瀬戸わんやの情報(せとわんや) 漫才師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
瀬戸 わんやさんについて調べます
■名前・氏名 |
瀬戸わんやと関係のある人
内海桂子: 従って獅子てんや・瀬戸わんやは弟弟子に当る。 獅子てんや: 獅子てんや・瀬戸わんや(しし てんや・せと わんや)、略称:てんやわんやは、戦後長きにわたり活躍した漫才コンビ。 昭和のいる: 程なくして獅子てんや・瀬戸わんやを紹介され師事、1966年4月に「花園のいる・こいる」の名前でデビューを果たす。 はたけんじ: ある日楽屋で立川談志から「三波さんがショーで言ってウケてるらしい」と聞いて舞台で演じたところ、獅子てんや・瀬戸わんやから「右や左のお客さんのところに歩いて行って言えば」とアドバイスを受けて完成した。 昭和こいる: 程なくして獅子てんや・瀬戸わんやを紹介され師事、1966年4月に「花園のいる・こいる」の名前でデビューを果たす。 星セント: ファンレターを送る中で、獅子てんや・瀬戸わんやからは「(高校を)卒業後に来る様に」と返事を貰った。 |
瀬戸わんやの情報まとめ
瀬戸 わんや(せと わんや)さんの誕生日は1926年3月10日です。大阪出身の漫才師のようです。
兄弟、事故、テレビ、家族に関する情報もありますね。
瀬戸わんやのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)獅子てんや・瀬戸わんや(しし てんや・せと わんや)、略称:てんやわんやは、戦後長きにわたり活躍した漫才コンビ。大柄のてんやが、小柄で額の禿げ上がったわんやをいびり、わんやがムキになって怒るスタイルで人気を博した。前職は警察官と市職員であり、二人とも地方公務員だった。 内海突破の兄弟弟子同士で、1952年(昭和27年)コンビ結成。芸名の由来は獅子文六のベストセラー小説『てんやわんや』から。なお苗字の「獅子」は、獅子文六から借用、「瀬戸」は『てんやわんや』の舞台が瀬戸内地方だったことによると思われる。 無断借用された獅子文六は「獅子となのるのは乱暴だ」と思っていた。なお、のちの1967年ごろに、てんや・わんやの二人が、獅子文六の家に「無断借用のおわび」に来たことがあったという。 1952年、大塚駅前天祖神社の夏祭りで初舞台を踏み、ドサ回りで習練を積んだ。 1956年(昭和31年)1月、産経新聞社主催の「サンケイ漫才コンクール」にて国定忠治の出し物で一位、翌年の第1回NHK漫才コンクールにも「世界旅行をかえりみて」というネタで優勝し、並居る若手漫才の中で図抜ける。新作に取り組む姿勢は積極的で、その中から「ひよこと卵」「なんで行ったの」などの定番ネタが磨かれた。 1961年7月26日、牧野周一等とともに小樽を巡業中、自動車事故で、てんやは全治3週間の大怪我、わんやは全治2ヶ月の重傷を負った。 1963年、『大正テレビ寄席』の準レギュラーとして活躍。 1966年(昭和41年)から約14年間放送されたTBS『家族そろって歌合戦』の司会でも全国的人気を博した他、1967年(昭和42年)に第7回日本放送作家協会大衆芸能賞受賞、フジテレビ放送演芸大賞も二度受賞し、テレビ・ラジオで重宝がられる。 正月席などハレの場では、鼓・扇を持ち三河万歳を陽気に披露していた。「外れ」のない安定感は抜群で、下卑た話題を避け芸が綺麗なことから東京演芸界中とりわけ優等生的な地位に就き、関西のいとし・こいしと双璧とする評もあったが、コンビ時代の末期以降、仲は決して良くなかったとされる。地方公演の移動では、別行動をとり、宿泊では、てんやはホテルで洋室に、わんやは日本旅館に和室が常であった。 わんやが糖尿病など健康面に不安を抱えた1980年代中頃から、記憶力が落ちセリフや所作を誤ることが度々あった。ただコンビ仲が悪化するほどではなかったという。1987年(昭和62年)遂にわんやが脳梗塞で倒れ活動休止。臨時で拝啓介(美田夕刊)とコンビを組み、その後は「巷談」と称して舞台に立ったが間もなく辞めた。1993年わんやがそのまま復帰叶わず亡くなり、コンビも消滅した。 2009年には東京漫才の殿堂に選出される。 獅子 てんや(しし てんや、1924年〈大正13年〉6月25日 - 2014年頃) 瀬戸 わんや(せと わんや、1926年〈大正15年〉3月10日 - 1993年〈平成5年〉2月10日) 「たーまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ。」 「いーとこはーとこいとはとこ」 岡山のおばあちゃんネタ「何で行ったんだ」 「例えばだよ・・」 『漫才人生/ぴよこちゃん』(EP)キングレコード 1967年 - 作詞作曲も担当したことになっている 『女賭博師鉄火場破り』(1968年、大映) 『チョットだけョ全員集合!!』(1973年、松竹) ダイハツ・ハイゼット ハリカ 日東紡(断熱材) マルニ食品(ホルモン焼き) 三洋電機(洗濯機「手もみL」)※てんやのみ ミツウロコ「キャリコン」(カセットレンジ) 大正テレビ寄席(1963年 - 1978年、NET → テレビ朝日) - 準レギュラー 家族そろって歌合戦(1966年 - 1980年、TBS / JNN各社) - 総合司会 お笑いスター誕生!!(1980年 - 1986年、日本テレビ) - 審査員 轟先生(1955年 - 1960年、日本テレビ) どうにかしてくれ(1959年、フジテレビ) でんでんバラエティー (1959年 - 1961年、中部日本放送) 黒い影は誰だ!(1960年、フジテレビ) ぼうふら紳士(1960年、フジテレビ) ジンタカ・パンチ!(1966年、TBS) 水戸黄門 第4部 第6話「越後血風録」 - 甲州商人(獅子てんや)、茶屋の親爺(瀬戸わんや) てんや・わんやのしゃべあるき(TBSラジオ) てんや・わんやの「歌謡曲」(1970年代 - 1980年代前期、桑の実プロ制作、山形放送・ラジオ福島) 坂上二郎 昭和のいる・こいる 星セント B21スペシャル他 『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんスター誕生」(『お笑いスター誕生!!』のパロディ)コーナーで、てんやわんやを模した「てん丼・わん丼」で漫才をした(ビートたけしがてん丼、片岡鶴太郎をわん丼)。これを基として、鶴太郎がリーダーを務めた「ピヨコ隊」が結成され、『ザ・ベストテン』のパロディ企画「ひょうきんベストテン」コーナーに登場。名物キャラクターになった。 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」(番組総指揮の菅賢治がガースー・ブラック・ファルコンのひ孫役で登場)。 ^ 『おしまいのページで』(文藝春秋)に収録の「てんや君とわんや君」 ^ 喜利彦山人 (2019年12月31日). “獅子てんや・瀬戸わんや”. tokyomanzai0408.com. 2020年1月14日閲覧。 お笑いの復権 獅子てんや・瀬戸わんや 漫才師一覧 日本お笑い史 表 話 編 歴 山田康雄 - 中尾ミエ 桂米丸(審査委員長) - タモリ - 赤塚不二夫 - 京唄子 - 鳳啓助 - 東八郎 - 三波伸介 - 獅子てんや - 瀬戸わんや - 伊東四朗 - 近江俊郎 - 内海好江 - ガッツ石松 - 牧伸二 - 大山のぶ代 - 水野晴郎 - 横森良造 - 小松政夫 B&B(島田洋七・島田洋八) - おぼん・こぼん - ギャグ・シンセサイザー - 九十九一 - 小柳トム - とんねるず(石橋貴明・木梨憲武) - 青芝金太・紋太 - アゴ&キンゾー(あご勇・桜金造) - 怪物ランド(平光琢也・赤星昇一郎・郷田ほづみ) - シティボーイズ(大竹まこと・きたろう・斉木しげる) ギャグ・シンセサイザー - アゴ&キンゾー(あご勇・桜金造) - ファニーズ キモサベ社中 第1回:コントらぶこ〜る - 第2回:パート2 - 第3回:コント山口君と竹田君 - 第4回:笑パーティー(ばんきんや・松元ヒロ・石倉チョッキ) - 第5回:ちゃらんぽらん - 第6回:キャラバン(渡部又兵衛・松崎菊也・有本まこと) - 第7回:ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆) スター誕生! - ひょうきんスター誕生 - B&Bのお笑いスター最前線!! - ダントツ笑撃隊!! - ちびっこスター誕生! - 日本お笑い史 - スター☆ドラフト会議 - 乃木坂スター誕生!(新・乃木坂スター誕生!・超・乃木坂スター誕生!) - 日本テレビ - ラップスタア誕生! 小林與三次 - 正力亨 - 中島銀兵 日本のお笑いコンビ 内海一門
2024/11/20 16:34更新
|
seto wanya
瀬戸わんやと同じ誕生日3月10日生まれ、同じ大阪出身の人
TOPニュース
瀬戸わんやと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「瀬戸わんや」を素材として二次利用しています。