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林原めぐみの情報 (はやしばらめぐみ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

林原めぐみの情報(はやしばらめぐみ) 声優、歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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林原 めぐみさんについて調べます

■名前・氏名
林原 めぐみ
(読み:はやしばら めぐみ)
■職業
声優、歌手
■林原めぐみの誕生日・生年月日
1967年3月30日 (年齢57歳)
未年(ひつじ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和42年)1967年生まれの人の年齢早見表

林原めぐみと同じ1967年生まれの有名人・芸能人

林原めぐみと同じ3月30日生まれの有名人・芸能人

林原めぐみと同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


林原めぐみと関係のある人

あらいずみるい: 林原めぐみは、このペンネームの由来にいたく感動し、気に入ったようで、当時よくこのネタを話題にしていた。


上原あかり: TVアニメ『シャーマンキング』で声優という職業に興味をもち、同作品に出演していた林原めぐみに憧れて声優を目指すようになる。


桜庭わかな: そのきっかけとなった人物として、声優の林原めぐみの名前を挙げている。


愛原ありさ: 好きなアニメに『カードキャプターさくら』を挙げているほか、『シャーマンキング』で恐山アンナを演じる林原めぐみを知ったことが声優を目指すきっかけになったと語っている。


武井宏之: 2007年11月3日に行われた、『林原めぐみTokyo Boogie Night』公開録音のコンサート内で、林原が武井とのメール交換の内容を明らかにし、「シャーマンキングの続きを描く意思がある」ということが明かされた。


たかはしごう: CARNIVAL・BABEL・REVIVAL(2003年9月26日) - 「林原めぐみ&たかはしごう」名義


矢吹俊郎: 林原めぐみ・水谷優子(Drink)


さとうともみ: 幼い頃は声優を夢にしており新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイ役などで有名な林原めぐみさんに強い憧れを抱いている。


森嵜美穂: 『スレイヤーズ』ではオープニング&エンディング曲も主人公のリナ=インバース役の林原めぐみが歌っており、「声優ってすごいな」と思っていたという。


斉藤小百合: シンデレラなんかになりたくない(「チンプイ」ED) - 1989年 ※林原めぐみと歌唱


柳原利香: 小学3年生時の担任教師が林原めぐみのファンだったことをきっかけに『らんま1/2』を見始め、テレビアニメに興味を持つようになる。


十川知司: 林原めぐみ


たかはしごう: アルバム『林原めぐみ たのしいどうよう』より、「てあそびメドレー」「おおきなずっころばし」「たこやきのうた」「ドーナツのうた」(編曲)


水樹奈々: 酒が飲めないらしく、先輩の林原めぐみに初心者用のカクテルを用意してもらったことがあり、『林原めぐみのHeartful Station』や『林原めぐみのTokyo Boogie Night』にもゲストに出演したことがある。


前田君: 兄弟子にあたる畑に対しては、「林原めぐみの唄は畑さんのものなので、歌いたくても歌いません!」と述べる。


村上和宏: しかし1998年から開始した「アニメソングリクエスト」(当時はレギュラー番組、現在は年末年始のいずれかに特別番組として放送)の放送中、同局で放送しているアニラジ番組とパーソナリティの声優(林原めぐみ・小森まなみ・國府田マリ子ら)とアニラジ番組のリスナーを名指しで批判しハガキの内容が気持ち悪いと失言を犯し、リスナーからの猛抗議を受けるとともに上長からも叱責されたという出来事もあった。


大平勉: 「Get along」編曲(歌:林原めぐみ&奥井雅美)(アニメ「スレイヤーズ」オープニングテーマ)


山本健司: 林原めぐみ


鷺巣詩郎: 林原めぐみ(2002年 - 2021年)


光宗信吉: 林原めぐみ


矢吹俊郎: 林原めぐみ・古本新之輔


野村麻衣: 同じ誕生日でもある声優の林原めぐみや新撰組1番隊組長沖田総司のファン。


愛河里花子: なお、一曲目の「救世主」には山寺宏一、かないみか、林原めぐみなどの面々が参加している。


あさぎ桜: 明日があるさ(林原めぐみ


伊藤静: 同僚を通して当時アニメの声あてだけでなく、ラジオのパーソナリティ・歌・雑誌など、幅広く活躍していた林原めぐみの存在を知って、「色々なことが出来て面白そうだ」と思ったからだという。


あかほりさとる: またCD「あぶらみぶらざあず」では脚本のみならずプロデュースとしても活躍し、林原めぐみを中心とした「第3次声優ブーム」を影から支えた功労者でもあると言える。


喉押さえマン: 林原めぐみ


たかはしごう: まれに『林原めぐみのHeartful Station』や『林原めぐみのTokyo Boogie Night』にゲスト出演することがあり、その時にはサンリオ社員の斉藤雄樹と揃ってゲスト出演することが多い。


矢吹俊郎: 林原めぐみ


たかはしごう: 林原めぐみ


林原めぐみの情報まとめ

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林原 めぐみ(はやしばら めぐみ)さんの誕生日は1967年3月30日です。東京出身の声優、歌手のようです。

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特徴、人物などについてまとめました。テレビ、映画、父親、病気、卒業、結婚、退社、ドラマ、現在、趣味、家族、母親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。林原めぐみの現在の年齢は57歳のようです。

林原めぐみのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

林原 めぐみ(はやしばら めぐみ、1967年〈昭和42年〉3月30日 - )は、日本の女性声優、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家(MEGUMI名義)、エッセイスト。東京都北区出身、ウッドパークオフィス所属、愛称は「めぐさん」「閣下」「食料大臣」など。

デビュー以来長年にわたり、人気声優として多彩な分野で活躍しており、第3次声優ブームの源流かつ最も代表的な人物。特に歌手活動においては、声優がレコード会社と専属契約をする先駆けとなり、本格的かつ継続的な活動を初めて行ったことで“声優アーティスト”の礎を築いた。

代表作は、『新世紀エヴァンゲリオン』(綾波レイ)、『ポケットモンスター』(ムサシ)、『らんま1/2』(早乙女らんま)、『スレイヤーズ』(リナ=インバース)、『名探偵コナン』(灰原哀 / 宮野志保)、『SHAMAN KING』(恐山アンナ)、『カウボーイビバップ』(フェイ・ヴァレンタイン)など。

小さいころの夢はテレビアニメ『キャンディ♡キャンディ』を観ては看護婦はいいなと思い、スチュワーデスの作品を観てはスチュワーデスはいいなと、思っていたという。

小学生の時に映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を鑑賞し、キャラクターを演じる「声優」の存在を初めて意識した。以降、声優という職業に関心を持つようになっていった。また、同じくデビュー前である小学生の時には、『銀河鉄道999』関連のイベントに参加して、会場に不在だった池田昌子に代わってメーテル役に挑戦し野沢雅子から称賛されたことがある。後年同じ松本零士作品である『クイーン・エメラルダス』への出演が決まった際には、感動したと語っている。

高校時代に進路を決める際に、過去に父親病気で倒れたことや手に職をつけたいという考えから、当初は現実的な道として国家資格を取得して看護婦(現:看護師)になることを目指した。しかしながら、願書の提出に行った看護学校の受付の憮然とした態度に怒り、受験のために自ら戒めていたマンガを本屋で立ち読みしていたところ、アーツビジョンの声優無料養成オーディションの広告を発見し怒りに任せて応募。約600人からなるオーディションでは成績もさることながら、たまたま持っていたミカンを審査員に配ったことで「ミカンの子」として強烈なインパクトも残し、アーツビジョン付属日本ナレーション演技研究所の第1期生に特待生の1人として合格(ただし林原本人はミカンの件を覚えていない)。こうしたことから、「声優を目指すのであれば、看護学校を卒業して正看護婦免許を取得しろ」という両親の条件に従い、看護学校と声優養成所を1985年から3年間両立させて通い正看護婦免許を取得した。

1986年、看護学校・声優養成所在籍中に『めぞん一刻』第1話の幼稚園児B・近所の女役でアニメデビュー(アフレコ作業およびアニメ登場では近所の女役(声のみ)の方が早いが、多くのプロフィールや本人の発言では幼稚園児B役がデビューとされている)。ただし、アニメ以外では『めぞん一刻』よりも前に「徳間書店9月の新刊」に関するCMや「横山やすしが出演する番組」のナレーションを担当していたと発言している。デビュー以降しばらくは、音響監督の斯波重治、声優の先輩である神谷明や千葉繁などの指導を受けながら多くのモブキャラクターに声をあてて実力をつけていく。養成所時代の講師でもあった千葉繁については、自身のエッセイ『林原めぐみのぜんぶキャラから教わった 今を生き抜く力』の中で、「(めぞん一刻のアフレコでは)隣に座らせていただき、アドバイスも受けながら(中略)OKをいただけました」と、千葉への感謝を綴っている。

1988年、『魔神英雄伝ワタル』の忍部ヒミコで自身初のメインキャラクター役を獲得。第1話のアフレコ作業が看護学校の卒業式と重なってしまったために、新人ながらにして抜き録りを行うという出来事もあった。また、この時期は他に3本のレギュラーの仕事(『おそ松くん』『燃える!お兄さん』『いきなりダゴン』)が決まっており、それらをこなした空き時間に看護婦として個人病院でアルバイトをこなす生活を送っていた。その後、監督や先輩の助言もあり、並行させてきた看護婦のアルバイトを辞めて声優業に専念した。

1989年、『らんま1/2』の女らんまを担当したが、オーディションでは天道あかね役で受けていた。上記の忍部ヒミコも含め、1980年代の終わりには既に主役級のキャラクターを数多く演じるようになっており、以降の人気の足掛かりとなった。

1990年、東京都多摩市にサンリオピューロランドが開園。以降、同園その他ほとんどの作品でハローキティの声を4代目声優として担当。そのほか、この年はNHK教育番組『ともだちいっぱい』のソラミ( - 1995年)や国際花と緑の博覧会の花ずきんちゃんなど、マスコットキャラクターの声を多く担当した。ハローキティの声優であることは自分の口からは発表できないらしく、ラジオなどでは「白い猫さんの付き人をしてきました」と言葉を濁している。キティ役は2023年までの33年にわたり担当し、同年をもって降板となった。降板の際にはブログにて長年担当していたことを公表している。

1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』で綾波レイ、『スレイヤーズ』でリナ=インバースを演じる。特に綾波レイは、それまで活発な役を演じることの多かった林原にとっては異色のキャラクターでもあり、大きな話題となった。

1997年、『ポケットモンスター』でロケット団のムサシのほか、同シリーズで数多くのポケモンの声を担当。ロケット団がバトルに敗北した際の「やな感じ〜!」という台詞をロケット団役の声優3人によるアドリブで行い、決まり文句として採用され、定着させた。

1998年3月、自身の誕生日に合わせて入籍。2日後に行われた自身のラジオ番組「Tokyo Boogie Night」の公開録音の舞台において、結婚行進曲をBGMにして突如ウエディングドレス姿で登場。3歳年下の会社員と結婚したことを発表し、ファンを驚かせた。この公録の様子は、4月5日の放送の冒頭で紹介され、林原から改めて視聴者に向けて報告された。最初にファンに報告する姿勢や、そのためにウエディングドレスを着用するところなど、ファンを大切にする林原の優しさが伝わる放送でもあった。このウエディングドレスは、佐久間レイ、日髙のり子が過去に着用したものを受け継いだものだった。

1999年、『名探偵コナン』で灰原哀を担当。灰原哀役に林原をキャスティングしたのは、原作者である青山剛昌の弟が『新世紀エヴァンゲリオン』のファンだったことから。

1999年6月、自らの裁量で仕事を行うため、それまで所属していたアーツビジョンを退社し、個人事務所であるウッドパークオフィスを設立した。

2002年10月、フジテレビ系列の『世にも奇妙な物語』2002年秋の特別編の一話、「声を聞かせて」では篠原みゆき役で声だけであるが初のドラマ出演となった。

2004年1月、自身のラジオ番組で妊娠を発表。6月に女児を出産。これらは当時Yahoo! JAPANのニューストピックスや各スポーツ新聞などでも報道された。出産に際して6月と7月の2か月間は産休をしており、『ポケットモンスター』のムサシ役は平松晶子、ラジオ番組は保志総一朗や日高のり子が代行した。

声優としてのキャリアは豊富であり、女性ではローティーンからハイティーンの可愛らしく活発な役、まったく対照的に寡黙で神秘的な役、さらにクールな大人の役まで幅広く演じているほか、少年役や動物役なども器用にこなす。作品を深く読み込んで、「キャラクターの設定や人物像を自分に呼び込む」という役作りから、自身を「イタコ声優」と呼んでいる。

将来の夢として、「おばあちゃんになったときに、おばあちゃんの声を演じることかな。それまでは1年に1本でもいいから、とにかく、この仕事に関わっていきたいですね」と、長く声優の仕事を続けていきたいことをインタビューで答えている。

『アニメージュ』で開催されているアニメグランプリ声優部門にて、通算12回に渡りグランプリを受賞している。

声優であると同時に歌手でもある。中でも1991年3月から2019年3月までキングレコード(スターチャイルド→KING AMUSEMENT CREATIVE)所属の歌手であった。所属するレーベルの関係上、本人名義のシングルCDはキングレコードのアニメの主題歌・挿入歌などで発売されることが多く、こうした楽曲は作品の世界観・キャラクター像をファンに対するメッセージと絡み合わせた作風が特徴。一方でビクターエンタテインメント・コロムビアミュージックエンタテインメント・ポニーキャニオンなど他レーベルから発売された楽曲には、本人の名前が名義に表記されたものは無く、キャラクター名義によるキャラクターソングとしての楽曲参加に限られていた。

楽曲提供者は主に辛島美登里(作詞・作曲)、岡崎律子(作詞・作曲)、有森聡美(作詞)、松葉美保(作詞)、木本慶子(作詞)、Mamie D. Lee(英語作詞)、佐藤英敏(作曲)、たかはしごう(作曲・編曲)、長谷川智樹(作曲・編曲)、岩本正樹(作曲・編曲)、Vinkの大平勉や矢吹俊郎(作曲・編曲)、五島翔(編曲)、添田啓二(編曲)など。そのなかでも作曲に関しては2000年までは佐藤英敏、2001年以降はたかはしごうと組んでの活動が特に多い傾向にある。

歌手活動の契機となったのは、OVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』である。主題歌を担当していた椎名恵の代役としてヒロイン役の林原が初めて歌をイベントで歌うことになったため、音域テストを行うためにキングレコードを訪れたところを当時プロデューサーであった大月俊倫(後にキングレコード専務取締役)に歌手としての才能を見出され、林原めぐみ名義の初楽曲「夜明けのShooting Star」製作が決定した。その後、自身初のシングルCDである「約束だよ」(ポリドール・レコード、1989年5月25日)、ミニアルバム『PULSE』(ユーメックス・東芝EMI(現・ユニバーサルミュージックLLC)、1990年2月28日)、キャラクターソング「November Rain」(ポニーキャニオン、1991年1月21日)、その他デュエットCDなど、様々なレコード会社からの発売を挟みつつシングル「虹色のSneaker」(1991年3月5日)でスターチャイルドから事実上の公式デビューを飾り、以降の活躍に繋がっていく。

もともと林原自身が歌手志望ではなかったこと・1980年代後半の声優の歌手活動は極めて稀だったことなどから、歌手活動には非常に消極的であったため、大月プロデューサーの説得を経て本格的に活動を行うようになっている。その後の活躍は目覚しく、現在では当たり前になった声優とレコード会社との専属契約による本格的な歌手活動は林原によって始まったとも言われている。1990年代はJ-POPによるメジャーアーティストのCD売上が隆盛を極めていたが、マイナージャンルでしかなかった声優ソングをランキング上位に次々と送り込み、その成功によって後続の声優が積極的な歌手活動を行う契機となった。そのため、「林原は業界内で『声優業界の美空ひばり』と呼ばれている」と奥井雅美が語ったことがある。

上記の具体的な例としては、オリコン集計においては専業の声優として、また、声優本人名義・ソロ名義としてCDに関する多数の記録を作っている。ランキングにおいては、シングルでは「Give a reason」で声優ソロとして史上初の週間TOP10(第9位)ランクイン以降、「Northern lights」で週間第3位にまでその記録を更新。アルバムでも『SPHERE』で声優ソロとして史上初の週間TOP10(第8位)ランクイン以降、『bertemu』で週間第3位にまでその記録を更新。かつてはシングル・アルバム双方で史上初かつ最高記録を保持していた。売上においては、声優として初動売上週間10万枚を越えたシングルは現在も「don't be discouraged」のみであるほか、アルバム『Irāvatī』の初動売上・累計売上は共に声優のアルバムとして歴代最高記録であり、全CDを通算した売上枚数も未だトップである。また、シングルは「サクラサク」で、アルバムは『CHOICE』で共に声優として史上初となる10度目のオリコン週間TOP10入りを果たしている。

CDのほか、着うたフルでは大手着うたサイトであるレコチョクの「アニメ/ゲーム・フル」部門にて、「集結の園へ」が2009年の年間1位(総合では67位)を、「集結の運命」が2010年の年間2位を記録。特に「集結の園へ」は、2009年5月度に10万ダウンロード(ゴールド認定)、2010年6月度に25万ダウンロード(プラチナ認定)、2015年1月度に50万ダウンロード(ダブル・プラチナ認定)を記録しており、声優本人・ソロとしてはともに史上初であった。また、続く「集結の運命」も2011年1月度に10万ダウンロード(ゴールド認定)を記録している。

本人の意向により2019年3月をもって、キングレコードとの専属契約を終了した。キングレコード側も本人の意向を理解した上での円満な契約終了となった。

2019年7月ソニー・ミュージックから発売された『からくりサーカス』のサントラCDに収録の「しろがねの子守唄」は、キングレコード以外のレコード会社では28年ぶりに歌手名のクレジットが林原めぐみ名義となった。

2021年3月30日、誕生日に全曲音楽配信(サブスク)が解禁された。

自身の冠番組として、『林原めぐみのHeartful Station』(以下『HS』。キー局:ラジオ関西で1991年10月5日から2015年3月28日まで放送)、および『林原めぐみのTokyo Boogie Night』(以下『TBN』。キー局:TBSラジオで1992年4月11日より放送中)のパーソナリティを長年務めている。

これら番組は、声優がパーソナリティであるアニラジとしては共に『mamiのRADIかるコミュニケーション』や『ノン子とのび太のアニメスクランブル』に次ぐ長寿番組であり、『HS』は2010年11月27日、『TBN』は2011年6月26日で共に放送通算1000回を達成した。アニラジはその性質として短期間で終了するものも少なくないため、声優が週1回放送の冠番組を2番組(加えて林原の場合、同時進行でもある)で放送1000回を超える例はこれまでに無く、林原が初の例である。各番組は100回放送ごとに記念として公開録音が実施され、ハガキによる厳正な抽選の末にファンは参加費無料で招待される。また、各番組はキューシートは存在するものの、台本・編集なしに収録が行われている。

2001年3月、『TBN』は同時間帯聴取率1位継続という長年の功績を表彰され、TBSラジオよりゴールデンマイク賞を受賞。その後も人気番組としての存在感を示しており、TBSラジオでは1990年代にはブームの影響もあって多数のアニラジが放送されていたものの、2011年現在では『TBN』が同局で放送されている唯一のアニラジとなっている。

番組中では、リスナーの就職・進学・恋愛・学生生活などの相談に対して、真摯な姿勢ではっきりとアドバイスを言うことが多い。また、文字の書き方を通じて相手の喜怒哀楽の表情を読み取ることができるということから、電子メールの文章よりも手書きの文章を好むことを明言しており、「ハガキの温もりを大切にしたい」という考えを持っている。このことから、電子メールが一般的に普及してからも『HS』や『TBN』では長らくハガキでのみ投稿可能であったものの、放送開始から15年ほど経過した2007年5月になって一部の、2012年1月からはほぼ全てのコーナーについて公式サイトからの電子メール投稿受付を開始した。

『TBN』の300回突破記念公開録音の中で、アンコールの際に突然ウエディングドレス姿で現れて誕生日に結婚したことを発表したり、2004年1月10日放送分の『HS』では妊娠を発表するなど、ブログなどの代わりとして自身の生活に関する報告にラジオが使われており、ファンもそれを情報源としている。なお、産休中の『HS』はアシスタントの保志総一朗と臨時アシスタントが担当し、『TBN』は先輩である日髙のり子が務めた。

出演アニメの主題歌・挿入歌の作詞を多く手がけており、後輩である堀江由衣や保志総一朗のほか、たかはしごうがボーカルを務めるバンドのバナナギャングスに詞を提供したこともある。なお、作詞をする際の名義は「林原めぐみ」ではなく「MEGUMI」としている。

初の作詞は、アルバム『Perfume』(1992年)に収録されている「STRAY CAT」「Growing Up」の2曲であり、以降多数の楽曲の作詞を手がけている。また、作詞と比較すると稀ながら作曲も行うことがあり、アルバム『Irāvatī』(1997年)に収録されている「Thirty」で初めて手がけて以降、以下の7曲を手がけている(「Thirty」「幸せは小さなつみかさね」「ふわり」「旋律」「Forty」「たこやきのうた」「ドーナツのうた」)。

1998年度(平成10年度)文部省検定済小学校4年生用音楽科教科書『音楽のおくりもの4』(教育出版)に楽曲「まつりうた」が初採用されており、2000年度より使用開始された。その後新たに3度の検定・使用期間を通過しており、2013年度現在の教科書でも継続して掲載され続けている(「まつりうた」はテレビアニメ『BLUE SEED』の劇中曲。本来は歌詞のない曲であったが、林原が作詞をして自身のアルバム『bertemu』に収録した。)。

アニメ雑誌では『アニメディア』や『アニメV』や『月刊ニュータイプ』でいずれも2年半以上の連載経験があり、特に月刊ニュータイプでは「林原めぐみの愛たくて逢いたくて…」(1999年1月号 - 2004年9月号)・「林原めぐみのぴーひゃら生活」(2005年1月号 - 2008年7月号)と長期に渡って連載を持っていた。アニメ雑誌以外では、「夕刊フジ」関西版で週1回のエッセイを約2年間(1996年11月 - 1998年9月)連載していたほか、「東京新聞」や「TOKYO HEADLINE」などに連載経験がある。これらの多くは抜粋・加筆などの編集がなされて書籍化されており、その他にも複数の書籍が刊行されている。なかでも、自身初の単行本化となった『明日があるさ 〜SWEET TIME EXPRESS〜』(学習研究社)は発売後増刷を重ねていき、20万部を突破するヒットを記録している。

近年では長期間の定期連載は行っていないが、短期間・不定期で新聞や雑誌などにエッセイ・コラムを掲載することがある。

2015年4月4日からは、上述のラジオ番組『林原めぐみのHeartful Station』の放送終了に伴い、同タイトルの公式ブログを開設している。

特徴

活動上の方針

元来、「裏方として」声をあてることを声優として最も重視している。

「声優は、自身が表舞台に立つ事で、児童の持つキャラクターへのイメージを損なってはいけない」という考えや、「カメラの前でキャラクターを演じさせられる(=見世物的になる)だけ」の番組には否定的な考えを持っており、テレビなどの映像メディアへの派手な露出は好んでいない。ただし、そうした番組以外では、「声優という魅力的な仕事を知らない人に紹介したり、良さをわかってもらう」という主旨・目的であれば喜んで出演すると述べている。一例としては、『徹子の部屋』を「面白おかしく受けを取るのではなく、編集されずに『そのまま』でいられ、『まじめ』にトークが出来る数少ない番組」として挙げており、熱烈に希望し続けた結果、2年越しで出演を果たしている。

このようにしてテレビ番組への出演は少ない一方で、上記の主旨に沿う「声優としての自身が伝えたいこと」を話しやすいラジオや雑誌への露出は多く、過去にはアニメ・声優業界には縁の無い法律専門誌やビジネス情報誌などからのインタビューも受け、誌面に載ったことがある。

歌手面でも同様の考えであり、活躍・記録の大きさに反して歌番組への露出は好んでおらず、極端に少ない。林原自身が元々歌手志望でなかったことや、1980年代後半の声優の歌手活動は極めて稀であったことなどから、特に当初は歌手活動には非常に消極的だった。コンサート活動は1990年代当時個人を抜きでアフレコ収録する技術が無く、コンサート開催すると時間的にアフレコの時間が取れなくなることから断っていた、音楽イベントに出演する場合でも、活動初期(1992年に1度、九州工業大学学園祭イベントに出演)だったり、奥井雅美などの身近な友人のイベント、自社レーベルの合同イベントなど最低限の形に留まる。基本的に抽選の末に無料で招待されるラジオの公開録音内で行われる短時間のライブコーナーが、ほぼ唯一の歌披露の場となっていた。こうした方針から転換する形で、2017年6月11日に自身初のライブを開催している。

また、「お金でファンを区別して一部を優先することはしない」という本人の意向により、公式のファンクラブを現在に至るまで一切立ち上げていないことでも有名である。

評価など

ファンのみならずスタッフや同業者からの評価も非常に高く、特に斯波重治(音響監督)、三間雅文(音響監督)、 首藤剛志(脚本家)、あかほりさとる(脚本家)、庵野秀明(映画監督)、高田裕三(漫画家)、大月俊倫(プロデューサー)など、著名な人物が関わる作品に活動早期から重用されている。

斯波重治:林原の声優活動における最初期の重要人物であり、デビュー作となった『めぞん一刻』では端役に度々林原を起用した。第1話のアフレコ終了後には、「(この世界で)やっていけるんじゃないかと思うよ」と声をかけており、林原が声優業界に残る大きなきっかけの1つとなっている(その他、『らんま1/2』『あひるのクワック』など)。

首藤剛志:『アイドル天使ようこそようこ』『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢を抱きしめて』『ポケットモンスター』、ドラマCD『LIPs the Agent』などで関わりがある。『ポケットモンスター』では自身のブログ内で「ムサシの声が、林原めぐみさんで決まるなら、後の役の声優は、誰でもいいよ……と、思わず口走ってしまったぐらいです。」と述べており、主要キャスト決定オーディションで意見が通ったのは林原だけであったという。このほか、コラム内では『ようこそようこ』のメインキャストには田中英行音響監督の推薦があったことや、『ミンキーモモ』では「林原めぐみさんが、『海モモ』として望みうるベストの声だ」と堀越徹プロデューサーが言ってくれたということなども語られている。

高田裕三:『3×3 EYES』『万能文化猫娘』『BLUE SEED』の3作品でいずれもヒロインを林原が担当。OVA化前にドラマCDとして『3×3 EYES』が製作される際に大月と高田がキャスト選考をしており、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のメインキャラを演じた林原と辻谷耕史のコンビを起用することで意見が一致したという。

そのほか、『カウボーイビバップ』で監督を務めた渡辺信一郎は同作品での演技に対して、「僕はむしろ言い方を最初から指定するのは好きじゃなくて。台本を読んでもらって、それをどう解釈してもらうのかっていうのがおもしろみのひとつなんですね。特に林原さんには驚かされることが多い。」と述べている。この点に関して林原とは活動初期から親交の深い山寺宏一は、「あの人ねぇ、わざとそういうことができるんですよ。『普通の人ならこう言うだろうな』っていうのをあえて言わないんですよ。」「オレは『こう言ってほしいんだろうな』っていうところから入るんですね。けど、林原はそれをワザとかわす。いっしょにやってて、『やるな〜』って思いますね。」と返した。

2011年8月27日にテレビ朝日系列で放送された『お願い!ランキングGOLD』内の企画「人気声優100人が本気で選んだ!本当にスゴイ声優ランキング」では紹介されたTOP25のうち、第8位にランクインした。当企画では林原も選者の1人として投票を行っている。

人物

明るく前向きな性格である。「小学生時代にいじめを受けたことでこんなに強くなった」とも語っており、その経験から子供達へアドバイスを語ることもある。また、物事をはっきり言う性格であり、そのためデビューしてしばらくはマナーを守らないファンに対しては明確な批判・非難をすることもあった。特に『らんま1/2』のイベントでは、『うる星やつら』からのファンによるらんまへの非難やイベント進行を妨げる言動を注意したため、「このままではこの子は嫌われてしまう」と感じた日髙のり子が必死にフォローした。

趣味はスヌーピーグッズや金券などの収集、アロマテラピー。好きな食べ物は肉・いちご・盛岡冷麺・焼肉・寿司。神戸市に愛着を持っており、自分の第2の故郷とも語っている。好きなキャラクターに前述のスヌーピーとハローキティと快獣ブースカを挙げており、ブースカ! ブースカ!!の主題歌を歌うのもその縁である。スヌーピーに関しては、特にその兄である「スパイク」を「ヒゲ」という呼称で気に入っており、旅行などで遠出をする際にぬいぐるみを持って行くことが多い。また、エッセイ執筆や作詞の際に過去使用していたワープロには「ウッドストック」と名づけて愛用していたほか、スヌーピーの文庫本の1冊にはあとがき部分に寄稿をしたこともある。

家族は夫と長女。夫を「相方」、長女を「ジュニア」と称している。中学時代はバドミントン部、高校時代は放送部・英語部・生物部・演劇の自主サークルなど複数の部に掛け持ちで所属。正看護婦免許(現:看護師免許)と普通自動車運転免許(現:中型自動車運転免許8t限定)を所持している。

交友・対人関係

同業の平松晶子とは親友。日髙のり子を姉的存在として慕っている。愛河里花子・岩田光央夫妻が長野県で行っている田植えには毎年のように手伝いに行くほか、帰省にもしばしば同行するなど家族ぐるみで付き合いが深い。

「頭が上がらない声優仲間」としては、ラジオのトークで天野由梨・佐々木望・川村万梨阿・松井菜桜子・渡辺久美子・岡本麻弥の名前を挙げていた。この内、天野由梨はアーツビジョンの養成所での同期(1期)である。また、自分のペースに巻き込めない声優に草尾毅がいる。『ポケットモンスター』で共演しているコジロウ役の三木眞一郎とは古馴染みである。また元事務所の同僚で、『エヴァンゲリオン』で長年共演し、偶然近い時期に女子を出産することになった三石琴乃とも旧知の間柄である。

檜山修之、森川智之の2人は過去に頻繁に林原のラジオに出演しており、『HS』などのコーナージングルに使用するショートコントで協力している一方、林原は2人が行っているイベント「おまえらのためだろ!」に1999年に行われた第10弾から現在まで毎回声のみの演出協力をしている。

同業以外では小説家の池上永一などと交流があるほか、お笑いタレントの藤井隆とはラジオ番組で競演して以来の関係で恩人として慕われている。また、加藤夏希・栗山千明・紺野あさ美(元テレビ東京アナウンサー)・声優の能登有沙・中西優香(SKE48)などの歌手やモデル、畑健二郎などの漫画家が林原のファンであることを度々公言している。

エピソード

映画『マルドゥック・スクランブル』ではキャスト選考に際し、林原は自身の都合としてオファーを2度断っている。ゴンゾによるOVA製作時は育児のため負担をかけられないという理由だった(1度目)。このとき、「今一度出演検討を」という再オファーがなされた後、仕事を引き受けているが、このOVA製作は頓挫したために当時の公開は実現しなかった。製作中止をFAX1枚で知った林原は、早川書房へ原作者の冲方丁宛てに、その心の内を記した手紙を林原本人とわかる業界用のサンプルCDを添えて送っている。また、劇場版製作によるキャスト選考時には「5年前に私だったから、スターチャイルドであるから、といって今私である必要はない。遠慮や気遣いは作品の方向性を見誤らせる」という理由だった(2度目)。しかし、この際にも前回と同様に再オファーがあり、最終的に仕事を引き受けることとなった。アフレコ作業に際して、主人公ルーン・バロットは火傷により声帯(肉声)を失っているという設定であったためにスタッフは試行錯誤を繰り返し、林原は通常のマイクとは別に首と喉に骨伝導用マイクも装着。合計3つのマイクを用いるという一風変わったアフレコを行うこととなった。

声優としての仕事の一環として海外にも何度か足を運んでおり、1993年(6月25日 - 27日)と1995年(7月7日 - 9日)にはアメリカのカリフォルニア州で行われたアニメアメリカというイベントにゲスト参加した。2000年4月にはスターチャイルド現地法人レーベルの立ち上げのためのプロモーションとして台湾を訪問し、各メディアのインタビューを受けた。訪問時の空港では現地のファンが集まっており、林原の楽曲である「君に逢えてよかった」の合唱で迎えられている。22日、彼女は擎天娛樂(中国語版)から「VINTAGE S」アルバムのプロモーションと印刷メディアおよび電子メディアからのインタビューに応じるよう招待され、その一つは中広流行網(中国語版)が司会を務める呉建恒(中国語版)の生放送番組「今夜星辰」のインタビューでした。夕方。 2000年7月、呉建恒は林原めぐみにインタビューするために東京・江戸川橋のキングレコードを訪れ、その様子は2000年7月22日に同じラジオ番組で放送された。2000年4月30日のラジオ番組『TBN』第420回では、林原めぐみが同年4月22日から24日まで台湾に到着した際の出来事について言及した。台湾に対する思いの一つに「海賊版が多いような気がする」という人がいたが、日本の2chではそれが「台湾はおそらく海賊版の国だろう」と簡略化されていた。 この噂が台湾で広まった後、本来の意味は歪められ、林源は台湾を差別するつもりだったと信じられていたが、実際にはそのような意味は全くなかった。

心無い人によって偽物のサインが出回り、それをオークションなどで手にしてしまうファンを想って、番組や雑誌の抽選であってもサイン色紙のプレゼントには必ずファンの名前を記入することで本物と偽物の区別が可能になるようにしている。ただし、例外として阪神・淡路大震災(1995年1月17日発生)や東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日発生)の義捐金用サイン色紙にはファンの名前は記入していない。前者のサイン色紙はシリアルナンバーとアルバムのジャケットが印刷された特殊なもので3500枚つくられた。また後者は、あらいずみるいによる書き下ろしリナ=インバース色紙・貞本義行による書き下ろし綾波レイ色紙・アルバム『VINTAGE White』仕様オリジナルデザイン色紙それぞれに林原めぐみの直筆サインを加えた色紙の3種であり、1,200枚ずつ計3,600枚つくられた(全ての色紙が、1枚につき1,000円以上の募金)。

2011年10月21日、動画サイトニコニコ動画に、漫画『シャーマンキング』のヒロイン・恐山アンナを名義とするユーザーが楽曲「恐山ル・ヴォワール」をカバーした動画を投稿。この原曲は、原作のファンだった一般ユーザーが劇中詩に作曲をし、VOCALOIDの初音ミクをボーカルとして2010年3月13日に投稿していたものであり、原作者の武井宏之からも絶賛・公認化されていた。原作復活が告知されていたことや、カバー作品の歌声が林原に、使用されたイラストが武井の画法にあまりにも似ていたことなどから、「カバー作品は林原めぐみが歌っているのではないか」という推測で動画は大きな話題を呼んだ。11月8日、林原が自身の公式サイトにて、歌い手が自身であることや、武井直々の依頼であったこと、投稿までの経緯などを発表。詳細が明かされたことで更に話題を呼び、その後、同動画は累計300万回を超える再生数を記録した。

『ONE PIECE』では、「ドレスローザ編」の主要キャラクター・レベッカを担当。演じ始めた当初は、レベッカの境遇をよく知らなかったために弱いイメージができなかったといい、「メラメラの実を取る」ことを意識してアフレコに臨むも、スタッフから「強すぎます」とダメ出しをされたため、レベッカの境遇を聞いた上で演技プランを180度修正しなければならなかったという。ウソップ役の山口勝平との対談では、前述のダメ出しの一件を語った上で、「今まで戦う役や自立した女性の役が多かったので、何で私がレベッカのような『戦わない役』なのか不思議でした」と話している。レベッカを演じ始めた頃はストレスを感じることが多かったといい、「今すぐ『(レベッカの母親を殺した)ディアマンテを斬り倒したい!』と何度も思った」と述べている。山口には、「レベッカは埋もれちゃいけない立場だから、担当声優に林原を起用したんだと思う」「林原にしては、戦わないヒロインって珍しいけど、合ってましたよ」と言われたが、林原は「みんなから『何もしなくていい』と言われて、どうしようかと思っていました」と戸惑ったという。レベッカ役は林原にとって「学び」だったといい、「自分が何もできない辛さや、頼ってばかりって苦しいということを学びました」と振り返っている。「世界会議」では、「ドレスローザ編」終了から約1年ぶりにレベッカを演じているが、林原はレベッカの印象を「吹っ切れて前を向いている感じがしました」と話している。なお、山口とは『らんま1/2』で共演して以降複数の作品で共演しているが、山口と対談のような形で語り合うことはあまりなかったという。林原は山口を「落ち着きがないけど、勝平に落ち着きはいらないかな」「マイペース」と評している。一方の山口は、林原がレベッカを演じた当初メラメラの実を取る気満々でいたことに触れ、「林原がメラメラの実を食ったらね、そりゃあもう大変なことになるから!ただでさえ最強なのに!」「多分、黒ひげと戦っても勝てそうな実力者になるね」と評していた。

2021年12月31日、NHK『第72回NHK紅白歌合戦』の「カラフル特別企画 〜明日への勇気をくれる歌〜」の中で、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイとして白組司会の大泉洋の名前や「大泉は、そうやって嫌なことから逃げるのね…」といった、紅白特別仕様の台詞を入れる演出がなされた。

2024/06/09 08:12更新

hayashibara megumi


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