本島等の情報(もとしまひとし) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
本島 等さんについて調べます
■名前・氏名 |
本島等と関係のある人
澤地久枝: 『昭和を生きて』(1991年、岩波ブックレット)対話:本島等 白浜仁吉: 本島等と北村誠吾は元秘書。 田上富久: 以後本島等、伊藤一長両市長の下で、26年あまり職員として市政を支えた。 諸谷義武: 1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で執行された長崎市長選に出馬し当選、以後1979年(昭和54年)4月の市長選で本島等に敗れるまで3期12年間長崎市長を務めた。 諸谷義武: 本島等 伊藤一長: 長崎市議会議員(2期)、長崎県議会議員(自民党所属、3期)を経て、1995年の長崎市長選挙で自民党の推薦を受け、新人ながらも現職の本島等を破り、長崎市長に初当選。 樋口廣太郎: 敬虔なカトリック信徒としても有名であり、大学時代は同じ大学にいた本島等(元長崎市長)と仲が良かった。 柴野徹夫: 本島等・森村誠一との共著『私たちは戦争が好きだった : 被爆地・長崎から考える核廃絶への道』朝日新聞社、朝日文庫、2000年12月 ISBN 4-02-261310-6 山口仙二: 本島等・山口仙二 『ゆるす思想(こころ)ゆるさぬ思想(こころ) 若い世代と語る平和・原爆・いま・未来』 こうち書房 1992年7月 小田実: 1990年(平成2年)1月18日に発生した本島等・長崎市長への銃撃事件に際して、「日本は自由主義のはずではないのか。 |
本島等の情報まとめ
本島 等(もとしま ひとし)さんの誕生日は1922年2月20日です。長崎出身の政治家のようです。
現在、卒業、引退、事件に関する情報もありますね。2014年に亡くなられているようです。
本島等のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)本島 等(もとしま ひとし、1922年〈大正11年〉2月20日 - 2014年〈平成26年〉10月31日)は、日本の政治家。1979年(昭和54年)から1995年(平成7年)までの4期にわたり長崎県長崎市長を務めた。 長崎県南松浦郡北魚目村(現在の同郡新上五島町)に生まれる。洗礼名、イグナチオ・ロヨラ。カトリック教徒。 隠れキリシタンの末裔であるカトリック教徒で母は未婚であることから戦時中はスパイ疑惑を掛けられた。旧制高校在学中の21歳の時に徴兵されて見習士官として新兵に大砲の撃ち方を指導した。所属する西部軍管区教育隊・砲兵生徒隊が疎開する熊本市郊外の山奥で終戦を迎えた。1945年8月砲兵少尉に昇進予定だった。 戦後は京都大学工学部土木工学科に入学して京都カトリック学生連盟の委員長を務め、27歳で卒業した。 東陵学園(現 長崎南山中・高)教諭、県教委職員などの教員生活を経て、同郷の故白浜仁吉衆院議員(元郵政相)の秘書、長崎市立高教諭などを経て、1959年長崎県議会議員(長崎市区)に初当選。 連続5期20年務め、自由民主党長崎県連合会幹事長などを歴任。 1979年の長崎市長選挙で現職の諸谷義武を破り、長崎市長に初当選。1995年まで4期16年務めた。 昭和天皇の病態に関する報道が相次ぐ1988年(昭和63年)12月7日に、市議会で日本共産党議員が昭和天皇の戦争責任に関して意見を求めて質問すると、市長3期目の本島は海外の記事や自分の従軍経験から考えて「戦後43年経って、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います……私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦争責任はあると私は思います」と答弁し、記者会見で「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦も広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の記述から見ても明らかです」と重ねて発言した。直後に自民党県連などが発言の撤回を要求すると、自分の良心を裏切ることはできない、として拒否したため自民党県連から県連顧問を解任され、多数の右派系人物や組織から非難を浴び、街宣右翼から80台以上の街宣車で「天誅」と糾弾しされた。 発言の「天皇にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している。」とする主旨を、マスメディアは「天皇の戦争責任はあると思う」を強調して報道した。 本島個人の責による警護公費の増大を自民党市議が懸念し、長崎県警察が警備を緩和すると、1990年(平成2年)1月18日に右翼団体『正気塾』の田尻和美が本島を背後から銃撃したが、重体から回復した本島は「犯人を赦す」と語った。 1991年(平成3年)の選挙は、日本共産党は公認候補を出さずに本島を支持したほかに左派勢力も協力し、本島は4回目の当選をした。1995年(平成7年)の選挙は、多選批判などを受けて自民党の推薦を受けた伊藤一長に敗れ、政界から引退した。2007年(平成19年)にその伊藤が暴力団員からの銃撃で死亡した際「2代にわたり市長が銃撃されるのは異常」と毎日新聞の取材に答えた。 2002年(平成14年)に第1回韓日平和交流功績賞、ドイツ功労勲章一等功労十字章を受けた。 2002年(平成14年)以降は左翼過激派と顕著に接近し、中核派の機関紙『週刊三里塚』巻頭で「闘いの言葉」を執筆する。 2012年6月、秋月平和賞受賞。 2014年(平成26年)10月31日、肺炎のため死去。92歳没。 1997年(平成9年)に、原爆ドームの世界遺産登録に際して「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」を広島平和研究所に寄せ、「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対する報復としては仕方がなかった」と記した。1998年(平成10年)7月に、共同通信社の単独インタビューで「(原爆は)落とされるべきだった。(満洲事変から終戦までの十五年間にわたる)あまりに非人道的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった」と答えた。これを広島大学の川口隆行は「加害の認識と謝罪の徹底を通して原爆観の落差を埋めること、そして何よりも被爆体験の特権化による『被爆ナショナリズム』の解体にこそある」とするが、右派や被爆団体は非難した。 2007年(平成19年)に防衛庁長官であった久間章生が「原爆投下は仕方が無かった」と発言して与野党や世論から大きな反発を受けた時に、「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と理解を示して「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と発言を支持した。 ^ [1] ^ “『赦し―長崎市長本島等伝』”. 東日新聞. 2018年7月14日閲覧。 ^ 『本島等の思想』長崎新聞社、2012年。 ^ ニュースは語る 戦後五〇年 - 長崎新聞社 ^ 田尻は2000年(平成12年)に刑期満了で出所し、団体の創始者と養子縁組して改姓して若島和美となり、団体幹部を務める。 ^ 韓国の被爆者団体と長崎県被爆2世教職員の会が設けた賞。 ^ 訃報:本島等さん92歳=元長崎市長 毎日新聞2014年10月31日 ^ 原爆と戦争責任(本島等発言記録) ^ 広島大学学術・社会産学連携室研究企画室 (2015年). “川口隆行(大学院教育学研究科)”. 広島大学研究者総覧. 広島大学. 2018年8月23日閲覧。 ^ 川口隆行「被害と加害のディスクール」雑誌「原爆文学研究」第3号 (2004.08) ^ この人を見よ 〜本島 等氏の言動の先にあるもの〜 飯嶋七生 自由主義史観研究会 『長崎市長への七三〇〇通の手紙』 径書房 第一版:ISBN 4770500718 増補版:ISBN 4770500777 長崎市長のことば 本島等 岩波ブックレット 1989(天皇戦争責任発言に関して本島氏に聞く) 昭和を生きて 沢地久枝 岩波ブックレット 1991(戦争責任について) タブーへの挑戦:本島発言に市民は 言論の自由を求める長崎市民の会編 1989(本島氏の発言を支持する市民の声) 天皇制と小さな民主主義:本島長崎市長銃撃に抗する市民たち 言論の自由を求める長崎市民の会編 明石書店 1990(本島氏銃撃事件へ発言する市民の声) 「なぜ平和宣言で「謝罪」を言ったか」 本島等 論座 (通号 31) [1997.11] 「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」、平和教育研究(24)(1997.4)→日本原爆論大系第7巻:歴史認識としての原爆 日本図書センター 1999に収録 『赦し 長崎市長 本島等伝』横田信行 にんげん出版:ISBN 9784931344211 原爆・戦争・ヒューマニズム 「本島等の思想」 平野伸人 編・監修 長崎新聞社 2012 進歩的文化人 昭和天皇の戦争責任論 長崎市長銃撃事件 若島和美(旧姓・田尻) 表 話 編 歴 家永恭種1878.10.21-1879.1.24 稲田又左衛門1879.1.27-1880.8.28 朝永東九郎1880.9.21-1886.8.12 金井俊行1886.8.12-1889.3.31 北原雅長1889.6-1895.6 横山寅一郎1895.6-1907.2 北川信従1907.5-1913.5 薄定吉1913.8-1913.9 高崎行一1913.12-1922.1 錦織幹1922.11-1926.11 富永鴻1927.3-1931.3 草間秀雄1931.7-1934.3 笹井幸一郎1934.5-1938.5 青木善祐1938.8-1940.3 井野次郎1940.7-1941.5 岡田壽吉1941.10-1946.10 大橋博1947.4-1951.4 田川務1951.4-1967.5 諸谷義武1967.5-1979.5 本島等1979.5-1995.5 伊藤一長1995.5-2007.4.18 田上富久2007.4.22-2023.4.25 鈴木史朗2023.4.26- FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 長崎市長 長崎県議会議員 自由民主党の人物 日本のカトリック教会の信者 京都大学出身の人物 長崎県出身の人物 1922年生 2014年没 中立的観点に議論ある項目 プロジェクト人物伝項目 言葉を濁した記述のある記事 (誰)/2019年 大言壮語的な記述になっている項目 言葉を濁した記述のある記事/2019年 独自研究の除去が必要な節のある記事/2019年7月-12月 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/24 11:23更新
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