山本繁太郎の情報(やまもとしげたろう) 建設官僚、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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山本繁太郎の情報まとめ
山本 繁太郎(やまもと しげたろう)さんの誕生日は1948年11月14日です。山口出身の建設官僚、政治家のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。2014年に亡くなられているようです。
山本繁太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉3月15日)は、日本の政治家、元建設官僚。山口県知事(第46代)を務めた。 山口県柳井市出身。父は山口県柳井市議会議員を経て山口県議会議員を4期務めた山本眞太郎である。 山口県立柳井高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1972年(昭和47年)に建設省(後の国土交通省)に入省し、住宅局長等を歴任。以降は内閣府等を経て、麻生内閣のもとで務めた内閣官房地域活性化統合事務局長を最後に退官。 2008年(平成20年)には福田康夫内閣で初めての国政選挙となる衆議院山口2区補欠選挙に自由民主党公認、公明党推薦で立候補。この補選は山口2区選出の福田良彦(自民)が岩国市長選へ立候補するため議員辞職したこと(後に市長選に当選)に伴うものだった。選挙戦では比例中国ブロックの議席を辞して選挙区議席奪還に挑んだ平岡秀夫(民主党公認、社民党推薦)と激しい一騎討ちを展開し、福田康夫、安倍晋三、太田昭宏、麻生太郎、北側一雄、増田寛也ら自民党・公明党幹部らによる応援に支えられて自民党の議席維持を目指したが、獲得得票数は94,404票で、平岡とは約2万2千票差で落選した。 引き続き山口2区の自民党議席奪還を目指し、岩国市、柳井市、光市、下松市に後援会事務所を設けて政治活動を続け、同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では、山口2区で平岡と再び対決。柳井市や郡部では得票数が平岡を上回るなど、民主党への追い風が吹く状況下であったにもかかわらず補選時より票差を大きく縮めるも再び平岡に敗れた。比例中国ブロックにも重複立候補していたが、小選挙区での惜敗率は90.10%で自民党の重複立候補者の中では中川秀直・寺田稔に次ぐ3番目(比例名簿全体では6番目)となり、4名当選のため復活当選もならなかった。 2012年(平成24年)3月3日、山口県知事選挙に立候補することをいち早く表明。現職の二井関成の任期満了・引退に伴う自民党山口県連からの立候補要請に基づくもので、自民党県連・公明党県本部の推薦を受け無所属で立候補した。山本は港湾整備による臨海部産業強化や高度な産業人材育成、農林水産業の再生等を掲げ、同年7月29日の投開票にて飯田哲也、高邑勉らを下し初当選した。 2014年(平成26年)1月9日、自身の健康上の問題により、知事辞職願を山口県議会議長に提出し(詳細は後述)、1月14日に開かれた山口県議会臨時議会において当日付で知事の辞職が同意された。 2014年(平成26年)3月15日午前10時37分、肺がんのため山口県宇部市の病院で死去、65歳。死没日付をもって正四位に叙された。 1967年(昭和42年) - 山口県立柳井高等学校卒業 1972年(昭和47年) - 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業 1972年(昭和47年) - 建設省(現国土交通省)入省 1978年(昭和53年) - 建設省計画局調査統計課長補佐 1979年(昭和54年) - 建設省住宅局民間住宅課長補佐 1981年(昭和56年) - 熊本県企画開発部企画課長 2002年(平成14年) - 内閣府政策統括官(防災担当) 2004年(平成16年) - 国土交通省住宅局長 2006年(平成18年) - 国土交通審議官 2007年(平成19年) - 内閣官房地域活性化統合事務局長 2008年(平成20年) - 退官、自由民主党山口県第2選挙区支部長 2012年(平成24年) - 山口県知事就任 2014年(平成26年) - 山口県知事辞職。3月15日死去。 山本は2012年(平成24年)8月22日に知事に就任し初登庁したが、就任式における訓示の中で、知事選の最中からこじらせた肺炎が完治しないため9月7日まで入院することを明らかにした(この間の職務代理者は置いていない)。都道府県知事が就任初日に職務が執行できない健康状態であることを表明するのは極めて異例。ただし、同日午後の記者会見で「呼吸器の治療をしている」と述べ、就任式での「肺炎」との表現を改めた。詳細な病状は、治療中であることを理由に説明を避けた。 2013年(平成25年)10月28日、佐賀市で開かれた九州地方知事会の会議中に体調不良を訴え途中退席し、山口に戻った後に同日再び入院。11月定例県議会も欠席し、この間、副知事の藤部秀則を知事職務代理者とした。年が明けても体調が回復せず公務復帰の目途が立たないことから知事職の続行を断念。2014年(平成26年)1月9日、病院へ見舞いに訪れた山口県議会議長の柳居俊学に対して知事辞職願を提出した。これを受けて同年1月14日に開かれた山口県議会臨時議会において知事辞職が同意された。 大森雅夫岡山市長による追想が日本経済新聞(2015年12月11日付 『交遊抄』)及び岡山市ホームページ(岡山市長メールマガジン「桃太郎のまち岡山の挑戦」(60)、2015年12月11日号、【山本繁太郎さんを悼む~人間の器~】)に掲載された。 2016年5月1日、政策史検証実行委員会によって追想録『山本繁太郎とその時代』(全639ページ)が刊行された。 ^ 『建設省名鑑』時評社、1986年発行、15ページ ^ “攻防:衆院2区補選 「道路」の代理戦か--告示まで1週間 /山口”. 毎日新聞. (2008年4月8日). http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20080408ddlk35010695000c.html ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』サンケイ新聞データシステム、1984年7月。ASIN B000J715WQ。 ^ “選挙:衆院選・山口2区補選 告示、自・民一騎討ち--ねじれ国会に影響”. 毎日新聞. (2008年4月15日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080415dde001010041000c.html ^ “「二井県政を継承」山本氏、知事選出馬表明 産業再生に最重点”. 山口新聞. (2012年3月3日). オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160309121915/http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2012/0303/1p.html 2021年8月18日閲覧。 ^ “山口知事に山本氏=「脱原発」の飯田氏破る-オスプレイ搬入に反対”. 時事通信. (2012年7月30日). オリジナルの2013年1月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130104020749/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201207/2012073000036 ^ “山本知事の辞職同意=山口県議会”. 時事通信. (2014年1月14日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140202101231/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201401/2014011400388 ^ “山本繁太郎さん死去 前山口県知事”. 朝日新聞. (2014年3月15日). オリジナルの2014年12月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141210214016/http://www.asahi.com/articles/ASG3B621WG3BTZNB01D.html 2021年8月18日閲覧。 ^ “山本・前山口知事が死去、65歳”. 読売新聞. (2014年3月15日). オリジナルの2014年3月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140321063414/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20140315-OYS1T00400.htm ^ “山本繁太郎マニフェスト” (PDF). 山本しげたろう後援会. 2012年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月25日閲覧。 ^ “知事記者会見録・平成24年9月10日実施分”. 山口県/広報広聴課 (2012年9月12日). 2015年12月25日閲覧。 ^ “知事記者会見録・平成24年10月15日実施分”. 山口県/広報広聴課 (2012年10月17日). 2015年12月25日閲覧。 ^ “山口2区補選は自・民対決”. 中国新聞. (2008年4月15日). オリジナルの2008年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080603144057/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200804150231.html 2021年8月18日閲覧。 ^ “山本知事、就任即入院へ=肺炎で9月7日まで-山口県”. 時事通信. (2012年8月22日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2012082200377 2012年8月22日閲覧。 ^ “初登庁の山口県知事、肺炎で入院へ”. 日本経済新聞. (2012年8月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASJB2200M_S2A820C1000000/ 2021年8月18日閲覧。 ^ “22日就任の山口県知事「呼吸器の治療」で入院”. 日本経済新聞. (2012年8月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2203C_S2A820C1ACY000/ 2021年8月18日閲覧。 ^ “山本知事が入院 体調不良で会議途中退席”. 山口新聞. (2013年10月29日). オリジナルの2015年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151225170436/http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2013/1029/1.html 2014年1月11日閲覧。 ^ “知事の職務代理者に副知事設置”. 山口新聞. (2013年12月3日). オリジナルの2016年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160308181140/http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2013/1203/4p.html 2021年8月18日閲覧。 ^ “山口知事:入院先訪問の県議会議長に辞職願提出”. 毎日新聞. (2014年1月10日). オリジナルの2014年1月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140110221306/http://mainichi.jp/select/news/20140110k0000m010095000c.html 2014年1月10日閲覧。 ^ “福田政権4・27山口2区補選でトドメ”. 日刊ゲンダイ. (2008年4月1日). http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/04gendainet02036359/ ^ “岡山市長メールマガジン「桃太郎のまち岡山の挑戦」(60)、2015年12月11日号”. 岡山市/市政情報/岡山市長室 (2015年12月11日). 2016年8月29日閲覧。 ^ “山本繁太郎とその時代”. 国立国会図書館/サーチ/ジャンル:2.歴史>28.伝記>289.個人伝記 (2015年12月11日). 2016年8月29日閲覧。 ^ "山本繁太郎とその時代" - 東京大学OPAC、NCID BB21746090、2016年8月29日閲覧。 ^ “山本繁太郎とその時代”. 山口県立図書館 書誌情報. 2016年8月29日閲覧。 山口県知事一覧 山本しげたろう(公式サイト)(archive) 山本繁太郎 (yamamotoshigetaro) - Facebook 山本繁太郎 - YouTubeチャンネル 我が家のしげたろう(山本繁太郎長女のブログ) 表 話 編 歴 中野梧一参事→権令→県令 関口隆吉 原保太郎 原保太郎 大浦兼武 安楽兼道 秋山恕卿 古沢滋 武田千代三郎 渡邊融 馬淵鋭太郎 赤星典太 黒金泰義 林市蔵 中川望 橋本正治 三松武夫 大森吉五郎 黒崎真也 平井三男 岡田周造 菊山嘉男 戸塚九一郎 武井群嗣 佐々木芳遠 熊谷憲一 上田誠一 岡本茂 青柳一郎 田中龍夫 小澤太郎 橋本正之 平井龍 二井関成 山本繁太郎 村岡嗣政 VIAF 日本 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 山口県知事 衆議院議員総選挙の立候補経験者 自由民主党の人物 日本の内閣官房官僚 日本の国土交通官僚 構造計算書偽造問題 正四位受位者 東京大学出身の人物 山口県立柳井高等学校出身の人物 山口県出身の人物 肺癌で亡くなった人物 1948年生 2014年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2015年12月 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 日本の政治家関連のスタブ項目
2024/11/21 11:22更新
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