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松岡康毅の情報まとめ
松岡 康毅(まつおか やすたけ)さんの誕生日は1846年8月14日です。徳島出身の政治家のようです。
現在、事件に関する情報もありますね。1923年に亡くなられているようです。
松岡康毅のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松岡 康毅 (まつおか やすたけ、1846年8月14日〈弘化3年6月23日〉 - 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の司法官僚・政治家。徳島県板野郡上板町七条出身。従一位勲一等男爵。検事総長、農商務大臣、貴族院議員。日本法律学校第2代校長、日本大学初代学長・初代総長。幼名は毅之進、のち康毅。 検事総長や農相を歴任。学問的遺業の中には拷問制度の廃止と裁判所構成法を中心とする訴訟制度近代化の提唱が特筆されている。 山田顕義の死後、廃校決議まであった日本法律学校を立て直し、30年間にわたり日本大学の発展に寄与し、同学の礎を築いた。 1846年(弘化3年)6月23日、阿波国板野郡七条村(現在の徳島県板野郡上板町七条)に、徳島藩中老長谷川家家臣・松岡佐左衛門康吉の四男として生まれる。 1859年(安政6年)- 藩校長久館に学ぶ。 1861年(文久1年)- 江戸で幕府儒官・若山勿堂に入門。 1863年(文久3年)- 大坂の漢学塾泊園書院(現・ 関西大学)で藤沢東畡に師事。 1870年(明治3年)- 徳島藩庁の文学復読方に任じられ、次いで公務方応接役、民生局検事助役、少属、権大属を歴任。 1871年(明治4年)- 新政府に出仕、司法省権大録、司法省大録、権少判事、少判事を歴任。 1875年(明治8年)5月 - 東京裁判所所長。その後、神戸裁判所所長、司法大書記官を歴任。 1882年(明治15年)2月 - 広島控訴院裁判長。 1886年(明治19年)3月 - 裁判実務視察のためドイツとフランスへ出張。 1887年(明治20年)11月 - 欧州視察から帰国。翌月には司法大臣・山田顕義のもとで法律取調委員会の委員を命じられ、民法や商法など各種法令の調査と審議に従事する。 1888年(明治21年)2月 - 高等法院陪席裁判官 1889年(明治22年)10月4日 - 日本法律学校(後の日本大学)設立評議員。 1890年(明治23年)10月 - 東京控訴院長 1891年(明治24年)6月 - 検事総長。同年12月、貴族院勅選議員に勅任。 1892年(明治25年)8月 - 司法官弄花事件の影響により検事総長を辞任。 1893年(明治26年)- 廃校の危機に立たされた日本法律学校の存続のため中村元嘉や春木義彰らと奔走。同年12月同校第2代校長。 1894年(明治27年)1月 - 第2次伊藤内閣で内務次官。その後、内務省所管事務政府委員、台湾事務局委員、内務省文官普通試験委員長を歴任。 1898年(明治31年)1月 - 第3次伊藤内閣で内務次官に再任。同年11月行政裁判所長官。 1903年(明治36年)8月 - 専門学校令による大学組織「日本大学」の初代学長。 1906年(明治39年)1月 - 第1次西園寺内閣で農商務大臣。 1917年(大正6年)8月14日 - 男爵 1920年(大正9年)10月22日 - 枢密顧問官
1922年(大正11年)3月 - 日本大学に総長制度を導入し、初代総長。 1923年(大正12年)9月1日 - 葉山別邸で関東大震災に遭い、死去。満78歳。従一位を追贈。 1873年(明治6年)11月15日 - 正七位 1886年(明治19年)10月28日 - 従四位 1890年(明治23年)11月4日 - 従三位 1896年(明治29年)12月21日 - 正三位 1886年(明治19年)5月29日 - 勲五等双光旭日章 1889年(明治22年)
12月27日 - 勲三等瑞宝章 1891年(明治24年)3月30日 - 勲二等瑞宝章 1902年(明治35年)6月30日 - 勲一等瑞宝章 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日大綬章 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 夫人は光子は小室寛蔵の長女、長男の松岡均平は男爵家を継ぐと共に貴族院議員・東京帝国大学教授を務めた。均平の長男である松岡康光は日大生産工学部教授で、三島通陽は均平の娘婿(康毅の孫婿)。 山田立夫 編『退堂遺稿』[出版者不明]、1924年。 NCID BN04742280。全国書誌番号:55007854。 高瀬暢彦 編『松岡康毅日記』日本大学精神文化研究所〈日本大学精神文化研究所 6〉、1998年3月。 NCID BA37616100。全国書誌番号:99121204。 スタイン『訴訟手続大意講義』司法省、1888年5月。 NCID BN0673203X。全国書誌番号:40028547。 ウイルモウスキー『独乙訴訟法講義』司法省、1888年5月。 NCID BN12437872。全国書誌番号:40028670。
司法省発足時の松岡康毅七等出仕(後列左から3人目)。後列左より丹羽賢少丞、島本仲道警保頭 、松岡、松本暢権大判事(元壬生藩御典医・石崎誠庵)、尾崎忠治中判事、阪本政均警保助。前列左より、玉乃世履権大判事、福岡孝弟大輔、江藤新平司法卿、楠田英世明法権頭、渡辺驥少丞。1872年。
帝国法曹大観1915年、松岡康毅の写真
^ 『官報』第1512号、大正6年8月15日。 ^ 『官報』第2469号、大正9年10月23日。 ^ 『官報』第2482号、大正9年11月9日。 ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号 ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。 ^ 『官報』第2209号「叙任及辞令」1890年11月8日。 ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。 ^ 『官報』第906号「賞勲叙任」1886年7月9日。 ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。 ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。 ^ 『官報』第2322号「叙任及辞令」1891年3月31日。 ^ 『官報』第5696号「叙任及辞令」1902年7月1日。 ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。 ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。 ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、 ^ 的野半介『江藤南白 上』南白顯彰会、1914、p643 国立国会図書館『松岡康毅関係文書(所蔵)』「憲政資料室の所蔵資料」、1953年。 国立国会図書館『松岡康毅関係文書(MF:東京大学近代日本法政史料センター蔵)』「憲政資料室の所蔵資料」2006年7月。 高瀬暢彦『近現代日本人物史料情報辞典』「松岡康毅」吉川弘文館、2004年。 高瀬暢彦『松岡康毅日記』、日本精神文化研究所、1998年。 『松岡康毅先生伝』松岡康毅先生伝編纂委員会、1934年。 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。 第1次西園寺内閣 日本の華族一覧 官僚出身の帝国議会議員一覧 泊園書院 交友倶楽部 日本大学の人物一覧 『松岡康毅』 - コトバンク 『松岡 康毅』 - コトバンク 松岡康毅関係文書(所蔵) | 国立国会図書館 松岡康毅 まつおか やすたけ(1846〜1923) | 近代日本人の肖像 第二代校長 初代総長 松岡 康毅 | 日本大学の歴史 松岡康毅(まつおか・やすたけ 1846-1923)|泊園書院 徳島(2) 日大の初代総長・松岡康毅 財政立て直し礎を築く 表 話 編 歴 金子堅太郎 1889-1893 松岡康毅 1893-1903 松岡康毅 1903-1920 松岡康毅 1920-1923 平沼騏一郎 1923-1933 事務取扱/総長 山岡万之助 1933/1933-1946 呉文炳 1946-1958 永田菊四郎 1958-1969 鈴木勝 1969-1984 高梨公之 1984-1990 木下茂徳 1990-1993 瀬在良男 1993-1996 瀬在幸安 1996-2005 小嶋勝衛 2005-2008 酒井健夫 2008-2011 大塚吉兵衛 2011-2020 加藤直人 2020-2022 酒井健夫 2022-2024 大貫進一郎 2024- カテゴリ メディア 日本大学 学校法人 人物 表 話 編 歴 河野敏鎌 西郷従道 谷干城 西郷従道 山縣有朋 土方久元 黒田清隆 榎本武揚 井上馨 岩村通俊 陸奥宗光 河野敏鎌 佐野常民 後藤象二郎 榎本武揚 大隈重信 山田信道 伊東巳代治 金子堅太郎 大石正巳 曾禰荒助 林有造 平田東助 清浦奎吾 松岡康毅 大浦兼武 小松原英太郎 牧野伸顕 仲小路廉 山本達雄 大浦兼武 河野広中 仲小路廉 山本達雄 荒井賢太郎 田健治郎 岡野敬次郎 前田利定 高橋是清 山崎達之輔 内田信也 島田俊雄 石黒忠篤 千石興太郎 表 話 編 歴 岸良兼養 鶴田皓 渡辺驥 名村泰蔵 三好退蔵 三好退蔵 松岡康毅 春木義彰 横田国臣 野崎啓造 横田国臣 松室致 平沼騏一郎 鈴木喜三郎 小山松吉 林頼三郎 光行次郎 泉二新熊 木村尚達 岩村通世 松阪広政 中野並助 木村篤太郎 福井盛太 福井盛太 佐藤藤佐 花井忠 清原邦一 馬場義続 井本臺吉 竹内壽平 大澤一郎 布施健 神谷尚男 辻辰三郎 安原美穗 江幡修三 伊藤栄樹 前田宏 筧栄一 岡村泰孝 吉永祐介 土肥孝治 北島敬介 原田明夫 松尾邦弘 但木敬一 樋渡利秋 大林宏 笠間治雄 小津博司 大野恒太郎 西川克行 稲田伸夫 林眞琴 甲斐行夫 畝本直美 カテゴリ 表 話 編 歴 新設 黒田清綱 伊丹重賢 醍醐忠順 黒田清綱 黒田長成 大久保忠順 箕作麟祥 児島惟謙 鍋島直彬 本田親雄 大原重朝 板倉勝達 京極高典 細川護成 松平康荘 島津忠亮 松平康荘 二条基弘 大原重朝 島津忠亮 松木宗隆 松岡康毅 柳原義光 松浦厚 松岡康毅 柳原義光 寺島誠一郎 尾崎三良 柳原義光 林博太郎 山川健次郎 廣澤金次郎 徳川慶久 徳川圀順 松平頼寿 小笠原長幹 松平頼寿 小笠原長幹 細川護立 浅田徳則 柳原義光 松木宗隆 大久保利武 山内豊景 徳川家達 大久保利武 島津忠重 西郷従徳 大久保利武 樺山愛輔 柳原義光 高木喜寛 廃止 VIAF WorldCat ドイツ 日本 ドイッチェ・ビオグラフィー 日本の枢密顧問官 日本大学学長 貴族院勅選議員 大正時代の貴族院議員 明治時代の貴族院議員 明治時代の閣僚 日本の農商務大臣 日本の行政裁判所長官 日本の内務官僚 内務次官 (1886-1900) 日本の検事総長 日本の大審院判事 戦前日本の司法官僚 関西大学出身の人物 日本の男爵 従一位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 勲二等瑞宝章受章者 勲五等双光旭日章受章者 幕末徳島藩の人物 1846年生 関東大震災で死亡した人物 1923年没 経歴が年譜のみになっている人物記事 プロジェクト人物伝項目 外部リンクがリンク切れになっている記事/2018年5月 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事
2024/11/23 22:37更新
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