もしもし情報局 > 1921年 > 5月7日 > 野球選手

川崎徳次の情報 (かわさきとくじ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

川崎徳次の情報(かわさきとくじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

川崎 徳次さんについて調べます

■名前・氏名
川崎 徳次
(読み:かわさき とくじ)
■職業
野球選手
■川崎徳次の誕生日・生年月日
1921年5月7日 (年齢2006年没)
酉年(とり年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
佐賀出身

川崎徳次と同じ1921年生まれの有名人・芸能人

川崎徳次と同じ5月7日生まれの有名人・芸能人

川崎徳次と同じ出身地佐賀県生まれの有名人・芸能人


川崎徳次の情報まとめ

もしもしロボ

川崎 徳次(かわさき とくじ)さんの誕生日は1921年5月7日です。佐賀出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

病気、卒業、引退、現在に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。

川崎徳次のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 2006年4月25日)は、佐賀県三養基郡鳥栖町(現・鳥栖市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。

龍谷中学に入学し、1年生の終わりに陸軍幼年学校を受験するが痔疾により不合格となり、久留米商業学校に入学しなおす。一年生の有馬・立花杯(福岡県南部の運動大会)で病気で欠場した最上級生に代わってマウンドに上がると、以降卒業するまでエースを守り、最上級生の5年生の時には主将も務めて、夏の甲子園の福岡県予選ではベスト8まで進出する。

卒業時には、大学では早稲田大学と立教大学から、職業野球では阪急とセネタースからそれぞれ勧誘を受けるが、久留米商業の先輩がいた満州の撫順炭鉱に入社する。1940年の第14回都市対抗野球大会では満鉄倶楽部の投手として出場。予選では元大阪タイガースの西村幸生を擁する新京電電を破って満州代表となり、本戦では2回戦で大連実業に敗れる。しかし、大会2連覇中で優勝候補であった藤倉電線を1回戦で破ったことから注目されて、同年のシーズン途中の11月に南海に投手として入団。契約金2000円、月給150円であった。また、日本大学夜間部にも在籍していた。

1941年46試合に登板して12勝、1942年はシーズン途中で盲腸炎のためシーズン途中でリタイヤするも41試合で15勝と、南海では神田武夫に次ぐ主戦投手として活躍し、1941年の東西対抗戦に西軍の投手として出場した。この頃が川崎の現役時代で最も球速があった時期で、鈴木惣太郎から球界で一番速いと賞賛されている。1942年に応召して、ビルマのマンダレーで終戦を迎え、戦後は強制収容所での拘留生活を送った。

1946年10月に監督の中島治康の勧誘もあり読売ジャイアンツに入団してプロ野球界に復帰。同年は1試合のみの登板だったが、セネタースの大下弘にプロ野球新記録の1シーズン20本目の本塁打を献上している。1947年からはオーバースローからスリークォーターに投法を変えたことで、シュートの切れ味が増してシンカー気味の落ちる球となり、打者をことごとく内野ゴロに仕留め、チームの勝ち頭となる24勝を挙げる。1948年も27勝、防御率2.31(リーグ7位)を記録し、同僚の中尾碩志とともに最多勝利のタイトルを分け合った。しかし、頼られると意気に感じて投げる川崎は、中尾より監督の三原脩に頼りにされていたという。1948年5月29日の対中日ドラゴンズ戦(宇治山田球場)では、1点リードの9回無死1塁の場面でリリーフ登板したが、最初の打者である杉山悟に初球を逆転サヨナラ本塁打され、プロ野球史上初の「1球敗戦投手」になっている。

1949年も藤本英雄(24勝)に次ぐ19勝を挙げ、巨人の戦後初優勝に貢献した。同年4月26日に金沢兼六園球場で行われた対大映スターズ戦では、8被本塁打で13失点しながら、自らも3本塁打含む4安打9打点で完投勝利を収めた。この試合で記録した3本塁打は当時のプロ野球タイ記録で、しかも、川崎はこの試合まで1本も本塁打を打ったことがなかった。9打点も当時のプロ野球新記録であり、川崎は自ら取られた点を、自らのバットで取り戻したことになる。完投勝利投手の失点13、1試合の被本塁打8本はいずれも未だにプロ野球記録となっている。また、同年の暮れにAAのサンフランシスコ・シールズが来日し戦後初の日米野球が行われたが、その第1戦に皇太子明仁親王やマッカーサー元帥夫人らが観戦する中、巨人の先発として登板する。しかし、川崎の投球はマイナーリーグのチームにも歯が立たず、1死も取れずに降板してしまった。

1950年2リーグ分裂に伴って、郷土福岡に創設された西鉄クリッパース(後の西鉄ライオンズ)に請われて移籍する。この移籍は円満に推移し、西鉄がエースの譲渡に関する巨人への感謝広告を全国紙に出すほどであった。しかし、移籍に関連してシーズンオフに十分なトレーニングができないまま、3月20日の初登板でシュートを投じたところ肘を痛める。肘の故障によってシュートが思うように投げられなくなったため、12勝にとどまる。なお、この年の8月26日の対大映スターズ戦では、林義一と投げ合い1-1の9回裏に投手ながらサヨナラ本盗を決めている。その後も、1951年12勝、1952年13勝と15勝の壁を破れない時期が続く。しかし、西鉄移籍後は主将を務め、1951年には三原脩の監督招聘を提案し、川崎自身が三原への使者役も務めた。

1953年は肘が回復するとともに、新たにナックルボールをマスターして緩急の差で打者を封じ、24勝15敗、防御率1.98で最多勝利と最優秀防御率の2冠を獲得し最優秀投手に選ばれた。1954年も開幕から好調で5月下旬までに7勝を挙げるが、一過性肺浸潤を患って8月中旬まで戦列を離れ、シーズンでは10勝に留まる。同年の日本シリーズでは日本シリーズ初先発で無四球完封勝利を飾っている。1955年は17勝を挙げ6年連続二桁勝利を達成した。

1956年になると監督の三原脩は若手投手を積極的に起用するようになり、島原幸雄・稲尾和久・西村貞朗の20歳前後の投手3人が20勝、河村久文が18勝を記録する傍らで、川崎の登板機会は減り2勝に終わる。しかし、2勝は何れも完投で、うち1つは完封であった。1957年に現役を引退

引退後は投手コーチや助監督を務め、三原脩監督時代の西鉄黄金時代を支えた。三原退団後の1960年から2年間は西鉄の監督を務めて2年連続Aクラスを守るが、中西太を初めとして故障者が続出した事もあって優勝はできなかった。西鉄本社は川崎のチーム掌握術への批判もあいまって解任され、後任監督には選手兼任で中西が就任した。1962年3月5日の対巨人とのオープン戦で引退試合が行われ、この試合で川崎はコーチボックスで指揮を執っている。同年からはフロント入りし、球団常務として辣腕を振るい、スカウト担当として池永正明を入団させた。

1967年には阪神タイガースの藤本定義監督の下で一軍投手コーチを務め、新人であった江夏豊のピッチングの原型を作ったと言われている。一方で、江夏は後に「あるとき投手コーチから、カーブを投げてみろ、と言われた。そんなボールは投げたことがなかったから、投げ方を知りません、と答えた。そうしたらあきれた顔をしていたね。お前、カーブも投げられないのにプロに入ってきたのか、って言われたのを覚えている。監督や他のコーチもマウンドに来て、みんなゲラゲラ笑っていたなあ」と振り返っている。結局、1年目の江夏は、村山実・若生智男・権藤正利ら先輩投手にカーブの投げ方を教わるしかなくなったという。

阪神退団後、東京の友人から「八重洲に店を出さないか」との誘いを受け、1968年の1年間はうどん屋に修行に行って腕を磨いたのち、1969年から1978年にかけては東京駅の八重洲地下街に20坪の博多うどん屋を経営。店の保証金など定価を払って出店し、早朝から四斗樽2杯分の出汁を自分で作る。椅子は27、テーブルが7つという店であったが、九州の味が評判になって成功した。1979年からは鳥栖に帰郷して喫茶店を経営し、その後は福岡県久留米市に在住。久留米井筒屋内での喫茶店経営の傍ら、RKB毎日放送解説者を務めた。1985年には西鉄ライオンズOB会発足と共に初代OB会長に就任し、池永正明を初めとする選手の名誉回復に西武ライオンズとのOB会統一活動で大きく貢献した。

2006年4月25日、胆管癌のため福岡県久留米市の病院で死去。享年86(満84歳没)。

ピッチングのテンポが速く、快速球とシュート、ドロップを得意としたほか、のちにシンカーやナックルボールも持ち球としていた。直球は打ちごろであるベルトあたりのちょっと上へ投げて、打者の盲点をうまく突いていた。打者の肩口にあれだけ威力のある速球を投げられたのは、スタルヒンと川崎だけとも評された。ナックルボールは、二本の指を使ってボールを押し出すように投げるものと、スピンをかけて落ちるように投げるものの2種類を使い分けた。また、球持ちが長いため、打者はタイミングが非常に取りづらかったという。加えて、技巧や打者との駆け引きも得意とし、特に打者のタイミングを外すピッチングに独特の冴えを見せた。

川崎はピッチャープレートの左端を踏んだ時は決まってシュートを投げる傾向があったことから、中日の大沢清や南海の田川豊からこの癖を見破られ、シュートを徹底的に狙い撃たれカモにされた。

各年度の太字はリーグ最高

1960年は130試合制(引き分けは再試合)

1961年は140試合制

最多勝利:2回 (1948年、1953年)

最優秀防御率:1回 (1953年)

ベストナイン:1回 (投手部門:1953年)

最優秀投手:1回 (1953年)

1949年4月26日対大映スターズ戦に関する記録、いずれも達成当時のもの

    1試合最多本塁打:3 ※投手としてはNPBタイ記録(1967年に堀内恒夫が並ぶ)。当時のNPBタイ記録(1951年に岩本義行が更新〔4本塁打〕)

    1試合最多打点:9 ※投手としてはNPB記録。当時のNPB記録(1951年に飯島滋弥が更新〔11打点〕)

    最多失点完投勝利:13 ※NPB記録

    1試合最多被本塁打:8 ※NPB記録

    1試合最多本塁打(両チーム):13 ※NPB記録

    1球敗戦投手:1948年5月29日、対中日ドラゴンズ戦、杉山悟にサヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手 ※史上初

    オールスターゲーム出場:3回 (1951年 - 1953年)

    複数球団での最多勝 ※NPB史上3人目

    21 (1940年 - 1942年、1947年 - 1958年)

    26 (1946年)

    55 (1959年)

    30 (1960年 - 1961年)

    56 (1967年)

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』50頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』56頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』57頁

    ^ 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年、45頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』59頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』61頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』62頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』64頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』70頁

    ^ 『プロ野球記録大鑑』723頁

    ^ 立石泰則『魔術師、三原脩と西鉄ライオンズ』文藝春秋、1999年、132-148頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』74頁

    ^ 『ライオンズ60年史―獅子の記憶ー「西鉄」から「埼玉西武」まで』ベースボール・マガジン社、36-37頁

    ^ 『九州ライオンズ激闘史1950-1978』62頁、ベースボールマガジン社、2014年、P62

    ^ 『プロ野球記録大鑑』202頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』78頁

    ^ 『巨人軍の男たち』106頁

    ^ 江夏豊インタビュー(5)完-(菅谷 齊=共同通信)

    ^ 江夏 豊「江夏豊の超野球学―エースになるための条件」ベースボールマガジン社、2004年4月1日、ISBN 4583037937、p25, p73。

    ^ 澤宮優「プロ野球残侠伝―サムライ達のいる風景」2009年、パロル舎、ISBN 4894190834、p161

    ^ プロ野球残侠伝、p162

    ^ 『プロ野球二十五年』報知新聞社、1961年

    ^ 『巨人軍の男たち』103頁

    ^ 『後楽園球場のサムライたち』69頁

    ^ 『日本プロ野球記録大鑑』407,438,439頁

    ^ 『日本プロ野球記録大鑑』844頁

    川崎徳次『戦争と野球 兵隊にされたプロ野球選手』ベースボールマガジン社、1997年

    澤宮優『後楽園球場のサムライたち』現代書館、2006年

    千葉茂『巨人軍の男たち』東京スポーツ新聞社、1984年

    宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』講談社、1993年

    佐賀県出身の人物一覧

    福岡ソフトバンクホークスの選手一覧

    読売ジャイアンツの選手一覧

    埼玉西武ライオンズの選手一覧

    個人年度別成績 川崎徳次 - NPB.jp 日本野球機構

    宮崎要 1950

    三原脩 1951 - 1959

    川崎徳次 1960 - 1961

    中西太 1962 - 1969

    稲尾和久 1970 - 1974

    江藤慎一 1975

    (レオ・ドローチャー 1976当初)

    鬼頭政一 1976 - 1977

    根本陸夫 1978 - 1981

    広岡達朗 1982 - 1985

    森祇晶 1986 - 1994

    東尾修 1995 - 2001

    伊原春樹 2002 - 2003

    伊東勤 2004 - 2007

    渡辺久信 2008 - 2013

    伊原春樹 2014

    田邊徳雄 2015 - 2016

    辻発彦 2017 - 2022

    松井稼頭央 2023 - 2024

    西口文也 2025 - 現在

    1950 荒巻淳

    1951 江藤正

    1952 野口正明

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司, 田中文雄

    1955 宅和本司

    1956 三浦方義

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保征弘

    1963 稲尾和久

    1964 小山正明

    1965 尾崎行雄

    1966 米田哲也

    1967 池永正明

    1968 皆川睦男

    1969 鈴木啓示

    1970 成田文男

    1971 木樽正明

    1972 山田久志, 金田留広

    1973 成田文男

    1974 金田留広

    1975 東尾修

    1976 山田久志

    1977 鈴木啓示

    1978 鈴木啓示

    1979 山田久志

    1980 木田勇

    1981 今井雄太郎, 村田兆治

    1982 工藤幹夫

    1983 東尾修, 山内和宏

    1984 今井雄太郎

    1985 佐藤義則

    1986 渡辺久信

    1987 山沖之彦

    1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

    1989 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信, 野茂英雄

    1991 野茂英雄

    1992 野茂英雄

    1993 野田浩司, 野茂英雄

    1994 伊良部秀輝

    1995 K.グロス

    1996 K.グロス

    1997 西口文也, 小池秀郎

    1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

    1999 松坂大輔

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 涌井秀章

    2008 岩隈久志

    2009 涌井秀章

    2010 和田毅, 金子千尋

    2011 D.ホールトン, 田中将大

    2012 攝津正

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平, 涌井秀章

    2016 和田毅

    2017 東浜巨, 菊池雄星

    2018 多和田真三郎

    2019 有原航平

    2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 有原航平, 伊藤大海

    1950 荒巻淳

    1951 柚木進

    1952 柚木進

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司

    1955 中川隆

    1956 稲尾和久

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保田治

    1963 久保征弘

    1964 妻島芳郎

    1965 三浦清弘

    1966 稲尾和久

    1967 足立光宏

    1968 皆川睦男

    1969 木樽正明

    1970 佐藤道郎

    1971 山田久志

    1972 清俊彦

    1973 米田哲也

    1974 佐藤道郎

    1975 村田兆治

    1976 村田兆治

    1977 山田久志

    1978 鈴木啓示

    1979 山口哲治

    1980 木田勇

    1981 岡部憲章

    1982 高橋里志

    1983 東尾修

    1984 今井雄太郎

    1985 工藤公康

    1986 佐藤義則

    1987 工藤公康

    1988 河野博文

    1989 村田兆治

    1990 野茂英雄

    1991 渡辺智男

    1992 赤堀元之

    1993 工藤公康

    1994 新谷博

    1995 伊良部秀輝

    1996 伊良部秀輝

    1997 小宮山悟

    1998 金村暁

    1999 工藤公康

    2000 戎信行

    2001 N.ミンチー

    2002 金田政彦

    2003 斉藤和巳, 松坂大輔

    2004 松坂大輔

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 ダルビッシュ有

    2011 田中将大

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平

    2016 石川歩

    2017 菊池雄星

    2018 岸孝之

    2019 山本由伸

    2020 千賀滉大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 L.モイネロ

    1953 川崎徳次

    1954 西村貞朗

    1955 中村大成

    1956 島原幸雄

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 斉藤和巳

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉

    2010 杉内俊哉

    2011 田中将大

    2012 攝津正

     投  川崎徳次

     捕  松井淳

     一  飯田徳治

     二  岡本伊三美

     三  中西太

     遊  木塚忠助

     外  堀井数男 / 別当薫 / 大下弘

    1936秋 沢村栄治

    1937春 沢村栄治

    1937秋 西村幸生, V.スタルヒン, 野口明

    1938春 V.スタルヒン

    1938秋 V.スタルヒン

    1939 V.スタルヒン

    1940 須田博

    1941 森弘太郎

    1942 野口二郎

    1943 藤本英雄

    1944 若林忠志

    1946 白木義一郎

    1947 別所昭

    1948 川崎徳次, 中尾碩志

    1949 V.スタルヒン

    1950 若林忠志

    1951 江藤正

    1952 大神武俊

    1953 大神武俊

    1954 西村貞朗

    1955 柚木進

    1956 川崎徳次

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 中西勝己

    1961 J.スタンカ

    1962 土橋正幸

    1963 稲尾和久

    1964 J.スタンカ

    1965 杉浦忠

    1966 渡辺泰輔

    1967 米田哲也

    1968 石井茂雄

    1969 石井茂雄

    1970 木樽正明

    1971 足立光宏

    1972 山田久志

    1973 江本孟紀

    1974 金田留広

    1975 足立光宏

    1976 山田久志

    1977 山田久志

    1978 山田久志

    1979 井本隆

    1980 井本隆

    1981 高橋一三

    1982 松沼博久

    1983 松沼博久

    1984 山田久志

    1985 松沼博久

    1986 東尾修

    1987 東尾修

    1988 渡辺久信

    1989 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信

    1991 工藤公康

    1992 渡辺久信

    1993 工藤公康

    1994 渡辺久信

    1995 佐藤義則

    1996 星野伸之

    1997 西口文也

    1998 西口文也

    1999 工藤公康

    2000 若田部健一

    2001 J.パウエル

    2002 松坂大輔

    2003 斉藤和巳

    2004 石井貴

    2005 清水直行

    2006 ダルビッシュ有

    2007 ダルビッシュ有

    2008 涌井秀章

    2009 武田勝

    2010 成瀬善久

    2011 和田毅

    2012 吉川光夫

    2013 則本昂大

    2014 J.スタンリッジ

    2015 武田翔太

    2016 大谷翔平

    2017 千賀滉大

    2018 千賀滉大

    2019 千賀滉大

    2020 千賀滉大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 有原航平

    1950 木下勇

    1951 武末悉昌

    1952 川崎徳次

    1953 川崎徳次

    1954 太田正男

    1955 長坂衛

    1956 河村久文

    1957 島原幸雄

    1958 河村久文

    1959 島原幸雄

    1960 稲尾和久

    1961 稲尾和久

    1962 稲尾和久

    1963 稲尾和久

    1964 田中勉

    1965 田中勉

    1966 田中勉

    1967 田中勉

    1968 池永正明

    1969 与田順欣

    1970 池永正明

    1971 高橋明

    1972 高橋明

    1973 加藤初

    1974 三浦清弘

    1975 東尾修

    1976 東尾修

    1977 東尾修

    1978 山下律夫

    1979 東尾修

    1980 東尾修

    1981 東尾修

    1982 森繁和

    1983 高橋直樹

    1984 東尾修

    1985 東尾修

    1986 東尾修

    1987 東尾修

    1988 工藤公康

    1989 工藤公康

    1990 渡辺久信

    1991 渡辺久信

    1992 工藤公康

    1993 渡辺久信

    1994 郭泰源

    1995 郭泰源

    1996 新谷博

    1997 西口文也

    1998 西口文也

    1999 西口文也

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 松坂大輔

    2003 松坂大輔

    2004 松坂大輔

    2005 松坂大輔

    2006 西口文也

    2007 西口文也

    2008 涌井秀章

    2009 涌井秀章

    2010 涌井秀章

    2011 涌井秀章

    2012 涌井秀章

    2013 岸孝之

    2014 岸孝之

    2015 牧田和久

    2016 菊池雄星

    2017 菊池雄星

    2018 菊池雄星

    2019 多和田真三郎

    2020 Z.ニール

    2021 髙橋光成

    2022 髙橋光成

    2023 髙橋光成

    2024 今井達也

    1936夏 沢村栄治

    1936秋 沢村栄治

    1937春 沢村栄治

    1937秋 沢村栄治

    1938春 V.スタルヒン

    1938秋 前川八郎

    1939 川上哲治

    1940 V.スタルヒン

    1941 須田博

    1942 広瀬習一

    1943 須田博

    1944 藤本英雄

    1946 近藤貞雄

    1947 川崎徳次

    1948 川崎徳次

    1949 多田文久三

    1950 藤本英雄

    1951 別所毅彦

    1952 藤本英雄

    1953 別所毅彦

    1954 大友工

    1955 別所毅彦

    1956 別所毅彦

    1957 大友工

    1958 藤田元司

    1959 伊藤芳明

    1960 伊藤芳明

    1961 中村稔

    1962 城之内邦雄

    1963 伊藤芳明

    1964 高橋明

    1965 金田正一

    1966 金田正一

    1967 城之内邦雄

    1968 金田正一

    1969 金田正一

    1970 高橋一三

    1971 渡辺秀武

    1972 堀内恒夫

    1973 堀内恒夫

    1974 高橋一三

    1975 堀内恒夫

    1976 堀内恒夫

    1977 堀内恒夫

    1978 堀内恒夫

    1979 新浦寿夫

    1980 江川卓

    1981 西本聖

    1982 江川卓

    1983 西本聖

    1984 江川卓

    1985 西本聖

    1986 江川卓

    1987 西本聖

    1988 桑田真澄

    1989 桑田真澄

    1990 斎藤雅樹

    1991 槙原寛己

    1992 槙原寛己

    1993 斎藤雅樹

    1994 斎藤雅樹

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹

    1997 斎藤雅樹

    1998 桑田真澄

    1999 B.ガルベス

    2000 上原浩治

    2001 上原浩治

    2002 上原浩治

    2003 上原浩治

    2004 上原浩治

    2005 上原浩治

    2006 上原浩治

    2007 内海哲也

    2008 高橋尚成

    2009 S.グライシンガー

    2010 内海哲也

    2011 東野峻

    2012 内海哲也

    2013 宮國椋丞

    2014 菅野智之

    2015 菅野智之

    2016 菅野智之

    2017 M.マイコラス

    2018 菅野智之

    2019 菅野智之

    2020 菅野智之

    2021 菅野智之

    2022 菅野智之

    2023 T.ビーディ

    2024 戸郷翔征

    ISNI

    VIAF

    日本

    日本の野球選手

    久留米市立久留米商業高等学校出身の野球選手

    福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手

    読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手

    埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手

    最多勝利 (NPB)

    最優秀防御率 (NPB)

    NPBオールスターゲーム選出選手

    阪神タイガース関連人物

    日本の野球監督

    埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の監督

    20世紀日本の実業家

    捕虜となった人物

    佐賀県出身のスポーツ選手

    1921年生

    2006年没

    胆管癌で亡くなった人物

    ISBNマジックリンクを使用しているページ

    野球に関する記事

    プロジェクト人物伝項目

    ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

    ISNI識別子が指定されている記事

    VIAF識別子が指定されている記事

    NDL識別子が指定されている記事

2024/12/02 11:12更新

kawasaki tokuji


川崎徳次と同じ誕生日5月7日生まれ、同じ佐賀出身の人

河野 昌人(かわの まさと)
1978年5月7日生まれの有名人 佐賀出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 河野 昌人(かわの まさと、1978年5月7日 - 2017年6月16日)は、プロ野球選手(投手)。佐賀県佐賀市出身。 小学3年次に…

永江 恭平(ながえ きょうへい)
1993年5月7日生まれの有名人 佐賀出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 永江 恭平(ながえ きょうへい、1993年5月7日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学校1年生の…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


川崎徳次と近い名前の人

川崎美千江(かわさき みちえ)
1981年12月18日生まれの有名人 大阪出身

川崎美千江(かわさき みちえ、1981年12月18日 - )は日本の女性タレント・ローカルタレント・空手家。大阪府門真市出身。 趣味は長風呂しながらの読書。好きな作家は平岩弓枝。 特技は6歳からやっ…

川崎 真実(かわさき まみ )
1985年5月21日生まれの有名人 東京出身

川崎 真実(かわさき まみ 1985年5月21日- )は、日本の女優。東京都出身。オスカープロモーションに所属していた。 2001年、ミスマガジン(ミスヤングマガジン2001)受賞。 いずれも過去の…

川崎 麻衣(かわさき まい)
11月25日生まれの有名人 愛知出身

川崎 麻衣(かわさき まい、11月25日 - )は、日本の女優、タレント。所属事務所はトミーズアーティストカンパニー。愛知県名古屋市出身。愛称は「カワマイ」。 劇団前方公演墳、ジュングランプリのメンバ…


川崎 成美(かわさき なるみ)
1997年11月27日生まれの有名人 愛知出身

川崎 成美(かわさき なるみ、1997年〈平成9年〉11月27日 - )は、タレント。アイドルグループ「CHEReB」の元プロデューサー。秋元康プロデュースSKE48の元7期研究生。その後名古屋市が拠…

川崎 あや(かわさき あや)
1991年1月3日生まれの有名人 神奈川出身

川崎 あや(かわさき あや、1991年〈平成3年〉1月3日 - )は、ゼロイチファミリアに所属する日本の元ファッションモデル、元タレント、元レースクイーン。後述の引退後も、肖像権処理などから事務所に籍…

川崎 太一(かわさき たいち)
1999年9月25日生まれの有名人 東京出身

川崎 太一(かわさき たいち、1999年9月25日 - )は、日本のモデル。東京都出身。株式会社クリエートジャパンエージェンシー所属。芸能事務所株式会社オフィスベアと業務提携。 1歳の時にモデルデビ…

河崎 晴美(かわさき はるみ)
1989年7月23日生まれの有名人 愛知出身

河崎 晴美(かわさき はるみ、1989年7月23日 - )は、愛知県出身の現役女子大生グラビアアイドル、レースクイーンである。元ヴィズミックスター所属。 事務所のスカウトで芸能界デビュー。 2008…

川崎 真央(かわさき まお)
1986年11月13日生まれの有名人 大阪出身

川崎 真央(かわさき まお、1986年11月13日 - )は、日本の元女優。大阪府出身。血液型はA型。身長158cm、スリーサイズはB:85cm、W:60cm、H:88cm。足のサイズ23.5cm。 …


川崎 弘子(かわさき ひろこ)
1912年4月5日生まれの有名人 神奈川出身

川崎 弘子(かわさき ひろこ、1912年〈明治45年〉4月5日 - 1976年〈昭和51年〉6月3日)は日本の女優。本名は石渡 シヅ(いしわた シヅ)、通称は静子(しずこ)。

川崎 元気(かわさき もとき)
1979年2月2日生まれの有名人 大分出身

川崎 元気(かわさき もとき、1979年2月2日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはミッドフィールダー。 大分県出身で大分高校卒業時には複数のJクラブから勧誘があったという。…

川崎 希(かわさき のぞみ)
1987年8月23日生まれの有名人 東京出身

川崎 希(かわさき のぞみ、1987年〈昭和62年〉8月23日 - )は、日本のタレント、実業家、アパレル・デザイナーである。神奈川県出身。個人事務所アンティミンス所属。株式会社アンティミンス代表取締…

河崎 義祐(かわさき よしすけ)
1936年5月20日生まれの有名人 福井出身

河崎 義祐(かわさき よしすけ、1936年5月20日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 福井県福井市生まれ。福井県立高志高校を1955年に卒業、1960年に慶應義塾大学経済学部卒業後、東宝に入社。…

河崎 実(かわさき みのる)
1958年8月15日生まれの有名人 東京出身

河崎 実(かわさき みのる、1958年8月15日 - )は、日本の映画監督、ライター、ラジオDJ。東京都出身。南郷勇一の名義で自らの作品に出演することもある。 フグ料理屋の息子として生まれ、『ウルト…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
川崎徳次
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

キャンディzoo CoverGirls Candy Kiss Ange☆Reve チームしゃちほこ ひめキュンフルーツ缶 風男塾 からっと☆ Doll☆Elements 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「川崎徳次」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました