牛尾治朗の情報(うしおじろう) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
牛尾 治朗さんについて調べます
■名前・氏名 |
牛尾治朗と関係のある人
諸井虔: 牛尾治朗と並び財界きっての論客といわれ、規制緩和を強力に主張した。 細谷英二: 2002年4月より経済同友会副幹事に就任していたが、2003年5月に経営難に陥りおよそ2兆円の公的資金を申請する必要ができたりそなホールディングスの会長として、牛尾治朗(ウシオ電機会長)に白羽の矢を立てられた。 森喜朗: なお、牛尾治朗とも昌孝を通じて1963年ごろに知り合っている。 品川正治: 『日本企業のコーポレート・ガバナンスを問う』(牛尾治朗共著、商事法務研究会、2000年) 大田弘子: 2001年1月、内閣府経済財政諮問会議の「サービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会(会長:牛尾治朗)」の専門委員に選任され、現場での政策立案作業にも携わる。 江頭匡一: 江頭匡一、高橋政知、牛尾治朗、上山善紀、中内功『私の履歴書 経済人 35』日本経済新聞社、2004年6月。 大田弘子: 2001年1月 内閣府経済財政諮問会議の専門調査会(会長:牛尾治朗)専門委員 奥田碩: 当時の指名委員会構成員は奥田及び、牛尾治朗(元経済同友会代表幹事)、西川善文(日本郵政社長)、高木祥吉(日本郵政副社長、元金融庁長官)、丹羽宇一郎(伊藤忠商事会長)の5人であった。 牛尾奈緒美: 牛尾奈緒美の義父にあたる牛尾治朗はウシオ電機の創業者で同社会長である。 瀬戸雄三: 子供のころは隣家だった牛尾治朗らと近くにあった舞子海岸などで遊ぶ。 |
牛尾治朗の情報まとめ
牛尾 治朗(うしお じろう)さんの誕生日は1931年2月12日です。兵庫出身の経営者のようです。
現在、卒業、事件、趣味に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。
牛尾治朗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)牛尾 治朗(うしお じろう、1931年2月12日 - 2023年6月13日)は、日本の実業家。ウシオ電機株式会社の設立者である。同社 名誉相談役、取締役相談役、経済同友会特別顧問(終身幹事)、公益財団法人日本生産性本部会長(2003年から2014年)、名誉会長(2014年から2020年)などを務めた。。 平成8年度第22回経済界大賞受賞。平成10年財界大賞受賞。 兵庫県姫路市に牛尾家2代目牛尾健治・美津子の次男として生まれる。 祖父・牛尾梅吉は姫路商工会議所の2代目会頭を務め、播磨の振興に尽力した。父・健治は、姫路銀行頭取を務める傍ら中国合同電気→山陽配電(現在は分割されて関西電力・中国電力)を中心に電力・電機事業を手がけた。現在のウシオ電機も、前身は中国合同電気の電球製造部門が独立した姫路電球であり、同社から産業用特殊光源の製造部門が独立したのが現在のウシオ電機に至っている。 旧制兵庫県立第三神戸中学校、旧制第三高等学校を経て、1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し東京銀行に入行。カリフォルニア大学バークレー校大学院留学後に家業を受け継ぎ、1964年ウシオ電機を設立。28歳で経済同友会に入会し、中堅企業の経営者ながら早くから財界人として意欲的に発言してきた。1969年1月には日本青年会議所会頭に就任し(同年12月まで在任)、「財界の老害」を批判した。「21世紀は市場経済の時代。民間が自立した社会にする必要がある」として規制緩和や株主尊重の路線を打ち出した。 1995年4月に経済同友会代表幹事に就任、1999年4月からは特別顧問(終身幹事)に就いている。1996年2月には日本ベンチャーキャピタル株式会社を設立し、取締役会長に就任(2002年6月に名誉会長に退く)。2001年には経済財政諮問会議議員、日本郵政・社外取締役に就任。また、旧・第二電電がケイディディ(KDD)・日本移動通信(IDO)と合併して出来た旧・ディーディーアイ(現・KDDI)が成立する前後に会長を務めている。 1975年東京都知事選挙では石原慎太郎の参謀四人衆の一人(他は浅利慶太、塩路一郎、飯島清)として選挙運動を指揮した。 1979年東京都知事選挙で牛尾は新自由クラブから東京都知事候補に推され、首相・自由民主党総裁の大平正芳からも打診があったが、結局自民党は公明党の推す鈴木俊一の推薦を決めたため出馬しなかった。 1985年首相中曽根康弘の意向により民間人特別委員10人の1人として政府税制調査会に入った。 牛尾は安倍晋太郎と親交があり、安倍の後援会のひとつ『総晋会』の会長を務めた。第1次安倍内閣では、閣議決定で開塾された沖縄新世代経営者塾に堺屋太一などとともに顧問という肩書きで就任し、若手経営者の指導にあたった。 民間人だが、閣僚人事について安倍晋三の相談を受けるなど、政治への影響力も強い。官僚人事についても、安倍に今井尚哉の登用を勧めたとされる。 1931年2月:兵庫県姫路市に生まれる 1953年3月:東京大学法学部政治学科卒業 1953年4月:東京銀行入行 1956年2月:カリフォルニア大学バークレー校政治学大学院留学 1964年3月:ウシオ電機株式会社設立 代表取締役社長就任 1969年1月:日本青年会議所会頭就任(~12月) 1979年4月:ウシオ電機株式会社 代表取締役会長就任 1981年4月:第二次臨時行政調査会 専門委員(~1983年3月) 1984年6月:第二電電株式会社(DDI)取締役就任 1987年4月:国際大学理事長就任(~1988年12月) 1988年12月:江副浩正よりリクルートコスモス社の未公開株を譲渡されていたことが分かり(リクルート事件)、社団法人経済同友会 副代表幹事ほか公職を辞任 1994年3月:財団法人ウシオ育英文化財団理事長 1995年4月:社団法人経済同友会 代表幹事就任(~1999年4月) 1996年2月:日本ベンチャーキャピタル株式会社設立 取締役会長就任(~2002年6月) 1999年5月:社団法人経済同友会 特別顧問就任 1999年6月:株式会社ホテルオークラ 取締役就任 2000年4月:第二電電株式会社 代表取締役会長就任 2000年10月:株式会社ディーディーアイ 代表取締役会長就任(~2003年6月) 2001年1月:内閣府 経済財政諮問会議 議員就任(~2006年9月) 2002年5月:技術研究組合極端紫外線露光システム技術開発機構理事長 2003年6月:財団法人 社会経済生産性本部(現・公益財団法人日本生産性本部)会長就任(~2014年6月、同月より名誉会長)、KDDI株式会社取締役就任(~2006年6月) 2020年5月:ウシオ電機株式会社 取締役相談役就任 2020年9月:ウシオ電機株式会社 名誉相談役 2023年6月:誤嚥性肺炎のため死去した。92歳没。ウシオ電機が同月21日明らかにした。 会計検査院会計検査懇話会有識者委員座長 公益財団法人公共政策調査会顧問 一般社団法人日本尊厳死協会顧問 公益財団法人松下政経塾相談役 公益財団法人稲盛財団理事 一般社団法人日本アスペン研究所諮問委員 一般社団法人日韓経済協会相談役 歴史街道推進協議会顧問 元財団法人アリオン音楽財団相談役 公益財団法人大平正芳記念財団評議員 公益財団法人総合研究開発機構(NIRA)会長 公益財団法人日本生産性本部名誉会長 日本アカデメイア共同塾頭 一般社団法人ジャパンダイバーシティネットワーク呼びかけ人 公益財団法人日本尊厳死協会顧問 趣味はゴルフ。好物は麺類、幅広麺を好む。 牛尾家は代々姫路駅近辺の大地主だった。兄にウシオ工業社長の牛尾吉朗がいる。牛尾の長女・幸子と安倍晋太郎の長男・寛信は夫婦である。長男・志朗の妻は牛尾奈緒美(旧姓中村)。 祖父・梅吉(兵庫県平民、牛尾合資会社代表社員、仲介業、資産家・兵庫県多額納税者) 祖母・きぬゑ(兵庫・望月有寧の三女) 父・健治 母・みつ(或いは美津子、兵庫・中村彌之祐の養妹) 兄・吉朗(ウシオ工業社長、慶應義塾大学卒、同大学院修了) 妻・春子(東京家政大学常務理事・人見脩蔵の二女、日本女子大学卒) 長男・志朗(ウシオ電機取締役兼常務執行役員、玉川大学卒) 同妻・奈緒美(中村哲也の長女、慶應義塾大学卒) 同長女・美湖(学習院女子大学卒) 長女・幸子(成城大学卒) 同夫・安倍寛信(三菱商事パッケージング非常勤顧問・元代表取締役社長、成蹊大学卒) 同長男・寛人(慶應義塾大学卒) 松下政経塾 江口克彦 金丸恭文 大田弘子 翁百合 橘・フクシマ・咲江 野田一夫 華麗なる一族(祖父がモデルのひとりとされる山崎豊子の小説) ^ 『現代人名録2002』第1巻 p1056 ^ 日本生産性本部の次期会長に茂木氏 6月交代、牛尾会長は退任 2014.3.18 16:58更新 産経新聞 ^ “牛尾治朗さん死去 元経済同友会代表幹事”. 共同通信. 2023年6月21日閲覧。 ^ 籠谷直人 近代姫路の財界・政界 part2 姫路における財界ネットワーク 2002年12月 ^ “牛尾治朗(ウシオ電機会長) 私の履歴書(6)戦時下の中学”. 日本経済新聞 (1999年10月6日). 2023年12月1日閲覧。 ^ 川勝宣昭『日産自動車 極秘ファイル 2300枚―「絶対的権力者」と戦ったある課長の死闘7年間』プレジデント社、2018年12月20日。ISBN 978-4833423038。 ^ 街風隆雄 社内外で残った「衣湿る」 -ウシオ電機会長 牛尾治朗【2】 PRESIDENT 2011年6月13日号 ^ 伊藤昌哉 『自民党戦国史』中巻 第二部 4 朝日文庫 pp.187-188(1985年) ^ 日本労働年鑑 第50集 1980年版 統一地方選と共闘問題 ^ 鄭子真 [中曽根内閣と消費税 : 導入失敗の過程] 国際公共政策研究. 14(1) P.191-P.205 2009-09 ^ 真柄昭宏 中曽根政権の行政改革・教育改革・税制改革の成否を分けたもの : 改革における事務局掌握の重要性 CUC policy studies review 20, 17-31, 2008-10 ^ 神一行『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』(1989年) 224頁 ^ 森功「首相を振りつける剛腕秘書官研究」『文藝春秋』93巻14号、文藝春秋、2015年12月1日、296頁。 ^ 『毎日新聞』1988年12月15日朝刊 ^ “牛尾治朗氏死去、92歳”. 時事通信 (2023年6月21日). 2023年6月21日閲覧。 ^ JDNについて 呼びかけ人一覧 ^ 『人事興信録 第14版 上』ウ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月13日閲覧。 ^ 『人事興信録 第11版 上』ウ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。 ^ 『人事興信録 第4版』ウ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月13日閲覧。 ^ 『私の履歴書』 平成11年(1999年)10月日本経済新聞連載 ^ 【安倍首相、保守人脈が支え】首相の意向で役職起用多く 疑問視する声も 2013/12/26 11:01 共同通信 ^ 『人事興信録 第9版』ウ47-48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月11日閲覧。 ^ 『人事興信録 第15版 上』ウ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月11日閲覧。 ^ 牛尾家(兵庫県): 閨閥学 2018年11月21日閲覧。 ^ “アースデイ・コンサート2017プログラム決定!!”. 2023年10月12日閲覧。 ^ “安倍首相「慶応出の2人の甥っ子」跡目はどっちが継ぐのか”. 2023年10月12日閲覧。 表 話 編 歴 諸井貫一1946-1947 大塚万丈1947-1948 堀田庄三1947-1948 永野重雄1948-1950 工藤昭四郎1948-1952 浅尾新甫1950-1951 藤山愛一郎1951-1952 山際正道1952-1955 東海林武雄1952-1955 岸道三1955-1958 中山素平1957-1959 井上英煕1958-1960 岩佐凱実1959-1961 木川田一隆1960-1962 水上達三1961-1963 二宮善基1962-1963 木川田一隆1963-1975 佐々木直1975-1985 石原俊1985-1991 速水優1991-1995 牛尾治朗1995-1999 小林陽太郎1999-2003 北城恪太郎2003-2007 桜井正光2007-2011 長谷川閑史2011-2015 小林喜光2015-2019 櫻田謙悟2019-2023 新浪剛史2023- ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 20世紀日本の実業家 21世紀日本の実業家 日本の企業創立者 松下政経塾の人物 日本財団の人物 日本青年会議所の人物 日本尊厳死協会の人物 三菱UFJフィナンシャル・グループの人物 KDDIの人物 りそなホールディングスの人物 リクルート事件の人物 国際大学の人物 日本の学校法人の理事長 安倍晋太郎 私の履歴書の登場人物 兵庫県立長田高等学校出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 カリフォルニア大学バークレー校出身の人物 兵庫県出身の人物 1931年生 2023年没 プロジェクト人物伝項目 2024/11/20 22:18更新
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ushio jirou
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