沢田廉三の情報(さわだれんぞう) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
沢田 廉三さんについて調べます
■名前・氏名 |
沢田廉三と関係のある人
内村鑑三: 岩永裕吉、金井清、川西実三、黒崎幸吉、沢田廉三、膳桂之助、高木八尺、田中耕太郎、田島道治、塚本虎二、鶴見祐輔、前田多門、三谷隆正、森戸辰男、藤井武らがメンバーになった。 澤田美喜: 1942年:夫の沢田廉三が日本聖公会系列の財団法人滝乃川学園の第4代理事長に就任(1946年辞任)。 澤田美喜: 三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。 八島太郎: 沢田廉三(光の姉の嫁ぎ先と縁戚関係にあった)の伝手でパスポートを入手し、渡航費を工面するために夫妻の名で「渡米画会」を開き太郎は帰郷もして絵を売った。 澤田美喜: 1922年7月:クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教に改宗。 楢橋渡: またこの頃沢田廉三(後の国連大使)を介して幣原喜重郎に会っている。 各務鎌吉: 退蔵の兄は外交官沢田節蔵(元東京外語大学長)・沢田廉三(元外務事務次官・国連大使)で、廉三の妻は沢田美喜(エリザベス・サンダースホーム創設者、各務鎌吉の妻繁尾の従兄で三菱財閥3代目総帥岩崎久弥男爵の長女)。 岩崎久彌: のち外務官僚・沢田廉三と結婚。 |
沢田廉三の情報まとめ
沢田 廉三(さわだ れんぞう)さんの誕生日は1888年10月17日です。鳥取出身の外交官のようです。
卒業、結婚、趣味、ドラマ、テレビ、事件に関する情報もありますね。1970年に亡くなられているようです。
沢田廉三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)沢田 廉三(澤田 廉三、さわだ れんぞう、1888年10月17日 - 1970年12月8日)は、日本の外交官。外務次官後、駐フランス特命全権大使・初代ビルマ特命全権大使を経て、再び外務次官。初代国連大使、世界経済調査会議長。 旧制鳥取県第一中学校から旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。外交官試験に首席合格し外務省入省。外務省きってのフランス語・英語の堪能者で、戦前は宮内省御用掛を兼務し、昭和天皇通訳を務め、戦後も元首等との通訳にあたった。また、財団法人滝乃川学園理事長(第4代)などもつとめた。妻の美喜(孤児院エリザベス・サンダースホーム創設者)は、三菱合資会社社長・岩崎家当主男爵岩崎久弥の娘で、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の孫娘。兄の節蔵も外交官であった。駐フランス特命全権大使、外務次官を務めた。 第二次世界大戦直後は、ビルマ大使の経験をかわれて連合軍と捕虜の間の仲介も行った。1945年12月2日、磯田三郎元陸軍中将とともにインド西北部のデオリ収容所(アジュメール近郊)を訪問。収容者に日本の降伏を説明、昭和天皇による終戦の詔勅を読み上げるなどの呼びかけを行った。だが沢田と磯田を偽物として疑う者が現れ、収容所内で「勝ち組」と「負け組」による抗争が発生した。 帰国後は、GHQによる公職追放を受ける。一方、親しかったポール・ラッシュ(当時GHQ参謀第2部(G2)民間情報局(CIS)所属)に麹町の私邸を提供し、ラッシュは所属するCISのオフィス「CISハウス」(別名サワダ・ハウス)としてこの建物を戦犯容疑者リスト作成の拠点として利用した。沢田はラッシュと接触を求める政府関係者の窓口役にもなっていた サンフランシスコ講和条約発効後、初代国連大使(当時未加盟でオブサーバ扱い)として国際連合本部があるニューヨークに赴任、枢軸国の一員として戦い敗戦国となった日本の国連加盟に向け尽力した。ニューヨークではロックフェラー3世、ハマーショルド(第二代国連事務総長)らとの個人的親交も深める。なお部下だった西堀正弘(のち国連大使)は、澤田が加盟の日に備え自室で(議場での)演説練習を行っているのを漏れ聞いている が、在任中には加盟を実現させることはできなかった。だが素地をつくり、1956年12月に、後任の加瀬俊一の在任時に国連加盟が実現、重光葵(先輩・上司にあたる)外相が議場演説した。 国連大使退任後には外務省顧問に就任。神奈川県大磯町にも在住、妻美喜のエリザベス・サンダースホーム事業に協力した。 関連文書は、親族や外務省外交史料館の他に、郷里の鳥取県立公文書館に委託所蔵された。2010年3月に資料集『澤田廉三と美喜の時代』が公刊された。 1888年 - 鳥取県岩美郡岩美町浦富に父沢田信五、母久子の次男として生まれる。旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。 1914年 - 外交官及び領事官試験首席合格、外務省に入省。 1916年 - フランス大使館へ赴任。第一次世界大戦講和会議また国際連盟第一回総会に出席。 1921年 - 皇太子裕仁親王(昭和天皇)の半年にわたる欧州歴訪時に外交官である兄沢田節蔵は日本から随員し、廉三もフランスでの通訳・案内役を務める。 1922年 - 三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長女美喜と結婚。 1923年 - アルゼンチン・ブエノスアイレスへ転任。長男・信一誕生。 1924年 - 中国・北京へ転任。次男・久雄(声楽家・安田祥子の夫)誕生。 1925年 - 三男誕生。 1927年 - 日本に帰国。 1928年 - 長女誕生。 1931年 - イギリス・ロンドンへ転任。 1933年 - フランス・パリへ転任。 1935年 - 米国・ニューヨークへ転任。 1936年 - 満州国大使館参事官となる。 1938年 - 外務次官に就任。 1939年 - 駐フランス特命全権大使。 1940年 - 依願免本官。 1942年 - 財団法人滝乃川学園理事長(第4代)就任。 1943年 - 駐ビルマ特命全権大使。 1944年 - 外務次官。 1945年 - 外務省嘱託。 1946年 - 財団法人滝乃川学園理事長を辞任。 1948年 - 妻の美喜がエリザベス・サンダースホームを創立。 1953年 - ニューヨーク国際連合代表部特命全権大使。 1954年 - 国際連合日本政府代表部長。 1955年 - 外務省顧問。 1956年 - スエズ運河国際会議代表(ロンドン)。国連第十一総会代表(ニューヨーク)。 1957年 - 外務省顧問を辞任。 1960年 - 日韓会談日本国首席代表 1920年(大正9年)9月7日 - 勲六等単光旭日章 1926年(大正15年)2月10日 - 勲四等瑞宝章 1939年(昭和14年)11月13日 - 勲二等瑞宝章 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 1964年(昭和39年)4月29日 - 勲一等瑞宝章 趣味はゴルフ。宗教はキリスト教。 おしゃれで、ロンドン、セビルローのオーダーメイドの背広からステッキ、パンツに至るまでイニシャル入りの最高級品を愛用していた。 妻 美喜(三菱財閥三代目総帥岩崎久弥男爵の長女。エリザベス・サンダース・ホーム創設者) 長男 信一(エリザベス・サンダースホーム理事長) 次男 久雄 三男 晃(南方戦線で戦没) 長女 恵美子(モナコ王妃グレース・ケリーの親友。王妃は母沢田美喜のエリザベス・サンダース・ホームを支援) 兄 沢田節蔵(外交官) 弟 沢田退蔵(実業家) 長妹 広岡貞子(夫松三郎は元大同生命社長で、NHKドラマ「あさが来た」の広岡財閥主人信五郎の長男) 次妹 平生愛子(夫太郎は元山武常務で、甲南学園創設者平生釟三郎の長男) 三妹 山本菊子(夫は元博進社社長山本博) 『凱旋門広場』 角川書店、1950年 『沙鴎吟草』 1971年。私家版 『随感随筆』澤田廉三先生遺稿刊行会編、1990年。郷土出版 ^ 有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 新潮社、2006年 pp.102。出典によると、澤田はジャパン・ロビーのユージン・H・ドゥーマン(Eugene Dooman)と旧知の仲であった。 ^ 在学中に東洋英和卒業後で手伝いをしていた村岡花子(『赤毛のアン』の翻訳家)の初恋の人となるも、二人の遠距離恋愛は渡仏で潰える(村岡恵理編『花子とアンへの道』(新潮社 2014年p.50)。朝ドラ『花子とアン』で北澤司という名で登場する帝大生が沢田廉三である。 ^ 終戦間もないインド収容所 邦人17人殺される『朝日新聞』1976年(昭和51年)5月31日朝刊、13版、3面 ^ 加藤哲郎『ゾルゲ事件 覆された神話』平凡社〈平凡社新書〉、2014年、pp.107 - 109。 ^ 産経新聞、1995年11月8日付 ^ 青木冨貴子『GHQと戦った女 沢田美喜』(新潮社、2015年/新潮文庫、2018年)に詳しい。 ^ 郷土出版での評伝小説『愛郷―外交官 澤田廉三の生涯』(片山長生、同・刊行会、2020年)がある。 ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。 ^ 『官報』第4038号「叙任及辞令」1926年2月12日。 ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1939年11月17日。 ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。 ^ 『外交に勝利はない』三宅和助、扶桑社、1990年、p63 ^ 戦前、戦後の日本支えた外交官 澤田氏顕彰する展示会 兵庫おでかけプラス、2017年09月27日 ^ Yahoo!トラベル - 国内観光・温泉地ガイド - 浜坂先人記念館以命亭、浜坂森家 先人記念館「以命亭」 ^ 鳥取県教育委員会 『鳥取県郷土が誇る人物誌』 岩崎家 鳥取県出身の人物一覧 東京大学の人物一覧 とっとりデジタルコレクション--沢田廉三 表 話 編 歴 武内龍次1952.3-1953.3 沢田廉三1953.5-1955.7 加瀬俊一1955.7-1957.5 松平康東1957.5-1961.5 岡崎勝男1961.6-1963.6 松井明1963.7-1967.7 鶴岡千仭1967.7-1971.6 中川融1971.6-1973.8 斎藤鎮男1973.8-1976.4 安倍勲1976.4-1979.7 西堀正弘1979.7-1983.2 黒田瑞夫1983.2-1986.5 菊地清明1986.5-1988.2 加賀美秀夫1988.2-1990.3 波多野敬雄1990.3-1994.4 小和田恆1994.4-1998.10 佐藤行雄1998.10-2002.8 原口幸市2002.8-2004.12 大島賢三2004.12-2007.8 高須幸雄2007.8-2010.8 西田恒夫2010.8-2013.6 吉川元偉2013.6-2016.6 別所浩郎2016.6-2019.10 石兼公博2019.10-2023.12 山﨑和之2023.10- 千葉皓-1965 安倍勲1965-1970 小木曾本雄1970-1974 金澤正雄1974-1978 西田誠哉1978-1980 宮川渉1980-1983 小林智彦1983-1986 谷口誠1986-1989 瀬崎克己1989-1992 丸山俊二1992-1996 小西正樹1995-1999 山崎隆一郎1999-2000 小林秀明2000-2001 本村芳行2001-2004 北岡伸一2004-2006 神余隆博2006-2008 奥田紀宏2008-2010 兒玉和夫2010-2013 梅本和義2013-2014 岡村善文2014-2017 川村泰久2017-2019 大菅岳史2019-2022 志野光子2022-2024 御巫智洋2024- 高須幸雄1997-2000 赤阪清隆2000-2001 齋賀富美子2002-2003 小澤俊朗2003-2006 小寺次郎2006-2008 角茂樹2008-2011 山崎純2011-2014 南博2014-2017 星野俊也2017-2020 木村徹也2020-2022 山中修2022-2024 梅津茂2024- 表 話 編 歴 大使館開設1943 沢田廉三1943-1944 北沢直吉臨時代理大使1944 石射猪太郎1944-1945 引揚1946 日本政府在外事務所開設1951 服部比左治1951-1952 総領事館に昇格1952 小長谷綽1952-1955 総領事館閉鎖1955 大使館再開1954 小長谷綽臨時代理大使1954-1955 太田三郎1955-1957 小島太作臨時代理大使1957 原馨1957-1960 島静一臨時代理大使1960-1961 矢口麓蔵1961-1962 小田部謙一1962-1966 高瀬侍郎1966-1968 小川清四郎1968-1969 都村新次郎1969-1971 鈴木孝1971-1974 有田武夫1974-1978 小室和秀1978-1980 橘正忠1980-1983 塚本政雄1983-1987 大鷹弘1987-1989 国号改称 大鷹弘1989-1990 川村知也1990-1993 田島高志1993-1995 山口洋一1995-1998 朝海和夫1998-2000 津守滋2000-2002 宮本雄二2002-2004 小田野展丈2004-2007 野川保晶2007-2010 斉藤隆志2010-2012 沼田幹男2012-2014 樋口建史2014-2018 丸山市郎2018- 表 話 編 歴 向山黄村1866-1868 鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875 /1878-1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1882-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1901 本野一郎1901-1906 大使館昇格 栗野慎一郎1906-1912 石井菊次郎1912-1915 松井慶四郎1915-1920 石井菊次郎1920-1927 安達峰一郎1927-1929 芳澤謙吉1930-1932 長岡春一1932-1933 佐藤尚武1933-1935 杉村陽太郎1937-1938 沢田廉三1939-1940 加藤外松1941-1942 三谷隆信1942-1946 大使交換中断1946 萩原徹1950-1952 萩原徹1952臨時代理大使 西村熊雄1952-1956 古垣鉄郎1957-1961 萩原徹1961-1967 松井明1967-1970 中山賀博1970-1975 北原秀雄1975-1979 井川克一1979-1982 内田宏1982-1984 本野盛幸1984-1989 木内昭胤1989-1992 矢田部厚彦1992-1994 松浦晃一郎1994-1999 小倉和夫1999-2002 平林博2002-2006 飯村豊2006-2009 齋藤泰雄2009-2011 小松一郎2011-2013 鈴木庸一2013-2016 木寺昌人2016-2019 伊原純一2019-2022 下川眞樹太2022- 表 話 編 歴 富田鐵之助1873-1876 高木三郎1876-1878/1879-1880 頴川君平1880-1882 高橋新吉1882-1883/1883-1886 吉田二郎1886-1887 河上謹一1887-1888 松岡郁之進1888 藤井三郎1888-1891 高平小五郎1891-1892 島村久1893 橋口直右衛門1894-1895 宮川久次郎1895-1896 内田定槌1896-1901/1902-1906 小池張造1907 水野幸吉1908-1909 飯島亀太郎(英語版)1913-1914 中村巍1914-1916 矢田長之助1916-1919 熊崎恭1919-1923 斎藤博1924-1927/1928 沢田節蔵1929-1930 堀内謙介1931-1934 沢田廉三1934-1936 若杉要1937-1940 森島守人1941-1942 閉鎖1942-1952 島津久大1952-1954(在外事務所長) 土屋隼1954-1957 田中三男1957-1961 金山政英(英語版)1961-1963 東郷文彦1963-1966 奈良靖彦1966-1969 内田宏1969-1972 沢木正男1972-1974 中島信之1974-1977 高橋正太郎1977-1981 本野盛幸1981-1983 浅尾新一郎1983-1984 宇川秀幸1984-1988 英正道1988-1992 瀬木博基1992-1994 苅田吉夫1995-1997 大塚清一郎1997-2000 河村武和2000-2002 西田芳弘2002-2003 安藤裕康2003-2006 櫻井本篤2006-2009 西宮伸一2010 廣木重之2011-2013 草賀純男2013-2015 髙橋礼一郎2015-2018 山野内勘二2018-2022 森美樹夫2022- ISNI VIAF フランス BnF data 日本 戦前日本の大使 在フランス日本大使 在ニューヨーク日本総領事 在ミャンマー日本大使 日本の国連大使 フランス語通訳 英語通訳 公職追放者 勲一等瑞宝章受章者 勲六等単光旭日章受章者 鳥取県立鳥取西高等学校出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 鳥取県出身の人物 日本のカトリック教会の信者 1888年生 1970年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/18 08:19更新
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