木村威夫の情報(きむらたけお) 美術監督、映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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木村威夫と関係のある人
宮城千賀子: けんかえれじい 1966年 企画大塚和、監督鈴木清順、原作鈴木隆、脚本新藤兼人、撮影萩原憲治、音楽山本丈晴、美術木村威夫、照明熊谷秀夫、主演高橋英樹 飯島大介: 「夢幻彷徨 MUGEN-SAMURAI」木村威夫監督(2004年) 鈴木英夫: 新興キネマ時代の先輩である新藤兼人や、大映東京撮影所の仲間で、仕事のパートナーでもあった美術監督の木村威夫は、この大映時代の鈴木の才能を同時代に高く評価している。 大和屋竺: カポネ大いに泣く(1985年) - 共同脚本(大和屋竺、木村威夫、鈴木岬一) 鈴木清順: この間、映画製作の仲間の曽根中生、大和屋竺、木村威夫らと脚本家グループ「具流八郎」を結成。 飯島大介: 「黄金花」木村威夫監督(2009年) 枝川弘: ^ 鈴木英夫〈その6〉対談:鈴木英夫×木村威夫、木全公彦、マーメイドフィルム、2012年4月25日閲覧。 大和屋竺: メンバーは鈴木清順、木村威夫、田中陽造、曽根義忠、岡田裕、山口清一郎、榛谷泰明に大和屋竺を加えた8人だったとされる。 飯島大介: 「夢のまにまに」木村威夫監督(2008年) 南原健朗: 『夢のまにまに』(2008年10月18日、木村威夫監督) - 太宰治役 山口小夜子: 最後の出演映画となった『馬頭琴夜想曲』の木村威夫監督は小夜子について「1週間ほど前に会ったばかりだったが、体調が悪い様子はなかった」と語っていることから、いかに突然だったかが窺える。 葛山信吾: 夢のまにまに(2008年、木村威夫 監督) |
木村威夫の情報まとめ
木村 威夫(きむら たけお)さんの誕生日は1918年4月1日です。東京出身の美術監督、映画監督のようです。
映画、テレビ、家族、事件、ドラマ、現在に関する情報もありますね。2010年に亡くなられているようです。
木村威夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)木村 威夫(きむら たけお、1918年4月1日 - 2010年3月21日)は、日本の美術監督、映画監督。 東京都恵比寿出身。日本映画・テレビ美術監督協会顧問、日本映像美術協議会JVA賞審査委員長、日活芸術学院学院長、映画美学校理事、東京工芸大学芸術学部客員教授、京都造形芸術大学映画学科准教授を務めた。 十代の頃より、舞台美術監督伊藤熹朔に師事。1941年、日活に入社。しかし、翌年に日活は新興キネマ、大都映画と合併して大映となる。『海の呼ぶ聲』(1945年 / 伊賀山正徳監督、封切は終戦後)で美術監督に昇進。1954年、映画製作を再開した日活へ移籍。 1963年、『悪太郎』をきっかけに鈴木清順監督作品の美術を担当、「清順美学」と呼ばれるその作風の創造に大きく貢献する。1966年には、清順を中心とする脚本家グループ「具流八郎」を大和屋竺、田中陽造、曾根中生、岡田裕(当時、助監督。後の映画プロデューサー)、山口清一郎、榛谷泰明とともに結成。鈴木が日活から干された後はその復帰運動にも大いに尽力するが、多忙もあって復活後の鈴木作品においては、7本中2本を担当とかつての不動のコンビではなくなった。 日活がロマンポルノ製作へと転じた後、1972年にフリーとなる。フリー第1作となる『忍ぶ川』で初めて熊井啓監督とタッグを組み、その後は1作品を除くすべての熊井作品で美術を手掛けた。また、林海象など若手監督の作品にも積極的に参加している。 1991年、『式部物語』が第14回モントリオール世界映画祭で最優秀美術貢献賞を受賞。 1992年、勲四等旭日小綬章を受章。 2004年には、自身初の監督作品となる短編映画『夢幻彷徨(さすらい)』を公開。2008年には長編映画『夢のまにまに』を公開し、これが長編映画監督デビューとしては世界最高齢(90歳)であるとして、ギネス・ワールド・レコーズに登録された。 さらに、2008年8月には長編第2作目『黄金花』の撮影が行われた。プロデューサーに林海象と高橋伴明が参加。出演に原田芳雄、松坂慶子、松原智恵子、絵沢萌子、三條美紀、長門裕之、川津祐介、野呂圭介、麿赤児らが参加。現役の映画監督として、新藤兼人に次ぐ高齢監督となった。 2010年3月21日、間質性肺炎のため死去。91歳没。 『海の呼ぶ聲』(1945年、伊賀山正徳監督、小崎政房脚本)デビュー作 『絢爛たる復讐』(1946年、小石栄一・吉村廉共同監督) 『盗まれかけた音楽祭』(1946年、久松静児監督、高岩肇脚本) 『キャバレの花籠』(1947年、山本弘之監督・脚本)日本映画協会・技術賞受賞、日本初のフジカラー作品、大映富士製作 『夜行列車の女』(1947年、田中重雄監督、伊藤大輔・小森静男共同脚本) 『オリオン星座』(1948年、田口哲監督・脚本) 『親馬鹿大将』(1948年、春原政久監督、山本嘉次郎脚本) 『夜のプラットホーム』(1948年、田口哲監督、八木保太郎脚本) 『情熱の人魚』(1948年、田口哲監督、村松俊雄脚本) 『検事と女看守』(1949年、吉村廉監督、舘岡謙之助脚本、伊福部昭音楽) 『美貌の顔役』(1949年、吉村廉監督、植草圭之介脚色、菅英久原案) 『大都会の丑満時』(1949年、西村元男監督、笠原良三脚本) 『涙の港』(1949年、春原政久監督、館岡謙之介脚本) 『歌の明星』(1949年、佐伯幸三監督、館岡謙之介・棚田吾郎共同脚本、服部良一音楽) 『一匹狼』(1950年、小石栄一監督、八木隆一郎脚本) 『私は狙われている』(1950年、森一生監督、松浦健郎脚本) 『蜘蛛の街』(1950年、鈴木英夫監督、高岩肇脚本) 『午前零時の出獄』(1950年、小石栄一監督、成沢昌茂脚本) 『三惡人と赤ん坊』(1950年、小石栄一監督、柳川真一脚本、姫田真佐久撮影) 『恋の阿蘭陀坂』(1951年、鈴木英夫監督、松田昌一脚本) 『西城家の饗宴』(1951年、鈴木英夫監督、新藤兼人脚本) 『歌う野球小僧』(1951年、渡辺邦男監督・脚本、久米正雄原作、服部良一・灰田勝彦共同音楽) 『炎の肌』(1951年、久松静児監督、八住利雄脚本) 『浅草紅園』(1952年、久松静児監督、成沢昌茂脚本、川端康成『浅草物語』原作) 『生き残った辦天様(べんてんさま)』(1952年、久松静児監督、高岩肇脚本、J・C・ミラゾー原作、服部良一音楽) 『猛獣使いの少女』(1952年、佐伯幸三監督、井手俊郎・井上梅次共同脚本) 『二つの處女線(しょじょせん)』(1952年、久松静児監督、三枝皓(ひかる)脚本) 『明日は日曜日』(1952年、佐伯幸三監督、須崎勝彌(かつみ)脚本) 『乾杯! 東京娘』(1952年、木村恵吾監督・脚本) 『現代處女』(1953年、佐伯幸三監督、須崎勝彌・赤坂長義共同脚本) 『丹波』(1953年、小石栄一監督、田辺朝治脚本) 『胡椒息子』(1953年、島耕二監督・脚本、田辺朝治共同脚本) 『雁』(1953年、豊田四郎監督、成沢昌茂脚本、森鷗外原作、團伊玖磨音楽)伊藤善朔との共同美術 『浅草物語』(1953年、島耕二監督、川端康成原作) 『紅椿』(1953年、吉村廉監督、中江良夫脚本) 『十代の誘惑』(1953年、久松静児監督、須崎勝彌脚本) 『或る女』(1954年、豊田四郎監督、八住利雄脚色、有島武郎原作、團伊玖磨音楽) 『春琴物語』(1954年、伊藤大輔監督、八尋不二脚本、谷崎潤一郎原作、伊福部昭音楽)伊藤善朔との共同美術、大映最後の作品。 『黒い潮』(1954年、山村聡監督、菊島隆三脚本、井上靖原作、鈴木清順助監督) 『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督、小津安二郎・斎藤良輔共同脚本)文部省選定、日本映画監督協会企画作品 『スラバヤ殿下 Prince Soerabaja』(1955年、佐藤武監督、柳沢類寿脚本) 『警察日記』1955年 文部省選定 『おふくろ』(1955年、久松静児監督、井手俊郎脚本、姫田真佐久撮影)文部省選定 『緑はるかに』(1955年、井上梅次監督・脚本、水の江滝子製作)コニカラー作品、脚本は京中太郎名義 『うちのおばあちゃん』(1955年、春原政久監督、柳沢類寿脚本) 『女中っ子』(1955年、田坂具隆監督・脚本、須崎勝弥共同脚本、伊福部昭音楽)文部省選定 『少年死刑囚』(1955年、吉村廉監督、片岡薫・佐治乾共同脚本、八木保太郎構成、中山義秀原作) 『月夜の傘』(1955年、久松静児監督、井手俊郎脚本、壺井栄原作) 『自分の穴の中で』(1955年、内田吐夢監督、八木保太郎脚本、石川達三原作、芥川也寸志音楽) 『続警察日記』(1955年、久松静児監督、井手俊郎脚本、伊藤永之介原作、姫田真佐久撮影、伊福部昭音楽)文部省選定、芸術祭参加作品 『ジャズ・オン・パレード 1956年 裏町のお転婆娘(おてんばむすめ)』(1956年、井上梅次監督、吉田広介脚本) 『第8監房』(1956年、阿部豊監督、白石五郎脚本、柴田錬三郎原作、佐藤勝音楽) 『神阪四郎の犯罪』(1956年、久松静児監督、高岩肇脚本、石川達三原作、姫田真佐久撮影、伊福部昭音楽) 『色ざんげ』(1956年、阿部豊監督、田岡敬一脚本、宇野千代原作) 『雑居家族』(1956年、久松静児監督、田中澄江脚本、壺井栄原作、姫田真佐久撮影)文部省選定作品 『ドラムと恋と夢』(1956年、吉村廉監督、井上梅次脚本、水の江滝子製作)脚本は待田京介名義 『續 ただひとりの人』(1956年、吉村廉監督・脚本、池田一朗共同脚本、北条誠原作) 『隣の嫁』(1956年、堀田清監督、館岡謙之介脚色、伊藤左千夫原作) 『肉体の密輸』(1956年、阿部豊監督、陶山鉄脚本) 『乳母車』1956年 昭和31年度芸術祭参加作品 『最後の突撃』(1957年、阿部豊監督、陶山鉄脚色、松浦義教原作) 『女子寮祭』(1957年、斎藤武市監督、若杉光夫脚本、岩橋邦枝原作) 『私は前科者である』(1957年、古川卓巳監督・脚本、八木保太郎共同脚本、橘外男原作、佐藤勝音楽) 『ジャズ娘誕生』(1957年、春原政久監督、松村基生原作・脚本、辻真先共同脚本、姫田真佐久撮影)佐谷三平(晃能)との共同美術 『マダム』(1957年、阿部豊監督、沢村勉・中沢信共同脚本、織田昭子原作) 『今日のいのち』(1957年、田坂具隆監督・脚本、沢村勉共同脚本、由起しげ子原作) 『危険な年齢』(1957年、堀池清監督、長瀬喜伴脚本、石坂洋次郎原作、高村倉太郎撮影、真鍋理一郎音楽) 『九人の死刑囚』(1957年、古川卓巳監督・脚本、片岡薫・佐治乾共同脚本) 『雌花』(1957年、阿部豊監督、館岡謙之助脚本、大岡昇平原作) 『春泥尼』(1958年、阿部豊監督、松浦健郎脚色、今東光原作) 『霧の中の男』(1958年、蔵原惟繕監督、石原慎太郎原作・脚本、佐藤勝音楽) 『陽のあたる坂道』1958年 『死の壁の脱出』(1958年、滝沢英輔監督、石原慎太郎・西島大共同脚本、佐藤勝音楽) 『野郎と黄金』(1958年、牛原陽一監督、池田一朗脚本、佐川恒彦原作、水の江滝子製作) 『運河』(1958年、阿部豊監督、松浦健郎脚本、丹波文雄原作、伊佐山三郎撮影) 『赤い波止場』1958年 『嵐の中を突っ走れ』(1958年、蔵原惟繕監督、松浦健郎原作・脚本、水の江滝子企画、高村倉太郎撮影、真鍋理一郎音楽) 『獣のいる街』(1958年、古川卓巳監督、宮田輝明脚本) 『若い川の流れ』(1959年、田坂具隆監督・脚本、池田一朗共同脚本、石坂洋次郎原作、伊佐山三郎撮影、佐藤勝音楽) 『実いまだ青し』(1959年、牛原陽一監督、楠田芳子脚本、中村八朗原作) 『仮面の女』(1959年、阿部豊監督、松浦健郎脚本、芝木好子原作、岩佐一泉撮影、佐藤勝音楽) 『逃亡者 (1959年の映画)|逃亡者』(1959年、古川卓巳監督、星川清司脚本、藤原審爾原作) 『二連銃の鉄』(1959年、阿部豊監督、川内康範原作・脚本、中西隆三共同脚本、大森盛太郎音楽) 『山と谷と雲』(1959年、牛原陽一監督、池田一朗脚本、檀一雄原作、水の江滝子企画、牧野由多可音楽) 『海は狂っている』(1959年、古川卓巳監督・共同脚本、石原慎太郎原作・共同脚本) 『爆薬に火をつけろ』(1959年、蔵原惟繕監督、池田一朗・阿部桂一共同脚本、樽井武原案) 『男なら夢をみろ』(1959年、牛原陽一監督、池田一朗・小川英共同脚本、水の江滝子企画、佐藤勝音楽、舛田利雄B班監督) 『浮気の季節』(1959年、阿部豊監督、松浦健郎原作・脚本、山崎厳共同脚本、大森盛太郎音楽) 『硫黄島』(1959年、宇野重吉監督、八住利雄脚本、菊村到原作) 『大学の暴れん坊』(1959年、古川卓巳監督・脚本、高岩肇共同脚本、伊佐山三郎撮影) 『鉄火場の風』(1960年、牛原陽一監督、熊井啓脚本、水の江滝子企画、姫田真佐久撮影) 『俺は欺されない』(1960年、古川卓巳監督、高岩肇脚本、五味康祐原作、伊佐山三郎撮影) 『打倒』(1960年、松尾昭典監督・脚本、宮田輝明共同脚本、山本直純音楽) 『海を渡る波止場の風』(1960年、山崎徳次郎監督、山崎厳・大川久男共同脚本、原健三郎原作、姫田真佐久撮影) 『霧笛が俺を呼んでいる (映画)』(1960年、山崎徳次郎監督、熊井啓脚本、水の江滝子企画、姫田真佐久撮影、山本直純音楽) 『やくざ先生』(1960年、松尾昭典監督・脚本、山田信夫共同脚本、水の江滝子企画、西村滋原作) 『闘牛に賭ける男』(1960年、舛田利雄監督・脚本、山田信夫共同脚本、水の江滝子企画、山崎善弘撮影、佐藤勝音楽) 『俺の血が騒ぐ』(1961年、山崎徳次郎監督、池田一朗・長谷部安春・加藤新二共同脚本、山崎忠昭原案、姫田真佐久撮影、山本直純音楽) 『紅の拳銃』(1961年、牛原陽一監督、松浦健郎脚本、田村泰次郎原作、姫田真佐久撮影) 『大暴れマドロス野郎』(1961年、山崎徳次郎監督、窪田篤人脚本、梅田慶公・牧克人共同構成、伊佐山三郎撮影、松井八郎音楽) 『風に逆らう流れ者』(1961年、山崎徳次郎監督、山崎厳脚本、高橋道治原作、横山実撮影) 『都会の空の非常線』(1961年、野村孝監督、池田一朗・小川英共同脚本、若井基成原作、池田正義音楽) 『拳銃横丁』(1961年、山崎徳次郎監督、長谷川公之・宮田達男共同脚本、大河内常平原作) 『大森林に向かって立つ』(1961年、野村孝監督、山崎厳・吉田憲二共同脚本、大森盛太郎音楽) 『嵐を突っ切るジェット機』(1961年、蔵原惟繕監督、星川清司脚本、松浦健郎原作、間宮義雄撮影、伊部晴美音楽) 『黒い傷あとのブルース』(1961年、野村孝監督、山崎厳・吉田憲二共同脚本、山野良夫原作、大森盛太郎音楽) 『兄貴』(1962年、山崎徳次郎監督、柏正人脚本、永塚一栄撮影、鏑木創音楽) 『上を向いて歩こう』1962年 『雲に向かって起つ』(1962年、滝沢英輔監督、池田一朗脚本、石原慎太郎原作、伊部晴美音楽) 『遥かなる国の歌』(1962年、野村孝監督、若尾徳平・池田一朗共同脚本、水の江滝子企画、伊部晴美音楽) 『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年、牛原陽一監督、下飯坂菊馬脚本、伊佐山三郎撮影、大森盛太郎音楽) 『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(1962年、蔵原惟繕監督、山田信夫脚本、水の江滝子企画、黛敏郎音楽) 『いつでも夢を』(1963年、野村孝監督、下飯坂菊馬・田坂啓・吉田憲二共同脚本、吉田正音楽) 『海の鷹』(1963年、古川卓巳監督、長谷川公之・宮田達男共同脚本) 『悪名高きろくでなし』(1963年、斎藤武市監督、若井基成脚本) 『午前零時の出獄』(1963年、山崎徳次郎監督、小川英・中野顕彰共同脚本、島田一男原作、萩原憲治撮影) 『夜霧のブルース』(1963年、野村孝監督、国弘威雄脚本、菊田一夫原作、高村倉太郎撮影) 『アリバイ』(1963年、牛原陽一監督、熊井啓脚本・助監督、高村倉太郎撮影) 『悪太郎』(1963年、鈴木清順監督、笠原良三脚本、今東光原作、奥村一音楽) 『関東無宿』(1963年、鈴木清順監督、八木保太郎脚本、平林たい子原作、池田正義音楽) 『花と怒濤』(1964年、鈴木清順監督、舟橋和郎・阿部桂一・木村威夫共同脚本、青山光二原作、奥村一音楽) 『夕陽の丘』(1964年、松尾昭典監督、山崎厳・国弘威雄共同脚本、菊村到原作) 『肉体の門』1964年 『俺たちの血が許さない』(1964年、鈴木清順監督、竹森竜馬・細見捷弘・伊藤美千子共同脚本、松浦健郎原作、鈴木忠興音楽) 『春婦伝』1965年 『落葉の炎』(1965年、前田満州夫監督、星川清司・山中耕人共同脚本、黒岩重吾原作) 『悪太郎伝 悪い星の下でも』(1965年、鈴木清順監督、笠原良三脚本、今東光原作、奥村一音楽) 『三匹の野良犬』(1965年、牛原陽一監督、山崎厳脚本、河野典生原作) 『怪盗X 首のない男』(1965年、小杉勇監督、山崎厳脚本、都筑道夫原作) 『刺青一代』(1965年、鈴木清順監督、直居欽哉・服部佳共同脚本、高村倉太郎撮影) 『河内カルメン』1966年 『東京流れ者』1966年 『夜のバラを消せ』(1966年、舛田利雄監督、下飯坂菊間・瀬川昌治・池上金男共同脚本、柴田錬三郎原作) 『けんかえれじい』1966年。映画評論美術賞受賞作品。 『おゆきさん』(1966年、鍛冶昇監督、倉本聰脚本、塩田良平原作、藤岡粂信撮影) 『二人の銀座』(1967年、鍛冶昇監督、才賀明脚本、林一・川口真共同音楽) 『嵐来たり去る』(1967年、舛田利雄監督、池上金男・星川清司共同脚本、富田常雄原作、横山実撮影、真鍋理一郎音楽) 『対決』(1967年、舛田利雄監督・脚本、池上金男共同脚本、真鍋理一郎音楽) 『みな殺しの拳銃』(1967年、長谷部安春監督、中西隆三・藤井鷹史共同脚本、永塚一栄撮影、山本直純音楽) 『紅の流れ星』(1967年、舛田利雄監督・脚本、池上金男共同脚本、高村倉太郎撮影) 『「無頼」より 大幹部』(1968年、舛田利雄監督、池上金男・久保田圭司共同脚本、藤田五郎原作、高村倉太郎撮影) 『大幹部 無頼』(1968年、小沢啓一監督、池上金男・久保田圭司共同脚本、藤田五郎原作、高村倉太郎撮影、川原資三共同美術)川原が実質の美術担当で木村は監修。 『わが命の歌 艶歌』(1968年、舛田利雄監督、池上金男脚本、五木寛之原作、高村倉太郎撮影、伊部晴美・安藤実親共同音楽) 『昭和のいのち』(1968年、舛田利雄監督・脚本、池上金男共同脚本、真鍋理一郎音楽) 『あゝひめゆりの塔』(1968年、舛田利雄監督、八木保太郎・若井基成・石森史郎共同脚本、真鍋理一郎音楽) 『地獄の破門状』(1969年、舛田利雄監督・脚本、星川清司・山崎厳共同脚本、真鍋理一郎音楽) 『野獣を消せ』(1969年、長谷部安春監督、永原秀一・中西隆三共同脚本、姫田真佐久撮影、坂田晃一音楽、渡辺平八郎・若松正雄共同美術助手) 『昇り竜 鉄火肌』(1969年、石井輝男監督・脚本、北原成撮影、八木正生音楽) 『前科 ドス嵐』(1969年、小沢啓一監督、星川清司脚本、高村倉太郎撮影、鏑木創音楽) 『大幹部 殴り込み』(1969年、舛田利雄監督・脚本、棚田吾郎共同脚本、高村倉太郎撮影) 『侠花列伝 襲名賭博』(1969年、小沢啓一監督、星川清司脚本、小杉大一郎音楽) 『嵐の勇者たち』(1969年、舛田利雄監督、永原秀一脚本) 『やくざの横顔』(1970年、小沢啓一監督、中西隆三脚本、川内康範原作、高村倉太郎撮影、真鍋理一郎音楽) 『花と龍』(1970年、舛田利雄監督・脚本、NET・CAL企画、火野葦平原作、宮西良太郎撮影、冨田勲音楽)松下電器提供、浅井事務所製作。初のTV担当作品。 『女の警察 乱れ蝶』(1970年、小沢啓一監督、中西隆三脚本、梶山季之原作、小林旭・友田二郎製作)アロー・エンタプライズ作品。ダイニチ配給。 『大幹部 ケリをつけろ』(1970年、小沢啓一監督、大工原正泰・中西隆三共同脚本、小杉太一郎音楽)ダイニチ配給。 『暁の挑戦』(1971年、舛田利雄監督、国弘威雄・池田一朗共同脚本、橋本忍原作、坪井誠撮影、渡辺岳夫音楽)フジテレビ=新国劇映画作品。 『関東破門状』(1971年、小沢啓一監督、鴨井達比古脚本、安藤庄平撮影) 『不良少女 魔子』(1971年、蔵原惟二監督、藤井鷹史脚本)日活時代の最後の作品。 『忍ぶ川』1972年。キネマ旬報作品賞一位。 『狭山の黒い雨』(1973年、須藤久監督・脚本、土方鉄原作、部落解放同盟大阪府連製作、幸田守雄撮影、松村禎三音楽)部落解放同盟大阪府連作品。 『樺太1945年夏 氷雪の門』1974年 『サンダカン八番娼館 望郷』1974年。キネマ旬報作品賞ベストワン。 『わが青春のとき』(1975年、森川時久監督、立原りゅう・山内久共同脚本、小林勝原作、佐藤勝音楽)大映=俳優座共同作品。 『祭りの準備』1975年 『北の岬』1976年 『狭山事件 造花の判決』(1976年、梅津明治郎監督、土方鉄脚本、酒井忠撮影、金子堅治郎音楽)部落解放同盟=「狭山事件」映画製作実行委員会共同作品。 『青春の殺人者』1976年 『はだしのゲンII 涙の爆発』(1977年、山田典吾監督・脚本・製作、山田火砂子共同製作、中沢啓治原作、小林節雄撮影、いずみたく音楽)現代ぷろだくしょん作品。 『春男の翔んだ空』(1977年、山田典吾監督・脚本・製作、山田火砂子共同製作、小林節雄撮影、いずみたく音楽)現代ぷろ作品。 『お吟さま』(1978年、熊井啓監督、依田義賢脚本、今東光原作、岡崎宏三撮影、伊福部昭音楽)宝塚映画=大和新社共同作品。熊本映画祭スタッフ賞。 『茗荷村見聞記』(1979年、山田典吾監督・脚本・製作、山田火砂子共同製作、田村一二原作、奥村祐治撮影、いずみたく音楽)現代ぷろ作品。 『天平の甍』1980年 『ツィゴイネルワイゼン』1980年。日本アカデミー賞最優秀美術賞受賞。 『はだしのゲンIII――ヒロシマの戦い』(1980年、山田典吾監督・脚本・製作、山田火砂子・内田有作共同製作、中沢啓治原作、佐藤昌道撮影、平尾昌晃音楽、)現代ぷろだくしょん作品。 『遥かなる走路』(1980年、佐藤純彌監督、新藤兼人脚本、本木正次原作、並木宏之撮影、ゴダイゴ音楽)日本シネセル=アビプロ共同作品。 『ザ・ウーマン』(1980年、高林陽一監督、星川清司脚本、林美一原案、稲垣涌三撮影、菊池俊輔音楽)友映作品。 『アニメ・スペシャル 杜子春』(1980年、斎藤武市監督、首藤剛志脚本、芥川龍之介原作)ダックス=東京放送共同作品。テレビアニメ。 『裸の大将放浪記』1981年。文部省選定。 『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』1981年。俳優座映画放送作品。 『未完の対局』1982年。日本アカデミー賞美術賞受賞。 『ユッコの贈りもの コスモスのように』(1982年、山田典吾監督・製作・脚本、山田火砂子共同製作、鹿村由起子原作、原一民撮影、渋谷毅音楽)現代ぷろだくしょん作品。文部省選定。 『縄と乳房』(1983年、小沼勝監督、志麻光夫・宇治英三共同脚本、小寺朝原案、野田悌男撮影、甲斐八郎音楽)にっかつ作品。 『泪橋』1983年 『性的犯罪』(1983年、崔洋一監督、三井優脚本、野田悌男撮影、小野寺修選曲)にっかつ作品。 『死者をして語らしめよ』(1983年、田中登監督、岩間芳樹原作、前田米造撮影、宇崎竜童音楽)よみうり=にっかつ共同作品。テレビドラマ。 『虹へ、アヴァンチュール』(1983年、工藤栄一監督、安倍徹郎脚本、鷹羽一九哉原作、本木明博撮影、津島利章音楽)朝日放送作品。テレビドラマ。 『母の疑惑』(1984年、藤井克彦監督、猪又憲吾脚本、古賀誠一製作、椎塚彰撮影、朝川朋之音楽、沖山真保美術助手、松本良二装飾)よみうりテレビ=にっかつ共同作品。テレビサスペンスドラマ。 『もうひとつの少年期』(1984年、石山昭信監督、田村恵・古田求共同脚本、藤田俊二原作、山田典吾・山田火砂子共同製作、渡辺忍撮影、いずみたく音楽、長田千鶴子編集)現代ぷろ=山田火砂子事務所共同作品。 『カポネ大いに泣く』1985年。脚本にも参加。 『火まつり』1985年 『白いヒロシマ』(1985年、山田典吾監督・製作、新藤兼人脚本、木村靖子原作、山田火砂子共同製作、佐藤昌道撮影、風戸慎介音楽)現代ぷろだくしょん作品。 『セピアファンタム』(1985年、永田健監督・脚本、丸池納撮影、一世風靡セピア音楽)一世風靡事務所作品。宣伝映画。十六ミリフィルムを用いたビデオ作品。 『タンポポ』1985年 『夢見るように眠りたい』1986年 『波光きらめく果て』(1986年、藤田敏八監督、田村孟脚本、高樹のぶ子原作、奥山和由・岡田裕共同製作、鈴木達夫撮影、佐藤隆音楽)松竹富士=ニューセンチュリープロデューサーズ共同作品。 『海と毒薬』1986年 『妖怪天国 ゴーストヒーロー』(1986年、手塚真監督、藤澤順一撮影、板村一彦・酒井譲・沢下和好共同美術、原口智生特殊メーク)PAPADO=ポニーキャニオン共同作品。 『ウホッホ探険隊』(1986年、根岸吉太郎監督、森田芳光脚本、干刈あがた原作、丸池納撮影、鈴木さえ子音楽)NCP=ディレクターズ・カンパニー=日本テレビ共同作品。 『親鸞 白い道』(1987年、三國連太郎監督・脚本・企画・製作、高橋松男共同企画・製作、大谷信義・加藤博明共同製作、藤田傅共同脚本、山崎善弘撮影、YAS-KAZ音楽)松竹=日映=キネマ東京共同作品。カンヌ映画祭審査委員賞受賞。 『帝都物語』1988年 『死線を越えて 賀川豊彦物語』(1988年、山田典吾監督・脚本、武藤富男共同脚本・原作、賀川豊彦原作、山田火砂子製作、高村倉太郎撮影、渡辺岳夫音楽)現代ぷろ作品。 『ドグラ・マグラ』1988年 『大坂城炎上』(1988年)日光江戸村企画による3D映画。 『本覺坊遺文 千利休』(1989年、熊井啓監督、依田義賢脚本、井上靖原作、栃沢正夫撮影、松村禎三音楽)西友作品。ヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞。 『二十世紀少年読本』(1989年、林海象監督・脚本・製作、白川隆三共同製作、長田勇市撮影、浦山秀彦・熊谷陽子共同音楽、山崎秀満・望月弥生子・増本知尋・秋山典子共同美術スタッフ)CBSソニー=映像探偵社共同作品。 『ZIPANG』1990年。美術監督として参加 『香港パラダイス』1990。美術監督名義。 『少年時代』1990年。日本アカデミー賞最優秀美術賞受賞。 『式部物語』1990年。モントリオール映画祭最優秀芸術貢献賞受賞。 『フィガロ・ストーリー(東京篇)月の人』(1991年、林海象監督・脚本、㈱博報堂企画、アラーツ製作、ヘラルド・エース製作協力、日産自動車株式会社提供、長田勇市撮影、浦山秀彦音楽)日仏米合作オムニバス映画作品。三部作中の一つ。 『「ある阿保の一生」』(1991年、岡村精監督・脚色、芥川龍之介原作、長谷川元吉撮影、上原和夫音楽)山梨文学館委嘱作品。スーパノヴァ モノクロスタンダード版・コダック使用。 『激走トラッカー伝説』(1991年、細野辰興監督・脚本、宮下隼一共同脚本・原作、村野信明撮影、薮中博章音楽)ヒーロー・コミュニケーションズ作品。 『ふざけろ!』(1991年、玉川長太監督、香川まさひと脚本、村野信明撮影、Edison音楽)ヒーロー・コミュニケーションズ作品。 『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』(1991年、勝文驥監督・脚本、原源一共同脚本、木下昌也製作、水野清総合プロデューサー、相沢徹製作プロデューサー、馬徳和中国プロデューサー、岡田次雄・智磊共同撮影、立川直樹音楽監督、喜多嶋修作曲、揚綱共同美術)コムネット=フィルムクレッセント=中国申影合作制片公司共同作品。 『ひかりごけ』1992年 『愛について、東京』1993年 『夢の女』(1993年、坂東玉三郎監督、吉村元希・桜井妙子・斎藤雅文共同脚本、奥山和由製作総指揮、長沼六男撮影、藤舎名生・杵屋榮津五郎共同音楽)松竹=朝日新聞ほか共同作品。 『我が人生最悪の時』(1994年、林海象監督・脚本、天願大介共同脚本、長田勇市撮影、めいなCo.音楽、増本知尋美術)美術監修として参加。フォーライフレコード=映像探偵社共同作品。 『ノストラダムス 戦慄の啓示』1994年。美術監修として参加。 『全身小説家』1994年 『遥かな時代の階段を』(1995年、林海象監督・脚本、天願大介共同脚本、長田勇市撮影、めいなCo.音楽、増本知尋)美術監修担当。フォーライフレコード=映像探偵社共同作品。 『深い河』1995年 『夢のシネマ 東京の夢』(1995年、吉田喜重構成・語り、原一民・ネッド・バージェス共同撮影)東京メトロポリタンテレビ=現代映画社=Sepia Production共同作品。 『最後の弾丸』1995年。日本側のみ担当。 『冬の河童』1995年 『罠(THE TRAP)』(1996年、林海象監督・脚本、天願大介共同脚本、長田勇市撮影、めいなCo.音楽、増本知尋美術)美術監督として参加。フォーライフレコード=映像探偵社共同作品。 『海ほおずき』(1996年、林海象監督・エグゼクティブ・プロデューサー、唐十郎脚本、余為彦共同エグゼクティブ・プロデューサー、長田勇市撮影監督、めいなCo.音楽、伊藤ゲン美術)美術監修だが、ノータッチで名義貸しに近いとのこと。フォーライフレコード=ポニーキャニオン共同作品。 『MUSASHI』(1996年、野伏翔監督・脚本、武上純希・田久保正之共同脚本、芝生高秀撮影、宮下滋音楽、増本知尋美術)美術監督として参加。イーハーフィルムズ=プロダクションT&N共同作品。 『CAT'S EYE キャッツ・アイ』(1997年、林海象監督・脚本、土屋斗紀雄共同脚本、北条司原作、長田勇市撮影監督、めいなCo.音楽、菊川芳江美術)美術監督として参加。フジテレビ作品。 『愛する』1997年 『知の開放 知の冒険 知の祝祭 東京大学 学問の過去・現在・未来』(1997年、吉田喜重構成・語り、大手洋行撮影)日経映像=現代映画社共同作品。 『『紅の拳銃』よ永遠に』(2000年、及川善弘監督・脚本、丸山正樹共同脚本、高村倉太郎撮影、佐々木健音楽、沖山真保美術)美術監督として参加。日活芸術学院作品。 『スリ』(2000年、黒木和雄監督・脚本、真辺克彦・堤泰之共同脚本、川上皓市撮影、松村禎三音楽、安宅紀史美術)美術監督として参加。アートポート=衛星劇場共同作品。 『日本の黒い夏 冤罪』2001年 『いのちの海』2001年。美術監督として参加 『ピストルオペラ』2001年。美術監督として参加 『シベリア超特急2』(2001年)美術監督として参加 『海は見ていた』2002年 『シベリア超特急3』2003年。美術監督として参加。 『海のオルゴール』(2003年、宮本理江子演出、水橋文美江脚本、竹内てるよ原作、須藤康夫撮影、関口保彦美術プロデューサー)美術監修として参加。テレビドラマ。フジテレビ作品。 『蒸発日記』(2003年、山田勇男監督・脚本、北里宇一郎共同脚本、つげ義春原作、白尾一博撮影、安宅紀史美術)美術監督として参加。ワイズ出版作品。 オペレッタ狸御殿 人のセックスを笑うな 『夢幻彷徨 MUGEN-SASURAI』2004年 『馬頭琴夜想曲』2007年 『夢のまにまに 』(「こぶ広場」改題)2008年 『黄金花-秘すれば花、死すれば蝶-』2009年 『映画美術 疑景 借景 嘘百景』 荒川邦彦編/ワイズ出版 2004年-※本稿の参考文献 『裏話ひとつ映画人生九十年 「多摩川精神」撮影所とその周辺』 岩波書店、2009年 『わが本籍は映画館』 春秋社、1986年 『彷徨の映画美術』 トレヴィル、1990年 『月下茫茫白狐之図』 ワイズ出版、1998年-処女小説 『白姫抄』 画:佐谷晃能/ワイズ出版、1997年-小冊子 ^ “映画美術監督の木村威夫さん死去 数多くの魅力的な映像”. 47NEWS. (2010年3月25日). https://web.archive.org/web/20100328220848/http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032501000298.html 2011年11月14日閲覧。 ^ “映画「ツィゴイネルワイゼン」美術監督 木村威夫氏死去”. asahi.com (2010年3月24日). 2010年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月25日閲覧。 ^ 「92年秋の叙勲 喜びの受章者=都内版関係」『読売新聞』1992年11月3日朝刊 ^ 木村威夫監督、最高齢90歳デビューでギネスに - 読売新聞 2008年10月27日(2008年10月29日時点のアーカイブ) 木村威夫 - KINENOTE 木村威夫 - テレビドラマデータベース
表 話 編 歴 松山崇(1947) 浜田辰雄(1948) 松山崇(1949) 水谷浩(1950) 久保一雄(1951) 小池一美(1952) 伊藤熹朔(1953) 木村威夫(1954) 伊藤寿一(1955) 中古智(1956) 村木与四郎(1957) 柴田篤二(1958) 鈴木孝俊(1959) 下河原友雄(1960) 桂長四郎(1961) 大角純一、戸田重昌(1962) 西岡善信(1963) 平川透徹、山崎正夫(1964) 戸田重昌(1965) 山崎正夫(1966) 梅田千代夫(1967) 阿久根巌(1968) 小島基司(1969) 横尾嘉良、深民浩 (1970) 水谷浩(1971) 村木与四郎(1972) 村木忍(1973) 横尾嘉良、大村武(1974) 佐藤公信(1975) 間野重雄(1976) 森田郷平(1978) 間野重雄(1979) 村木与四郎(1980) 木村威夫(1981) 高橋章(1982) 村木忍(1983) 村木忍(1984) 今村力(1985) 木村威夫(1986) 西岡善信(1987) 内藤昭(1988) 稲垣尚夫(1989) 内藤昭(1990) 春木章(1991) 内藤昭(1992) 間野重雄(1993) 井川徳道(1994) 竹中和雄(1995) 横尾嘉良(1996) 小澤秀高(1997) 中澤克巳(1998) 磯見俊裕、郡司英雄(1999) 原田満生(2000) 小川富美夫(2001) 大塚聡(2002) 磯見俊裕(2003) 桑島十和子(2004) 上条安里(2005) 種田陽平(2006) 佐々木尚(2007) 矢内京子(2008) 種田陽平、矢内京子(2009) 近藤成之(2010) 金勝浩一(2011) 部谷京子(2012) 原田満生(2013) 林田裕至、佐久嶋依里(2014) 原田哲男(2015) 林田裕至、佐久嶋依里(2016) 竹内公一(2017) 原田満生、堀明元紀(2018) 磯田典宏(2019) 磯見俊裕、露木恵美子(2020) 原田哲男(2021) 今村力、新田隆之(2022) 上條安里(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン ドイツ アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 日本の美術監督 日本の放送関係者 日本の映画監督 勲四等旭日小綬章受章者 京都芸術大学の教員 東京工芸大学の教員 日活の人物 東京都区部出身の人物 1918年生 2010年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるKINENOTE ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/21 22:17更新
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kimura takeo
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