林敏夫の情報(はやしとしお) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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林敏夫の情報まとめ
林 敏夫(はやし としお)さんの誕生日は1915年5月14日です。大阪出身の俳優のようです。
現在、卒業、映画、退社、結婚、子役に関する情報もありますね。1945年に亡くなられているようです。
林敏夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。本名同じ。第二次世界大戦で戦死した。 1915年(大正4年)5月14日、大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近)に生まれる。祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎、叔父が二代目中村鴈治郎という歌舞伎一家に生まれた。 1921年(大正10年)、数え年7歳にして大阪・中座で初舞台を踏む。作品は『菅原伝授手習鑑』四段目『寺小屋』、菅丞相の子「菅秀才」役であった。以来、鴈治郎一座で歌舞伎役者として活動する。役者としての活動の傍ら、旧制・浪速中学校(現在の浪速高等学校)に進学、同校を卒業したのち、満18歳を迎える1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社する。同年11月1日に公開された冬島泰三監督のサウンド版『初陣』で映画界にデビューした。同作は、白虎隊を主題にし、「新スター林敏夫」をプロモーションする意図のあった作品で、同社は林長二郎(のちの長谷川一夫)、坂東好太郎、高田浩吉といったスターをそろえて、敏夫の「初陣」を飾った。翌1934年(昭和9年)3月8日に公開された同監督の『夜襲本能寺』に、林長二郎演じる明智光秀に助演して、森蘭丸を演じた。 1937年(昭和12年)10月1日に公開された秋山耕作監督の『蒙古襲来 敵国降伏』を最後に映画界を去り、舞台に復帰した。満26歳になる1941年(昭和16年)、同年に松竹下加茂撮影所を退社した、同い年の女優の北見礼子(1915年 - 2007年)と結婚、1942年(昭和17年)2月14日には、長男の与一が誕生した。 1944年(昭和19年)、召集を受けて出征、1945年(昭和20年)8月13日、北満州(現在のロシア・沿海地方あたり)で戦死した。満30歳没。戦死の2日後に第二次世界大戦は終結し、妻の北見礼子は戦後、映画界に復帰、長男の与一は1957年(昭和32年)に初舞台を踏んだ。 特筆以外すべてクレジットは「出演」である。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。 特筆以外すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹キネマ」、特筆以外はトーキーである。 『初陣』 : 監督冬島泰三、サウンド版、1933年11月1日公開 - 主演 『夜襲本能寺』 : 監督冬島泰三、サウンド版、1934年3月8日公開 - 森蘭丸 『明暦名剣士』 : 監督井上金太郎、サイレント映画、1934年4月15日公開 『槍さび恋慕』 : 監督二川文太郎、サイレント映画、1934年6月14日公開 『林蔵出世旅』 : 監督二川文太郎、サイレント映画、1934年9月6日公開 『侠客曾我』 : 監督井上金太郎、1934年12月31日公開 - 旭屋丸三(初のトーキー出演) 『浪人旅殺生菩薩』 : 監督近藤勝彦、サウンド版、1935年5月2日公開 『かごや判官』 : 監督冬島泰三、製作松竹京都撮影所、配給松竹キネマ、1935年7月14日公開 - 彦兵衛伜 彦三郎、63分尺で現存(NFC所蔵) 『お嬢お吉』 : 監督高島達之助・溝口健二、製作第一映画、配給松竹キネマ、1935年8月29日公開 - 半次郎(特別出演)、64分尺で現存(NFC所蔵) 『殿さまやくざ』(『殿様やくざ』) : 監督古野英治、解説版、1936年8月21日公開 『二代目弥次喜多』 : 監督大曾根辰夫、1937年1月21日公開 『元禄快挙余譚 土屋主税 落花の巻』(『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 落花篇』) : 監督犬塚稔、1937年7月14日公開 - 大石主税、52分尺で現存(NFC所蔵) 『元禄快挙余譚 土屋主税 雪解篇』(『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 雪解篇』) : 監督犬塚稔、1937年8月14日公開 - 大石主税、60分尺で現存(NFC所蔵) 『蒙古襲来 敵国降伏』 : 監督秋山耕作、1937年10月1日公開 - 北條為時 妻 : 北見礼子
祖父 : 初代中村鴈治郎
叔父 : 二代目中村鴈治郎
従妹 : 中村玉緒(玉緒の夫は勝新太郎) 叔母 : 中村芳子 叔母 : 中村繁 - 義叔父 : 長谷川一夫 ^ キネマ旬報社[1979], p.467. ^ 林敏夫、jlogos.com, エア、2013年1月25日閲覧。 ^ 林敏夫、日本映画データベース、2013年1月25日閲覧。 ^ 林敏夫、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月25日閲覧。 ^ 林敏夫、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月25日閲覧。 ^ 林敏夫、日本映画製作者連盟、2013年1月25日閲覧。 ^ 林敏夫、KINENOTE、2013年1月25日閲覧。 ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『林与一』 - コトバンク、2013年1月25日閲覧。 ^ 本庄[2009], p.161. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月25日閲覧。 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133 『幻のB級!大都映画がゆく』、本庄慧一郎、集英社新書、集英社、2009年1月16日 ISBN 4087204782 松竹下加茂撮影所 Toshio Hayashi - IMDb(英語) 林敏夫 - 文化庁日本映画情報システム 林敏夫 - 映連データベース (日本映画製作者連盟) 林敏夫 - 東京国立近代美術館フィルムセンター 林敏夫 - 日本映画データベース 林敏夫 - KINENOTE (作品一覧のみ別人) 林敏夫 - allcinema 林敏夫 - jlogos.com (エア) 日本の子役 歌舞伎役者 サイレント映画の俳優 剣戟俳優 松竹の俳優 浪速高等学校出身の人物 大阪市出身の人物 太平洋戦争で戦死した人物 1915年生 1945年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/19 22:05更新
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hayashi toshio
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