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横山隆一の情報 (よこやまりゅういち)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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横山 隆一さんについて調べます

■名前・氏名
横山 隆一
(読み:よこやま りゅういち)
■職業
漫画家
■横山隆一の誕生日・生年月日
1909年5月17日
酉年(とり年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
高知出身

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横山隆一の情報まとめ

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横山 隆一(よこやま りゅういち)さんの誕生日は1909年5月17日です。高知出身の漫画家のようです。

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画風・評価、人物・エピソードなどについてまとめました。父親、母親、卒業、映画、結婚、再婚、テレビ、病気に関する情報もありますね。亡くなられているようです。

横山隆一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は高知県高知市出身の日本の漫画家、アニメーション作家。

政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告・絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。

高知市堺町に生まれる。公式の誕生日(戸籍上の生年月日)は5月17日であるが、横山自身は母から、名付けの遅れのために届け出が遅れ、本当の生まれた日付は5月10日であったことを伝え聞いているという。6人きょうだいの第2子で長男。もとの生家は裕福な生糸問屋であったが、14歳のときに父親が死去。一家は没落し、母親が出稼ぎのために高知市を離れたため、きょうだいは複数の親類宅に離れ離れに預けられ、その後横山が経済的に成功するまで、長らく離散状態となる。このころ、似顔絵や、チョークに裸婦像を彫刻したものを同級生に売って小遣いを稼いでいた。

1927年、旧制高知県立高知城東中学校(のちの高知県立高知追手前高等学校)卒業の翌日より、就職を目指すため横浜市の叔父(父の弟)宅に寄寓し、中学時代の経験から美術家をこころざすも、東京美術学校の受験に2回、また東京高等工芸学校の受験にも失敗する。横浜職業補導所へ通い、大工の技術を学ぶかたわら、関東学院英語科夜間部に通った。やがて、いとこが美術モデルをしていた関係で、画家・高橋虎之助と知遇を得て、1928年、高橋の教えを受けて川端画学校に合格。同年暮れには同郷の新聞記者・澤本孟虎(澤本江南)の紹介で、やはり同郷の彫刻家・本山白雲に弟子入り。

この頃、居候生活から逃れるために入り浸った図書館で、雑誌に多く掲載されていた海外のナンセンス漫画にはじめて接し、それまでの日本の風刺漫画などと異なり「描かれた線がきれいで」「内容がわかりやすく、くり返し見てもおかしく面白かった」と大きな衝撃を受ける。また当時、日本の漫画界では山本鼎、石井柏亭らファインアートの画家による「コマ画」制作が盛んな時期であり、これらの持つ叙情性やユーモアにも大きな影響を受ける。居候生活の脱却を目指した横山は、1929年頃からギャグを志向した1コマ漫画の投稿を開始する。叔父宅を離れ、本山宅に住み込むようになると、『アサヒグラフ』『新青年』など本山のもとに届く大量の雑誌の懸賞漫画に次々と応募するようになり、より広く作品が採用されるようになる。体力に乏しかった横山は、重労働である銅像制作の現場に不向きと判断され、東京の本山の本邸を離れ、神奈川県鎌倉郡片瀬村(のちの藤沢市片瀬)にあった本山の別邸の管理をまかされるようになったが、本山は横山の漫画の腕に理解を示し、投稿活動の継続を許す。横山は買い出しに訪れた鎌倉郡鎌倉町(のちの鎌倉市)の書店で新創刊の『月刊マンガ・マン』を知り、投稿常連となる。やがて横山は、本山に漫画家への転身をすすめられて堤寒三を紹介され、堤の門下に、のちに岡本一平の門下に転じる。また、若手投稿家のグループ「漫画研究会」に入会するも、プロレタリア漫画が主流のグループで、会合はほとんど政治論争となって「ペンの話」にならなかったため、すぐにグループを離れる。

1930年、いとこ(上記とは別人)が東京・大塚に書店を開業し、手伝いを請われたため、本山の元を離れる。かつての投稿先である『新青年』で、1931年2月号より掲載小説の挿絵の担当を開始し、実質的なプロデビューを果たす。また同年、ピー・シー・エル映画製作所に入社し、アニメーション技術の習得と研究に従事する。挿絵画家としての活動と並行し、『アサヒグラフ』連載のジョージ・マクマナス(英語版)『ジグス(親爺教育(英語版))』の書き文字の日本語リライトを担当した(翻訳は中里富次郎)。

この頃、『月刊マンガ・マン』の投稿者から社員に転じていた吉田貫三郎と親しくなったことをきっかけに、『月刊マンガ・マン』の寄稿者で、岡本門下だった近藤日出造や杉浦幸雄らと知り合った。昭和初期の漫画界は文壇・画壇をもじって「漫画壇」とも呼ばれ、新聞や雑誌は少数のベテランが独占しているような状態で、横山ら若手はプロとしての発表の場がなかなか得られなかった。横山・近藤・杉浦の3人を中心に「漫画市場に若手が結束して売り込もう」「殴り込みをかける」といった意見が高まり、1932年に「新漫画派集団」の結成にいたった。同年には、北澤楽天が横山の漫画に惚れ込み、時事新報社の自身の部屋に横山を招き、面会をしている。この経験は横山に自信を与えたという。

「線を大胆に簡略化した絵と奇抜な発想」で抜きん出ていた横山は、「新漫画派集団」の中で最初に名が売れていった。杉浦は横山の作風を「昭和のピカソ」と評し、「奇想天外の発想はだれもついていけなかったのに、みんながマネをしようとして失敗した」と語っている。

経済的に余裕が出た横山は、離れ離れになっていた母や妹を東京・本郷に呼び寄せ、同居を再開する。1935年10月、郷里の知人の妹と結婚。1936年1月、朝日新聞東京版朝刊に『江戸っ子健ちゃん』を連載開始。サブキャラクターのフクちゃんに人気が集まったため、同年に『フクちゃん』と改題。掲載媒体を変えながら1971年まで連載が継続し、横山の代表作となった。1937年、一家で鎌倉に移住する。

開戦後の1942年1月、陸軍報道班員として、小野佐世男、大宅壮一、武田麟太郎らとともにジャワ島へ派遣された。ジャワへ向かう際、バタビア沖海戦に巻き込まれ、乗っていた輸送船・佐倉丸が沈没するも、九死に一生を得る。復員後の1945年3月末、空襲の激化にともない、母と妹を郷里の高知に、妻と子供を近藤日出造の世話で長野県小県郡神科村(のちの上田市)に疎開させる。横山も5月に神科の妻子のもとに合流するが、8月2日に妻が病死。ほどなく終戦となり、失意のうちに鎌倉に戻るも、心労や栄養失調のために腎臓を病む。多くの漫画家たちが応召や疎開のために東京を留守にする中、鎌倉在住で仕事場や画材が焼けなかった横山がいち早く病を押して仕事を再開し、清水崑、矢崎武子、田河水泡らとともに『新夕刊』漫画部の嘱託となる。10月、横山らは「新漫画派集団」を「漫画集団」に改組。戦後初期から昭和中期を通じ、新進の漫画家を多く世に出すことに貢献した。

やがて、毎日新聞の専属となり、『ペ子ちゃん』『デンスケ』をへて、『フクちゃん』の連載を再開。また、戦前から横山の仕事場を手伝っていた前妻の兄の娘(義理の姪)と再婚する。1951年、毎日の特派員団の一員としてサンフランシスコ講和会議取材のためアメリカ合衆国に長期滞在。その際、戦前からの念願であるアニメーション制作の参考のため、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオを見学。その際にウォルト・ディズニー本人とも会談を果たした。

1956年、アニメーション制作会社「おとぎプロダクション」(おとぎプロ)を設立。自主上映の短編アニメ、劇場用アニメ映画テレビCM用のアニメ素材のほか、1961年に、日本初の連続テレビアニメシリーズ『インスタントヒストリー』を制作した。

1971年の『フクちゃん』連載終了後は連載漫画家としての活動を控え、児童文学の挿絵や絵本の制作を手掛けた。

2001年11月8日、脳梗塞のため鎌倉市内の病院で死去。翌年に「横山隆一記念まんが館」が開館することが決定していたが、開館を待たずに亡くなった。

1966年 毎日出版文化賞特別賞(『勇気』)

1979年 第8回日本漫画家協会賞 大賞(『百馬鹿』)

1992年 第21回日本漫画家協会賞 文部大臣賞(日本の漫画文化に貢献した全業績)

1994年 文化功労者 - 漫画家としては初の受賞。

1999年 第10回早稲田大学芸術功労者表彰

1957年 第8回ブルーリボン賞特別賞(『ふくすけ』)、第12回毎日映画コンクール教育文化映画賞(『ふくすけ』)

1974年 紫綬褒章

1982年 勲四等旭日小綬章

1996年 高知市名誉市民、鎌倉市名誉市民

画風・評価

横山死去の際、横山の娘は新聞取材に対し「現代ではおどろおどろしい絵や話のものが漫画と呼ばれてしまっている。本当の意味での『漫画』は終わった」と語っている。

人物・エピソード

8児の父。画家・イラストレーター・絵本作家の横山ふさ子は三女。

漫画家の横山泰三は実弟。弟・泰三の『プーサン』の映画化作品に弟とともに出演している。

ブラジル在住の童話作家・横山トミは妹のひとり。

近藤日出造は義弟(妹の夫)である。

1932年ロサンゼルスオリンピック・競泳800メートルリレー金メダリストの横山隆志はいとこ。

武蔵七党・横山党の末裔。

長男の病気を機に、1937年頃に鎌倉町(のちの鎌倉市)に移住。妻の兄宅への寄寓や借家住まいを経て、戦後、市内の御成町に土地を購入し最初の自邸を新築。のち「おとぎプロ」設立を期に事務所兼自宅を増築。

    存命中は、忘年会を自邸で毎年開催しており、ホステスや漫画家を大勢集めた大規模なものだったという。出席したことがある漫画家の松本零士は、終電近くに帰ろうとした所、横山から「俺はな、皆がいなくなると死にたくなるんだ」と懇願され、始発まで飲み明かしたことがあると証言している。

    かつての自邸跡地にはスターバックスコーヒー鎌倉御成町店が建っている。桜の木、藤棚、プール等が残されているほか、店内に『フクちゃん』の原画が展示されている。

      プールは、アニメーション制作の現場が暑くなるため、スタッフや横山本人がいつでも飛び出し、飛び込めるように作ったもの。

      戦時中、横須賀海兵団に召集され、規則で上京できなくなった新漫画派集団メンバーのため、鎌倉の自宅を面会所として提供した。

      戦時中に途絶えていた鎌倉カーニバルの復活を後押しした。再開第1回の1947年に「漫画集団」チームとして参加し、団体一等賞を受賞。

      1933年頃に新漫画派集団の「制帽」として全員でベレー帽をかぶることを決めたが、すぐにルールが有名無実化し、常にかぶっているのは横山ひとりだけとなった。そのうち頭髪が薄くなり、「脱ぐチャンスがなくなりました」と横山本人は述べている。

      太平洋戦争中、「自由主義的なもの」を身に着けにくい時勢となったため、その間は戦闘帽を常用していた。

      博文館の専属作家だった玉川一郎が挿絵を取りに横山の居候先をたずねた際、そこが豪邸であったこともあり、応対した横山をその家の小学生の息子と間違え、横山が「(私が)横山です」と答えても玉川は「いえ、横山先生を」と納得せず、押し問答となった。

      出版社を和服で訪ねた際、たまたまいた林芙美子に「小僧さんのやぶいりかと思いました」と笑われて以来、一度も和装を私用しなかった。

      徴用のために軍刀を仕立てたが、一般のサイズでは地面に引きずってしまうため、刀身や鞘を短く切ったものを用いた。

      陸軍報道班員として台湾に寄港した際、現地女性の「なんだろうねえ、七五三でもないし」という陰口を聞いた。居合わせた大宅壮一が場所を鶴岡八幡宮に変え、ジョークに仕立て直した。

      模型の愛好家であった。模型飛行機、模型船の収集のほか、自邸に鉄道模型の大規模なレイアウトを所有していた。

      偉人にまつわる珍品の収集をライフワークとしていた。「川端康成の胆石」「中山正善のすね毛」「トキワ荘の壁土」など。

      職業補導所時代の大工の技術を活かし、アニメーション制作用のフィルム撮影台などを自作した。

      浮世絵師の東洲斎写楽の別人説を1950年代から唱えており、蔦屋重三郎・葛飾北斎・喜多川歌麿などの別人説を始めた。

2024/06/15 01:35更新

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