村上朝一の情報(むらかみともかず) 裁判官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
村上朝一の情報まとめ
村上 朝一(むらかみ ともかず)さんの誕生日は1906年5月25日です。東京出身の裁判官のようです。
卒業、事件に関する情報もありますね。1987年に亡くなられているようです。
村上朝一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月25日 - 1987年(昭和62年)2月13日)は、日本の裁判官。最高裁判所長官。 東京帝国大学法科(現・東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。大阪地裁、京都地裁、東京地裁などで裁判官生活を送り、1938年に司法省民事局に勤務。戦時中に陸軍司政官になりジャカルタに派遣されたが、敗戦のため抑留生活をした。復員後に再び司法省民事局に勤務し、民法の改正作業に携わった。その後、1948年から法務庁民事局長(後に法務省民事局長)を10年務めた。1952年4月19日に法務府民事局長として「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」と題する通達を出した(これによりサンフランシスコ平和条約が発効した同年4月28日に在日朝鮮人と在日台湾人は平和条約国籍離脱者として外国人となった)。民事局長時代の1954年3月、保全経済会事件に関し衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。続いて「検察にも民事の知識が必要」として最高検公判部長となり、八海事件や松川事件の有罪論を組み立てた。その後、再び裁判所に戻り、横浜地裁所長、東京高裁判事、仙台高裁長官、東京高裁長官を歴任。 1969年に最高裁判所判事に就任。1973年に最高裁判所長官に就任した。就任の際に、石田前長官時代の激動期について「私は司法の危機はなかったと思う。しかし、誤解があればそれを解く努力をすべき」「(一連の騒ぎにおける最高裁の態度は)公正、妥当だった」と強調した。長官就任後の初めての高裁長官・地方所長会合では「迅速な裁判、判事補の育成指導」を訓示した。世間の理解を深める意味で司法記者との懇談を時折開くなどした。 在任中に1974年5月に東京都千代田区隼町にある現最高裁庁舎ができた。また同年に最高裁判所として法務省との間に判検交流を促進する協定を締結し、判検交流増加の基礎となった。1976年4月14日に衆議院議員総選挙の一票の格差について最高裁大法廷裁判長として戦後の選挙について初の違憲判決を出しながら「事情判決の法理」として選挙無効を回避した。最高裁長官退官後に、「事情判決に公選法を適用することには勇気を必要とした」と語った。 1906年 福岡県に生まれる 第三高等学校 東京帝国大学法学部卒業 1929年 大阪で裁判官に任官 1940年 司法省民事局第四課長 1942年 陸軍司政官として、オランダ領東インドのジャワ島に赴任 1948年2月15日 法務庁民事局長に就任。以後、法務府、法務省と約10年にわたり同局長を務める。 1957年12月28日 最高検察庁検事 1958年9月29日 最高検察庁公判部長 1963年8月20日 横浜地方裁判所長 1965年9月20日 東京高等裁判所判事(部総括判事) 1966年7月22日 仙台高等裁判所長官 1967年7月12日 東京高等裁判所長官 1968年11月19日 最高裁判所裁判官 1973年5月21日 石田和外に続く職業裁判官として、第6代最高裁判所長官 1976年5月24日 定年退官 1976年11月3日 勲一等旭日大綬章受章 1987年2月13日 従二位追賜 父も兄も医者。長男は東京大学法学部教授を歴任したドイツ法専攻の村上淳一。 ^ 野村二郎 1986, p. 147. ^ 野村二郎 2004, p. 62. ^ 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第12号 昭和29年3月20日 ^ 野村二郎 2004, p. 62-63. ^ 萩屋昌志 2004, p. 150. ^ 野村二郎 2004, p. 64-65. 野村二郎『最高裁全裁判官』自由国民社、1986年。ISBN 9784385320403。 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。 萩屋昌志『日本の裁判所』晃洋書房、2004年。ISBN 9784771016026。 山本祐司『最高裁物語(下)』講談社+α文庫、1997年。ISBN 9784062561938。 表 話 編 歴 細野長良1947 三淵忠彦1947-1950 田中耕太郎1950-1960 横田喜三郎1960-1966 横田正俊1966-1969 石田和外1969-1973 村上朝一1973-1976 藤林益三1976-1977 岡原昌男1977-1979 服部高顯1979-1982 寺田治郎1982-1985 矢口洪一1985-1990 草場良八1990-1995 三好達1995-1997 山口繁1997-2002 町田顯2002-2006 島田仁郎2006-2008 竹﨑博允2008-2014 寺田逸郎2014-2018 大谷直人2018-2022 戸倉三郎2022-2024 今崎幸彦2024- 大審院長 表 話 編 歴 小林俊三1947-1951 垂水克己1951-1955 安倍恕1955-1958 大野璋五1958-1960 横田正俊1960-1962 石田和外1962-1963 近藤綸二1963-1964 下村三郎1964-1965 山本謹吾1965-1967 村上朝一1967-1968 奥野利一1968-1970 岸盛一1970-1971 岸上康夫1971-1972 市川四郎1972-1974 安村和雄1974-1975 青木義人1975-1977 戸田弘1977-1978 寺田治郎1978-1980 大塚正夫1980-1981 川島一郎1981-1982 矢口洪一1982-1984 大内恒夫1984-1985 四ツ谷巖1985-1987 杉山克彦1987-1988 草場良八1988-1989 大西勝也1989-1991 三好達1991-1992 石田穣一1992-1993 栗原平八郎1993-1994 川崎義徳1994-1996 金谷利廣1996-1997 桜井文夫1997-1999 町田顯1999-2000 泉德治2000-2002 今井功2002-2004 仁田陸郎2004-2007 竹﨑博允2007-2008 白木勇2008-2010 安倍嘉人2010-2011 富越和厚2011-2012 吉戒修一2012-2013 山崎敏充2013-2014 小池裕2014-2015 倉吉敬2015-2016 戸倉三郎2016-2017 深山卓也2017-2018 林道晴2018-2019 今崎幸彦2019-2022 中村慎2022-2024 堀田眞哉2024-現職 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 日本の最高裁判所長官 戦前日本の司法官僚 日本の検察官 証人喚問された人物 陸軍司政官 捕虜となった人物 勲一等旭日大綬章受章者 従二位受位者 東京大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 福岡県出身の人物 1906年生 1987年没 2024/11/19 21:09更新
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