梶岡忠義の情報(かじおかただよし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
梶岡 忠義さんについて調べます
■名前・氏名 |
梶岡忠義と関係のある人
渡辺省三: 紅白戦でエース・梶岡忠義の右手甲に死球を与えてしまうが、オープン戦で梶岡の代役として投げたところ好結果を出し、一軍に昇格。 藤村隆男: 同年オフに若林忠志・土井垣武・別当薫等が毎日オリオンズに引き抜かれて阪神が弱体化した中で、同い年のライバルであった梶岡忠義とともに1950年代前半の阪神投手陣を支えた。 佐野誠三: また、旧制中学時代、同じ地区には戦後、阪神でエースとして活躍する梶岡忠義がいて、ある試合で野球部に急遽、助っ人で入部、当初は士官希望だったものの、方向転換、卒業後、南海に入団「野球に命を拾われた」と囁いている。 呉昌征: 巨人対阪神のOB戦では、「君はこっちだ」と川上哲治・青田昇や藤村富美男・梶岡忠義ら両軍からからかわれていた。 藤村隆男: 御園生崇男の指導によって急成長した藤村はこの年16勝を挙げて、若林忠志(15勝)・梶岡忠義(13勝)を抑えてチームの勝ち頭となった。 |
梶岡忠義の情報まとめ
梶岡 忠義(かじおか ただよし)さんの誕生日は1920年9月26日です。大阪出身の野球選手のようです。
引退、卒業に関する情報もありますね。2003年に亡くなられているようです。
梶岡忠義のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2003年3月23日)は、昭和中期(1940年代後半-1950年代前半)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。現役時代は阪神タイガースで活躍し、引退後は阪神の投手コーチを務めた、大阪府大阪市出身。 成器商業学校から専修大学へ進学。専修大学時代は4番エースとして、4季連続東都大学リーグ優勝に貢献した。専修大学卒業時に阪神から声がかかったが、学徒出陣となり満州へ行くこととなる。1946年に満州から帰国し、発足した中央工業の野球部に入る。 翌1947年2月1日に南海から勧誘されるが、阪神への義理を通し、自ら電話で阪神に連絡をとり、阪神に入団する。若林忠志投手兼任監督から譲られた背番号「18」を背負い、4月19日の南海戦で初勝利を挙げると、1年目から職業野球東西対抗戦に出場するなど、新人ながら若林(26勝)に次ぐ22勝を挙げ、防御率1.92はチームトップ(リーグ6位)となる大活躍で、阪神の戦後初優勝に貢献した。 2年目の1948年には7月8日の阪急戦で9回2死から宮崎剛に初ヒットを打たれて惜しくもノーヒットノーランを逃すものの、神宮球場で行われた初の日本プロ野球公式戦であった8月24日の南海戦でついにノーヒットノーランを達成。この時、マスコミが初めて「ノーヒットノーラン」という言葉を使い、梶岡の快挙を報じた。投球数95、3奪三振の、典型的な打たせて取る芸術的な投球だった。シーズンでは、リーグ最多の35完投に、最多勝(中尾碩志の27勝)にわずか1勝及ばなかったが2年連続20勝となる26勝を挙げ、防御率2.54もリーグ9位に入った。 前年の酷使がたたって肩を痛め、1949年は疲労から13勝に留まるが、同年のシーズンオフには痛めた肩の治療のために別府温泉へオーバーホールで出かけていたことが幸いとなり、毎日の引き抜き騒動に巻き込まれずに済んだ。その後も、1950年12勝、1951年13勝にとどまる。 1952年には8月3日に通算100勝となる白星を飾ると、3度目の20勝となる21勝に防御率1.71をマークして最優秀防御率のタイトルを獲得するなど復活し、同い年の藤村隆男(初代ミスタータイガース・藤村富美男の弟)とともにダブルエースとして活躍した。1956年二軍投手コーチを兼任するが一軍登板はなく、同年シーズン終了後に引退。投手として通算131勝を挙げた一方で、打者としても通算12本塁打を放っており、これは阪神投手陣(景浦将や藤村富美男ら野手兼任選手を除く)の中で歴代最高の本数である。 引退後は主に二軍投手コーチを務めた。さらに、退団後も阪神タイガースOB会会長として毎試合のように甲子園に通ったり、還暦野球などの活動を続けていた。 2001年の第83回全国高等学校野球選手権大会に孫の梶岡千晃(習志野高 - 中央大 - NTT東日本)が出場。阪神大震災の被害を受け、千葉に移り住んでいた梶岡は、新幹線に乗って孫の応援に駆けつけ、「習志野・梶岡、偉大なおじいちゃんの前で活躍」とスポーツ新聞などで報道された。2003年3月23日午前5時37分、心不全のため死去。82歳没。 眼鏡をかけた、知性的な風貌とは裏腹に性格は積極的で、ファイト溢れるプレーが身上。「変化球なんか投げれるかい」と振りの早い投球フォームから繰り出すストレート一本で勝負したが、故障してからはアウトドロップと呼ばれた外角低めにコントロールされた鋭いカーブを交えた投球に移行した。 激しいプレーが多く生傷が絶えなかったが、「猛虎魂」の見本のような選手で骨折なんかへっちゃらだと言われた。また、同年代に活躍した藤村隆男に対しては強いライバル心を持っており、藤村が登板すると「負けてくれ」と思ったことさえあるという。 その一方で、最優秀防御率のタイトルを獲得した時の賞金10万円で自分には腕時計、夫人には指輪をプレゼントしたという微笑ましいエピソードも残っている。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1952年) ノーヒットノーラン:1回 (1948年8月24日、対南海ホークス戦、明治神宮野球場) ※史上15人目 オールスターゲーム出場:1回 (1952年) 18 (1947年 - 1949年) 1 (1950年 - 1951年) 3 (1952年 - 1955年) 32 (1956年 - 1957年) 50 (1958年 - 1961年) 66 (1962年 - 1964年) ^ 『猛虎大鑑1936-2002』101頁 ^ “梶岡忠義氏死去/元プロ野球阪神投手”. 四国新聞社. (2003年3月23日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20030323000373 2020年3月23日閲覧。 ^ 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年、65ページ 『猛虎大鑑1936-2002 スーパー・カタログ・阪神歴代成績上位「打者200人&投手100人」 完全保存版』(BBmook スポーツ・スピリット21)』ベースボール・マガジン社、2002年 大阪府出身の人物一覧 専修大学の人物一覧 阪神タイガースの選手一覧 ノーヒットノーラン達成者一覧 個人年度別成績 梶岡忠義 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 沢村栄治 V.スタルヒン 石田光彦 中尾輝三 亀田忠 浅野勝三郎 三輪八郎 森弘太郎 西沢道夫 天保義夫 藤本英雄 別所昭 石丸進一 呉昌征 梶岡忠義 真田重男 金田正一 林義一 大友工 山下登 杉下茂 大津守 大脇照夫 大矢根博臣 井上善夫 中山義朗 G.バッキー 外木場義郎 清俊彦 若生忠男 堀内恒夫 城之内邦雄 鈴木啓示 成田文男 渡辺秀武 鬼頭洋 藤本和宏 高橋直樹 江夏豊 神部年男 加藤初 戸田善紀 郭泰源 田中幸雄 近藤真一 柴田保光 湯舟敏郎 西崎幸広 佐藤義則 T.ブロス 渡辺久信 野口茂樹 石井一久 川尻哲郎 佐々岡真司 M.バンチ N.エルビラ 川上憲伸 井川慶 R.ガトームソン 山本昌 前田健太 杉内俊哉 西勇輝 山井大介 岸孝之 山口俊 菅野智之(CS) 千賀滉大 大野雄大 小川泰弘 東浜巨 今永昇太 山本由伸 C.ポンセ 石川柊太 戸郷翔征 大瀬良大地 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 日本の野球選手 専修大学硬式野球部の選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 最優秀防御率 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球指導者 大阪学芸高等学校出身の人物 大阪市出身の人物 1920年生 2003年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/10 23:10更新
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kajioka tadayoshi
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