川喜田二郎の情報(かわきたじろう) 文化人類学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
川喜田 二郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
川喜田二郎の情報まとめ
川喜田 二郎(かわきた じろう)さんの誕生日は1920年5月11日です。三重出身の文化人類学者のようです。
卒業、現在に関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。
川喜田二郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年)5月11日 - 2009年(平成21年)7月8日)は、日本の地理学者、文化人類学者。東京工業大学名誉教授。 三重県出身。京都帝国大学文学部地理学科卒業。文学士。東京工業大学教授を経て川喜田研究所代表、筑波大学教授、中部大学教授。東京工業大学名誉教授。元日本ネパール協会会長。財団法人・日本エスペラント学会顧問。実父は、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれる川喜田半泥子で、兄は銀行家の川喜田壮太郎(異母)、実姉の澄子は民族学者岡正雄の妻。 中学生の頃より、先輩の今西錦司と山歩きに没頭。京都帝大時代は山岳部に入部し、今西錦司、森下正明、梅棹忠夫、吉良竜夫らと共に探検隊を結成しカロリン諸島や大興安嶺山脈を探検。大阪市立大学の助教授時代からはネパールを研究フィールドとするようになった。 生態学的な人文地理学を研究し、今西の生態学の人類方面の拡張を成し遂げた。 豊富な野外調査の経験を基に、情報整理と発想のための手法としてKJ法を開発。ブレインストーミング後の整理法として、野外科学のみならず企業などでも広く応用され、その著書である『発想法』(正・続、各・中公新書刊)と、『知の探検学』(講談社現代新書刊)は大きな評判を呼んだ。 1953年(昭和28年)にマナスル登山隊へ参加。有名シャンソン歌手イベット・ジローの名をもじって、「チベット二郎」の異名を持つほどの、チベット文化の理解者である。 1958年、西北ネパール学術探検隊長。1962年から東京工業大学教授。1963年~1964年、東南アジア稲作文化調査団長。 1963年(昭和38年)と1964年(昭和39年)の民族学調査をきっかけに、アンナプルナ山のふもとの山村の活性化と環境保全のため、NGO「ヒマラヤ保全協会」を結成した。中華人民共和国政権のチベット侵攻に際し、抗議の論陣を張りガンデンポタン(亡命政府)を支援し、頑として訪中しない方針を貫いた。 2009年(平成21年)7月8日、敗血症により満89歳で死去。 1920年(大正9年) 三重県津市に生まれる 1937年 京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)を卒業。在学中に山岳部に入る。 1941年(昭和16年) 第三高等学校理科を卒業 1942年 今西錦司を隊長とする北部大興安嶺探検隊に支隊長として参加 1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部地理学科卒業 1943年 - 1945年 昭和通商株式会社に勤務。その間、1944年2月に陸軍に召集された。 1945年 - 1946年 木原生物学研究所嘱託 1946年 - 1949年 東海大学予科教授 1950年(昭和25年)大阪市立大学法文学部(現:文学部)地理学教室助教授 1958年(昭和33年) 西北ネパール学術探検隊長 1960年(昭和35年)東京工業大学助教授 1961年(昭和36年)東京工業大学教授 1964年(昭和39年)日本ネパール協会を設立 1967年(昭和42年)KJ法発表 1969年(昭和44年)東京工業大学教授を辞任し、移動大学を始める 1970年(昭和45年)川喜田研究所を設立 1978年(昭和53年)
秩父宮記念学術賞受賞 1984年(昭和59年)マグサイサイ賞受賞 1985年(昭和60年)中部大学教授 1991年(平成3年)東京工業大学名誉教授 1993年(平成5年)第4回福岡アジア文化賞学術研究賞を受賞 2009年(平成21年)7月8日 没 ネパール王国探検記 日本人世界の屋根を行く (光文社カッパブックス 1957年、講談社文庫 1976年) 鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記 (光文社カッパブックス 1960年 復刻1995年、講談社文庫 1978年、講談社学術文庫 1992年) チベット人 鳥葬の民 (角川書店 1960年) ヒマラヤ―秘境に生きる人びと(保育社・カラーブックス 1962年)、第1巻目で高山龍三との共著 日本文化探検(講談社 1961年、講談社文庫 1973年) パーティー学 人の創造性を開発する法 (社会思想社・現代教養文庫 1964年) チームワーク 組織の中で自己を実現する (光文社カッパビジネス 1966年) 発想法 創造性開発のために (中公新書 1966年 改版2017年、中公文庫 1984年) 可能性の探険 地球学の構想 (講談社現代新書 1967年) 組織と人間 NHK現代科学講座 (日本放送出版協会 1967年) 続 発想法 KJ法の展開と応用 (中公新書 1970年) 野外科学の方法 思考と探検 (中公新書 1973年) 海外協力の哲学 ヒマラヤでの実践から (中公新書 1974年) 「知」の探検学 取材から創造へ (講談社現代新書 1977年) ひろばの創造 移動大学の実験 (中公新書 1977年) KJ法 渾沌をして語らしめる (中央公論社 1986年) 素朴と文明 (講談社 1987年、講談社学術文庫 1989年) ヒマラヤ・チベット・日本 (白水社 1988年) 創造と伝統 人間の深奥と民主主義の根元を探る (祥伝社 1993年)
野性の復興 デカルト的合理主義から全人的創造へ (祥伝社 1995年) 環境と人間と文明と (古今書院 1999年) 川喜田二郎著作集(全13巻別巻1)中央公論社 1995年 - 1998年
2巻 地域の生態史 3巻 野外科学の思想と方法 4巻 発想法の科学 5巻 KJ法 渾沌をして語らしめる 6巻 KJ法と未来学 7巻 組織開発論 8巻 移動大学の実験 9巻 国際技術協力と地球環境 10巻 ヒマラヤの文化生態学 11巻 チベット文明研究 12巻 アジア文明論 13巻 創造と伝統 別巻 私の人生論・年譜・著作目録・総索引 人間 人類学的研究 今西錦司博士還暦記念論文集(梅棹忠夫・上山春平共編 中央公論社 1966年) 現代の冒険6 未開の土地の部族(文藝春秋 1970年)責任編集 雲と水と 移動大学奮戦記(講談社 1971年) 移動大学 日本列島を教科書として(鹿島研究所出版会 1971年) ひろばの創造 移動大学の実験(中公新書 1977年) 神話と伝説の旅(ネパール叢書・古今書院 1981年)加藤千代共著 国際技術協力の哲学を求めて(名古屋大学出版会 1989年) ネパールの集落(ネパール叢書・古今書院 1992年) ヒマラヤに架ける夢 エコロジーと参画に基づいた山村活性化(文真堂 1995年) 京大探検部 1956-2006(新樹社 2006年)、京大探検者の会 編、創設50周年記念出版 融然の探検 フィールドサイエンスの思潮と可能性 (川喜田二郎記念編集委員会編、清水弘文堂書房 2012年)、記念論集 父 川喜田半泥子 (久太夫)- 銀行家、陶芸家。百五銀行第6代頭取。代々伊勢商人。川喜田家16代当主。 長兄 川喜田壮太郎 - 銀行家 次兄 川喜田俊二(明治39年生まれ) - 法政大学卒業後、明治生命保険勤務。妻・櫻子の父方祖父は明治生命保険創立者阿部泰蔵、母方祖父は古川宣誉 本人 (庶子) 川喜田二郎 - 地理学者、文化人類学者) 長弟 川喜田洋(大正12年生まれ)- 親戚で百五銀行創業者の一人である雲井憲二郎の養子となる 長姉 秋子(明治42年生まれ)- 三重県立高女出身、貴族院議員・仲田伝之𨱛包利の長男、日本勧業銀行員・仲田包寛に嫁す 次姉 多香子(大正2年生まれ)- 三重県立高女出身 三姉 紫子(大正5年生まれ)- 三重県立高女出身、李王職嘱託・松平義明に嫁す 長妹または四姉 薫(大正9年生まれ) 次妹または長妹 玲子(大正15年生まれ)- 髙島屋勤務、飯田鉄太郎に嫁す 妻・喜美子 長男・川喜田八潮(1952年生) - 文芸評論家。同志社大学文学部卒。駿台予備学校日本史科講師、成安造形大学特任助教授のほか、文学・思想誌「星辰」を主宰。 ^ “美の大巨人「川喜田半泥子」”. 喜左衛門ブログ. ツカキグループ. 2019年7月6日閲覧。 ^ 『移動大学』(鹿島出版社)著者紹介 ^ 川喜多喜美子・高山龍三編『川喜多二郎の仕事と自画像』(ミネルヴァ書房)P.255 ^ 川喜多喜美子・高山龍三編『川喜多二郎の仕事と自画像』(ミネルヴァ書房)P.254 ^ 『第三高等学校一覧・京都臨時教員養成所一覧. 昭和16年度』第三高等学校、1942年、131頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275348/70。 ^ 川喜多喜美子・高山龍三編『川喜多二郎の仕事と自画像』(ミネルヴァ書房)P.157 ^ 川喜田久太夫『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』(人事興信所, 1941) ^ 阿部泰二『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』 (人事興信所, 1941) ^ 川喜田家(三重県)閨閥学 ^ 雲井憲二郎 ー百五銀行の創業者一門、雲井家の系譜ー ^ 松平義明(従五位)|松平義生 ー旧美濃高須藩主・松平子爵家ー ^ 飯田鉄太郎(高島屋創業者・飯田新七孫)|飯田新七 ー高島屋の創業者一族ー ^ 『J‐POPの現在〈1〉“生き難さ”を超えて』著者紹介 今西錦司 森下正明 吉良竜夫 梅棹忠夫 上山春平 岩田慶治 藤岡喜愛 小松左京 川喜田二郎 一日一言 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 日本の文化人類学者 20世紀日本の地理学者 福岡アジア文化賞受賞者 マグサイサイ賞受賞者 日本のチベット研究者 日本のアジア探検家 日本のエスペランティスト 文学士取得者 東京工業大学の教員 筑波大学の教員 中部大学の教員 大阪市立大学の教員 京都大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 京都府立洛北高等学校・附属中学校出身の人物 三重県出身の人物 日本・ネパール関係 1920年生 2009年没 プロジェクト人物伝項目 2024/11/21 22:31更新
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kawakita jirou
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