山本宏美の情報(やまもとひろみ) スピードスケート 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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金野昭次: また開会式では、猪谷千春、笠谷幸生、北沢欣浩、長久保初枝、大高優子、橋本聖子、山本宏美と共に8人で五輪旗を持って入場した。 |
山本宏美の情報まとめ
山本 宏美(やまもと ひろみ)さんの誕生日は1970年4月21日です。北海道出身のスピードスケートのようです。
卒業、引退、結婚に関する情報もありますね。山本宏美の現在の年齢は54歳のようです。
山本宏美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元スピードスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック銅メダリスト。現姓・山中。 3歳頃からスケートを始める。白老中学校1年の時に全国中学校体育大会で優勝した。駒大苫小牧高校を卒業後、王子製紙に入社し、全日本スピードスケート選手権などで活躍。スピードスケートの種目では主に中・長距離を得意とした。 だが1992年の年明けに脳腫瘍を患い入院。1993年春頃には左足首の靱帯を断裂する大怪我を追い手術を受ける。このケガを機に、足に負担が掛からない小刻みなピッチ走法に変えた所、これが功を奏してスピードスケートの自己記録を次々と更新し、翌1994年に自身初の冬季オリンピック日本代表に選出された。 1994年2月開催のリレハンメル五輪・スピードスケート女子5000mでは、序盤はスローペースながらも中盤から終盤にかけてラップを上げスピードアップ、結果7分19秒68のゴールタイムで当時の日本新記録をマーク(自身の日本記録も11秒17更新)して3位入賞・銅メダルを獲得。また同五輪・女子3000mでも7位入賞(4分22秒37)を果たし、女子1500mは15位(2分06秒54)であった。 冬季オリンピックの日本代表選手で、スピードスケート・長距離走種目においてのメダル獲得は、山本が史上初である。また冬季五輪で当時の日本代表女子選手としては、1992年アルベールビルオリンピックで各メダルを獲得した橋本聖子(スピードスケート女子1500m)の銅と、伊藤みどり(女子フィギュアスケート)の銀に続いて山本が史上3人目のメダリストとなった。 1995年に現役を引退、翌1996年に王子製紙アイスホッケー部に所属する山中武司(現:アイスホッケー女子日本代表監督)と結婚した。 1998年2月の長野オリンピック開会式では、同スピードスケートの種目でかつ駒大苫小牧高校の6年先輩でもある橋本らと共にオリンピック旗の入場行進に参加した。 ^ “五輪選手のそれから”. 苫小牧民報. 2012年5月20日閲覧。 日本の冬季オリンピック銅メダル 1994年リレハンメルオリンピックの日本選手団 山本宏美 - 国際オリンピック委員会 (英語) 山本宏美 - オリンピックチャンネル 山本宏美 - Olympedia (英語) 山本宏美 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語) 山本宏美 - SpeedSkatingBase.eu (英語) 山本宏美 - SpeedSkatingNews.info (英語) 山本宏美 - SpeedSkatingStats.com (英語) ソチ五輪2014【雪と氷の金銀銅物語(19)】山本宏美 ピッチ走法 長距離初メダル - ウェイバックマシン(2014年1月31日アーカイブ分) 【日の丸戦士37個のメダル(19)】スピードスケート女子5000M・山本宏美「銅」 日本の女子スピードスケート選手 オリンピックスピードスケート日本代表選手 スピードスケートのオリンピックメダリスト 日本のオリンピック銅メダリスト 王子グループのスポーツ関係者 駒澤大学附属苫小牧高等学校出身の人物 北海道出身の人物 1970年生 存命人物 ウィキデータのスポーツ識別子を使用している記事
2024/11/24 23:06更新
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yamamoto hiromi
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