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村上信五の情報 (むらかみしんご) 【SUPER EIGHT】
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

村上信五の情報(むらかみしんご) 【SUPER EIGHT】 タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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村上 信五さんについて調べます

■名前・氏名
村上 信五
(読み:むらかみ しんご)
■職業
タレント
■村上信五の誕生日・生年月日
1982年1月26日 (年齢42歳)
戌年(いぬ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
大阪出身
■グループ
SUPER EIGHT

SUPER EIGHTのメンバー

(昭和57年)1982年生まれの人の年齢早見表

村上信五と同じ1982年生まれの有名人・芸能人

村上信五と同じ1月26日生まれの有名人・芸能人

村上信五と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


村上信五と関係のある人

中田大智: 関ジャニ∞の村上信五を尊敬しており、目標は「村上超え」。


清水順二: 代表作として、ロックバンド氣志團のドームツアー『氣志團現象最終章』、嵐の二宮和也主演『見知らぬ乗客』、関ジャニ∞安田章大主演『カゴツルベ』、村上信五主演『If or・・・III』、地球ゴージャス『ZEROTOPIA』。


松中みなみ: 村上信五とスポーツの神様たち(フジテレビ系列全国ネット 2016年10月19日、10月26日)


山地まり: 村上信五とスポーツの神様たち(フジテレビ、2015年6月10日) - ゲスト


中間淳太: 関ジャニ∞村上信五とジャニーズWEST桐山照史と中間淳太のレコメン!(2016年3月31日 - 2018年3月29日、文化放送) - 木曜パーソナリティ


堤礼実: 村上信五とスポーツの神様たち(不定期出演)


駒田徳広: フジテレビ系列で2015年6月10日に放送された『村上信五とスポーツの神様たち』に満塁の神様として出演した際、伊藤美奈子の『誘魚灯』をお気に入りの歌として紹介し、誘魚灯をBGMに駒田の生涯満塁本塁打全13本の映像が流された。


シュウペイ: 村上信五のだれおる! 「その後の報告SP」(2023年7月15日 、 Lemino)


服部想之介: 村上信五とスポーツの神様たち(フジテレビ)


劇団ひとり: 『午前0時の森』(日本テレビ)で共にMCを務める村上信五(関ジャニ∞)からは、本名の「省吾」「省吾さん」と呼ばれている。


岡本貴也: 2006年12月 関西テレビ「関ジャニ∞青春ドラマシリーズ」「ダイブ・トゥ・ザ・フューチャー」(村上信五、安田章大、錦戸亮ら)


原口あきまさ: 村上信五


シュウペイ: 村上信五のだれかおるやろ!(2023年1月25日 、2023年3月8日、 ひかりTV)


西川きよし: 関ジャニ∞の村上信五曰く、新幹線でお弁当を食べている西川に挨拶に行くとお弁当をバーン!と吹っ飛ばしながら立ち上がり「いつもヘレンがお世話になってます」(当時村上は西川ヘレンと番組で共演していた。


錦戸亮: しかし、村上信五はその隣の部屋でずっとゲームをしていたという。


桐山照史: 関ジャニ∞村上信五 ジャニーズWEST桐山照史・中間淳太のレコメン!(2016年3月31日 - 2018年3月29日、文化放送) - 木曜パーソナリティ


岡村俊一: フォーティンブラス(主演:長野博・村上信五)(2003年、東京グローブ座、近鉄劇場、演出)


滝沢秀明: 仲が良い友人はタッキー&翼のメンバーである今井翼と村上信五とされている。


市川勝也: 村上信五のびっくり!スポーツ~そして神は舞い降りた~(フジテレビ)


河合郁人: 同年末年始の出演番組数でも、村上信五に次ぐジャニーズ事務所内2位へと躍進した。


渋谷すばる: 村上信五とは、実家からの最寄り駅が隣同士で地元が近かった事もあり、関西ジャニーズJr.時代はいつも一緒に電車で仕事場に通っていた。


横山裕: このオーディションには村上信五もいた。


むらせ: 村上信五 (SUPER EIGHT)


増田英彦: ジャニ勉にて村上信五が「今度野球一緒にやりましょう!ジャニーズWEST連れて行きますんで」と答えたら「ほな、はるか師匠外してもよろしいか?」と聞いていた。


コモリタミノル: 「Forward」(村上信五ソロ)作詞:capitao、作曲:コモリタミノル、編曲:ha-j、コーラスアレンジ:コモリタミノル


大倉忠義: なお、メンバーの村上信五からは「たつくん」と呼ばれることがある。


松中みなみ: 村上信五とスポーツの神様たち(フジテレビ系列全国ネット 2016年4月21日、28日)


北本かつら: 関西ジャニ∞渋谷すばる・村上信五LIVE 未定・壱


渋谷すばる: しかし、その後は約3か月間連絡が無かったが、同年12月に大阪城ホールで開催されたKinKi Kidsのクリスマスライブのオーディションに呼ばれ、同じオーディションに参加していた横山裕や村上信五らと共に初ステージを飾った。


松中みなみ: 村上信五とスポーツの神様たち(フジテレビ系列全国ネット 2016年11月30日)


村上信五の情報まとめ

もしもしロボ

村上 信五(むらかみ しんご)さんの誕生日は1982年1月26日です。大阪出身のタレントのようです。

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人物、所属グループなどについてまとめました。引退、母親、テレビ、ドラマ、映画、趣味、家族、兄弟、父親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。村上信五の現在の年齢は42歳のようです。

村上信五のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

村上 信五(むらかみ しんご、1982年〈昭和57年〉1月26日 - )は、日本の歌手、キーボーディスト、司会者、タレント。大阪府高槻市出身。STARTO ENTERTAINMENT所属。SUPER EIGHTのメンバーであり、主にキーボード、ピアノを担当している。

中学生の時に親友に誘われ、芸人を目指すために吉本興業の吉本総合芸能学院(NSC)に入ろうとしていた。

中学2年生の時にクラスメイトにV6のファンがおり、ジャニーズ事務所のオーディションを受ける様に薦められるが、当初はジャニーズに興味が無く、恥ずかしさもあったため聞き流していた。しかし、翌年の夏に部活動を引退して受験勉強をするタイミングでも薦められたため、1996年、中学3年生の時に「一人で受けるのが嫌」という理由で当時前の席だった友人を誘い履歴書をジャニーズ事務所に送り、書類選考による一次審査を合格。この時点まで母親に黙ってオーディションを受けていたため、受験期にオーディションを受けていた事を怒られたが、「約束は守りなさい」と言われ、同年12月25日に開催された二次審査のオーディションを受けて合格を果たした。その時のオーディションには横山裕も参加していた。

オーディションから帰ってきた夜に、当時社長のジャニー喜多川から電話で「明日、KinKi Kidsのコンサートあるんだけど、ローラーブレード、ユー出来る?」と聞かれ、「出来ます」と答えたところ、そのまま翌日のKinKi Kidsのクリスマスライブに横山や渋谷すばるらと共に出演する事になり、初ステージを飾った。その後、横山や渋谷と共に関西ジャニーズJr.の中心メンバーとして活躍。1998年にはヤングジャニーズのメンバーとしても活動した。

1999年4月より、文化放送で『関ジャニ横山裕・村上信五の笑う大捜査線』が放送開始。以降、2003年から2018年まで『レコメン!』の木曜パーソナリティを約15年間担当するなど、番組名やパートナーや放送枠を変えながらも20年以上にわたって同局の番組でパーソナリティを務めており、2022年3月に開催された同局の『開局70周年ウィーク』のスペシャルアンバサダーに就任し、開局70周年記念特別番組『開局70周年 もっと一緒に!文化放送リスナー大感謝スペシャル「きっかけはラジオ」』ではメインパーソナリティを務めた。

2002年に関西ジャニーズJr.のメンバーで関ジャニ8(後の関ジャニ∞)を結成し、2004年に関ジャニ∞としてシングル『浪花いろは節』でCDデビュー。

2004年7月期、テレビ朝日系水曜ドラマ『はぐれ刑事純情派』に出演し、同年7月期の『第8回 日刊スポーツ・ドラマグランプリ』で新人賞を受賞した。

2006年12月、大阪松竹座でソロライブ『2006 Winter Special 村上信五 ソロLIVE』を開催した。

2008年1月・2月、渋谷との約120分間全編アドリブのセルフプロデュース二人舞台『「未定」壱』を開催した。

2009年1月・2月、作・演出・出演全てを手掛ける1人舞台『If or…』を上演。以降、「If or…シリーズ」として2018年まで約10年間に渡って毎年上演され通算300公演を迎えたが、10作目である『If or…Ⅹ』をもって充電期間に入る事を発表した。

2010年10月、長編音楽映画『8UPPERS FEATURE MUSIC FILM』で限定上映ながら映画初出演にして関ジャニ∞として映画初主演。

2012年、自身の趣味であるサッカーを活かし、『UEFA EURO 2012』(TBS系列)のスペシャルナビゲーターに就任。以降、2014年には『2014 FIFAワールドカップ』(TBS系列)のSAMURAIキャスター、2018年には『2018 FIFAワールドカップ』(テレビ朝日系列)のプレゼンターを務めた。

2015年、グループでのレギュラーを含め、自身のレギュラー番組が月曜日から日曜日まで全曜日制覇を達成。所属事務所内では、中居正広(当時SMAP)と国分太一(TOKIO)に次ぐ快挙となった。

2017年から2019年、ビートたけしとタッグを組み、フジテレビ系の大型特別番組『FNS27時間テレビ』のキャプテンに3年連続で就任した。

2021年、夏季オリンピック『東京2020オリンピック』(フジテレビ系列)のメインキャスターに就任。翌2022年には、冬季オリンピック『北京2022オリンピック』(フジテレビ系列)でもメインキャスターに就任し、2大会連続で同局系列のオリンピックキャスターを務めた。

2023年4月より、『ノウタス株式会社』の非常勤の事業開発担当に就任。

2024年、所属する関ジャニ∞のグループ名が「SUPER EIGHT」に変更された。

人物

本人

愛称は「ヒナ」。由来は、ジャニーズJr.時代に周りから「目元が雛形あきこに似ている」と言われたことである。雛形本人もこのことを認知しており、番組で2人が共演する度に話題に挙げていた。その後、2018年に関ジャニ∞(後のSUPER EIGHT)の番組『関ジャニ∞のジャニ勉』(関西テレビ)に雛形が出演した際に改めて2人が似ているのかを再検証し、横山裕曰く「逆に今(2018年)の方が似てきている」という。

出生は大阪府枚方市だが、幼稚園に入る前に引っ越し、それ以降は高槻市で育った。そのため、枚方市での記憶はほぼ無いという。

幼少期の性格は人見知りで、母親の後ろによく隠れている子供だったという。また、当時はアレルギーを多く持ち、食べられる食材も限られていたため、病弱な子供だったという。

幼少期の夢はバスの運転手。大型の自動車を運転している人に憧れを抱いており、幼稚園の送迎バスが大型バスだったことから「オトンより大きい車を運転したい!」と将来の夢になったという。その後はバスケットボールに出会いバスケットボール選手を目指したことや、中学2年生の時の社会教師がとても楽しそうに独自の授業をしていたのを見て「俺もこんな授業をしてみたい!」と教師を目指したことのもあった。

小学生の時は、小学4年生から毎年生徒会の役員を務めていた。しかし、自ら立候補して役員を申し出た訳ではなく、教師から「みんなやりたがらないから、生徒会とかやってくれないかな?」と言われ、やる人がいなくて困っているのであれば「俺で良ければやってもええけど…」という流れで人助け感覚で仕方がなくやっていたという。それでも引き受けた以上は中途半端にはせずら最後までやり切ったという。その影響で、勉強の出来る人からやんちゃな性格の人やお調子者まで、分け隔てなく様々な友達が出来たという。

高槻市立芝谷中学校出身。

高校には進学したが、芸能活動が好きになっていたこともあり、「バイトしながらこれ(芸能活動)を続けていった方がええんちゃうかな?」と考えるようになり、その頃出席日数が足りないという話になった時に、私立の高校に通っていたため「高い学費を払って留年して、また1年長く高い学費を払い続けるのもな…」と考え、高校を中退する決意を固めた。しかし、当時はまだレギュラー出演する番組も少なく、両親からは「高校くらいはちゃんと出ておきなさい」と反対され、特に母親が心配していたという。最終的には高校を中退し、関西ジャニーズJr.としての活動を選んだ。

初めて上京したのは19歳の時である。きっかけは、東京の番組で藤井隆らから学んだ緊張感のある空気をもっと知りたいと考えたからであり、大阪にいると可愛がってもらえるが故に甘えが生じてしまうからだという。

家族

2人兄弟の長男で、6歳下の弟がいる。ジャニーズ事務所に入所する前はよく弟と一緒に遊んでいたが、入所後は仕事が忙しくなり、仕事で東京に行く機会も多くなっため、弟と一緒に居る機会が減ってしまったという。

母親からは「約束は守らないとあかん」と幼稚園の頃から教えられており、父親からは「おはよう」「おやすみ」「ごちそうさま」という挨拶だけは絶対言うように教えられたという。

交友関係

横山裕とは、ジャニーズJr.時代から一緒に活動することが多かったため、当時は「ライバル」と意識していたという。横山とのコンビは「ヨコヒナ」と呼ばれ、コンビでテレビやラジオなどで全国区で活躍することが多かった。そのため、横山とは「一蓮托生」だと語っている。

渋谷すばるとは、実家からの最寄り駅が隣同士で地元が近かったこともあり、関西ジャニーズJr.時代はいつも一緒に電車で仕事場に通っていた。そのため、渋谷の退所会見では、渋谷のことを「旧知の仲」であり「幼なじみ」と表現していた。

丸山隆平とは、メンバーで唯一心配になる人だといい、一時期様々なことを抱え込んでいた丸山のことを気にかけ、自身の家に泊めているうちに、同棲しているような状態になっていた。

元タッキー&翼の滝沢秀明とは、Jr.時代に圧倒的な人気を誇っていた滝沢に対して、当時は羨ましさから嫉妬や僻みのような感情を抱いていたが、『やったるJ』(テレビ朝日系列)の世界一周企画で寝台列車に一緒に乗った際に、「実は俺お前のこと嫌いなんだけど」「いや、俺もやねん」と互いに思いの丈を吐露した結果、最終的に話が盛り上がり、逆に仲良くなったという。

生田斗真とは、Jr.時代にバラエティ番組やドラマで共演したことから仲良くなり、番組のロケ終わりに生田と横山と3人で焼肉を食べに行ったり、遊びに行っていたという。また、ドラマで共演した際に、自身の交通費や宿泊代を浮かせるために生田の実家に泊まり込んでいたという。

TOKIOの国分太一とは、Jr.時代から何度も相談に乗ってもらっており、「恩人」だと語っている。また、後の関ジャニ∞のメンバーが全員出演した舞台『ANOTHER』の時に、クレジットで自身の名前が一番最初に載っていたことから、国分から「一番前に名前を書いてくらたっていうことはどういうことか、よく考えてやってこい。頑張れ」という言葉を貰ったといい、当時は関西ジャニーズJr.そのものが継続の危機に面していたため、「俺が(関西ジャニーズJr.を)引っ張れってことやな。ほんまにやらな!!」と改めて感じたといい、そこからは拘っていたプライドは捨て、がむしゃらに活動を続けられたという。

元サッカー日本代表の大久保嘉人とは10年以上の交流がある友人であり、大久保を応援するために自分で作詞した「Forward」というソロ曲も関ジャニ∞のアルバム『KJ2 ズッコケ大脱走』に収録されている。

ビートたけしとは、『世界!極限アーティストBEST20』(日本テレビ系列)や『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系列)でタッグを組んで以降交流があり、関ジャニ∞がデビュー18周年記念の野外ライブ『18祭』のロゴの原案をたけしが担当した。たけしからの影響は大きく、「知識から仕草から、言葉の使い方、気遣いから全部が尊敬出来る」と語っている。

音楽活動

キーボードを始めたきっかけは、「鍵盤おったら音に厚みが出る」という理由から渋谷に頼まれたからである。キーボードの経験は無かったが、苦痛ではなかったといい、「グループに必要であるなら、自分がやれることなら、何でも引き受けようと思った」と語っている。また、「みんなの足を引っ張らんようにしよう。俺はメンバーとうちらを求めてくれる人のために頑張ろう」ということを心掛けているという。

Clavia『Nord Electro 3-73』

YAMAHA『CP1』

HAMMOND『XK-3』

KORG『KRONOS』

バラエティ・MC業

トークスキルには定評があり、ビートたけしや明石家さんま、マツコ・デラックスらからも高い評価を受けている。

2015年には、グループでのレギュラーを含め、「自身のレギュラー番組が月曜日から日曜日まで全曜日を制覇する」という、事務所内で中居正広(当時SMAP)と国分太一(TOKIO)に次ぐ快挙を果たした。2021年には『東京2020オリンピック』、2022年には『北京2022オリンピック』(共にフジテレビ系列)のメインキャスターを務めるなど、MCやキャスターとして活躍の幅を広げている。

17歳の時、一度東京から大阪に戻った時のタイミングで、横山や渋谷には演技力や歌唱力といった点で秀でる才能があるのに対して、「Jr.」という肩書きを外した時に「俺、何も無いぞ」と考えるようになり、「俺、今まで何してきたんやろ?」と自分を見つめ直した。最初は「もうしんどいことするくらいやったら(芸能活動を)辞めよう」と考えていたが、仕事の電話が掛かってきたら自然に体が動くほど、既に芸能活動が好きになっていたため、思い留まったという。そこで、自分に何が出来るのかを考えた結果、「Jr.にツッコミがいない」ということに気付いたという。このことに関して、他の分野に才能があった横山と渋谷の存在は大きかったといい、「ヨコとすばるが居なかったら、そこ(ツッコミ)をやろうと思ってない」「ヨコとすばるが同期じゃなくて、どっちかが上(先輩)だったり、後輩だったら、今の俺は絶対ない」と語っている。

ツッコミの勉強のために、様々なバラエティ番組を観たといい、特にナインティナインの矢部浩之に憧れており、矢部が出演する『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系列)の楽屋に「とにかく会いたい、ご挨拶したい」と無理を言って先に座らせてもらい、矢部が楽屋に入ると、村上がナインティナインやお笑いへの熱意を矢部に伝えてきたという。

ツッコミを始めたての時は、仲の良かった生田斗真がツッコミの練習台になっていたといい、初めて先輩の頭を叩いたのは、『USO!?ジャパン』(TBS系列)のロケで一緒だった国分だという。しかし、スタジオの嵐のメンバーや滝沢秀明らは驚いており、ほぼ笑っていなかったが、国分本人だけが本気で笑ってくれていたという。

自分の中で「ツッコミ」というものが確信した瞬間として、『ピカイチ』(日本テレビ系列)の1コーナーの進行役を務めた際に、同番組のディレクターから「良かったよ」と褒められたことで自信がついたという。

Jr.時代には当時TOKIOの山口達也にもツッコミで頭を叩いたことがあり、その後山口と食事に行った際に、村上が頭を叩いたことを謝ると、「良いんだよ。ヒナ、ツッコミだから」と言われ、そこから「この道(ツッコミ)で進めば良いんだ。間違っていないんだ」と思えたという。

テレビ朝日系列の番組で藤井隆とレギュラーコーナーを持った際に、当時レギュラー番組をいくつも掛け持ちしていた藤井が時間をかけて同コーナーの打ち合わせをして番組に向き合っているのを見て、「俺は何してたんやろ?こんなんじゃアカンわ!」と、バラエティ番組に対する意識が大きく変化したという。

個人での仕事とは異なり、関ジャニ∞で居る時は回しに徹するようにしているといい、各メンバーの強みをそれぞれ組み合わせる役回りの方が「好きだし面白い」と語っている。その例として、『関ジャニ∞クロニクル』シリーズでは「MCをしない」と伝えているいい、メンバーと遊びに行っている感覚だったという。

下積み時代

入所当初は、同期であった横山や渋谷がJr.内のメインメンバーとして仕事をすることが多く、自身はサブメンバーとして呼ばれていた。しかし、そこに対しては焦りや僻みは無かったといい、あくまで部活動の延長のような遊びに行っている感覚だったという。

高校中退後は、舞台『KYO TO KYO』が活動の中心になっていたというが、同作が終了した年に、当時18歳前後だった関西ジャニーズJr.の先輩たちが一気に事務所を退所し、初めて自身も18歳になった時の身の振り方を考えたという。その際に、同作の座長を務めた先輩までもが退所を決意したことを聞き、「座長をしてる人までがそんなこと言うん!?」「うちらには全く道が無いってことなんかな?」と戸惑い、その先輩に「俺も辞めようかな」と相談したところ、先輩から「とことんやり切ってからでも、その判断を実行に移すのは遅くないと思うよ」「まだ大丈夫やで」と言われ、その時期に横山や渋谷と3人で活動する機会が増えていたことから、「中途半端な頑張りのまま途中で辞めるのは良くないな。辞めるならとことんやり切ってから辞めよう」と思えたという。そのため、先輩の「まだ大丈夫やで」の一言には感謝しているという。

その後、活動の幅が広がり、後の関ジャニ∞のメンバーや滝沢秀明や嵐のメンバーらと共に『8時だJ』(テレビ朝日系列)などをきっかけにJr.ブームのようなものが起こり、その中で「自分を求めてくれている仕事」「その仕事を楽しいと思える自分」「その自分を応援してくれるファン」のそれぞれを自覚し、初めて「売れたい」と思うようになったという。

上京したての頃は、それまで貯めた小遣いで家賃を払っており、食事は百円均一の特売日に蕎麦やうどんを買い込み、それに汁を薄めて量を増やして食べていたという。また、金をかけない生活を送るために基本的に部屋の中で過ごし、バラエティ番組やお笑いのビデオをずっと見ていたという。

しかし、東京で芽が咲かず、一度大阪に戻ることになった。同時期に後の関ジャニ∞が全員出演した舞台『ANOTHER』が決まったというが、この時期が一番仕事が少なくなっていた時期だという。同作では、村上的には「これ以上無いくらい出し切った感はめっちゃあった」と語っているが、その感覚と集客が比例しておらず、収容人数の6割5分しか入らなかったという。当時の関西ジャニーズJr.にはもう先輩がおらず、村上たちが一番年上だったため、毎日「とにかくこの状況を何とかしなければヤバい」ということばかり考えており、スタッフともその話を常にしていたという。翌年の舞台『関ジャニ8サマースペシャル2003 DOUTON BOYS』では、『関ジャニ8(後の関ジャニ∞)』という名前が付いた後の舞台だったため、「持った関ジャニ8についてだけ考えなければ」「グループとしての土台をしっかりせな」と思い始め、仲間意識を持って活動したこともあり、観客が少し増え、収容人数の8割にまでなったという。最終的に、舞台で満席になるまで『ANOTHER』から3年掛かったという。

当時の他のグループと異なり、関西ジャニーズJr.からデビューしたため、関西出身のグループとしての手本やノウハウが無かったという。そのため、思い通りにならないことや叶わないことばかりだったが、「いつか絶対、夢を叶えてやる」というエネルギーが一番満ち溢れた時期だったといい、当時は「苦労というよりはチャレンジ」「めっちゃ楽しかった」と語っている。

下積み時代は関ジャニ∞のライブ会場に空席が目立っていたため、デビューして以降もライブを行う度に、幕が開くまで「お客さん、ほんまに居るかな?」と思ってしまうほどトラウマになっているという。しかし、いつまでも当時と比べて観客やファンが多い状況に驚いていては観客に対して失礼であると考えており、その気持ちに精一杯で応えていかなければならないと考えるようになったという。

趣味・嗜好

趣味はサッカーやフットサル。自身が率いるフットサルチーム『リアル・モリコット』を結成するほどサッカーが好きで、2012年には『UEFA EURO 2012』(TBS系列)のスペシャルナビゲーターに就任して以降、2014年の『2014 FIFAワールドカップ』(TBS系列)ではSAMURAIキャスター、2018年の『2018 FIFAワールドカップ』(テレビ朝日系列)ではプレゼンターを務めるなど、サッカーに関連する仕事を多数行っている。

小学5年生から中学2年生までバスケットボールをやっており、小学生の時は部活が無かったため地元のチームに所属し、中学生の時はバスケットボール部に入部していた。始めたきっかけは、友人の兄がバスケットボールをやっており、その友人に誘われて無理矢理教わったという。しかし、始めてみると魅力が分かり、徐々に好きになっていったという。中学2年生まではマイケル・ジョーダンに憧れ、本気でNBAを目指していたというが、その年の夏に部活動を引退して以降は、受験勉強をしなければならなかったため、バスケットボールからは遠のいてしまったという。自身がフジテレビ系列の『東京2020オリンピック』のメインキャスターを務めていた2021年には、バスケットボールの国際強化試合の生中継MCを担当した。

所属グループ

※デビューしたグループのみ。

SUPER EIGHT(2002年 - )

Twenty★Twenty(2020年)

STARTO for you(2024年

KAMIGATA BOYZ(2024年

2024/06/12 03:52更新

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村上 信夫_(シェフ)(むらかみ のぶお)
1921年5月27日生まれの有名人 東京出身

村上 信夫(むらかみ のぶお、1921年5月27日 - 2005年8月2日)は、日本のフランス料理シェフ。元帝国ホテル顧問。愛称は「ムッシュ村上」。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長…

村上 信夫_(アナウンサー)(むらかみ のぶお)
1953年6月30日生まれの有名人 京都出身

村上 信夫(むらかみ のぶお、1953年6月30日 - )は、フリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。 本郷高等学校、明治学院大学社会学部卒業後、1977年入局。趣味は将棋。 大阪からラジオセ…

村上 里和(むらかみ さとわ)
1966年1月14日生まれの有名人 北海道出身

村上 里和(むらかみ さとわ、旧姓:竹内、1966年1月14日 - )は、NHKのアナウンサー。 北海道札幌南高等学校を経て津田塾大学国際関係学科卒業後、1989年入局。 嗜好・挿話 1992…

村上 由利子(むらかみ ゆりこ)
1972年10月2日生まれの有名人 東京出身

村上 由利子(むらかみ ゆりこ、1972年10月2日 - )は、NHKのアナウンサー。2014年7月から2018年春までラジオセンターのディレクター。 東京都府中市出身。東京学芸大学教育学部附属高…

村上瑠美奈(むらかみるみな)
【predia】
1989年11月8日生まれの有名人 東京出身

村上瑠美奈(むらかみるみな、1989年11月8日 - )は、日本の女性アーティスト、振付師である。アーティスト活動はRazwald (ラズワルド) 名義、YouTubeのチャンネル名は RUMINA …

村上結梨(むらかみゆり)
1996年6月21日生まれの有名人 北海道出身

エレガントプロモーション、 村上結梨(むらかみゆり、1996年6月21日 )は、日本のファッションモデル、テレビタレント、舞台女優、TikToker、 instagramer、ライバー、でありライブ…

村上 友梨(むらかみ ゆり)
1992年11月7日生まれの有名人 広島出身

村上 友梨(むらかみ ゆり、1992年11月7日 - )は、日本の女優、タレント、介護福祉士、元グラビアアイドルである。 広島県出身。かつてエープラスに所属していた。 2006年に地元・広島でスカ…

村上 佳菜子(むらかみ かなこ)
1994年11月7日生まれの有名人 愛知出身

村上 佳菜子(むらかみ かなこ、英: Kanako Murakami、1994年11月7日 - )は、日本のプロフィギュアスケーター、タレント、解説者。2000年代後半から2010年代にかけて…

村上 恵梨(むらかみ えり)
1982年5月23日生まれの有名人 愛知出身

村上 恵梨(むらかみ えり、1982年5月23日 - 2007年7月8日)は、日本のタレント、グラビアアイドル。本名は村上恵梨子(むらかみえりこ)。サッポロビールやユニチカなどのイメージガールを歴任し…

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