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武島羽衣の情報まとめ
武島 羽衣(たけしま はごろも)さんの誕生日は1872年12月3日です。東京出身の詩人のようです。
現在、卒業に関する情報もありますね。1967年に亡くなられているようです。
武島羽衣のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)武島 羽衣(たけしま はごろも、明治5年11月2日(1872年12月2日) - 昭和42年(1967年)2月3日)は、日本の国文学者、歌人、作詞家、日本女子大学名誉教授。宮内省御歌所寄人も務めた。本名は武島 又次郎。瀧廉太郎の歌曲「花」、田中穂積作曲「美しき天然」の作詞者として知られている。 明治5年(1872年)、東京府日本橋の木綿問屋に生まれる。 東京府尋常中学、一高を経て、明治26年(1893年)に東京帝国大学文科大学(現在の東京大学)国文科に入学し黒川真頼、物集高見らに師事する。大学在学中の明治28年(1895年)には大町桂月や塩井雨江と共に『帝国文学』の創刊に関与して編集委員となり、詩『小夜帖』や文章などを発表した。『小夜帖』は高山樗牛から絶賛され、これにより彼の詩人としての名声が高まった。翌明治29年(1896年)には桂月、雨江との共著『美文韻文 花紅葉』を博文館から出版し、大学派(赤門派)と称された。同年に東京帝国大学文科大学を卒業した。卒業後は大学院に進学し上田万年に師事する。 明治30年(1897年)に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の教員となり、後に同教授へと進んだ。尋常小学唱歌編集(作詞)委員を務め、明治33年(1900年)に東京音楽学校の助教授であった滝廉太郎とともに、唱歌『花』を発表した。また、明治34年(1901年)には小学校国語教科書「新編国語読本」に詩を掲載し、田中穂積がこれに曲を付けて翌明治35年(1902年)に唱歌『美しき天然』として発表された。これらは広く愛唱されることとなった。また、大正3年(1914年)には十和田市立沢田小学校の校歌、昭和27年(1952年)には練馬区立旭丘中学校の校歌を作詞している。 明治43年(1910年)から昭和36年(1961年)の退職まで50年以上に亘り日本女子大学で教授として教鞭を執り、同時期に聖心女子大学・実践女子大学でも国文学を講じるなどして女子教育に尽力した。また、大正大学創立時にも国文学を担当している。このほか、東京女子高等師範学校、東京高等師範学校、国学院大学などでも教授や講師を歴任した。大正11年(1922年)から昭和21年(1946年)にかけて宮内省御歌所寄人に奉職した。昭和42年(1967年)2月3日、東京都練馬区小竹町の自宅にて死去した。94歳没。墓地は東京雑司ヶ谷霊園にある。 折口信夫(釈迢空)の和歌『葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり』を「幼稚な歌だ」と批判し、「心なく 山道を行きし 人あらむ ふみしだかれぬ 白き葛花」と添削したことによって、折口の「あたらし」を「新し」ではなく「愛惜し」と誤解したこと、また、紅紫色の葛の花を「白き」とした無知によって、歌壇から失笑された逸話が残されている。 『国歌評釈』 巻1、明治書院、1898年8月。NDLJP:873353。
『国歌評釈』 巻3、明治書院、1899年11月。NDLJP:873355。 『修辞学』博文館〈帝国百科全書 第11編〉、1898年9月。NDLJP:864857。 『新撰詠歌法』明治書院、1899年1月。NDLJP:873573。 『新井白石』博文館〈少年読本 第14編〉、1899年9月。 『教育勅語唱歌』大倉書店、1900年11月。NDLJP:855113。 『霓裳歌話』博文館、1900年6月。NDLJP:873221。 『地理教育 東京唱歌』 第1集、小山作之助作曲、大倉書店、1900年9月。NDLJP:855609。 『地理教育 東京唱歌』 第2集、小山作之助作曲、大倉書店、1900年9月。NDLJP:855610。 『霓裳微吟』博文館、1903年7月。NDLJP:876288。 『文学概論』人文社、1903年9月。NDLJP:871757。 『文章綱要』金港堂〈文学叢書〉、1904年6月。NDLJP:865337。 『日本文学史』人文社、1906年2月。NDLJP:871963。 『文章入門』大倉書店、1907年10月。NDLJP:865384。 『国語解釈法』文昌閣、1909年9月。NDLJP:868076。 『習字兼用 女子書翰文範』西脇呉石書、文昌閣、1910年7月。NDLJP:866795。 『書法詳解 実用書翰文之部』中村春堂書、帝国講学会、1914年3月。
『書法詳解 実用女子書翰文之部』中村春堂書、帝国講学会、1914年3月。
『書法詳解 運筆・揩書之部』中村春堂書、帝国講学会、1914年3月。
『詠歌入門』大正書院〈和歌宝典 第1編〉、1914年3月。NDLJP:948844。 『初学和歌談』大正書院〈和歌宝典 第2編〉、1914年3月。NDLJP:948845。 『和歌をさなまなび』止善堂書店、1917年8月。 『合評徒然草新解』天才社、1917年11月。 『歌へのみち』大日本歌道獎励会、1933年5月。 『黒井繁乃の事』黒井悌次郎、1933年5月。 『美しき道』美しき道刊行会、1953年8月。 小山左文二、武島又次郎『新編国語読本編纂趣意書』普及舎、1901年8月。NDLJP:812293。 武島羽衣、塩井雨江、大町桂月『美文韻文 花紅葉』博文館、1896年12月。
武島羽衣、大町桂月、塩井雨江『契冲阿闍梨』大日本図書、1897年4月。 武島羽衣、大町桂月、塩井雨江『賀茂真淵』大日本図書、1898年1月。 武島羽衣、大町桂月、塩井雨江『香川景樹』大日本図書、1898年6月。 久保天随、大町桂月、武島羽衣『作法作例 叙景文』博文館〈新式作文大成 1〉、1914年5月。 大町桂月、武島羽衣、久保天随『作法作例 書翰文』博文館〈新式作文大成 2〉、1914年11月。 大町桂月、久保天随、武島羽衣『作法作例 叙事文』博文館〈新式作文大成 3〉、1914年12月。 武島羽衣、大町桂月、久保天随『作法作例 叙情文』博文館〈新式作文大成 4〉、1915年4月。 久保天随、大町桂月、武島羽衣『作法作例 儀式文』博文館〈新式作文大成 5〉、1915年5月。 大町桂月、久保天随、武島羽衣『作法作例 議論文』博文館〈新式作文大成 6〉、1916年1月。 『武島羽衣・とな子歌集』武島達夫、1968年6月。 奥原福市作歌 著、新谷八太郎編纂 編『小学復音唱歌集』武島又次郎校閲、前川書店、1909年7月。NDLJP:855340。 島崎末平『和歌の作り方』武島羽衣校閲、文成社、1910年3月。NDLJP:874760。 友野裕夫作歌、新谷八太郎作曲『まがねの笛』武島又次郎校閲、吉田書店、1911年5月。NDLJP:855734。 ^ 同年の11月3日の誕生とする記載も見られる。 ^ “武島 羽衣”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/pugTY#10% ^ “武島羽衣 たけしま-はごろも”, デジタル版 日本人名大辞典+Plus, 講談社, (2015-09), https://archive.is/iH86o#34% ^ 大町芳章 監修. “武島 羽衣”. 大町桂月を語る会. 2020年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月18日閲覧。 ^ “05. 花の碑 (はなのひ)”. 台東区文化探訪アーカイブス. 台東区. 2020年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月18日閲覧。 ^ 石井昭示『唱歌の散歩道 : 日本人の心のふるさと』清流出版、2006年12月、36頁。ISBN 4860291859。 ^ “美しき天然”, デジタル大辞泉, 小学館, (2020-08), https://archive.is/Kysrl ^ “武島羽衣”, デジタル大辞泉, 小学館, (2020-08), https://archive.is/iH86o#25% ^ 校歌・校章 ^ “武島羽衣 たけしまはごろも”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典, Britannica Japan, (2014), https://archive.is/iH86o#52% ^ 竹内貴久雄『唱歌・童謡100の真実 : 誕生秘話、謎解き伝説を追う』ヤマハミュージックメディア、2009年10月、25頁。ISBN 9784636845853。 ^ “武島羽衣”, 美術人名辞典, 思文閣, https://archive.is/iH86o#10% 『武島羽衣』 - コトバンク 『武島 羽衣』 - コトバンク この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 FAST ISNI VIAF
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2024/11/21 17:50更新
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takeshima hagoromo
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