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清浦奎吾の情報 (きようらけいご)
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【4月7日】今日誕生日の芸能人・有名人

清浦奎吾の情報(きようらけいご) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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清浦 奎吾さんについて調べます

■名前・氏名
清浦 奎吾
(読み:きようら けいご)
■職業
政治家
■清浦奎吾の誕生日・生年月日
1850年3月27日 (年齢1942年没)
戌年(いぬ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
熊本出身

清浦奎吾と同じ1850年生まれの有名人・芸能人

清浦奎吾と同じ3月27日生まれの有名人・芸能人

清浦奎吾と同じ出身地熊本県生まれの有名人・芸能人


清浦奎吾と関係のある人

西園寺公望: 12月29日、虎ノ門事件の責任を取って第2次山本内閣が総辞職すると、西園寺が主導権を握って清浦奎吾を後継首相に推薦した。


芳川顕正: 続く第2次松方内閣では8日間の間留任し、清浦奎吾に跡を譲った。


細川護煕: 熊本県出身の総理大臣は清浦奎吾以来69年ぶり。


原夫次郎: 大正元年(1912年) 首相秘書官となり原敬や清浦奎吾らを支える。


秦郁彦: 在学中は戦史や、清浦奎吾ら政治家の研究に没頭した。


近衛文麿: 近衞は東條を首相に推薦した重臣会議を病気を理由に欠席しているが、当時91歳の清浦奎吾が出席していたのと対比されて後世の近衞批判の一因となった。


原敬: 徳川家達・清浦奎吾といった候補者の内閣は成立せず、山縣と井上馨は大隈重信を奏薦した。


高橋是清: 政友会はその後も迷走し、清浦奎吾の超然内閣が出現した際には支持・不支持を巡って大分裂、脱党した床次竹二郎らは政友本党を結成し清浦の支持に回った。


大倉喜八郎: 政界からは首相・田中義一を始め若槻禮次郎、浜口雄幸、床次竹二郎、清浦奎吾、関屋貞三郎など、実業界からは三井高棟(三井財閥)、岩崎小弥太(三菱財閥)、安田善三郎(安田財閥)、馬越恭平、浅野総一郎(浅野財閥)ら、国外からは張作霖、陳宝琛、段祺瑞、蔣介石などであった。


山県有朋: 8月の第2次伊藤内閣総辞職後にできた第2次松方内閣は、大隈重信を外相とし、進歩党の支援も受けていたが、清浦奎吾法相をはじめとする山縣閥の官僚とその同調者が4人閣僚入りしている。


夏川結衣: 知られざる清浦奎吾の生涯 熊本初の総理大臣(九州地方限定放送、2000年)


原敬: すでに2年近く首相を務めてきた原はこの辺りが引き時であると感じており、田中の辞職とともに総辞職し、後継首相には清浦奎吾を迎えることを考えていた。


清浦夏実: 第23代内閣総理大臣・清浦奎吾の玄孫にあたる。


徳川家達: 1924年(大正13年)1月、第2次山本内閣の総辞職後、後継首相となった元貴族院議員の清浦奎吾が貴族院の最大会派である研究会を中心とした組閣を行ったことで護憲三派などから「特権内閣」と批判された。


大隈重信: 改革派は児玉源太郎、清浦奎吾、大浦兼武ら外部から党首を迎え、桂太郎首相に接近しようとする動きも見せていた。


鈴木喜三郎: 司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中義一内閣の内務大臣を歴任し、衆議院議員から再度貴族院議員となった。


大隈重信: 山縣が次いで推薦した清浦奎吾が辞退に追い込まれた後(鰻香内閣)、元老会議は大隈しかいないという空気になった。


床次竹二郎: 在任中に死去した加藤友三郎を後継した第2次山本内閣が虎ノ門事件の責任を取って大正12年(1923年)12月27日に退陣すると政友会改造派は高橋を首相とする政友会内閣の擁立を狙ったが、高橋総裁では指名を受け得ないと考える床次ら非改造派は貴族院研究会の幹部清浦奎吾を推戴し政友会・研究会連合内閣を目論んだ。


谷干城: しかし長期的な衰退は避けられず、山縣の側近平田東助・清浦奎吾がそれぞれ茶話会・研究会を押さえ両会派を連携させ、無所属団結成および無所属団と茶話会の大半を入れた幸倶楽部派と研究会の連携も成功すると懇話会・朝日倶楽部の劣勢が明らかになった。


原敬: 後継首相奏薦に当たる山縣に、側近の清浦奎吾は衆議院・貴族院・枢密院と良好な関係にある原しかいないと強く勧めた。


西園寺公望: 山縣有朋の死後、牧野宮相や松方によるご下問の範囲を山本権兵衛や清浦奎吾に拡大し、元老を再生産しようという動きや、枢密院が諮問範囲に加わるように求める動きはあったが、西園寺はその動きを認めなかった。


山県有朋: 松方の推した徳川家達貴族院議長が拝辞した後、松方は山縣直系である清浦奎吾を推薦した。


平田東助: 立憲政友会を与党とした第1次山本内閣がシーメンス事件のスキャンダルに見舞われた際には、茶話会は清浦奎吾率いる会派・研究会とともに、海軍予算7,000万円減を成立させ、3,000万円減の衆議院と対立。


加藤高明: 第二次護憲運動の高まりを受けた第15回衆議院議員総選挙で護憲三派勢力が圧勝したため、清浦奎吾首相は辞意を表明し清浦内閣は退陣、大命降下を受けた加藤は大正13年(1924年)6月11日、立憲政友会、憲政会、革新倶楽部からなる護憲三派内閣を率いる内閣総理大臣となった。


大麻唯男: 1924年(大正13年)、同郷の小橋一太(元文部大臣)の推挙により、清浦奎吾首相秘書官を務める。


水野錬太郎: 1924年(大正13年)、清浦奎吾内閣が成立するとふたたび内相となり、帝都復興院総裁も兼任した。


尾崎行雄: 第1次山本内閣がシーメンス事件で総辞職し、清浦奎吾が首相就任に失敗すると、大隈重信に再びお鉢が回り(第2次大隈内閣)、尾崎は中正会を代表して司法大臣として入閣した。


平野龍一: 同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。


山県有朋: 山縣はなおも婚約辞退にむけて動きを続けたが、山縣閥の有力者清浦奎吾枢密院副議長も久邇宮側に配慮する姿勢を見せ、原首相や元老たちも問題から距離を置くようになっていった。


山県有朋: しかしこれは山縣に無断で行われたものであり、山縣系の閣僚である清浦奎吾農商務大臣や寺内陸軍大臣にも伝えられていなかった。


清浦奎吾の情報まとめ

もしもしロボ

清浦 奎吾(きようら けいご)さんの誕生日は1850年3月27日です。熊本出身の政治家のようです。

もしもしロボ

現在、事件、解散、テレビ、病気に関する情報もありますね。1942年に亡くなられているようです。

清浦奎吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

清浦 奎吾(きようら けいご、旧字体:淸浦 奎吾、1850年3月27日〈嘉永3年2月14日〉- 1942年〈昭和17年〉11月5日)は、日本の官僚、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓大久保(おおくぼ)。

肥後(現在の熊本県)出身。司法・内務官僚として活躍した後に貴族院議員となり、官界や貴族院に大きな影響力を持った。その後、司法大臣、農商務大臣、内務大臣、枢密顧問官、枢密院副議長、枢密院議長を歴任。

1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣として組閣したが、超然主義との批判を受け、選挙に大敗したため5か月で総辞職した。その後は重臣として国事に関与した。

嘉永3年(1850年)2月14日、肥後国山鹿郡上御宇田村(現:山鹿市鹿本町来民)の明照寺(浄土真宗本願寺派)住職・大久保了思の五男に生まれ、後に清浦の姓を名乗った。清浦は慶応元年(1865年)から、豊後国日田で、漢学者・広瀬淡窓が主催する咸宜園に学んだ。同窓生には横田国臣がおり親友となったほか、日田県令を勤めていた松方正義、野村盛秀の知遇を得ている。1872年(明治5年)に上京し、埼玉県県令となっていた野村宅を訪問した際に、埼玉県の教育に力を貸すよう求められ、11月27日には埼玉県第21区小学第三校(通称は「風渡野(ふっとの)学校」。現・さいたま市立七里小学校)大教授(校長)申付として出仕した。1873年(明治6年)11月には、埼玉県権少属となり、1874年(明治7年)には権中属、1876年(明治9年)には中属となっている。

1876年(明治9年)8月11日には司法省に転じ、補司法省九等出仕として出仕した。これは岸良兼養の弟であり、清浦の同僚であった岸良俊介の推薦によるものであったとみられている。検事、太政官や内務省の小書記官、参事院議官補などを歴任するが、この間に、治罪法(今日の刑事訴訟法)の制定に関与した。このため、警視庁などから治罪法の講義を依頼され、それが『治罪法講義 随聴随筆』という本にもなり、広く警察官に読まれたという。

こうした活躍が、当時内務卿であった山縣有朋の目にとまり、1884年(明治17年)2月25日、全国の警察を統括する内務省警保局長に、34歳の若さで異例の抜擢を受けた。清浦の警保局長在任期間は7年間の長期に及んだが、その在任期間中の内務大臣は、5年余りが山縣であった。清浦の警保局長時代は条約改正交渉や国会開設のために警察制度の改革が求められており、警察官の教育制度である警官練習所・巡査練習所などが設置されている。

1891年(明治24年)4月9日、貴族院議員に勅任され、4月9日に警保局長を辞職した。間もなく警保局長時代から調整されていた欧州への視察に赴き、翌1892年(明治25年)4月に帰国した。貴族院では1906年(明治39年)まで研究会を率いて親山縣・反政党勢力の牙城にするとともに、伯爵以下の議員の互選に際しても選挙運動で活躍して研究会を第1会派に育て上げた。

1892年(明治25年)、第2次伊藤内閣の下で司法次官に任ぜられた。この内閣では山縣が司法大臣となっていたが、山縣は司法に全く知識がなかった。このため前司法大臣の山田顕義に相談したところ、清浦を推薦され、山縣も以前から清浦を知っていたため、これに応じたからであったという。伊藤内閣が成立したのは8月8日であるが、任命は8月23日であった。これは井上馨が清浦を警保局長に任命しようと交渉しており、これを円満に断るために時間がかかったためであるとという。

1896年(明治29年)9月18日、第2次松方内閣が成立すると清浦は司法大臣に任ぜられた。1898年(明治31年)の第3次伊藤内閣では入閣しなかったものの、同年11月成立の第2次山縣内閣、1901年(明治34年)成立の第1次桂内閣でも司法大臣となり、第1次桂内閣では農商務大臣を兼任(後に専任)、内務大臣を兼任している。農商務大臣在任時には同郷の牧野輝智を農商務大臣秘書に起用した。清浦の司法大臣在任は合計で5年6ヶ月に及ぶ。1902年(明治35年)には勲功により男爵に叙爵された。また法典調査会の副総裁も度々務めている。

第1次西園寺内閣では農商務大臣を松岡康毅、逓信大臣を山縣伊三郎が務めていたが、「農商務の如き次官已下属僚皆な清浦派にて」「逓信の如き次官已下属僚皆な清浦及び大浦の派にて」という状況であり、両大臣の実権はほとんどなかった。原敬は清浦と大浦が内閣を動揺させるのではないかと警戒している。

1906年(明治39年)4月13日、枢密顧問官となり、同年5月17日、貴族院議員を辞職した。

1914年(大正3年)、シーメンス事件のあおりで倒れた第1次山本内閣の後を受けて、元老松方正義は徳川家達貴族院議長を奏薦し、3月29日に大命降下した。しかし徳川は受ける気はなく、同日中に元老は次の候補者を選定することになった。松方正義は清浦を提案し、山縣に説得を依頼した。清浦はこれを応諾し、政友会の協力を得るべく、同日夜に原敬との会談を行った。清浦は即位大礼の後に政友会政権を譲ることなどを条件に協力を求めたが、原は肯定的な回答をしなかった。3月31日に清浦は組閣の大命を受けた。諸政党は反発し、一時は政友会・中正会・立憲同志会・立憲国民党の四派合同で超然主義内閣の出現に反対する決議が行われる動きであったが、4月4日に同志会を除く三派が個別に決議を行う形となった。

それでも海軍大臣以外の人選は順調に進んだが、海軍は政友会に近い山本権兵衛前首相の影響下にあり、後継海相の選出は難航した。ようやく加藤友三郎中将と交渉を行うことになったが、加藤は新造艦の費用支出のため、内閣による責任支出を行うか臨時議会の開催を要求した。清浦は憲法の規定から組閣前に約束はできないと拒絶した。清浦は加藤と齋藤実海軍大臣に後継推薦を願ったが、「何人も加藤同様ならん」と拒絶された。組閣が不可能となった清浦は大命を拝辞した。世間ではこれを「鰻香内閣」と呼んだ。これは清浦自身の回想によれば、組閣が難航していることを質問された清浦が「大和田の前を通っているようなもので、匂ひだけはするが、御膳立てはなかなか来ないわい」と言ったことがもととなったとされる。

1922年(大正11年)2月に山縣が没すると、後任の枢密院議長に就いた。高橋内閣が倒れた際には、「憲政の常道」に従って、第二党である憲政会の加藤高明を首相とするべきであるという意見を元老松方正義に伝えたが、もうひとりの元老西園寺公望には容れられなかった。

1923年(大正12年)、第2次山本内閣が虎ノ門事件で総辞職すると、総選挙施行のため公平な内閣の出現を望む西園寺の推薦によって、組閣の大命は再び清浦の下に降下した。1月1日に大命を受けた清浦は75歳という老齢と枢密院議長という職責から拝辞したい意向を1月3日に奏上するが、摂政宮裕仁親王より「此際の事であるから務めてやれ」という優諚を受けたため、清浦は組閣を行うこととなった。熊本県出身で総理大臣に就任したのは清浦が初めてだった。

清浦は組閣にあたって自らの支持基盤であった研究会を中心としたため、内閣の構成は貴族院に大きく偏重していた。貴族院からの入閣は研究会が3、交友倶楽部が2、茶話会が1、公正会が1という配分であり、陸海軍大臣のほかは外務次官であった松井慶四郎が入閣したのみであり、政党からの入閣者はなかった。ただし、西園寺が清浦推挙にあたって「政友会を尊重せしめ、政策により助けさせるが宣し」と述べたように西園寺は清浦内閣と政友会の協調が行われると考えており、清浦の側では政友会を敵とする意図は持っていなかった。また研究会は伝統的に政友会との協調関係を持っており、組閣にあたっても政友会との調整が行われていた。また内閣書記官長として政友会の衆議院議員であった小橋一太を招き、政友会との連絡も保持されていた。清浦は後に貴族院で「過渡期ニ於イテ斯ノ如キ内閣ガ憲政ノ常道に背クモノトハ思イマセヌ」と答弁している。

ところが山本内閣の後は政友会内閣であろうと考えていた政友会の派閥はこれに反発し、総裁高橋是清を辞任させようという動きが強まった。高橋派が主導権奪還のために清浦内閣との対決姿勢を強める一方、1月1日の夜には反高橋派である「改革派」の会合が行われ、清浦内閣に対し「積極的援助の方針を取る」ことが申し合わされている。

1月11日には都内の新聞各紙が清浦内閣に反発したこともあり、議会内外での倒閣の動きがはじまった。1月18日に枢密顧問官三浦梧楼の仲介で政友会総裁高橋是清、憲政会総理加藤高明、革新倶楽部犬養毅の会合が行われ、「特権内閣を一日も早く打倒」するという申し合わせが行われ、いわゆる護憲三派による倒閣活動「第二次護憲運動」が本格化した。

これを受けて1月22日の衆議院本会議では清浦首相が施政方針演説と普通選挙法案提出を行う予定であったが、裕仁親王成婚を控えた中で政争は慎むべきであるという政友会の小川平吉の動議により、29日までの休会が議決されたため、行われなかった。 一方、研究会の勢力拡大とその党派性の強い議会運営に反感を抱いていた「幸三派」と呼ばれる反研究会勢力による貴族院内での清浦批判も勢いづいた。

また護憲三派が2月1日に内閣不信任案を提出する意向を固め、これを察知した小橋書記官長はそれ以前の解散を進言した。清浦はこれを容れ、1月29日の本会議で解散を行った。これは「懲罰解散」と呼ばれ、各層の反感を買った。1月29日には政友会から「改革派」であった床次竹二郎一派149名が政友本党を結成して分裂し、清浦内閣の準与党となった。

5月10日に行われた第15回衆議院議員総選挙の結果、護憲三派は合計で281名が当選、一方で準与党の政友本党は改選前議席から33減の116議席となった。清浦はすでに敗北を予期しており、投票日の当日には辞任する意向を漏らしている。西園寺は「清浦は辞する必要はないと思ふ」と述べたものの、現実には議会運営は不可能であった。5月15日に清浦内閣は総辞職した。5か月間の短命内閣であった。清浦は憲政の常道に従い、第一党となった憲政会総裁加藤高明を推挙したいという意向を西園寺に伝えたが、西園寺は拒絶し、元老としての西園寺が改めて加藤を奏薦した。

その後、清浦は重臣に列し、新聞協会会長なども歴任した。また重臣会議に参加し、五・一五事件の際には西園寺と同様に挙国一致内閣の成立を推している。また1931年(昭和6年)満州事変、1934年(昭和9年)の齋藤内閣崩壊の際には重臣として協議に参加している。1941年(昭和16年)の重臣会議で東條英機の後継首相擁立を承認した。この際、清浦は四輪の車椅子に乗り、酸素吸入器を用意して上京している。会議では林銑十郎が皇族内閣を提案したがそれに反対し、軍部からの首相を迎えるべきと意見している。1942年(昭和17年)11月5日、92歳の長寿を全うした。なお、薨去した時点では清浦は史上最長寿の総理大臣経験者であった。現在でも史上5番目に長寿の総理大臣で、戦前に限れば最長寿の総理大臣である。墓所は横浜市総持寺。

1992年(平成4年)に、清浦の生家山鹿市鹿本町明照寺の隣に清浦記念館が建てられた。なお、東京都大田区中央1丁目にある春日神社の石製社号標「村社 春日神社」は清浦の筆跡。また、東京都文京区にある護国寺の石標、東京都品川区にある品川神社の石標、埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館の裏手にある石標にも清浦の筆跡がある。埼玉県さいたま市見沼区風渡野の大圓寺(埼玉県第21区小学第三校が所在した)には清浦の顕彰碑、蓮沼の神明神社には清浦と共に教鞭を取った地元の名士である松澤恒次郎(象山)の顕彰碑の撰文と揮毫が清浦の筆跡である。

『治罪法講義随聴随筆』薩埵正邦注釈、亀山貞義校閲、博聞社、1882年1月。 NCID BA36749856。全国書誌番号:40028626。 

『於警官練習所清浦奎吾演述講談筆記』警官練習所、1889年5月。全国書誌番号:40021189。 

醍醐忠敬 編『内務省警保局長清浦奎吾氏警察事項ニ関スル演説』華族会館、1891年2月。全国書誌番号:40021179。 

『監獄費用ニ関スル意見』清浦奎吾、1891年4月。全国書誌番号:40029000。 

和田錬太・平野貞次郎 編『奎堂余唾』警察機関社、1891年8月。 NCID BA3993855X。全国書誌番号:40021223。 

    『奎堂余唾』(復刻版)信山社出版、2020年6月。ISBN 9784797273878。 NCID BB31280897。全国書誌番号:23418030。 

    『明治法制史』明法堂、1899年6月。 NCID BN03692336。 

      『明治法制史』(再版)明法堂、1899年11月。 NCID BN0594303X。全国書誌番号:51008810。 

      『明治法制史』(復刻版)信山社出版〈日本立法資料全集 別巻272〉、2003年7月。ISBN 9784797248111。 NCID BA63083378。全国書誌番号:20564239。 

      神山閏次 編『清浦男爵産業論集』博文館、1906年5月。 NCID BA37942137。全国書誌番号:40033544。 

      『清浦子爵演説』小橋一太、1922年5月。全国書誌番号:42020608。 

      『清浦内閣総理大臣ノ声明シタル衆議院解散理由』1924年。全国書誌番号:42016899。 

      『奎堂詩存』中川吉郎、1926年11月。 NCID BA31203185。全国書誌番号:43044281。 

      「昭和戊辰に就いて」『明治戊辰の回顧・昭和戊辰に就いて』東京講演会〈講演 No.31〉、1928年2月、17-27頁。全国書誌番号:44024955。 

      『清浦伯爵警察回顧録』警察協会、1929年4月。 NCID BA36473143。全国書誌番号:46082396。 

      内田市郎左衛門 編『奎堂夜話 米寿庵に於て』清快楼古屋旅館、1937年。全国書誌番号:44024994。 

      『奎堂夜話』今日の問題社、1938年10月。 NCID BN03234397。全国書誌番号:46051595 全国書誌番号:53016390。 

        『奎堂夜話』(普及版)今日の問題社、1939年3月。 NCID BA37321865。全国書誌番号:44009794。 

        後藤武夫『子爵清浦奎吾伝』日本魂社、1924年5月。 NCID BN1347741X。全国書誌番号:54007175。 

        『伯爵清浦奎吾伝』徳富猪一郎監修、伯爵清浦奎吾伝刊行会、1935年7月。 NCID BN08009955。全国書誌番号:54004554。 

        清浦奎吾顕彰会常任理事 編『清浦奎吾小伝』清浦奎吾顕彰会、1986年10月。全国書誌番号:88057235。 

        『清浦奎吾』御厨貴監修、ゆまに書房〈歴代総理大臣伝記叢書 第14巻〉、2006年2月。ISBN 9784843317921。 NCID BA76029739。全国書誌番号:20994561。 

        『私人清浦奎吾 清浦奎明先生講演録』山鹿市教育委員会社会教育課〈新山鹿双書 12〉、2018年3月。全国書誌番号:23073330。 

        小野修三『明治憲法下の立憲主義者 清浦奎吾研究』世織書房、2020年1月。ISBN 9784866860107。 NCID BB2967136X。全国書誌番号:23331595。 

        養父: 清浦秀達(熊本藩士、熊本県士族)

        養母: 小島タミ(小島命長の長女)

        父: 大久保了思(肥後国山鹿郡上御宇田村(現:山鹿市鹿本町来民)明照寺(浄土真宗本願寺派)住職)

        妻: 清浦錬子(教育家)

        三男: 清浦保恒(1883年 - 1928年、九曜商会取締役・熊本電気取締役)

        四男: 清浦敬吉(清浦奎吉、1886年 - 1941年、九曜商会取締役)

        五男: 清浦豊秋(1888年 - 1952年、九曜商会監査役)

        六男: 清浦恒通(1891年 - 1973年)

        七男: 清浦保直(1894年 - 1983年)

        八男: 清浦末雄(1898年 - 1982年、陸軍少佐)

        養女: 服部静(小河滋次郎の妻)

        養女: 河野崎(河野通倫三女、宇都宮友枝の妻、菅野盛次郎の妻)

        玄孫: 清浦夏実(女優・歌手)

        1884年(明治17年)6月30日 - 従五位

        1890年(明治23年)7月11日 - 従四位

        1896年(明治29年)10月10日 - 正三位

        1942年(昭和17年)11月5日 - 従一位

        1887年(明治20年)11月25日 - 勲六等単光旭日章

        1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章

        1890年(明治23年)12月26日- 勲五等瑞宝章

        1893年(明治26年)12月28日 - 勲四等瑞宝章

        1895年(明治28年)12月29日 - 勲三等瑞宝章

        1897年(明治30年)6月26日 - 勲二等瑞宝章

        1902年(明治35年)2月27日 - 男爵

        1903年(明治36年)12月26日 - 勲一等瑞宝章

        1906年(明治39年)4月1日 - 旭日大綬章・明治三十七八年従軍記章

        1907年(明治40年)9月21日 - 子爵

        1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)

        1920年(大正9年)9月4日 - 旭日桐花大綬章

        1928年(昭和3年)11月10日 - 伯爵

        1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章

        1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章

        1942年(昭和17年)11月5日 - 大勲位菊花大綬章

        1892年(明治25年)3月23日 - オスマン帝国:オスマニエ第三等勲章

        1906年(明治39年)10月30日 - ベルギー王国:レオポール勲章グランクロアー

        1924年(大正13年)5月19日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章グランクロア

        秩父事件の際、埼玉県令の吉田清英は、鎮定に功があったとして江夏警部長に下賜金が下されるよう内務省に求めている。しかし警保局長であった清浦は特別な任務を行ったわけではないとしてこれを差し戻している。

        清浦は東京府東京市大森区(現:東京都大田区)に私邸を構えて長く在住、1939年(昭和14年)に設立された大森倶楽部の初代名誉会長を務めたほか、清浦邸があった場所の目前に在る坂は2015年に大田区によって『清浦さんの坂』と命名され、標識も建立された。

        茅ヶ崎や小田原、京都に別荘を所有した。

        1930年(昭和5年)10月1日、この日から運行を開始した東海道本線の特急燕号の一番列車に乗車、東京から京都を移動した。

        草の乱(2004年、演:田中隆三)

        知られざる清浦奎吾の生涯 熊本初の総理大臣(2000年11月3日、テレビ熊本郷土の偉人シリーズ、演:永島敏行)

        ^ 清浦の枢密顧問官就任の背景には清浦が自分に代わる山縣閥の首相候補になることを恐れた桂太郎が、清浦をその勢力基盤である貴族院から追い出すためであったといわれている。(尚友倶楽部「貴族院の会派研究史 明治大正編」(1980年)がこの説を採る)。また、西園寺内閣の維持を図る立憲政友会にとっても清浦の枢密院入りは望ましいものであった(小野修三 2013, p. 63)

        ^ 田健治郎など官僚出身の初入閣者が多く、「次官内閣」と揶揄された(松岡八郎 1980, p. 32)

        ^ 鰻重が名物であった日本料理店。現在は「鰻割烹大和田」として営業。

        ^ なお、清浦が出席したことで、前首相でありながら病欠した近衛文麿は「その病気というのは91歳の清浦より悪いのか?」と批判されることになった。

        ^ 小野修三 2012, p. 66.

        ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、546頁。ISBN 978-4-06-288001-5。 

        ^ 小野修三 2012, p. 67.

        ^ 小野修三 2012, p. 64.

        ^ 小野修三 2012, p. 63.

        ^ 小野修三 2012, p. 62.

        ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。

        ^ 小野修三 2013, p. 87-86.

        ^ 『官報』第2330号、明治24年4月10日。

        ^ 小野修三 2013, p. 84-83.

        ^ 小野修三 2013, p. 78.

        ^ 小野修三 2013, p. 77.

        ^ 小野修三 2013, p. 75.

        ^ 上久保敏『日本の経済学を築いた五十人 : ノン・マルクス経済学者の足跡』262頁「博士ジャーナリスト牧野輝智—経済知識の優れた啓蒙家」、日本評論社、2003年

        ^ 小野修三 2013, p. 76-75.

        ^ 小野修三 2013, p. 63.

        ^ 『官報』第6384号、明治39年4月14日。

        ^ 『官報』第6863号、明治39年5月18日。

        ^ 松岡八郎 1980, p. 30-31.

        ^ 松岡八郎 1980, p. 31.

        ^ 小野修三 2016, p. 62-61.

        ^ 松岡八郎 1980, p. 32.

        ^ 松岡八郎 1980, p. 33.

        ^ 松岡八郎 1980, p. 36.

        ^ 小山俊樹 2012, p. 42.

        ^ 小山俊樹 2012, p. 56.

        ^ 小野修三 2016, p. 59-58.

        ^ 小野修三 2016, p. 57.

        ^ 小野修三 2016, p. 56.

        ^ 小野修三 2018, p. 34.

        ^ 小山俊樹 2012, p. 57.

        ^ 小野修三 2016, p. 58.

        ^ 小野修三 2016, p. 55.

        ^ 小野修三 2016, p. 52.

        ^ 小山俊樹 2012, p. 62.

        ^ 小山俊樹 2012, p. 63.

        ^ 小山俊樹 2018, p. 35-34.

        ^ 小山俊樹 2018, p. 33.

        ^ 小山俊樹 2018, p. 31.

        ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1884年7月1日。

        ^ 『官報』第2112号「叙任及辞令」1890年7月15日。

        ^ 『官報』第3988号「叙任及辞令」1896年10月12日。

        ^ 『官報』第4748号「叙任及辞令」1942年11月7日。

        ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。

        ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。

        ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。

        ^ 『官報』第3152号「叙任及辞令」1893年12月29日。

        ^ 『官報』第3753号「叙任及辞令」1896年1月4日。

        ^ 『官報』第4196号「叙任及辞令」1897年6月29日。

        ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日。

        ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。

        ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。

        ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

        ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。

        ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

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        ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

        ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

        ^ 『官報』第2623号「叙任及辞令」1892年3月31日。

        ^ 『官報』第7012号「叙任及辞令」1906年11月12日。

        ^ 『官報』第3523号「叙任及辞令」1924年5月23日。

        ^ 小野修三 2012, p. 56.

        ^ “大森倶楽部初代名誉会長 清浦奎吾元内閣総理大臣邸宅跡に、「清浦さんの坂」 標柱完成”. 一般社団法人大森倶楽部 (2015年12月14日). 2022年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月15日閲覧。

        ^ 陽のあるうちに大阪に着いた『東京朝日新聞』昭和5年10月2日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p447 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

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        小野修三「近代日本における統治機構整備と議会開設 : 明治五年から二四年までの清浦奎吾の経歴を通して」『慶応義塾大学日吉紀要 社会科学』第23巻、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2012年、68-52頁、NAID 120005256567。 

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        小山俊樹「「憲政常道」と「政界縦断」 : 大正期二大政党の政治戦略」『帝京史学』第27巻、帝京大学文学部史学科、2012年、21-80頁、NAID 40019229549。 

        松岡八郎「第二次大隈内閣の成立」『東洋法学』23(1)、東洋大学法学会、1980年、27-51頁、NAID 120005317850。 

        民法 (日本)

        日本の刑務所

        平野龍一

        『清浦奎吾』 - コトバンク

        『清浦 奎吾』 - コトバンク

        歴代内閣ホームページ情報:清浦奎吾 内閣総理大臣(第23代) | 首相官邸ホームページ

        清浦奎吾 | 近代日本人の肖像 - 国立国会図書館

        清浦記念館

        清浦奎吾とは - 熊本県立鹿本商工高等学校

        清浦奎吾 | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。

        伊藤博文

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        大浦兼武

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        島田俊雄

        石黒忠篤

        千石興太郎

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        木戸孝允

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        山県有朋

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        品川弥二郎

        副島種臣

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        井上馨

        野村靖

        芳川顕正

        板垣退助

        樺山資紀

        芳川顕正

        板垣退助

        西郷従道

        末松謙澄

        大隈重信

        内海忠勝

        児玉源太郎

        桂太郎

        芳川顕正

        清浦奎吾

        原敬

        平田東助

        原敬

        大浦兼武

        原敬

        大隈重信

        大浦兼武

        大隈重信

        一木喜徳郎

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        床次竹二郎

        水野錬太郎

        後藤新平

        水野錬太郎

        若槻礼次郎

        浜口雄幸

        鈴木喜三郎

        田中義一

        望月圭介

        安達謙蔵

        中橋徳五郎

        犬養毅

        鈴木喜三郎

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        後藤文夫

        潮恵之輔

        河原田稼吉

        馬場鍈一

        末次信正

        木戸幸一

        小原直

        児玉秀雄

        安井英二

        平沼騏一郎

        田辺治通

        東條英機

        湯沢三千男

        安藤紀三郎

        大達茂雄

        安倍源基

        山崎巌

        堀切善次郎

        三土忠造

        大村清一

        植原悦二郎

        片山哲 (臨代)

        木村小左衛門

        廃止

        内事局長官・(内事局官房自治課長・官房職制課長) - 国務大臣地方財政委員会委員長・全国選挙管理委員会委員長・(総理庁官房自治課長) - 国務大臣地方自治庁長官 - 国務大臣自治庁長官 - 自治大臣 - 総務大臣

        内事局長官・(内事局第一局長) - 国家公安委員会委員長・(国家地方警察本部長官) - 国務大臣国家公安委員会委員長・(警察庁長官)

        建設院総裁 - 建設大臣 - 国土交通大臣

        厚生大臣 - 厚生大臣・労働大臣 - 厚生労働大臣

        内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁特別審査局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府特別審査局長) - 法務大臣・(公安調査庁長官)

        文部大臣・(文部省社会教育局文化課長) - 文部大臣・(文部省社会教育局著作権課長)- 文部大臣・(文部省文化局長) - 文部大臣・(文化庁長官)- 文部科学大臣・(文化庁長官)

        神社本庁総長(宗教法人化)

        内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁民事局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府民事局長) - 法務大臣・(法務省民事局長)

        外務大臣・(入国管理部長) - 外務大臣・(出入国管理庁長官) - 外務大臣・(入国管理庁長官) - 法務大臣・(法務省入国管理局長)- 法務大臣・(出入国在留管理庁長官)

        内閣総理大臣・(終戦連絡中央事務局長官) - 内閣総理大臣・(連絡調整中央事務局長官) - 外務大臣・(外務省連絡局長) - 外務大臣・(外務省国際協力局長)

        江藤新平

        大木喬任

        田中不二麿

        大木喬任

        山田顕義

        山田顕義

        田中不二麿

        河野敏鎌

        山縣有朋

        芳川顕正

        清浦奎吾

        曾禰荒助

        大東義徹

        清浦奎吾

        金子堅太郎

        清浦奎吾

        波多野敬直

        松田正久

        千家尊福

        岡部長職

        松田正久

        松室致

        松田正久

        奥田義人

        尾崎行雄

        松室致

        原敬

        大木遠吉

        岡野敬次郎

        田健治郎

        平沼騏一郎

        鈴木喜三郎

        横田千之助

        小川平吉

        江木翼

        原嘉道

        渡邊千冬

        鈴木喜三郎

        川村竹治

        小山松吉

        小原直

        林頼三郎

        塩野季彦

        宮城長五郎

        木村尚達

        風見章

        柳川平助

        近衛文麿

        岩村通世

        松阪広政

        岩田宙造

        木村篤太郎

        鈴木義男

        村田氏寿 1876-1877

        川路利良 1877-1879 警視局大警視

        西村捨三 1881

        田辺良顕 1881-1883

        勝間田稔 1883-1884

        清浦奎吾 1884-1891

        小松原英太郎 1891-1892

        大森鍾一 1892

        高崎親章 1892-1893

        小野田元熈 1893-1896

        寺原長輝 1896-1898

        牧朴真 1898

        小倉久 1898-1899

        安楽兼道 1899-1900

        田中貴道 1900-1901

        鈴木定直 1901-1902

        安立綱之 1902-1903

        有松英義 1903-1904

        仲小路廉 1904-1906

        久保田政周 1906

        古賀廉造 1906-1908

        有松英義 1908-1911

        古賀廉造 1911-1912

        太田政弘 1912-1913

        岡喜七郎 1913-1914

        安河内麻吉 1914-1915

        湯浅倉平 1915-1916

        永田秀次郎 1916-1918

        川村竹治 1918-1921

        湯地幸平 1921-1922

        後藤文夫 1922-1923

        岡田忠彦 1923-1924

        藤沼庄平 1924

        川崎卓吉 1924-1925

        松村義一 1925-1927

        山岡萬之助 1927-1928

        横山助成 1928-1929

        大塚惟精 1929-1931

        次田大三郎 1931

        岡正雄 1931

        森岡二朗 1931-1932

        松本学 1932-1934

        唐沢俊樹 1934-1936

        萱場軍蔵 1936-1937

        大村清一 1937

        安倍源基 1937

        富田健治 1937-1938

        本間精 1938-1939

        安藤狂四郎 1939

        本間精 1939-1940

        山崎巌 1940

        藤原孝夫 1940

        橋本清吉 1940-1941

        今松治郎 1941-1942

        三好重夫 1942-1943

        町村金五 1943-1944

        古井喜実 1944-1945

        水池亮 1945

        橋本政実 1945

        小泉梧郎 1945-1946

        谷川昇 1946-1947

        田中楢一 1947

        久山秀雄 1947

        内務省廃止

        久山秀雄 1948

        国家地方警察本部設置

        斎藤昇 1948-1954

        警察庁設置

        斎藤昇 1954-1955

        石井榮三 1955-1958

        柏村信雄 1958-1963

        江口俊男 1963-1965

        新井裕 1965-1969

        後藤田正晴 1969-1972

        高橋幹夫 1972-1974

        浅沼清太郎 1974-1978

        山本鎮彦 1978-1981

        三井脩 1981-1984

        鈴木貞敏 1984-1985

        山田英雄 1985-1988

        金澤昭雄 1988-1990

        鈴木良一 1990-1992

        城内康光 1992-1994

        國松孝次 1994-1997

        関口祐弘 1997-2000

        田中節夫 2000-2002

        佐藤英彦 2002-2004

        漆間巌 2004-2007

        吉村博人 2007-2009

        安藤隆春 2009-2011

        片桐裕 2011-2013

        米田壮 2013-2015

        金髙雅仁 2015-2016

        坂口正芳 2016-2018

        栗生俊一 2018-2020

        松本光弘 2020-2021

        中村格 2021-2022

        露木康浩 2022-2025

        楠芳伸 2025-

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        清浦奎吾

        日本の内閣総理大臣

        日本の枢密院議長

        日本の枢密院副議長

        日本の枢密顧問官

        貴族院勅選議員

        明治時代の貴族院議員

        明治時代の閣僚

        日本の農商務大臣

        日本の内務大臣

        日本の司法大臣

        戦前日本の司法官僚

        日本の内務官僚

        日本の警察官僚

        内務省警保局長

        日本の教育者

        日本の参事院関係者

        日本の官僚 (1868-1949)

        帝国軍人後援会の幹部

        興亜会の人物

        日本の伯爵

        日本の子爵

        日本の男爵

        咸宜園の塾生

        従一位受位者

        正二位受位者

        大勲位菊花大綬章受章者

        勲一等旭日桐花大綬章受章者

        勲一等旭日大綬章受章者

        勲一等瑞宝章受章者

        勲三等瑞宝章受章者

        勲四等瑞宝章受章者

        勲六等単光旭日章受章者

        レジオンドヌール勲章グランクロワ受章者

        熊本県出身の人物

        肥後国の人物

        1850年生

        1942年没

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2025/04/02 13:51更新

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