浅野和三郎の情報(あさのわさぶろう) 作家、心霊研究家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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浅野和三郎の情報まとめ

浅野 和三郎(あさの わさぶろう)さんの誕生日は1874年8月13日です。茨城出身の作家、心霊研究家のようです。

卒業、事件、病気、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1937年に亡くなられているようです。
浅野和三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)浅野 和三郎(あさの わさぶろう、1874年(明治7年)8月13日 - 1937年(昭和12年)2月3日)は、日本の心霊主義運動の父。筆名は浅野 馮虚(あさの ひょうきょ)、憑虚 とも。兄は海軍軍人の浅野正恭。 茨城県稲敷郡源清田村(現・稲敷郡河内町源清田)に代々医師を生業とする、浅野家の父・元斎(げんさい)(婿入り)と、母・かんの三男として生まれた。 1896年(明治29年)、東京帝国大学に入。、同時期に小泉八雲が英文学担当教師として赴任し、教えを受ける。在学中に機関誌『帝国文学』に処女作「吹雪」を発表。浅野馮虚の筆名で、その後短編小説等を続々発表し文才を発揮。さらに、英文学科に在籍しながら、英米文学の翻訳にも手を広げ、アーヴィングの『スケッチブック』、ディケンズの『クリスマスカロル』、エドワーズの『奇々怪々』を出版した。このような経歴が、心霊研究への下地となっている。 1899年(明治32年)に東京帝国大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。機関学校の同僚スティーブンソンは神智学会員であった。 1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し、1916年(大正5年)に海軍機関学校を退官し、当時最も実践的な心霊研究をしている教団であった大本に入信。教団内で有力な信者となり、出口王仁三郎が提唱した「大正維新論」を解説するなど、論客として活躍した。 1921年(大正10年)の第一次大本事件の後は教団を離れ、1923年(大正12年)3月、「心霊科学研究会」を創設。同時期に大本を離れた人物として生長の家創始者谷口雅春がいる。 1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された。「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた。 妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。 1936年(昭和11年)末、『小桜姫物語』の原稿をまとめ上げ出版の準備を終えた後、1937年(昭和12年)2月1日急性肺炎を発症し、2月3日に急死した。62歳没。 「心霊科学研究会」顧問及び「東京心霊科学協会」の理事であった和三郎の次兄浅野正恭(1867年 - 1954年)は元海軍中将であり、『日本精神の淵源―古事記生命の原理』の著作もある。正恭らが、和三郎の死後、活動の主体を担い、和三郎の遺筆をまとめあげ、出版活動がなされた。 和三郎の死後も「心霊科学研究会」及び「東京心霊科学協会」は活動を続けたが第二次世界大戦の激化で活動を休止。現在は財団法人「日本心霊科学協会」、「日本スピリチュアリスト協会」として活動を行っている。 『出廬』綾部生活の五年(第一部)、浅野和三郎著、大日本修斎会 刊、1921年
『冬籠』綾部生活の五年(第二部)、浅野和三郎著、大日本修斎会 刊、1921年
『岩間山人と三尺坊 : 神秘物語』浅野和三郎編、嵩山房 刊、1923年 『死後の世界』J.S.M.ワード著、浅野和三郎訳、嵩山房 刊、1925年、戦後 心霊科学研究会出版部 刊 『心霊講座』浅野和三郎著、嵩山房 刊、1928年6月 『永遠の大道』G.カミンズ著、浅野和三郎訳、心霊科学研究会出版部 刊、1932年 『神霊主義-事実と理論』浅野和三郎著、嵩山房 刊、1934年
『幽界行脚』J.S.M.ワード著、浅野和三郎訳、 『照魔鏡 : 正信と迷信の識別標準』柳香書院、1935年 『心霊から観たる世界の動き』浅野和三郎著、柳香書院、1936年 『小桜姫物語』心霊科学研究会出版部 刊、1937年2月 『心霊読本』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1937年8月 『霊訓』W.S.モーゼス著、浅野和三郎訳解、心霊科学研究会出版部 刊、1937年9月 『新時代と新信仰』アーサー・フィンドレー著、浅野和三郎訳、心霊科学研究会出版部 刊、1937年 『心霊学より日本神道を観る』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1938年6月 『欧米心霊行脚録』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1938年8月
『欧米心霊旅行記』心霊学研究所より、現代語訳Web、最終更新2004.05.15 『心霊小品集』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1939年 『心霊縦横談. 第1輯』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1939年 『第六感と精神統一法』浅野和三郎著、心霊科学研究会出版部 刊、1941年6月20日 『心霊研究とその帰趨』心霊科学研究会出版部 刊、1950年7月15日、『神霊主義』より改題 『新樹の通信』心霊科学研究会出版部 刊、1931年 - 1936年(心霊文庫全3冊、のち1949年1冊化) 『心霊文庫-全20編』心霊科学研究会出版部 刊、1930年 - 1941年 ほか多数 ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.11 ^ 『神の罠―浅野和三郎、近代知性の悲劇』p11 ^ 『永遠の大道』復刻版 ^ 『出廬』より ^ 『大正維新の真相』 浅野和三郎 著 大日本修斎会 大正8年 (国立国会図書館デジタルライブラリー) ^ 出典:『生命の實相』第19巻、20巻 ^ 機関誌「心霊と人生」昭和5年1月号より ^ 「心霊と人生」昭和5年1月号、3月号より 松本健一『神の罠―浅野和三郎、近代知性の悲劇』新潮社、1989年10月 ISBN 4-10-368402-X 三浦清宏『近代スピリチュアリズムの歴史』講談社、2008年4月 ISBN 978-4-06-214675-3 心霊主義 スピリティズム スピリチュアリティ 秋山真之 財団法人 日本心霊科学協会 日本スピリチュアリスト協会 浅野和三郎:作家別作品リスト - 青空文庫 浅野和三郎 - オニペディア FAST ISNI VIAF
WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の小説家 20世紀日本の小説家 日本の英語文学研究者 イギリス文学者 アメリカ文学者 19世紀日本の翻訳家 20世紀日本の翻訳家 英語からの翻訳者 スピリチュアリティ 心霊研究家 東京大学出身の人物 茨城県出身の人物 1874年生 1937年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2025年2月 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2025/03/05 04:33更新
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asano wasaburou
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