池田秀一の情報(いけだしゅういち) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
池田 秀一さんについて調べます
■名前・氏名 |
池田秀一と関係のある人
潘恵子: GACKTのファンであり、シャア・アズナブル役の池田秀一がGACKTと直接の知り合いであると知った際、池田に「会わせてほしい」とねだった。 伊瀬茉莉也: アフレコ中、何十回とセリフを叫び続けてるうちに、役柄の壮絶な宿命とシンクロして精神的に追い詰められ今までにない感覚に陥ったと池田秀一との対談で語っている。 若井おさむ: 同作品は主人公ゴン=フリークス役が潘恵子の娘潘めぐみ、主人公の叔母で育ての親のミト役が潘恵子、主人公の父親ジン=フリークスの弟子カイト役が池田秀一の中での参加である。 戸田恵子: 『機動戦士ガンダム』での共演をきっかけに22歳の時に池田秀一と結婚したが、短期間で離婚。 永野広一: “実写版「ONE PIECE」シャンクスの吹き替えは池田秀一!千葉繁、土井美加らアニメ声優続投”. 玉川砂記子: 夫は声優の池田秀一。 古谷徹: 古谷は大のコナンファンであり、劇場版第20作『純黒の悪夢』の公開を記念した赤井秀一役 の池田秀一とのインタビュー形式の対談で、キャラクター名に自身の本名が入っていることを嬉しく思う旨を原作者の青山剛昌に直接伝えたと語っている。 中尾隆聖: 同期には、池田秀一、小柳徹、太田博之、志垣太郎などがいる。 若井おさむ: 『機動戦士ガンダム』の名ゼリフを集めた本を出したが、その中の企画で、シャア・アズナブル役の池田秀一と対談している。 富山敬: 池田秀一が堀内賢雄のマネージャーと酒を飲んでいる最中に「賢雄に電話しろ」という話になったが、堀内のマネージャーは誤って富山へ電話をかけてしまう。 小山茉美: NTTドコモのラジオコマーシャル(古谷徹、池田秀一と共演) 小杉十郎太: 『Zガンダム』ではナレーションも兼任し、初回の収録の後、池田秀一からは「これから病気にならない? 今ならまだ変われるから」と言われたが、後に池田は自著にて「ひどいことを言った」と懐古しつつも、「『ガンダム』の作品の魅力を、跡を継いだ者たちが受け取るには、それ相応の覚悟が必要」として、「小杉くんもそれらを重々理解し、ガンダムに関わった全ての人の期待に答えようと努力してくれました」と語っている。 飛田展男: バンダイ「機動戦士Ζガンダム エゥーゴvsティターンズ(PlayStation 2)」(2003年)池田秀一と共に 鈴置洋孝: 1990年には新幹線の中で急病で倒れ、『ドラゴンボールZ』の天津飯役および『ショウビズトゥデイ』のナレーションを山寺宏一、『らんま1/2 熱闘編』の九能帯刀役を辻谷耕史、『THE八犬伝』の網干左母二郎役を池田秀一、『アルスラーン戦記』カセットブック版のダリューン役を田中秀幸が一時的に代演となったこともある。 中村俊介: ガンダムが好きで、シャア・アズナブル役の池田秀一に声を生録音してもらった目覚まし時計を持っている。 鈴置洋孝: しかしながら、その『ガンダム』出演時も、収録後に飲みに行く際、出演料の高い永井一郎や池田秀一がタクシーで移動する一方、鈴置だけが自転車で必死に追いかけていたという。 飛田展男: The Moments-北京へと続く瞬間-(2007年10月2日 - 2008年9月30日、日本テレビ)池田秀一と共に担当 井上瑤: シャア・アズナブル役の池田秀一によると、井上はセイラ・マス役でもミスを出さないほど、役への入れ込み・声優としての実力において優れていたという。 藤原啓治: 『アイアンマン』(劇場公開版)のトニー・スターク役(同シリーズの第1作、第2作のテレビ朝日『日曜洋画劇場』版に限っては池田秀一、第1作の機内上映版に限っては桐本拓哉が担当)を吹き替えてからは、ロバート・ダウニー・ジュニアの専属(フィックス)声優としても知られていた。 飛田展男: 監督が富野であり、シャア・アズナブル役の池田秀一、アムロ・レイ役の古谷徹と共演することも分かっており、存在感のあるキャラクターが次々に出てくるため、主人公といえど途中でチェンジになるかもしれないというプレッシャーが常にあったという。 竹本英史: 声優業界に入るまで、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル(CV:池田秀一)とブライト・ノア(CV:鈴置洋孝)の声の違いすら、「みんないい声だなぁ」と、何も考えずに観てただけなため、分かってなかったという。 鈴置洋孝: 仲の良い声優の中に古谷徹と池田秀一がいた。 榎木智一: 池田秀一の声に憧れる。 むたあきこ: 俳協の先輩である池田秀一が初のワイドショー番組『エクスプレス』で(生読み)ナレーションを担当したが、4か月で挫折したためにむたが急遽、「七色の声を持つ声優」と後任に抜擢された。 鈴置洋孝: また富野由悠季、池田秀一、古谷徹ら『ガンダム』の制作関係者・共演者が、同作関連の雑誌に弔辞を寄せ、他にも古川登志夫、神谷明など複数の声優が自身のHPで哀悼の意を示した。 富田靖子: 同番組に出演したシャア・アズナブル役の池田秀一があいさつした後、富田は「私の愛するシャア・アズナブル」と語り、嬉しそうな表情を見せた。 杉田智和: 古谷徹、池田秀一、銀河万丈、石塚運昇、塩沢兼人、小山力也、速水奨、子安武人、森久保祥太郎などのモノマネも得意とする。 水野明佳: 9-10月、「第61回全日本模型ホビーショー」ガイアノーツブースにてマスクド13と共にゲストに池田秀一、スーパー・ササダンゴ・マシンとNAOKIを迎え実演参加&ガンダムエース『シャア専用雑記』内で紹介。 喉押さえマン: 池田秀一 てしろぎたかし: “総勢21名のマンガ家が参加「漫画家大会議」ゲストに池田秀一、古谷徹、松本梨香”. |
池田秀一の情報まとめ
池田 秀一(いけだ しゅういち)さんの誕生日は1949年12月2日です。東京出身の声優のようです。
現在、卒業、映画、離婚、子役、テレビ、ドラマ、趣味、事故、結婚、再婚、事件、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。池田秀一の現在の年齢は74歳のようです。
池田秀一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12月2日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都中野区野方出身。東京俳優生活協同組合所属。 元妻は女優の戸田恵子。現在の妻は声優の玉川砂記子。 中野区立第十一中学校(現:中野区立緑野中学校)、東海大学付属高輪台高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退。 以前はエヌ・エー・シー、加藤企画に所属していた。 2男1女の次男として生まれる。 小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす。 幼少期は活発でチャンバラ好きであった。 芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという。母は、池田の健やかな成長のためには、「劇団に入って伸び伸びと過ごすことがいいのでは」と考えて、それを許したという。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという。劇団こまどりに入団し、1958年(昭和33年)から子役として活動。小学3年生の時にガヤで初めてテレビに出演。当時は「長屋で子供が泣いている」というシーンのために呼ばれて、何が悲しいのかわからず、全然泣けなかった。それでディレクターが「どうしたか」、「泣けないか。じゃあ、泣かなくていいや。横で遊んでいて」と言われて、あっさりシーンを変えてしまったという。 中学2年生の時にNHKのテレビドラマ『次郎物語』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す。鈴置洋孝は『機動戦士ガンダム』で初共演する際、『次郎物語』の池田、『巨人の星』の古谷徹との共演に感激したという。子役時代のあだ名は「秀坊」。中学生時代には、一千万人の劇場「小さき闘い」(フジテレビ)で石原裕次郎との初共演も果たしている。前述のとおり小学校の頃から芸能活動をしていたことから学生時代のクラブは所属していなかった。その後も『銭形平次』、『遠山の金さん捕物帳』、『大江戸捜査網』、『太陽にほえろ!』、『Gメン'75』、大河ドラマ 『花神』、『大岡越前』、『西遊記』など多くのテレビドラマに出演を重ねた。 声の仕事における初仕事はラジオドラマであった。 NHKラジオの学校放送の仕事をしていたが、俳優として伸び悩んでいた時期でもあった。20歳から21歳の時に出演したテレビドラマで主役の弟役を演じていたが、彼女と喧嘩するも次の週には普通に会っている場面に違和感を覚え、監督に「これはおかしい。和解したところが描かれていない」と指摘したが、「別に君たちを描いているわけじゃないから」と言い返される。それまで参加した作品では、「おかしい」と思っていたことは聞いてくれていたが、「こだわるのはよそう」と挫折を感じていた。そんな時に知り合いの宮内幸平が洋画の吹き替えの仕事をしており、「声の仕事もやってみないか?」と言われたため、「まぁやってみようかな」と洋画の吹き替えに出演。 当時はフィルムだったことから事前にビデオはもらえず、映像はだいたい前日か、ひどいときは当日にリハーサルをして、皆で一斉に観てという感じだった。周囲は皆声の仕事のプロといった感じで上手かったが、当時の池田はセリフを追っているうちに画面を見失い、どこの演技をしているのかわからなくなり、リハーサルにすらならない状態だった。それが要因で先輩にいじめられるというようなことはなかったが、声優は「大変なお仕事だな」「全然僕の世界じゃない、違う土俵だ」と感じていた。その後、『ルーツ』のオーディションを受けて、クンタ・キンテ役で出演。その時に「これはラジオドラマだと思えばいいんだな」と感じていた。ラジオと違い、自分の間が通用しないわけだが、「そこは場数をこなして慣れるしかない。だから今は、少しくらい合わなくてもいいや」と考えていた。その時、周囲を見渡したところ、「この人たちは確かに上手いけど、俺も場数さえこなしていけば大丈夫かもしれない」と不遜にも思ってしまった。 その後も俳優業と並行して洋画の吹き替えなどの仕事をいくつかしていたが、1970年代半ば、洋画のアテレコで居合わせたたてかべ和也から紹介された小学校の先輩であった音響監督の松浦典良の勧めによりアニメ『無敵鋼人ダイターン3』に出演した。アニメ作品デビュー当時、池田は洋画と比較してアニメ作品のアフレコは、何倍も大変と感じ、「最初で最後のアニメ出演」と決めていたという。また、当時はアフレコ現場というのは「売れない役者が最後に流れ着く場所」という認識が強く、「アフレコやるようになったら役者としておしまい」という風潮があったという。そのため声優業にはあまり乗り気ではなかったが、『ダイターン3』の後番組『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役のオーディションに参加する。その時に見た安彦良和のシャア・アズナブルのイラストにインスピレーションを感じ、シャア役のテストを受け、その役を得た。 2010年、第4回声優アワードシナジー賞(『機動戦士ガンダム』)を受賞。 2023年、第17回声優アワード助演声優賞を受賞。 声種は「ハリのあるバリトン」。 シャア役をはじめ、美形の敵役で知られる。シャア役以降、『ONE PIECE』のシャンクス役などの赤いキャラクターを演じており、2011年のテレビ朝日版『アイアンマン』のトニー・スターク / アイアンマン役の吹き替えを務めた時のインタビューも「もう“赤”だったらなんでもやりますよ!」と語っている。 吹き替えではコメディー系の二枚目役としての出演も多い。持ち役であるジェット・リーは、現在までほぼ専属で担当している。また、過去にはジェームズ・ディーンやチャーリー・シーン、マイケル・ビーン、リュー・チャーフィー、アンディ・ラウなどの吹き替えも担当していた。 演じているキャラクターを好きになるように作り上げているという。余り嫌なキャラクターを演じたことがないが、万が一、嫌なキャラクターだったとしても、そのキャラクターを好きになってから演じているという。 趣味は草野球、ゴルフ。 1971年、幼馴染で恋人だった飯野矢住代が池田の自宅マンションでの事故により逝去。その後、『機動戦士ガンダム』での共演が縁となり、戸田恵子と1979年に結婚したが、のちに離婚。その後玉川砂記子と再婚している。なお、戸田とは離婚直後に『ストリート・オブ・ファイヤー』の吹き替えで共演したり、少年漫画誌『月刊少年エース』2010年1月号で対談している など、離婚後も関係は良好な模様である。 著述としては、『ガンダムエース』(角川書店刊)誌上にて悩み相談系のコラム「あなたのお悩み三倍速く解決します!」を連載中。2006年12月に初の自伝『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』(ワニブックス刊 ISBN 4-8470-1700-5)が出版された。 大勢の人間の前で話すのが苦手とされる。自著では「シャアのイメージで強く見られるため、そのイメージを保つために人前では愛想良く振る舞わないようにしている」と語っている。 古谷徹とは、特にシャア、アムロ役の声優として関連イベントなどでの共演機会が多く、トークショーなどでも絶妙の掛け合いを見せている。その舞台裏の和気あいあいとした様子は『ガンダムエース』誌上で漫画として描かれている。 古谷とは子役でいえば後輩であるが、アニメでいうと池田が後輩で、『機動戦士ガンダム』の時に池田は2作品目であった。池田は当初は『無敵鋼人ダイターン3』のゲストキャラクターしか演じてなかった。 お互いライバル関係の役だったということもあるが、古谷とはあまり「なあなあ」にならないように思っていたと古谷は語る。池田は当時から酒が好きであったが、古谷は酒を飲まなかったため、なかなか接点というのはなく作品を通じての関係であった。 その後、古谷は40歳くらいから酒が飲めるようになり、劇場版三部作 特別版の出演でイベント、ゲームなど池田と一緒に仕事するようになった。古谷は酒が飲めるようになったため、池田と一緒する仕事があると「まず飲むだろうな」という前提で付き合いさせてくれているという。 『無敵鋼人ダイターン3』以来、共演した鈴置洋孝とは親友同士であり、良き飲み仲間だった。鈴置から緑茶割を伝授されたりするなど、後年になり共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続いた。鈴置の死後、池田は自著で「アニメに不慣れな俺にとって、君がスタジオにいてくれたおかげでどんなに勇気づけられた事か」「君がいなくなって、俺は言葉を選ばずに話せる人間が意外と少ない事に気づき、寂しい気がするよ」と追悼の言葉を贈っている。 担当する役は、長身のキャラクターが多いが、池田本人は比較的小柄である。岡田斗司夫はOVA『哭きの竜』のアフレコの際、ガイナックスの社員から「今回のスタジオは小さい所だけれど、今日は『小さい』を意味する言葉は禁句だ」と注意されている。なお、岡田の著書『オタクの迷い道』では、このときの池田の印象について「一人だけ椅子に座っている声優がおり、こんな狭い所によく椅子が入ったなと思ってよく見ると、その男は座っておらず普通に立っており、その男が池田さんだった」、「スタッフから『池田さんいた?』と聞かれたので思わず『池田さん、落ちてた』と答えた」と記述されている。 『燃える!お兄さん』の火堂害役は松浦典良の誘いでオーディションに参加し、役をもらったものの、ギャグアニメで、自分が思いもしなかったエキセントリックなキャラクターだったため、「僕にできるかな?」という印象だった。火堂は「叫ぶ」キャラクターだったため、アフレコの後は池田の喉はガラガラになり、事務所に「『燃える!お兄さん』の収録の翌日は、仕事を入れないでくれよ」と頼んだりしていたという。同作は半年で打ち切りとなり、叫ぶ芝居から解放されたものの、『ダイターン3』の時のように、アニメ特有のエキセントリックな芝居に対するアレルギー症状はなく、「積極的に受けようとは思わないが、少なくとも経験はしておかないとダメだな」と考えたという。また『燃える!お兄さん』の原作者の佐藤正は漫画内の火堂の台詞で「俺様はアニメの声が気に入った」と評価している。 OVA『哭きの竜』のアフレコの際には、担当した主人公竜が無口なキャラクターのために台詞は共演者の内海賢二と比べて非常に少なく、またその時点で映像ができあがっておらず、声優は合図に合わせて声を当てるというありさまだったため、さすがに機嫌を損ねるだろうと岡田斗司夫は危惧していたが、仕事終わりに池田は岡田に対し満面の笑みを浮かべて「いやぁ、社長!こんな楽な仕事は初めてですよ! 次もぜひまた! お願いします!」と気さくに握手を求めた。岡田はこのときのことを「宮尾すすむのような台詞をシャアの声で言われた」と表現している。 飲み会の際に、携帯電話で泣きながら男と話している女の子を見かけ、その会話に我慢できなくなって携帯を奪い取り「俺はシャアだが、」と名乗って相手に説教を始めたことがある(『中川家ん!』(2005年2月1日毎日放送・関西ローカル)に出演した古谷徹談)。古谷によると、池田は大の日本酒好きである。お酒を本格的に飲み出したのは18歳ぐらいという。 『ドラゴン・キングダム』の公開に合わせ、ジャッキー・チェンの吹き替えを担当している石丸博也と対談。お互いに長年の思い出と持ち役への思い入れを語り合った。この対談は、上映時のパンフレットに収録されている。 池田が参加した『機動戦士ガンダム』のオーディションは、主人公アムロ・レイの声優を決めるためのものだった。しかし、会場に置かれていた安彦良和のキャラクターデザインを見てシャア・アズナブルを気に入り、シャアの声のオーディションを受け、『ガンダム』への参加が決まった。池田はシャアとの出会いを「僕はシャアから呼び止められた」と語っている。 池田にとってシャアは「弟」と語っている。シャア役のイメージが強いために、いつでも「シャアだ」と言われて嫌だなと思っていた時期があったが、現在ではもういいやと思っているという。 『機動戦士SDガンダム』に関しては「昔の劇場版のオマケ的なSD作品はすごく嫌だった」「(パロディ臭の強い作風と、それに対する本編との)ギャップが嫌だった。それを本編のシャアと一緒に上映されてしまうとたまらないなという思いがあった」という。『SDガンダムフォース』は好意的に見ており「あの作品は面白かったな」「作品としてはもうちょっとヒットすると思ってた。そこが惜しかったかな。」と評している。 『機動戦士ガンダム』のシャアとララァ・スンとの独特の距離感、二人の間に流れる艶っぽさを気に入っており、富野監督に「この二人は(恋愛的に)出来てますよね?そんな雰囲気でやってもいいですか?」と質問し、富野はそれに対してニヤッと笑って「結構です」と答えた事から、世の男どもが羨むような雰囲気を出そうと、多少ウィットな感じを入れながら演じたという。また、アムロに勝つために死んだララァに祈る弱さと苛立ちを見せた事について「(演者として)シャアを深く理解するためのキーになりました」と述べている。一方で「ララァ、私を導いてくれ」というセリフや、劇場版でララァの死に涙を流すシャアは当時は好きではなかったとも語っている。 池田は当初、シャアに関しては『機動戦士ガンダム』で完全燃焼し、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』のラストシーンを「シャアが物語を締めくくるのに、これ以上のシーンはあり得ない」と感じていた事から、以降の作品の斜に構えたシャアには違和感があったと述べている。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』におけるシャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」というセリフを言うときも、池田は「シャアってこんなに子供だったのか?」と率直に感じたという。池田はこうしたシャアの描かれ方について富野監督の当時の心情が反映されていたのではないかと推察している。『機動戦士Ζガンダム(劇場版)』に関してはテレビシリーズでは納得できなかったシャアの描かれ方が大幅に変えられた事や、ハッピーエンドを迎えた事から気に入っているという。 後年のシャアの描かれ方に不満はあったものの、『Zガンダム(劇場版)』をやって以降、「そういう部分もシャアにはあるのかも知れない」と見方が変わってきたともいい、『逆襲のシャア』を四国の映画館で再上映するイベントのトークショーに備えて同作を見直した際には「シャアはこういう気持ちだったんだ」と新たに気づかされたとも語っている。 CMやゲーム作品、劇場アニメなどでシャアを再演することも多いが、過去の作品を見直すなどして役作りを行う古谷とは対照的に、池田は(役作りの為に)絶対に見ないとしている。真剣に考えるとプレッシャーに飲み込まれそうになるからあえて逃げる、というのがその理由とのこと。ただ池田も全く過去の作品を復習しないわけではなく、『ガンダムエース』誌上での古谷との対談の際に「ファースト(『機動戦士ガンダム』)を見返したら、僕はアムロを子供っぽく演じていた」と述べた古谷に「僕も観る機会があったのだけど、(有名なシャアのセリフどおり)シャアは若造だなと思ったよ」と返している。 2004年、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に池田がギルバート・デュランダル役で出演した。池田によると「近年『劇場版Ζガンダム』公開にまで至れたガンダム人気は『SEED』による効果が大きいと考え、若い『SEED』ファンにも過去の作品に興味を持つキッカケになれれば」という思いで同作品への参加を決めたという。 『ガンダム』のパロディ作品である『機動戦士ガンダムさん』のシャア・アズナブルの声はやらないと冗談まじりで語ったことがあるが、のちに『ケロケロエース』のCMではシャアの声を担当した。 2010年には、『機動戦士ガンダムUC』にてシャアを思わせる容姿のフル・フロンタルの声を担当した(原作小説の作中にはフロンタルの声がライブラリのシャアの声とまったく同じという台詞がすでに存在していた)。なおアニメ化発表前に製作された小説のプロモーションムービーでは池田がナレーションを担当している。
『花燃ゆ』について出演テレビアニメ">テレビアニメ
2024/11/17 02:17更新
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