松田清の情報(まつだきよし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松田 清さんについて調べます
■名前・氏名 |
松田清と関係のある人
蔭山和夫: 新人王(1951年)※ 松田清と共に昭和生まれ初 中尾碩志: メンバーは中尾のほか、多田文久三・小松原博喜・藤原鉄之助・武宮敏明・内藤博文・大友工・松田清・市川マネージャーの8人組で、中尾はよくメンバーを引き連れて夜の町へ繰り出していた。 別所毅彦: シーズンでは21勝(9敗)防御率2.44(4位)でいずれもタイトルには及ばなかったが、最多勝の杉下茂(28勝)、最優秀防御率の松田清(2.01)を抑えて、3年ぶりにベストナインを獲得している。 橋爪淳: 無用庵隠居修行7(2023年9月28日、BS朝日4K) - 松田清四郎 役 村田正幸: 福井工業大学への進学に失敗し、高校卒業後は松田清が開設した松田野球塾に1年間所属し、1990年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 袴田吉彦: 親父の仕事は裏稼業(2012年8月20日配信、BeeTV) - 松田清一 役 杉本正志: その後は松田清が開設した松田野球塾を経て、同年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。 田中将大: 8月9日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で日本プロ野球新記録の開幕16連勝、また前年から20連勝で、松田清(1951年 - 1952年)と稲尾和久(1957年)の日本プロ野球記録に並んだが、先発登板だけで20連勝は史上初である。 藤本英雄: 1951年は15勝、防御率3.13(リーグ10位)の成績だったが、23勝の松田清、21勝の別所毅彦を差し置いて、野手陣から推されて、南海ホークスとの日本シリーズ第一戦に先発登板する。 |
松田清の情報まとめ
松田 清(まつだ きよし)さんの誕生日は1930年12月11日です。東京出身の野球選手のようです。
家族、引退、テレビに関する情報もありますね。2007年に亡くなられているようです。
松田清のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 松田 清(まつだ きよし、1930年12月11日 - 2007年2月18日)は、東京府東京市(現・東京都)渋谷区初台出身のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ、解説者。 中野高校在学中の1949年夏、読売ジャイアンツにテスト生として入団。 入団後は肩の故障のため一塁手に転向していたが、2年目の1950年夏、二軍の東北・北海道遠征のある試合で岩下守道が連投で疲労困憊しストライクが入らず、見かねた松田は宇野光雄二軍監督にリリーフを申し出て好投。松田の活躍によりこの遠征で巨人は7戦全勝の好成績を挙げ、松田も秋口に一軍に昇格。3試合で13回2/3を投げ10失点したが、自責点は僅か2点に抑える。10月24日の大洋戦(中津市営)で初先発登板を果たし、11月4日の国鉄戦(後楽園)で金田正一と投げ合い初勝利を挙げている。 大きく割れるカーブと藤本英雄から伝授されたスライダーを武器に、3年目の1951年から実力が開花。5月23日の広島戦(後楽園)で5勝目を挙げて以降は連勝街道を邁進し、10月4日の対名古屋戦(鳴海)で1シーズン連勝のセ・リーグ記録となる19連勝を達成。生きるため、家族を養うために夢中で投げたのが連勝を生んだ。最優秀防御率(防御率2.01)、最高勝率(23勝3敗、勝率.885)、新人王のタイトルを獲得。 1952年は3月22日の国鉄戦(後楽園)に勝利し、当時のプロ野球記録である20連勝まで記録を伸ばす。20連勝の記録は1957年に西鉄の稲尾和久がタイ記録で並んだのち、2013年に楽天の田中将大がほぼ半世紀ぶりに記録を更新(最終的にレギュラーシーズン28連勝)するが、いまだにセ・リーグ記録となっている。しかし、松田は年間を通じて前年ほどの活躍はできず、13勝7敗・防御率3.17に留まる。 1953年以降は登板試合数が激減して、1955年までの3年間勝ち星から見放された。特に故障したわけではなかったが、後年本人が語ったところでは、直球の球威を増そうと練習したところ、球が速くなった代わりに、カーブが悪くなってしまったという。また、真面目すぎる性格のため、一つ負けてしまったことでジレンマに陥ってしまったのでは、との声もある。 1956年に二軍時代から松田を可愛がっていた宇野が国鉄の監督に就任すると、松田も国鉄に移籍。同年2勝を挙げた後に外野手へ転向し、1957年から1960年頃まで毎年100試合以上出場するなど、外野の準レギュラー格として活躍。古巣・巨人戦でもよく打ったが、1961年に現役を引退。 引退後は関西テレビ解説者(1962年 - 1972年)を経て、南海ホークスで二軍投手コーチ(1973年 - 1975年)・一軍投手コーチ(1976年 - 1977年)・スコアラー(1978年)を務めた。 評論家時代には阪急の戸田善紀に「腐ったらいかんで」という言葉をかけ、その言葉を胸にした戸田は奮起して主戦投手になるまでに成長。 南海コーチ時代は藤田学に牽制球や守りを含めたマウンド捌き、投手としての精神面の教育を万全に行った。 野村克也選手兼任監督の解任と共にコーチを下りたが、スコアラー転身後も「ハングリー野球」を示すために若手選手と走った。 南海退団後はサラリーマン生活を経て、1985年から大阪府八尾市にて「松田野球塾」を開設し、後進の指導に当たる。同塾からは杉本正志(広島→ロッテ→オリックス)、広政秀之(近鉄)、村田正幸・大原秉秀(ヤクルト)など何人かのプロ野球選手を輩出している。 2007年2月18日に大阪府羽曳野市の自宅にて虚血性心疾患により死去。享年78(満76歳没)。 球威自体で打者を押さえつけるタイプではなかったが球質は重く、大小2種類のカーブと、1951年の春季キャンプで習得した鋭く切れるドロップを武器とした。特にカーブのコントロールは抜群で、分かっていても打てなかったという。また、投球のリズムが良く、野手から非常に守りやすいとの声があった。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1951年)※昭和生まれ初 最高勝率:1回 (1951年)※昭和生まれ初 新人王 (1951年)※ 蔭山和夫と共に昭和生まれ初 20連勝 (1951年 - 1952年) ※セ・リーグ記録 同一シーズン19連勝 (1951年) ※セ・リーグ記録 勝率.885(1951年) ※セ・リーグ歴代2位 オールスターゲーム出場:1回 (1952年) 40 (1949年) 29 (1950年 - 1955年) 19 (1956年 - 1961年) 60 (1973年 - 1977年) ^ 『プロ野球人名事典 1999』456ページ ^ 朝日新聞縮刷版p505 昭和53年6月15日朝刊21面「白球山脈②この人も ボークに阻まれた甲子園」 ^ 蛭間豊章記者のBaseball inside 第741回「「無名」から這い上がった2人の20連勝投手」2013年8月10日 ^ 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』73ページ ^ 『巨人軍の男たち』129ページ ^ 『ジャイアンツ栄光の70年』46頁 ^ 【5月11日】1976年(昭51) 打撃投手だった遅咲き右腕 戸田善紀 ノーヒットノーラン ^ 週刊ベースボール1977年5月9日号「人物スポット<井本隆(近)、藤田学(南)、今井雄太郎(急)> 飛び出したパ・リーグの3強を支える頼もしきホープたち」p118~123 ^ 著名人の訃報 ^ 『巨人軍の男たち』127ページ ^ NEWSポストセブン「金田正一「ワシが新人王をとられた相手」と松田清忘れられぬ」2013年4月30日 ^ https://npb.jp/bis/history/ssp_pct.html 千葉茂『巨人軍の男たち』東京スポーツ新聞社、1984年 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年 森岡浩 編著『プロ野球人名事典 1999』日外アソシエーツ、1999年 『ジャイアンツ栄光の70年』ベースボールマガジン社、2004年 読売ジャイアンツの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 日本の野球選手 明治大学付属中野高等学校出身の人物 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 最優秀防御率 (NPB) 最高勝率 (野球) セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球指導者 福岡ソフトバンクホークス関連人物 野球解説者 東京都区部出身の人物 1930年生 2007年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/19 17:20更新
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matsuda kiyoshi
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