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桂正和の情報 (かつらまさかず)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

桂正和の情報(かつらまさかず) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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桂 正和さんについて調べます

■名前・氏名
桂 正和
(読み:かつら まさかず)
■職業
漫画家
■桂正和の誕生日・生年月日
1962年12月10日 (年齢61歳)
寅年(とら年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
福井出身

(昭和37年)1962年生まれの人の年齢早見表

桂正和と同じ1962年生まれの有名人・芸能人

桂正和と同じ12月10日生まれの有名人・芸能人

桂正和と同じ出身地福井県生まれの有名人・芸能人


桂正和と関係のある人

大友克洋: 他面、人物の立体的な造形は80年代以降の士郎正宗や桂正和、遊人などの描く美少女像を変化させ、「記号的な顔」と「写実的な肉体」を併せ持つ、日本の漫画表現独特の美少女キャラクターを生み出す一因ともなった。


まつもと泉: ちば拓や桂正和とともにジャンプでのラブコメ、美少女路線を開拓、読者アンケートでは作中のキャラクターと同年代の10代を中心に男女共にバランスの良い人気を集めた。


よしづきくみち: 当時はとりわけ桂正和の『ウイングマン』を熱心に読んでいたという。


鈴宮和由: 桂正和 - 友人の漫画家。


北上諭志: 桂正和、許斐剛、樋口大輔、やぶのてんやのもとでアシスタント経験がある。


竹谷隆之: 知人に、専門学校では、雨宮慶太(3学年上)、桂正和(1学年上)、寺田克也(同級生)、専門学校以外では小林誠、韮沢靖、野村哲也がいる。


宮崎摩耶: 小学生の頃、兄の部屋で見つけた『週刊少年ジャンプ』に載っていた桂正和の『電影少女』、みやすのんきの『やるっきゃ騎士』(いずれも集英社)といった作品に衝撃を受け、漫画家を志す。


黒岩よしひろ: 桂正和の下でアシスタントを務めながら自身の作品を投稿し、1983年に『ビューティビースト』で第26回手塚賞佳作、『舞子ミステリアス』でフレッシュジャンプ賞入選を受賞。


えなこ: えなこ1stメジャー写真集発売記念カウントダウンパーティー(新宿BATUR TOKYO、3月27日)- ゲスト:桂正和


猿渡哲也: 1981年、第21回手塚賞準入選(『ショット!』、棚渡哲也名義)同期受賞者に板橋しゅうほう、渡辺獏人、桂正和


藤崎竜: また、桂正和の大ファンでもあり、『PSYCHO+』のヒロインである水の森雪乃のあだ名「電脳少女(コンピュータ・ガール)」は、桂の漫画『電影少女』のオマージュである。


あろひろし: 桂正和の代原として『とっても少年探検隊』でタッチを変えて復活し、『月刊少年ジャンプ』に移行して『優&魅衣』の連載を開始。


稲田浩司: 桂正和


小田井涼平: 好きな作家と漫画家は三谷幸喜、中島かずき、福井晴敏、鳥山明、桂正和、井上雄彦、原哲夫、三浦建太郎。


和月伸宏: その他影響を受けた作品として『ドラえもん』・『パーマン』(藤子・F・不二雄)・『タッチ』(あだち充)・『ウイングマン』(桂正和)・『エイリアン通り』・『CIPHER』(成田美名子)・小畑健の一連の作品・『ジョジョの奇妙な冒険』 (荒木飛呂彦)・『幽☆遊☆白書』(冨樫義博)を挙げている。


鳥嶋和彦: 桂正和は高校卒業間際にフレッシュジャンプ賞に投稿した作品が選外ながらも鳥嶋の目にとまったことがデビューのきっかけとなり、『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた。


うえやなぎまさひこ: 数週間に渡って肝炎で入院したことがあり、その間の番組は一週だけのゲストで漫画家の桂正和と鈴宮和由が2時間喋って持たせたことがある。桂正和は刑事コロンボ日本語吹き替え版のモノマネを何度か披露していた。


茅原実里: 憧れていた漫画家は尾崎南、桂正和


寺田克也: 阿佐美時代の同級生に造形師の竹谷隆之、1学年上に漫画家の桂正和、3学年上に映画監督の雨宮慶太、1学年下にやはり映画監督の佐藤嗣麻子と山崎貴がいる。


ことぶきつかさ: アニメ作品では『機動戦士ガンダム』『メガゾーン23』、漫画では士郎正宗、桂正和、アニメーターでは土器手司、園田健一、大張正己などから影響を受ける。


雨宮慶太: また、漫画家の桂正和も専門学校時代の後輩にあたり、『ゼイラム』で脇役として出演したほか、同作のアニメ化である『I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION』ではキャラクター原案を担当し、また『牙狼 -紅蓮ノ月-』ではキャラクターデザインを担当している。


桂正和の情報まとめ

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桂 正和(かつら まさかず)さんの誕生日は1962年12月10日です。福井出身の漫画家のようです。

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年表、作風などについてまとめました。卒業、テレビ、ドラマ、趣味、映画、現在に関する情報もありますね。桂正和の現在の年齢は61歳のようです。

桂正和のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

桂 正和(かつら まさかず、本名同じ、1962年〈昭和37年〉12月10日 - )は、日本の漫画家。プロダクション名は STUDIO K2R。福井県生まれの千葉県育ち。阿佐ヶ谷美術専門学校中退。血液型はA型。2015年(平成27年)から嵯峨美術大学客員教授。

1981年(昭和56年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)32号掲載の「転校生はヘンソウセイ!?」でデビューし、1983年(昭和58年)に同誌5・6合併号から連載を開始した『ウイングマン』で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍し、その後『週刊ヤングジャンプ』(同)に移籍。代表作に『ウイングマン』『電影少女』『I"s』など。

評価は日本国内に留まらず香港・台湾・アメリカ・フランスなど様々な国や地域のファンから支持されている。

1962年(昭和37年)福井県に生まれ、小学生の時に千葉県千葉市村田町へ引っ越し、さらに中学生になるころに同県市原市八幡へ移り20歳ごろまでを過ごす。子供の頃から絵は得意で受賞などもしていたが、アニメや漫画にはさほど惹かれておらず、ウルトラシリーズや仮面ライダーシリーズといった特撮ヒーロー物に夢中になっていた。

中学時に V55 (Technics) という50万円のコンポーネントステレオが欲しくて、当時50万円だった賞金目当てに手塚賞への応募を始める。最初の道具は手塚治虫の入門書を読んで小遣いで揃えたものだった。それまでは漫画家を目指していたわけでもない上に漫画もほとんど読んでおらず、当初は賞金だけが目的であった。目的のコンポは賞金を手に入れる前に買ってもらったが、漫画を描き続ける中で描く面白さを覚える。

高校時には授業中にペン入れをするなどして漫画に没頭する。そして1980年(昭和55年)の高校卒業間際にフレッシュジャンプ賞に投稿した作品が選外ながらも編集者・鳥嶋和彦の目に止まり、また同時期に手塚賞に応募していた「ツバサ」が佳作に入選する。

高校時代には『電子戦隊デンジマン』をきっかけとし東映の特撮テレビドラマにのめり込む(詳細は趣味の節で後述)。こうした特撮ヒーロー物のファンゆえ、そのトレースしただけのようなSF作品ばかりを描いていたが、担当となった鳥嶋にラブコメディ作品を描くように薦められ「転校生はヘンソウセイ!?」を執筆する。同作は初めてのラブコメであったにもかかわらず手塚賞準入選に入賞して『週刊少年ジャンプ』 (以下『WJ』)に掲載され、専門学校在籍中に漫画家としてのデビューを果たす。

その後『WJ』で『ウイングマン』の連載を開始し多忙となったこと、そして3年への進級に失敗したことから専門学校を中退。同作は自身の好きなヒーロー物にラブコメディ要素を取り入れたことによりヒットし、アニメ化もされた。

『ウイングマン』終了後は『超機動員ヴァンダー』『プレゼント・フロム LEMON』と短期終了の連載が2作続き、不遇の時代を迎える。再び担当となった鳥嶋のサポートから「恋愛モノ」に取りかかり、『ウイングマン』とは逆に恋愛にSF要素を取り入れた読切「ビデオガール」を1989年(平成元年)に発表、同年さらにこれを基にした『電影少女』の連載を開始する。

『電影少女』は単行本巻数としては『WJ』時代最長となる15巻まで続き、OVA化・実写映画化など様々なメディアミックス展開が行われるヒット作となった。両作は桂にとって漫画家としてのターニングポイントとなっており、作風に様々な変化をもたらした(詳細は作風の節で後述)。

また、1989年(平成元年)に公開された映画『バットマン』をきっかけに桂は『バットマン』のファンとなり、以降の作品に影響を与えた(詳細は趣味の節で後述)。

『電影少女』終了後、1992年(平成4年)からは鳥嶋が創刊編集長を務めた『週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP』において『SHADOW LADY』【VJ版】を連載、その後『WJ』に戻り1994年(平成6年)から『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』、1995年(平成7年)からは『SHADOW LADY』【WJ版】とアクション色の強い作品を続けて発表する。『D・N・A² 』の連載は単行本5巻分と比較的短期間だったが、テレビアニメ化されている。

1996年(平成8年)には初の青年誌向け作品として『エム』を『MANGAオールマン』にて発表する。

そして翌1997年(平成9年)にはWJ編集部の意向に沿う形で、SF要素を一切排した恋愛漫画『I"s』の連載を開始する。同作は『WJ』時代最長の作品となり、連載終了後にもメディアミックスが行われるヒット作となった。

2000年(平成12年)の『I"s』連載終了と同年に掲載された読切「Dr.チャンバリー」を最後に、桂は長年活動の場として来た『WJ』を離れる。そして2002年(平成14年)に発表された『M 完全版』以降は活動の場を『週刊ヤングジャンプ』に移し、同年より『ZETMAN』の連載を開始する。5年以上にわたって連載が継続されており、桂最長の作品となっている。

移籍後に発売された『I"s』の完全版は『WJ』連載作品でありながら、ヤングジャンプ・コミックスレーベルからの発売となっている。

年表

※ 連載誌の記載がないものは『週刊少年ジャンプ』において連載。

1962年(昭和37年) - 福井県で生まれる。

197?年(昭和4?年) - 小学生のころに千葉市に引っ越す。中学に入学するころに市原市へ引っ越し、20歳ごろまでを過ごす。

1980年(昭和55年) - 高校卒業間際にフレッシュジャンプ賞に応募していた作品が鳥嶋和彦の目に留まる。また「ツバサ」で第19回手塚賞佳作受賞。4月、阿佐ヶ谷美術専門学校に入学。

1981年(昭和56年) - 専門学校在籍中に「転校生はヘンソウセイ!?」で第21回手塚賞準入選を受賞。漫画家としてデビューする。

1983年(昭和58年) - 「ウイングマン」で連載デビュー( - 1985年〈昭和60年〉)。初の単行本となる『ウイングマン』1巻が8月に発売。

1984年(昭和59年) - 『ウイングマン』がテレビアニメ化(タイトルは『夢戦士ウイングマン』)。桂にとって初のアニメ化作品となる。8月1日、初の短編集『桂正和コレクション』1巻を発売。

1985年(昭和60年) - 「超機動員ヴァンダー」連載開始( - 1986年〈昭和61年〉)。

1987年(昭和62年) - 「プレゼント・フロム LEMON」連載開始(同年終了)。

1988年(昭和63年) - 「小さな灯り」を『週刊少年ジャンプ特別編集 スーパージャンプ』に掲載。初の青年誌掲載。

1989年(平成元年) - 「電影少女」連載開始( - 1992年〈平成4年〉)。

1991年(平成3年) - 『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』として『電影少女』が初の実写映画化。

1992年(平成4年) - 『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』として『電影少女』が初のOVA化。『週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP』において「SHADOW LADY」【VJ版】連載開始( - 1993年〈平成5年〉)。

1993年(平成5年) - 「D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜」連載開始( - 1994年〈平成6年〉)。

1994年(平成6年) - OVA『I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインを担当。

1995年(平成7年) - 「SHADOW LADY」【WJ版】連載開始( - 1996年〈平成8年〉)。

1996年(平成8年) - 「エム」を『MANGAオールマン』に掲載。初の青年向け漫画。

1997年(平成9年) - 「I"s」連載開始( - 2000年〈平成12年〉)。

1998年(平成10年) - 初のイラスト集『4C』を発売。

1999年(平成11年) - ゲーム『LOVE & DESTROY』のキャラクターデザインを担当。

2002年(平成14年) - 「M 完全版」より活動の場を『週刊ヤングジャンプ』に移し、『ZETMAN』を連載開始。本人曰く、これ以降は長編漫画を描いておらず、キャラクター原案に軸足を移して現在に至る。

2011年(平成23年) - テレビアニメ『TIGER & BUNNY』のキャラクター原案を担当。

2014年(平成26年) - 4月、鳥山明との共作短編集『カツラアキラ』発売。7月、12年もの長期連載となった連載版『ZETMAN』の第一幕が完結。

2022年(令和4年) - 画業40周年を記念した展覧会『40th Anniversary 桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜』を4月27日から5月8日まで東京・サンシャインシティ、10月5日から16日まで大阪・あべのハルカス近鉄本店にて開催した。

作風

同じく漫画家で友人の鳥山明は桂の作風について「(桂は)感動させたくてしょうがない」と評している。「作風が真逆なくらい違う」鳥山が人間味を表現するのを嫌い、明るくくだらないやり取りを好むのに対し、桂はやや暗く感動を誘うような描写を好む。こうした自身の作風について桂は、あすなひろしの“哀しい”作品の影響を述べている。

『コミッカーズ』1997年10月号では「美少女とヒーローをカラーで描かせたら右に出る者はいない」との形容によって、桂の作品の特徴を端的に表している。こうした特徴から初のイラスト集である『4C』も、恋愛作品のイラストを中心とした「L-side ‹LOVERS-side›」とヒーロー物を中心とした「R-side ‹HEROES-side›」 という構成になっている。

ヒーロー物

手塚賞佳作受賞作である「ツバサ」から長期連載の『ZETMAN』に至るまで、変身ヒーローを扱った作品が多い。上述の通り高校時代には特撮ヒーローに夢中となってそのトレースのような作品ばかりを書いていたこともあり、初期の作品には特撮ヒーロー物の影響が強い。また、『バットマン』公開以降の作品については同作の影響を自身で述べている(特撮ヒーロー・バットマンについては趣味の節で後述)。

桂自身はヒーロー物に対してはこだわりがあり、『ZETMAN』については物語の構想としては変身ヒーローである意味が無いことを認識しながらも、「僕がやる限りヒーローだよな」との思いから変身ヒーロー物として描いている。

恋愛物

「少年誌でやってる限り、……『ラブコメ』が向いているらしくて」と桂自身が述べるように、『電影少女』『I"s』とヒットし長期連載となった作品には恋愛要素が強い作品が列び、また恋愛を主題とはしていない変身ヒーロー物であっても『WJ』時代の連載作品には必ず恋愛要素と性的なサービスカットが含まれている。同じく鳥嶋にラブコメを求め続けられながらも頑なに拒否した鳥山明とは対極的に、桂はその要望を受け入れたことによって作品が時代とマッチし、ヒット作を生み出していった。

しかしこうした恋愛要素はコメディ要素と共にあくまで編集の意向を汲んで描かれたものであり、初のラブコメディ作品「転校生はヘンソウセイ!?」も担当のアイデアを取り入れることで執筆された作品であった。桂は恋愛作品について自身の趣味とは全く異なるものではあるが、嫌ではない旨を述べ、最初のラブコメを苦痛無く悩まず描けたことがその後へと繋がっていったと懐述している。

ただし、「(『電影少女』の開始時には)恋愛モノなんて、イヤでイヤでしようがなかったし、連載で描き続ける自信など、まるでなかった」や、「自分に求められている物を意識しすぎて、……恋愛やエロを入れなきゃとか」、などのより消極的な発言も見られ、『ウイングマン』に登場する女性戦隊ウイングガールズについては、ストイックな特撮ヒーロー物をやりたかったため本心としては出したくなかったが、編集の意向に合わせて仕事と割り切り登場させた旨を懐述している。

なお、恋愛物についてはラッセ・ハルストレムの映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の影響を自身で述べている。

鳥山は桂との対談で「(桂は)エッチなのが武器」と述べており、性的な描写は桂の作品の魅力の一つとなっている。サービスカットは『ウイングマン』初期より登場していたが、『電影少女』の連載中に性的な表現に対する大きな転機が訪れる。

当初、恋愛物の執筆にあまり乗り気ではなかった桂は、せめてもの抵抗として少年誌にありがちな恋愛漫画を避けようとリアリティ(現実感)ある描写を求めていく。そして男女交際の帰結としてベッドシーンなどにも踏み込んでいくが、「キスまで」という少年誌的な制約は厳しく、桂はこの制約の中で「裸を出さずにエッチに描く」ことにより、際どくリアリティのある描写を目指していく。

とはいえその限界の見極めは難しく、『電影少女』では単行本に収録される際の修正・単行本発行後の修正・山口県での第3巻の有害図書指定と、当時強まっていた漫画に対する表現規制のあおりを直接受けることとなった。こうした際どい表現方法は、以降も桂の作品の特徴となっており、後の『エム』や『I"s』などにも受け継がれていく。

画風

「美少女とヒーローをカラーで描かせたら右に出る者はいないスーパーテクニシャン」と称されるように、画力の高さには定評がある。しかし桂自身はあまり自分の画力を評価しておらず、絵柄の変更に抵抗を持たずに作品に合わせて意図的に変化させている。

大きな転機となったのは『電影少女』の原型となった読切「ビデオガール」のころで、それまでの絵柄を壊しリアリティのある絵柄を模索し始める。これは『電影少女』の連載前の漫画を描けない入院生活によって手が自分の絵を忘れてしまったことも転機とはなっているが、その他にも自分のキャラクターのルックスに飽きたこと、アイドル好きが加熱していたこともあり自分の絵よりも現実の女の子の方が可愛いと思っていることなどが理由として挙げられている。

その後の『D・N・A²』ではコミックらしさにこだわって描き、『ZETMAN』ではシリアスなストーリーに合わせ劇画にしている。鳥山明との合作『さちえちゃんグー!!』では好きでありながら自分で封印しているデフォルメにも挑戦している。

上述の通り桂の描く美少女には定評があるが、『ウイングマン』の連載中には担当編集より「色気がない」との指摘を受けていた。この指摘から桂は女の子の可愛らしい仕草や多彩な表情、色気などを意識して描くようになったが、その結果として女の子を主人公にした作品の依頼しか来なくなったと語っている。

ただし、早い時期から美少女の描写は評価されており、『ウイングマン』連載中のファンレターや『超機動員ヴァンダー』の巻末にコメントを寄せた土居孝幸からは共に「女の子が可愛い」との評価を受けている。少女の描写の中でも特に尻の描写は評価が高く、鳥山は「桂君と言えばお尻」との理由によって『さちえちゃんグー!!』の主人公さちえの痣を尻に設定している。また同じく漫画家の河下水希も、「桂正和先生の描かれるお尻なんて物凄い」と評している。

美少女を描くのに当たり桂は、グラビアなどからイメージをする程度にとどめ、特定のモデルを決めずに描いている。これは特定のモデルを決めて描くと目の大きさなどのバランスが絵としては悪くなり、修正を加えていっても良い作品にならないためという。

2024/06/10 07:46更新

katsura masakazu


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