永井柳太郎の情報(ながいりゅうたろう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
永井 柳太郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
永井柳太郎と関係のある人
永井道雄: 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 堤康次郎: 永井柳太郎の選挙参謀として活躍。 安達謙蔵: 普通選挙の導入により党人の威信は向上し、中野正剛や永井柳太郎らを束ねて党の主導権を争うこととなった。 鮫島宗明: 戦前に拓務大臣や逓信大臣、鉄道大臣を歴任した永井柳太郎は祖父。 尾崎士郎: これが評者の早稲田大学教授・永井柳太郎の目にとまり、永井の薦めにより早稲田大学進学を志すようになった。 堤康次郎: 箱根土地の経営に関与している頃から、康次郎は永井柳太郎の選挙参謀や、実業家でもあった衆議院議員高橋政右衛門の第一秘書として政治に関わっていたが、1924年(大正13年)の総選挙に高橋の地盤を引き継いで滋賀5区(当時)から衆議院議員に立候補 する。 汪兆銘: 1942年9月22日、平沼騏一郎、有田八郎、永井柳太郎が特使として南京を訪れた。 西園寺公望: 近衛内閣の外相には当初永井柳太郎が挙がっていたが、西園寺らが難色を示したために広田元首相が外相となることになった。 原敬: 浜口雄幸は政友会の財政政策が放任主義に過ぎたと批判し、永井柳太郎は「西にレーニン、東に原敬」と独裁的であることを批判した。 有馬頼寧: 1936年12月から1937年1月にかけて自宅で永井柳太郎、林銑十郎、結城豊太郎、中島知久平らと近衛文麿を首班にする新党結成を話し合う荻窪会談を開いており、これは頼寧自身によれば林内閣の準備でもあった可能性があるという(永井・頼寧・中島は林総理から入閣の誘いが来たものの、拒否している)。 三木武夫: また徳島で成長した賀川豊彦の講演を聞いてその弁論術に感動し、永井柳太郎の雄弁術に感激したというエピソードも残っている。 松村謙三: 1932年斎藤実内閣が組織されて政友会から高橋是清、三土忠造、鳩山一郎、民政党から山本達雄と永井柳太郎が入閣した。 野依秀市: メンバーは鈴木庫三、譚覚真、吉田政治、堀切善兵衛、永井柳太郎。 中村三之丞: 戦前は永井柳太郎に近く、1940年の新体制運動に際しては民政党が解党する前に永井らと民政党を離党、大政翼賛会に合流した。 中野正剛: 民政党時代は、党遊説部長として、永井柳太郎と臨時軍事費問題や張作霖爆殺事件を田中義一内閣に迫り、反軍派政党人として名を馳せた。 堤康次郎: 1913年(大正2年)3月に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業(政治学士号を取得)すると、大隈重信が主宰し主筆に永井柳太郎を据えた政治評論雑誌『新日本』(1911年発刊)に社長として経営に携わった。 竹田儀一: 戦前は、同郷である拓務大臣の永井柳太郎の下で大臣秘書官などを務めた。 |
永井柳太郎の情報まとめ
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう)さんの誕生日は1881年4月16日です。石川出身の政治家のようです。
卒業に関する情報もありますね。1944年に亡くなられているようです。
永井柳太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1944年〈昭和19年〉12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。族籍は東京府士族(旧加賀藩士)。 石川県金沢の貧しい小学教員の家庭に生まれる。石川県士族・永井登の長男。 新堅町尋常小学校、長町高等小学校を経て旧制石川県尋常中学(現石川県立金沢泉丘高等学校)に入学するも喧嘩が原因で中退し、1897年(明治30年)に同志社尋常中学校3学年に編入するもストライキを起こして中退。関西学院普通学部を経て1905年(明治38年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業する。 関学時代にキリスト教の洗礼を受け、早大では雄弁会に所属し、同会での演説が大隈重信に認められ、ユニテリアン団体の支援によりマンチェスター・カレッジ(現・ハリス・マンチェスター・カレッジ (オックスフォード大学)に留学。帰国後は母校早稲田大学で植民学の教鞭をとったが、早稲田騒動で「天野派幕僚中の謀士」とみなされ、教授職を罷免された。 1917年(大正6年)の第13回総選挙で石川県第1区に憲政会から立候補するが、政友会の中橋徳五郎に203票差で敗れる。中橋が大阪9区に回った1920年(大正9年)の第14回総選挙では政友会の米原於菟男を破って初当選した。以後連続8回連続当選。民政党幹事長、齋藤内閣の拓務大臣、第1次近衛内閣の逓信大臣を務め、阿部内閣では鉄道大臣と逓信大臣を兼任した。 民政党内では親軍派の中心におり、聖戦貫徹議員連盟に参加。近衛文麿主唱の新体制運動にもいち早く呼応し、1940年(昭和15年)には同志議員35名とともに民政党を離党。民政党解党・大政翼賛会合流の先鞭をつけた。 大政翼賛会では常任総務・東亜局長を務めた。1943年(昭和18年)、大日本育英会創立とともに会長に就任。 1944年(昭和19年)12月4日、慢性腹膜炎のため大東亜中央病院で死去。道雄の話では、東京で空襲が本格化する状況下、「国民に申し訳ない」と言い残して永眠したという。墓所は野田山霊園。 貧しい小学教員の家庭に生まれた永井は青年時代から「貧しい者の為に自分の一生を献したい」という気持ちになったという。 大隈と同様、グラッドストンを深く尊敬しており、1922年(大正11年)にはグラッドストンの伝記を著している。またグラッドストンの反帝国主義思想を受け継いで拓相在任中には帝国主義政策の改善にあたった。 荘重さを本領とする雄弁家として知られ、歯に衣着せぬ演説で高名だった中野正剛と対称をなした。また敬虔なクリスチャンでもあった。1982年(昭和57年)5月3日放送のNHK特集「昭和の名演説」に出演した二男の永井道雄によると、柳太郎は演説の前には必ず「演説によって一人でも多く良い影響を与えられますように、また一人でも悪い影響を与えませんように」と祈りを捧げていたという。また演説は「お金の代わり」、すなわち金銭によらない選挙を実現するための道具と捉えていたという。 1934年(昭和9年)4月29日 - 勲一等瑞宝章 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 1944年(昭和19年)12月4日 - 勲一等旭日大綬章 『英人気質思ひ出の記』実業之日本社、1910年8月。 NCID BN06503881。全国書誌番号:20094358。 『社会問題と植民問題』新興社、1912年12月。 NCID BN0568345X。全国書誌番号:20094373。 『残飯』南北社、1914年6月。 NCID BA81383293。全国書誌番号:43019691。 堤康次郎 編『対支外交論』公民同盟出版部〈公民同盟叢書 第5巻〉、1915年6月。 NCID BA5534769X。全国書誌番号:43004688。 『政治時論 野声』莫哀社、1916年2月。 NCID BN05608013。全国書誌番号:43006714。 『植民原論』巌松堂書店、1916年10月。 NCID BN12993388。全国書誌番号:20098084。 『改造の理想』精禾堂、1920年5月。 NCID BA37823637。全国書誌番号:43023911。 『植民原論』巌松堂書店、1921年7月。 NCID BN09059391。全国書誌番号:43020208。 『ウヰリアム・ヱワート・グラッドストン』実業之日本社〈英傑伝叢書 第10編〉、1922年2月。 NCID BA53386996。全国書誌番号:43019285。 『永井柳太郎氏大演説集』大日本雄弁会、1924年3月。 NCID BA39589494。全国書誌番号:43043817。 『世界政策十講』白揚社、1925年6月。 NCID BA39864012。全国書誌番号:43048671。 『グラッドストン』実業之日本社、1929年5月。 NCID BN1594161X。全国書誌番号:46083175。 『永井柳太郎氏大演説集』 第2集、大日本雄弁会講談社、1930年1月。 NCID BN05182013。全国書誌番号:47012025。 『戯曲 大隈重信』大日本雄弁会講談社、1932年11月。 NCID BA34478576。全国書誌番号:46082306 全国書誌番号:65011449。 『時局の動向を語る』談論社、1936年7月。全国書誌番号:44021708。 『アジア再建の義戦』国民精神総動員中央連盟、1937年11月。 NCID BA87373827。全国書誌番号:44025791 全国書誌番号:46044449。 『アジア再建の義戦・支那事変と英国の言動』兵庫県国防協会播州国防研究会本部、1937年12月。全国書誌番号:44032710。 『私の信念と体験』岡倉書房、1938年8月。 NCID BN10045907。全国書誌番号:46061550。 『日本なくんば亜細亜なし』湘風会、1939年4月。 NCID BB24105456。全国書誌番号:44020905。 『戯曲 銭屋五兵衛』新潮社、1939年10月。 NCID BA45861245。全国書誌番号:46061702。 『太平洋争覇時代と歴史的意義』横浜貿易協会〈貿易夏季大学講義録 第13回〉、1941年9月。全国書誌番号:44022705。 『世界再建の基本理念』大政翼賛会北海道支部〈翼賛叢書 第1輯〉、1941年11月。全国書誌番号:44034375。 『興亜論集 世界に先駆する日本』照文閣、1942年6月。 NCID BN0559621X。全国書誌番号:46008472。 『大東亜に愬ふ』大政翼賛会宣伝部、1943年6月。全国書誌番号:46009018。 大日本皇道奉賛会 編『永井柳太郎氏興亜雄弁集』竜吟社創立事務所、1944年6月。 NCID BN15377256。全国書誌番号:46008278 全国書誌番号:60004723。 久米邦武、永井柳太郎『支那大観と細観』新日本社、1917年6月。 NCID BA36425865。全国書誌番号:43024164。 永井柳太郎、那須皓『興亜運動と協同組合の使命』十九紫会〈東亜協同組合叢書 第4輯〉、1941年11月。 NCID BA66083115。全国書誌番号:44028189。 永井柳太郎、大蔵公望『興亜教育の要諦』大政翼賛会興亜総本部宣伝部、1944年3月。 NCID BB19444394。全国書誌番号:46037108。 エチ・ヰ・エヂアトン『英国殖民発展史』早稲田大学出版部〈早稲田叢書〉、1909年2月。 NCID BA60350478。全国書誌番号:40033045。 カール・ヘルッフェリヒ『独逸富強論』公民同盟、1916年7月。 NCID BA41498970。全国書誌番号:43023317。 父・登(石川士族) 妻・次代(1887年 - ?、東京士族、三浦徹の長女) 二男・道雄(1923年 - 2000年、教育社会学者) - 三木内閣の文部大臣を務めた。 妻の父・三浦徹(日本基督教会の牧師) 従弟・永井外吉(駿豆鉄道社長) - 西武グループ総帥の堤康次郎の義弟(外吉の妻・ふさ子は堤康次郎の妹)。 孫・鮫島宗明(民主党の衆議院議員) 社会改造を念願とし、日本の内治外交を建て直し、即ち国民生活の再建設、国民能力総動員に因って最高度の生産能率を挙げ、経済組織を改め新社会を造り、同時に過去数世紀白人種の暴圧に虐げられたアジア民族を解放し、新興アジアの建設を使命とする。 特別科学学級 - 1944年(昭和19年)9月9日建議、同月11日可決。 「来たり、見たり、敗れたり」
「西にレーニン、東に原敬」
^ 『粛正選挙代議士名鑑』100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月27日閲覧。 ^ 『人事興信録 第7版』な106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月27日閲覧。 ^ 『永井柳太郎』 12-13頁 ^ 青山霞村 『同志社五十年裏面史』 からすき社、1931年、219-221頁 ^ 『永井柳太郎』 24-29頁 ^ 『永井柳太郎』 30頁 ^ 井上琢智「ランバスの後24年間院長をつとめた吉岡美國 : 信仰、教会・学校行政、教育者」『関西学院創立125 周年を覚えて : 関西学院の礎を築いた人・出来事から学ぶ : 新しい時代に新たな歩みを力強く始めるために』2015年3月、13-25頁、CRID 1050001337752310912、hdl:10236/13373。「125周年記念宗教活動委員会連続講演会」 ^ 『早稲田大学百年史』 第二巻、947-948頁 ^ 佐久間竜太郎 編『北陸人物名鑑 大正11年版』124頁 ^ 『朝日新聞』 1944年12月5日 ^ 杉原(1995) p.237 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部) ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部) ^ 佐和隆光「基礎科学の軽視が国を滅ぼす」『Kei』第67号、ダイヤモンド社、2007年5月、2008年11月26日閲覧。 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。 『永井柳太郎』編纂会編 『永井柳太郎』 1959年。 杉原四郎 編『近代日本とイギリス思想』日本経済評論社、1995年(平成7年)。ISBN 978-4818808201。 『永井柳太郎』 - コトバンク 『永井 柳太郎』 - コトバンク 永井柳太郎著作目録 - 松田義男編 永井柳太郎|近代日本人の肖像 永井柳太郎(関西学院事典)|関西学院大学 早稲田人名データベース 永井柳太郎 「戦わざるものに勝利なし」(1938年7月、支那事変一周年にあたっての演説録音) 表 話 編 歴 榎本武揚 後藤象二郎 黒田清隆 渡辺国武 白根専一 野村靖 末松謙澄 林有造 芳川顕正 星亨 原敬 芳川顕正 曾禰荒助 大浦兼武 山縣伊三郎 原敬 堀田正養 後藤新平 林董 後藤新平 元田肇 武富時敏 箕浦勝人 田健治郎 野田卯太郎 前田利定 犬養毅 藤村義朗 犬養毅 安達謙蔵 望月圭介 久原房之助 小泉又次郎 三土忠造 南弘 床次竹二郎 岡田啓介 望月圭介 頼母木桂吉 山崎達之輔 兒玉秀雄 永井柳太郎 塩野季彦 田辺治通 永井柳太郎 勝正憲 村田省蔵 寺島健 八田嘉明 小松茂 塩原時三郎 塩原時三郎 松前重義 (心得)新谷寅三郎 一松定吉 三木武夫 冨吉榮二 降旗徳弥 小沢佐重喜 表 話 編 歴 元田肇 大木遠吉 山之内一次 小松謙次郎 仙石貢 井上匡四郎 小川平吉 江木翼 原脩次郎 床次竹二郎 三土忠造 内田信也 前田米蔵 伍堂卓雄 中島知久平 前田米蔵 永井柳太郎 永田秀次郎 松野鶴平 村田省蔵 小川郷太郎 村田省蔵 寺島健 八田嘉明 表 話 編 歴 高島鞆之助 田中義一 松田源治 原脩次郎 若槻禮次郎 秦豊助 永井柳太郎 岡田啓介 兒玉秀雄 永田秀次郎 結城豊太郎 大谷尊由 宇垣一成 近衛文麿 八田嘉明 小磯國昭 金光庸夫 小磯國昭 松岡洋右 秋田清 豊田貞次郎 東郷茂徳 井野碩哉 廃止 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 日本の政治学者 植民政策学者 昭和時代戦前の閣僚 日本の鉄道大臣 逓信大臣 拓務大臣 石川県選出の衆議院議員 (帝国議会) 大正時代の衆議院議員 昭和時代戦前の衆議院議員 在職中に死去した衆議院議員 (帝国議会) 第二次世界大戦期の政治家 太平洋戦争の人物 石川県出身の人物 早稲田大学の教員 石川県立金沢泉丘高等学校出身の人物 同志社高等学校出身の人物 関西学院高等部出身の人物 早稲田大学出身の人物 オックスフォード大学出身の人物 従二位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 1881年生 1944年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/23 13:09更新
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