです。
映画、現在、卒業、脱退、解散、退社、引退に関する情報もありますね。1952年に亡くなられているようです。
山本冬郷のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 1952年3月24日)は、日本の元俳優である。本名:山本 鎌藏(やまもと けんぞう)。ハリウッド映画からスタートした日本人俳優で、帰国後は松竹蒲田撮影所、日活太秦撮影所、新興キネマ東京撮影所などで活躍した名脇役として知られる。 1886年(明治19年)11月4日、神奈川県横浜市根岸(現在の同県同市中区根岸町)に生まれる。旧制錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業後、早稲田大学政治経済科に進学する。 1904年(明治37年)2月、早稲田大学を中退して渡米。種々の職業に従事していたが、日本から来た在留邦人相手の新派劇団に急遽加入し、各地を巡業する。 1920年(大正9年)からは映画俳優に転向、ファースト・ナショナル社(英語版)に所属していた映画監督マーシャル・ニーラン(英語版)に見出され、同年2月22日公開された『氷原の彼方に(英語版)』でルイズ・ストーン(英語版)扮するカナダ騎馬警官隊の隊員と殺人犯(二役)の敵役として出演し、話題となる。以降、同年10月17日に公開されたセシル・B・デミル監督映画『人間苦(英語版)』や、翌1921年(大正10年)3月21日に公開されたゴールドウィン・ピクチャーズ製作のフランク・ロイド監督映画『東洋の鬼娘(英語版)』などのハリウッド映画に脇役として出演。1923年(大正12年)2月、日本に帰国した。 1925年(大正14年)、大東キネマを創立。自ら監督と主演を兼ねて、岡田時彦、伊志井寛、藤川三之助、瀬川つる子と共演した大作『幻の帆船』を製作するが、失敗に終わる。その3年後の1928年(昭和3年)夏、松竹蒲田撮影所に入社、1930年(昭和5年)7月6日に公開された小津安二郎監督映画『その夜の妻』や、同年12月12日に公開された『お嬢さん』など、多くの作品に脇役出演した。1931年(昭和6年)9月、松竹蒲田を脱退した鈴木傳明、高田稔、岡田時彦と共に不二映画社の創立に参加、同年12月31日に公開された鈴木重吉監督映画『栄冠涙あり』などに出演したが、僅か2年で解散。1933年(昭和8年)春、岡田と共に新興キネマに入社するが、間もなく日活太秦撮影所に移籍し、同年6月15日に公開された山中貞雄監督映画『盤嶽の一生』などに出演。1934年(昭和9年)からは日活多摩川撮影所に移籍するが、後に新興キネマに復帰。1942年(昭和17年)1月27日の戦時統合による大映の設立以降も継続入社、大映京都撮影所に所属して、脇役出演を続けた。この間、山本の長男がニューギニアの戦いで戦死している。 第二次世界大戦終結後は大映東京撮影所(現在の角川大映スタジオ)に所属し、脇役出演していたが、1947年(昭和22年)、東宝を経て新東宝へ移籍。1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報社)では、1948年(昭和23年)9月9日に公開された渡辺邦男監督映画『エノケンのホームラン王』を最後に退社、芸能界を引退したとされているが、翌1949年(昭和24年)2月1日に公開された稲垣浩監督映画『白頭巾現わる』に出演した記録がある。以後の消息は不明とされていたが、『東京新聞』1952年(昭和27年)3月29日付によれば、晩年は通訳者を経て東京都港区芝浦で倉庫業に従事していたが、去る3月24日に急性肺炎のため、東京都文京区湯島天神町(現在の同区湯島)の自宅で死去したと報じられている。満65歳没(数え年67歳)。 アメリカ映画 The City of Dim Faces 1918年 The Willow Tree 1920年 Pagan Love 1920年 『氷原の彼方に』 The River's End 1920年 監督:マーシャル・ニーラン 『人間苦』 Something to Think About 1920年 監督:セシル・B・デミル 『東洋の鬼娘』 A Tale of Two Worlds 1921年 監督:フランク・ロイド 『血と肉』 Flesh and Blood 1922年 監督:アーヴィング・カミングス Head Winds 1925年 日本映画 『幻の帆船』 1925年 監督・主演 『その夜の妻』 1930年 監督:小津安二郎 『お嬢さん』 1930年 監督:小津安二郎 『栄冠涙あり』 1931年 監督:鈴木重吉 『月形半平太』 1933年 監督:伊藤大輔 『盤嶽の一生』 1933年 監督:山中貞雄 『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』 1934年 監督:伊藤大輔 『鞍馬天狗横浜に現る』 1942年 監督:伊藤大輔 『決闘般若坂』 1943年 『二死満塁』 1946年 監督:田口哲 『エノケンのホームラン王』 1948年 監督:渡辺邦男 ^ 『東京新聞』1952年3月29日付。 ^ 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、618頁。 ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』日外アソシエーツ、1998年、602頁。 ^ 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』映画世界社、1934年、98-99頁。 ^ 1953年に『鞍馬天狗黄金地獄』と改題してリバイバル上映された。 山本冬郷 - 日本映画データベース 山本冬郷 - KINENOTE Togo Yamamoto - IMDb(英語) VIAF WorldCat アメリカ 日本の男優 日本の舞台俳優 松竹の俳優 戦前の日活の俳優 新興キネマの俳優 大映の俳優 東宝の俳優 新東宝の俳優 サイレント映画の俳優 錦城学園高等学校出身の人物 横浜市出身の人物 1886年生 1952年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/21 20:46更新
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yamamoto tougou
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