川崎弘子の情報(かわさきひろこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
川崎 弘子さんについて調べます
■名前・氏名 |
川崎弘子と関係のある人
瀬川伸: 当時、流行歌手を育成する学校を主宰していた江口夜詩は、瀬川を自らの口利きでコロムビアレコードに紹介し、川崎弘子・夏川大二郎・木暮実千代が主演した松竹映画「春雷」の主題歌「街の姫百合」をミス・コロムビアとデュエットし、レコードデビュー。 筑波雪子: 琵琶歌 監督野村芳亭、原作大倉桃郎、主演川崎弘子、岡譲二 ※サウンド版 日高真弓: 川崎弘子 石橋エータロー: エータローが3歳のときに、父の蘭童が映画撮影のために出かけたロケーション先で女優川崎弘子を強姦するという事件を起こした。 野村浩将: 同年に監督した川崎弘子主演の映画『人妻椿』、1938年(昭和13年)に監督した田中絹代主演映画『愛染かつら』で名を馳せる。 岡田嘉子: しかし栗島すみ子、田中絹代、川崎弘子ら人気スターのあいだにおいては、若さの盛りにスターの座を退いた嘉子は華やかさで彼女らには及ばず、役にも恵まれず小津安二郎の『また逢う日まで』『東京の女』の主演以外は意欲の湧かないものばかりであった。 柳さく子: 衣笠貞之助監督『忠臣蔵』前後編(1932年)では戸田局(川崎弘子が演じた瑤泉院の侍女)を演じ、『鈴木新内』(1935年)では飯塚、『鳥辺心中 お染半九郎』(1936年)では長二郎のそれぞれ母親役を演じた。 及川道子: しかし、島津監督の『野に叫ぶもの』2部作(1931年)では、鈴木伝明の妹役を好演し、田中絹代や川崎弘子らと並ぶ人気を獲得する。 伊達里子: 『ダンスガールの悲哀』(佐々木恒次郎監督)では、川崎弘子、結城一郎と共演。翌1930年、小津安二郎監督、高田稔、川崎弘子の出演する『朗らかに歩め』に助演。 河村黎吉: 1939年(昭和14年)1月、吉川満子、川崎弘子とともに大幹部待遇に昇格した。 佐伯秀男: 同年10月21日には、京都座での川崎弘子の舞台初出演『すみだ川』が上演されたが、佐伯はこれに伊庭駿三郎とともに特別出演している。 |
川崎弘子の情報まとめ
川崎 弘子(かわさき ひろこ)さんの誕生日は1912年4月5日です。神奈川出身の女優のようです。
現在、父親、卒業、ドラマ、事件、離婚、結婚、病気、引退、子役、姉妹、映画、母親に関する情報もありますね。1976年に亡くなられているようです。
川崎弘子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)川崎 弘子(かわさき ひろこ、1912年〈明治45年〉4月5日 - 1976年〈昭和51年〉6月3日)は日本の女優。本名は 現在の川崎市川崎区の川崎大師のすぐ前の家に生まれる。実家は和菓子屋だったが、父親が他の事業に手を出して失敗、病死する。父親を早くに失ったため、大師高等小学校卒業後に料理屋やガラス工場で働き、その赤貧の時代に、俳優の木村健児にスカウトされて、1929年(昭和4年)2月、松竹蒲田に入社。芸名の川崎弘子は川崎大師と弘法大師にちなんで付けられた。佐々木恒次郎監督の『女性の力』でデビューする。 主にメロドラマで活躍し、翌年1月には早くも準幹部になる。哀愁のある美人スターとしてトップスターとなり、1932年(昭和7年)1月には幹部となる。同年大磯の坂田山心中事件を扱った五所平之助監督の『天国に結ぶ恋』の主役を演じて大ヒットし、さらに同年五所監督の『不如帰』では林長二郎と共演。 1935年(昭和10年)、離婚歴があり、麻雀賭博や結婚詐欺の疑いで何度も警察の厄介になっている福田蘭童と結婚したため人気は急速に低下した。しかし1936年(昭和11年)に佐分利信を相手に主演した『人妻椿』は空前の大ヒットとなった。1939年(昭和14年)1月に大幹部となる。 1942年(昭和17年)より病気で休みがちになり、役も小さくなり1947年(昭和22年)に引退。1951年(昭和26年)にカムバックしたが1958年(昭和33年)に完全引退。 1970年(昭和45年)から肝臓を冒され、1976年(昭和51年)、肝硬変で死去。墓所は川崎市平間寺。 ステッキガール 1929年4月27日 松竹・蒲田 - ステッキガール・千代子役 人生の裏路 1929年 松竹・蒲田 朗かに歩め 1930年 松竹・蒲田 - 杉本やす江役 不景気時代 1930年5月2日 松竹・蒲田 - 令嬢役 青春の血は躍る 1930年 松竹・蒲田 若者よなぜ泣くか 1930年 松竹・蒲田 淑女と髯 1931年 松竹・蒲田 - 広子役 人生の風車 1931年 松竹・蒲田 青春図会 1931年 松竹・蒲田 - 笛美役 生活線ABC 1931年 松竹・蒲田 七つの海 前篇 処女篇 1931年12月23日 松竹・蒲田 - 曽根弓枝役 若き日の感激 1931年 松竹・蒲田 七つの海 後篇 貞操篇 1932年2月11日 松竹・蒲田 - 曽根弓枝役 天国に結ぶ恋 1932年 松竹・蒲田 - 藤山綾子役 不如帰 1932年 松竹・蒲田 - 浪子役 歓喜の一夜 1932年 松竹・蒲田 忘られぬ花 1933年 松竹・蒲田 沈丁花 1933年 松竹・蒲田 - 池田有為子役 地上の星座 前篇 地上篇 1934年 松竹・蒲田 地上の星座 後篇 星座篇 1934年 松竹・蒲田 生きとし生けるもの 1934年 松竹・蒲田 情炎の都市 1934年 松竹・蒲田 金環蝕 1934年 松竹・蒲田 くらやみの丑松 1935年 松竹・下加茂 与太者と若夫婦 1935年 松竹・蒲田 人妻椿 1936年 松竹・大船 - 嘉子役 金色夜叉 1936年 松竹・大船 - 鴨沢宮役 進軍の歌 1937年 松竹・大船 - お千代役 女性の戦ひ 1939年 松竹・大船 春雷 前篇 愛路篇 1939年 松竹・大船 春雷 後篇 審判篇 1939年 松竹・大船 新女性問答 1939年 松竹・大船 - お葉役(主演) 日本の妻 前篇 流転篇 後篇 苦闘篇 1939年 松竹・大船 桑の実は紅い 1939年 松竹・大船 - お政役 女次郎長 1939年 松竹・下加茂 - お長役 暁の合唱 1941年 松竹・大船 - 小出米子役 男の意氣 1942年 松竹・大船 - 郁子役 歌麿をめぐる五人の女 1946年 松竹・京都 - お蘭役 わかれ雲 1951年 エイトプロ - おせん役 秘めたる母 1953年 東宝 大阪の宿 1954年 新東宝 - おつぎ役 姉妹 1955年 独立映画 - 近藤りえ役 乳房よ永遠なれ 1955年 日活 - たつ子役 ^ 母と妹を養う必要があった。『サンデー毎日』大阪毎日新聞社 1935年9月29日號、p.14 ^ 伊東孝 『東京再発見―土木遺産は語る』(岩波新書、1993年)などによると、名付け親は金森誠之とされている。 ^ 1933年(昭和8年)3月末、川崎主演のサウンド版『忘られぬ花』に福田が尺八演奏を入れたのを機に両者は知り合い、同年4月18日銀座パレスでの川崎病気全快祝いから親しく言葉を交わすようになり、8月末川崎とその妹が鎌倉に遊びに来ると福田が箱根まで案内し、さらに熱海へと足を延ばし、初島への船中で福田が求婚。9月1日、川崎の自宅へ母親を訪問し、婚約指輪を贈る。互いの母親の承諾のもとに同年11月頃婚約成立。当時22歳であった川崎が26歳になるのを待ち結婚することとなっていた。『サンデー毎日』大阪毎日新聞社 1934年4月8日號、p.29、『話』文藝春秋社 1935年7月號、pp.7-8 ^ 城戸四郎、菊池寛両夫妻が媒酌人を引き受け神宮奉齋会で挙式。「時事新報写真ニュース 大團圓」1935年11月7日号、猪俣勝人、田山力哉共著『日本映画俳優全史 女優編』社会思想社 1977年、p.50 ^ 「自分はそんなに多くの女を相手にしていたんですね」“昭和のドンファン”福田蘭童結婚詐欺事件とは 父は天才画家、息子はクレイジー・キャッツ…福田蘭童結婚詐欺事件 #1小池新、文春オンライン、2020/10/11 ^ 川崎弘子 - 『デジタル版日本人名大辞典Plus』講談社(コトバンク) 松竹キネマ 松竹蒲田撮影所 松竹大船撮影所 松竹 石橋エータロー - 義理の息子にあたる。 日本映画データベース 川崎 弘子 川崎弘子 松竹蒲田の哀愁女優 - 『時代を拓いた女たち』神奈川新聞社、2005年 ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data アメリカ 日本の女優 松竹の俳優 サイレント映画の俳優 川崎市出身の人物 1912年生 1976年没 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/20 10:51更新
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