湯浅八郎の情報(ゆあさはちろう) 生物学者(昆虫学) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
湯浅 八郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
湯浅八郎と関係のある人
湯浅正次: 叔父に同志社総長、国際基督教大学初代学長で国際基督教大学名誉総長の湯浅八郎がいる。 武田清子: 国際基督教大学社会科学研究所(編)「湯浅八郎と二十世紀」『社会科学ジャーナル』第3巻第51号、2003年9月、29-58頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172703723。 武田清子: 国際基督教大学社会科学研究所(編)「湯浅八郎と二十世紀」『社会科学ジャーナル』第4巻第52号、2004年3月、75-99頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172703913。 田畑忍: 1952年に再度学長に就任し、湯浅八郎前総長が打ち出した学内での政治活動禁止公示を撤回した。 武田清子: 国際基督教大学社会科学研究所(編)「湯浅八郎と二十世紀 : 昆虫学から〈同志社事件〉渦中へ」『社会科学ジャーナル』第2巻第50号、2003年3月、1-24頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172703491。 武田清子: 国際基督教大学社会科学研究所(編)「湯浅八郎と二十世紀」『社会科学ジャーナル』第1巻第49号、2002年10月、29-53頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172703435。 武田清子: 『湯浅八郎と二十世紀』教文館、2005年4月。 |
湯浅八郎の情報まとめ
湯浅 八郎(ゆあさ はちろう)さんの誕生日は1890年4月29日です。東京出身の生物学者(昆虫学)のようです。
兄弟、卒業、事件、姉妹に関する情報もありますね。1981年に亡くなられているようです。
湯浅八郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)湯浅 八郎(ゆあさ はちろう、1890年(明治23年)4月29日 - 1981年(昭和56年)8月15日)は、日本の昆虫学者・教育者・キリスト者。第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。湯浅治郎の子。 1890年(明治23年)、東京市赤坂に生まれた。父は同志社理事・群馬県会議長・衆議院議員を務めた実業家・政治家である湯浅治郎、母は徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟の姉である初子である。湯浅家は当時の日本ではまだ珍しい、クリスチャン・ホームであった(父方の叔父に聖書学者として知られる湯浅吉郎がいる)。少年期は主として京都で過ごした。 1902年(明治35年)に同志社普通学校に入学、1908年(明治41年)に卒業し、米国に渡った。3年間カリフォルニア州リヴィングストンの開拓農場で労働に従事した後、1911年(明治44年)にカンザス農科大学へ入学した。同大学卒業後、イリノイ大学大学院に進学し、Ph.D.(博士号)を取得した。 1924年(大正13年)、新設の京都帝国大学農学部教授に招聘されて帰国する。当時としてはリベラルな教育を行い、今西錦司、森下正明、内田俊郎らを育てた。1926年(昭和元年)、東京帝国大学 理学博士。論文の題目は「A classification of the Larvae of the Tenthredinoidea(ハバラ亜目の幼蟲の分類)」。1933年(昭和8年)滝川事件が勃発、農学部評議員として瀧川幸辰の免職に反対する法学部の立場を支持したため、その思想的立場を当時の日本社会に対して明らかにすることとなった。 1934年(昭和9年)3月、同志社総長事務取扱となり、翌年2月正式に第10代総長となった。戦時色が濃くなり、キリスト教主義学校に対する圧力が強まる中、難局に対処する。新島襄以来の同志社独自の教学精神を貫こうとした湯浅は、軍国主義に傾倒する当時の政府・軍部と対立した。さらに同志社岩倉校地の購入をきっかけとした学内紛争や、神棚事件、国体明徴論文掲載拒否事件、勅語誤読事件、チャペル籠城事件など、配属将校や同志社内外の右翼(大日本生産党、洛北青年同盟など)を巻き込む紛争に発展し、1937年(昭和12年)12月に総長職を辞した。 1938年(昭和13年)、インド・マドラスで行われた世界キリスト教宣教会議に出席する。1939年(昭和14年)、米国に渡り、宣教会議でのメッセージを伝えるために全米各地で講演を行った。1941年(昭和16年)4月、リバーサイド日米キリスト者会議で米国のキリスト教会に「アメリカ教会への感謝状」を贈った。日米開戦後も米国に残り、居留地に拘留された在留邦人や日系人を激励して回った。終戦後、日本に戻った。 1947年(昭和22年)、再び請われて同志社第12代総長に就任し、同志社大学をはじめとする、戦後の同志社諸校の土台作りに尽力した。1950年(昭和25年)、同志社総長を退任して国際基督教大学設立準備に携わり、のち同大学初代学長に就任、同大学の礎を築く上で重要な役割を果たした。1961年(昭和36年)10月、同職を退任する。退任後は長く同大学理事長の職にあった。1977年(昭和52年)にキリスト教功労者を受賞。理学博士(東京帝国大学)。同志社大学名誉文化博士。国際基督教大学名誉総長および名誉人文学博士。 父・湯浅治郎 母・湯浅初子 母方祖父・徳富一敬 母方祖母・徳富久子 - 姉妹に竹崎順子、矢嶋楫子 母方叔父・徳富蘇峰、徳冨蘆花 父方叔父・湯浅吉郎 母方いとこ・久布白落実 異母兄・湯浅一郎 弟・湯浅十郎、湯浅与三 妻・湯浅清子 岳父・鵜飼猛 - 猛の妻の妙子(清子の母)は、八郎の祖母の妹・矢嶋楫子の婚外子。 義兄・鵜飼信成 湯浅は自身の生活信条を表す言葉として、次のような言葉を残した。 愛することは理解すること 理解することは赦すこと 赦すことは赦されること 赦されることは救われること 武田清子 『湯浅八郎と二十世紀』 教文館、2005年 ISBN 4764265826 沖田行司編 『新編 同志社の思想家たち 下』 晃洋書房、2019年 ISBN 9784771031333 ^ 湯浅が教育勅語の「御名御璽」を「オン名」と誤読したことが問題視された事件(『同志社九十年小史』 118頁)。 ^ 「同志社予科の学生突如籠城 扉を閉じて外部と遮断」(『大阪毎日新聞』 1937年7月6日) ^ 沿革|国際基督教大学 ^ 日本キリスト教文化協会 顕彰者一覧※2022年10月23日閲覧 新島学園 - 初代校長兼理事長を務めた。 湯浅八郎記念館 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム 国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館 戦時同志社史再考 ―帝国史の視点から― (PDF) 表 話 編 歴 初代 新島襄 1883-1890 臨時 山本覚馬 1890-1892 第2代 小崎弘道 1892-1897 臨時 中村栄助 1897 第3代 横井時雄 1897-1899 臨時 下村孝太郎 1899 第4代 西原清東 1899-1902 第5代 片岡健吉 1902-1903 臨時/第6代 下村孝太郎 1903-1904/1904-1906 代理 松山高吉 1906-1907 第7代 原田助 1907-1919 事務取扱 中村栄助 1919-1920 第8代 海老名弾正 1920-1928 事務取扱 中村栄助 1928-1929 第9代 大工原銀太郎 1929-1934 事務取扱 中村栄助 1934 事務取扱/第10代 湯浅八郎 1934-1935/1935-1937 事務取扱 上谷続 1938 事務取扱 牧野虎次 1938-1941 事務取扱/第11代 牧野虎次 1941/1941-1947 第12代 湯浅八郎 1947-1950 事務取扱/第13代 大塚節治 1950/1950-1951 第13代 大塚節治 1951-1963 第14代 住谷悦治 1963-1975 第15代 上野直蔵 1975-1984 代行 木枝燦 1984-1985 第16代 松山義則 1985-2001 第17代 大谷實 2001-2017 第18代 八田英二 2017- カテゴリ メディア 学校法人同志社 学校法人 同志社大学学長 同志社大学の人物 同志社女子大学の人物 表 話 編 歴 下村孝太郎 1904-1905 丹羽清次郎 1905-1907 原田助 1907-1912 校長/学長 原田助 1912-1916/1916-1917 事務取扱 水崎基一 1917-1918 原田助 1918-1919 D.W.ラーネッド 1919-1920 D.W.ラーネッド 1920 海老名弾正 1920-1928 事務取扱 中村栄助 1929-1930 大工原銀太郎 1930-1934 事務取扱/学長 和田琳熊 1934-1935/1935 湯浅八郎 1935-1937 大塚節治 1937 事務取扱 上谷続 1938 事務取扱 和田琳熊 1938 牧野虎次 1938-1941 黒川芳蔵 1941-1944 事務取扱/学長 牧野虎次 1944/1944-1945 事務取扱 若松兎三郎 1945-1946 事務取扱/学長 田畑忍 1946/1946-1947 湯浅八郎 1947-1949 大塚節治 1949-1952 田畑忍 1952-1954 大下角一 1954-1960 上野直蔵 1960-1965 星名秦 1966-1968 代行 今西正雄 1968 代行 斎藤亥三雄 1968-1969 代行 遠藤汪吉 1969 事務取扱/学長 山本浩三 1969-1970/1970-1973 松山義則 1973-1979 大谷實 1979 代行 三木英雄 1980 松山義則 1980-1983 木枝燦 1983-1986 原正 1986-1989 笹田友三郎 1989-1992 岩山太次郎 1992-1998 八田英二 1998-2013 村田晃嗣 2013-2016 松岡敬 2016-2020 植木朝子 2020-2024 小原克博 2024- カテゴリ メディア 同志社大学 学校法人 総長 人物 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research 日本の昆虫学者 日本の学校法人の理事長 同志社総長 国際基督教大学学長 国際基督教大学の教員 同志社大学の教員 京都大学の教員 滝川事件の人物 キリスト教功労者の受賞者 日本基督教団の人物 有田屋湯浅家 Doctor of Philosophy取得者 理学博士取得者 同志社大学出身の人物 同志社高等学校出身の人物 東京都出身の人物 日本の亡命者 1890年生 1981年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/12/03 18:09更新
|
yuasa hachirou
湯浅八郎と同じ誕生日4月29日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
湯浅八郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「湯浅八郎」を素材として二次利用しています。