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玉の海正洋の情報 (たまのうみまさひろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

玉の海正洋の情報(たまのうみまさひろ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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玉の海 正洋さんについて調べます

■名前・氏名
玉の海 正洋
(読み:たまのうみ まさひろ)
■職業
相撲
■玉の海正洋の誕生日・生年月日
1944年2月5日 (年齢1971年没)
申年(さる年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和19年)1944年生まれの人の年齢早見表

玉の海正洋と同じ1944年生まれの有名人・芸能人

玉の海正洋と同じ2月5日生まれの有名人・芸能人

玉の海正洋と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


玉の海正洋と関係のある人

安芸乃島勝巳: 貴闘力の証言によると、四股名「安芸乃島」は当時の郷土の名前「安芸津町」と師匠が尊敬していた横綱・玉の海正洋の若名乗り「玉乃島」から。


出羽錦忠雄: 日本相撲協会の巡業部に在職していた1971年の夏のある日、巡業の一日が終わって親方や力士が夜の街へ出かけるために世話をしていたが、ある日、玉の海正洋だけが外出せずに宿舎に一人で残っていることに気付き、「横綱はなぜ遊びに行かないのか」と尋ねたところ、玉の海は「自分は皆と一緒に遊んでたら身体が持ちません」と返答した。


玉錦三右衛門: 第二次世界大戦後の第51代横綱・玉の海正洋は皮肉にも玉錦の孫弟子にあたり、さらに奇しくも虫垂炎の悪化(手術後の血栓症)により27歳で現役死した。


玉錦三右衛門: 大関時代にすでに第一人者でありながら昇進を見送られ続けたことや、まだ余力を残しての現役死だったせいもあるが、「一場所平均の金星配給数」を見た場合、昭和の横綱で玉錦より少ないのは現役のまま亡くなった玉の海正洋(在位10場所、金星3個)だけである。


大鵬幸喜: 現役晩年に至っても、北の富士と玉の海正洋の両横綱に対しては最後まで壁として君臨し続けた。


玉ノ海梅吉: 玉乃島正夫が横綱に昇進して「玉の海正洋」と改名した際は、玉ノ海本人も自身の師匠である玉乃海太三郎も自分の名を継いだということもあって特に注目した。


玉の海正洋の情報まとめ

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玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)さんの誕生日は1944年2月5日です。愛知出身の相撲のようです。

もしもしロボ

兄弟、引退、現在、母親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1971年に亡くなられているようです。

玉の海正洋のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 1971年〈昭和46年〉10月11日)は、大阪府大阪市出生、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。第51代横綱。

本名は谷口正夫、後に竹内正夫(たけうち まさお)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。

1944年(昭和19年)2月5日に大阪府大阪市で生まれるが、大阪大空襲で焼け出されて蒲郡に疎開、以降は蒲郡で育つ。谷口家は決して裕福ではない家庭であり、母はほとんど女手一つで正夫少年を含めた4人の子供を育て、針仕事や行商、時には土木作業で家計を支えた。そのような生い立ちが正夫少年に「母ちゃんのために、きっと家を建ててやるからな……。」という誓いを立てさせる動機となった。蒲郡市立蒲郡中学校時代は柔道で鳴らし、柔道部の1年先輩にあたる和晃(後に東前頭筆頭まで昇進)を遥かに凌ぐ実力で知られていた。警察官を目指していたが、竹内家の養子となった後、玉乃海太三郎(後の年寄片男波)に勧誘されて二所ノ関部屋に入門。1959年3月場所で初土俵、当初の四股名は玉乃嶋。入門時は173cm、67kgの体格であり、玉ノ海梅吉や自身のような腕力を身に付けさせようと、片男波は1日1000回の鉄砲のノルマを課した。

幕下時代に片男波の独立騒動が発生した際は片男波について行くことを選んだ。独立が承認された時も、玉乃嶋の素質を高く評価していた二所ノ関からは「どうにか連れて行かず残して欲しい」と言われたという。

1963年9月場所で新十両に昇進、1964年3月場所で新入幕を果たし、この翌場所に玉乃島と改名する。

系統別から部屋別総当たり制となった1965年1月場所の初日には、初対戦となった同門の横綱で兄弟子だった大鵬幸喜と対戦して勝利した(この一番が部屋別総当たり制の定着を決定づけたとも言われる)。また、大関昇進までに栃ノ海晃嘉・佐田の山晋松から2個ずつ金星を獲得し、1966年9月場所に関脇で11勝4敗の成績を上げ、ライバルの大関北の冨士勝明(当時)より1場所遅れて大関へ昇進した。

しかし大関昇進後の1年間は1桁勝ち星が続き、1967年3月場所には7勝8敗と負け越しを喫した(当時は「3場所連続負け越しで大関陥落」の制度だったため、次の同年5月場所は大関角番とならず)。1967年11月場所に11勝4敗と大関初の二桁勝利を果たして以降、終盤まで優勝争いに加わる好成績を挙げるようになり、1968年1月場所では12勝。3月場所は右ひざの負傷で出場が危ぶまれたものの連続して12勝をあげた。 続く5月場所では13勝2敗の成績で、自身念願の幕内初優勝を果たした。場所後に協会は玉乃島の横綱昇進を横綱審議委員会に諮問し、6人の委員のうち2人(上田英雄、御手洗辰雄)は横綱昇進に賛成したが、残る4人は「反対ではないが、今回は待つべき」として、否決された。事前の報道でも「微妙な13勝」「内容に乏しい」と評価されていて、横綱昇進は時期尚早との見方が強かった。

初顔合わせで勝利した大鵬にはその後も大鵬が「精神的に堅くなった」こともあり、一時は3勝1敗とリードしたが、対戦を重ねるにつれて逆に玉の海(玉乃島)が全く勝てなくなり、1965年9月場所から1969年7月場所までは1不戦勝を挟んで16連敗を喫した(最終対戦成績は玉の海の7勝21敗(うち不戦勝1)。他に優勝決定戦で1勝1敗)。大鵬は「玉の海君に上手さえ取らせなければ、左右どちらの四つでも相撲は取れるし、勝てる」と見ており、実際に玉の海が右四つに組んでも左上手が取れず、逆に大鵬が右の差し手からの寄りや掬い投げで玉の海を圧倒した。また、玉の海の大関時代までは大鵬が離れて相撲を取り、玉の海が懐に飛び込むこともできずに敗れる相撲も多く、地力の差を感じさせる内容となっていた。横綱昇進後も玉の海は大鵬に2度にわたり千秋楽に全勝を止められ、最後まで壁となった。

1969年9月場所に13勝2敗の成績で2度目の優勝を果たしたが、同年11月場所は10勝5敗に終わり、13勝2敗で優勝した北の富士と明暗を分ける格好となった。1970年1月場所は一人横綱の大鵬が休場で「(北の富士と玉乃島)二人にとっては優勝と横綱をかけて初場所だ」「四人の大関のなかでだれが優勝してもおかしくない」と予想され、横綱昇進を巡ってはライバルの北の富士は「12勝の準優勝で横綱になれる」と言われ、当の玉乃島に関しては「ともかく13勝をやることだ。過去2回も惜しいところで見送られた実績がある。審議会の中にもこの点で同情している人もいるじゃないか」と救いの手を差し伸べる意見が見られた。この場所は中日までに2敗したため、その時点では綱取りは駄目かと思われたが、残りをすべて勝って13勝2敗とし、北の富士との優勝決定戦には敗れたが、場所後に協会は北の富士・玉乃島2人をともに横審に諮問し、約1時間の審議の末、出席した7委員の満場一致で揃って横綱推薦を決めた。2場所連続優勝の北の富士は文句なしだったが、玉乃島は横審委員の野間省一から「先場所の10勝がきがかり」との懸念が出て、委員長の舟橋聖一も「わたし自身、三分の二ぐらいに議論が分れると思った」と審議を振り返ったが、大関時代の勝率は北の富士を上回ること、1月場所は北の富士を破って優勝同点に持ち込んだこと、過去二度横綱昇進を見送られているがその時よりも力を付けていること等の理由で高橋義孝、御手洗辰雄両委員が玉乃島の安定感を高く評価し、この意見が審議を圧倒した。

二人の横綱昇進によって「北玉時代」の到来といわれた。

横綱土俵入りは当時から後継者の少なかった「不知火型」を選択、土俵入りの指導は大鵬が務めた。これ以降、性格が正反対の玉の海と北の富士は親友になり、互いに「北さん(或いは北関)」「島ちゃん」と呼び合う間柄になった(「島ちゃん」は玉の海のかつての四股名「玉乃島」に由来する)。

新横綱となった1970年3月場所から、師匠である片男波の現役時代の四股名である「玉の海」を継いで玉の海 正洋と改めた。昇進伝達式では、本来「謹んでお受け致します」と言うべきところを「喜んでお受け致します」と言ってしまい、こうした事例に現れるような明朗快活な性格から当時は「現代っ子横綱」と呼ばれることが多かった。なお、昇進伝達式では「喜んでお受け致します」の続きとして「今後横綱としての体面をけがさぬよう努力いたします」と述べた。

横綱昇進以後、横綱3場所目(1970年7月場所)で9勝6敗の他は毎場所優勝を争い、12勝3敗も2場所のみ、1970年9月場所から4場所連続で14勝を挙げ、このうち3度は優勝した。大鵬とは連続して14勝1敗同士の優勝決定戦を行い、大鵬最後の優勝(通算32回目)を許した1971年1月場所には「何のこれしき。(自分が)弱いから負けるんだ」と発言して再起を誓った。地元名古屋での7月場所には夢の全勝優勝を果たし、多くの識者から「まもなく北玉時代から、玉の海独走時代になる」と期待され、双葉山の再来とまで呼ばれるようになった。

玉の海の横綱時代の戦績詳細は下記の通りである。また、同時代に横綱を張った北の富士、大鵬の成績も併せて記す。

在位10場所間、13勝以上を7場所記録。

1970年9月場所 - 1971年7月場所間、連続6場所勝利数84勝を記録。

1970年9月場所 - 1971年1月場所まで、3場所連続初日から14連勝を記録。

1970年11月場所 - 1971年5月場所まで、4場所連続優勝圏内千秋楽結びの一番出場(対戦相手:大鵬3回、北の富士1回)。

北の富士との対戦は1964年5月場所 - 1971年9月場所の45場所間に43回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は8回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が2回あった。千秋楽(太字)は、千秋楽結びの一番を示す。

両者横綱昇進以前の対戦成績(1970年1月場所まで)は、玉の海の17勝16敗。

両者横綱同士の対戦成績(1970年3月場所以降)は、北の富士の6勝4敗。

全勝優勝を飾った1971年7月場所前後に急性虫垂炎を発症、夏巡業の最中にその痛みに耐えきれずに途中休場するなど容態が芳しくなく、早急な手術が必要だった。しかし横綱としての責任感と、同年9月場所後に大鵬の引退相撲が控えており、手術して本場所を休場すれば大鵬の引退相撲にも出場できなくなるため、痛み止めの薬を刺し続けながら9月場所に強行出場した。この場所は肋骨を折ったにもかかわらず12勝を挙げたが、これが結果として玉の海の生命を縮めることとなってしまった。

10月2日の大鵬引退相撲では、大鵬最後の横綱土俵入りで太刀持ちを務め、翌日に行われた淺瀬川健次の引退相撲にも出場した。玉の海は出場後直ちに虎の門病院へ入院して虫垂炎の緊急手術を受けたが、腹膜炎寸前の危険な状態だったという。その時点での手術後の経過は順調で、10月12日に退院する予定だった。なお、この時点で11月場所の出場に関しては未定だったこともあり、本人も「退院後すぐに相撲は取れないが、(巡業先では)土俵下から挨拶でもしよう」と親しい人たちには伝えていたという。

ところが、退院前日の10月11日午前7時30分、起床して洗顔を終えて戻ったところ、突然右胸部の激痛を訴えてその場に倒れた。その時、既にチアノーゼ反応が起きており、顔は真っ青だったという。意識不明の状態で医師団の懸命な治療が行われ、一時は快方しかけたものの、その甲斐もなく午前11時30分に死亡が確認された。27歳だった。最期の言葉は「胸が苦しい…」という言葉であったという。急逝後、玉の海の遺体を病理解剖した結果、直接の死因は虫垂炎手術後に併発した急性冠症候群及び右肺動脈幹血栓症(現在の言い方では術後の肺血栓)であることが判明し、特に右の主管肺動脈には約5cmの血の塊が詰まっていたという。

余りにも突然の玉の海の死に角界には衝撃が走り、周囲の人々は狼狽し、ショックを隠し切れなかった。最大のライバルかつ親友だった北の富士は、巡業先の岐阜県羽島市で「玉の海関が亡くなりましたよ」との一報を聞いた時、最初は「解説の玉ノ海さん(玉ノ海梅吉)が亡くなったのか?」と思い、確認を取らせた。関係者が「現役横綱の玉の海関です」と伝えても北の富士は全く信じようとせず、「ふざけるのもいい加減にしろ!」と激怒したという。しかしその後、亡くなった人物が間違いなく親友の横綱・玉の海本人であるという事実が判った時、北の富士は「むごい……。島ちゃんがあまりにも可哀想だ……。」と、その場で人目もはばからず号泣した。

先に巡業を終えた北の富士は、玉の海の代理として地方巡業に参加し、不知火型で土俵入りを行った。

死去当時、玉の海の死に顔を見た人々は、口を揃えて「無念の形相だった」と語っていた。広い肩幅が最大の武器で相手に上手を与えなかった玉の海の納棺された姿を見ていた付け人の一人は「横綱、窮屈そうだな……。」と言い、その場にいた人々は涙が止まらなかったという。

没後に日本政府より勲四等瑞宝章が追贈された。

2021年10月1日までに玉の海の横綱推挙状が愛知県豊川市で見つかったことが分かった。日本相撲協会が贈った推挙状は玉の海が蒲郡中で柔道部所属時に顧問を務めていた河原照夫教諭の長男の自宅に保管されていた。

11日、玉の海の没後50年法要が墓所のある愛知県蒲郡市の天桂院にて行われた。発起人となった母校・蒲郡中学校の同級生ら25人をはじめ、同市の鈴木寿明市長ら約50人が訪れた。

北の富士は、玉の海の没後50年を迎えた際の電話取材で、当時の友人のまさかの死について「死ぬなんて思っていなかった」「驚いたというより、肉親が亡くなった時よりも泣いたな。人が死んで、あれだけ涙が出たのは生まれて初めてだった」と述懐した。

2022年9月23日、納棺時に僧侶が切り取って母親に手渡した玉の海の髷が保管されていたことが判明した。

2024年10月11日に市民グループ「第51代横綱玉の海を愛する会」によって愛知県蒲郡市に資料展示施設が仮オープンすることになった。

なお、大阪市北区にある太融寺には「玉の海正洋の碑」がある。

歴代横綱の中で唯一、初土俵以来皆勤(休場なし)であった。しかし、前述の通り虫垂炎が発覚しても入院を拒否して強行出場を続けた結果、自身の生命を縮めることになってしまった。

体重・上背はそれほどなかったが、反り腰の強さと右四つの型の完成度、「後の先」の立合いは「双葉山の再来」と言われ、投げ技も豪快だった。さらに寄りながら吊り上げる吊り出しの技術は相撲史上最高との評価もあった。欠点は脇の甘さで、大鵬・北の富士以外に長谷川・栃東といった左四つで前捌きの上手い相手には差し負けることが多かったが、横綱昇進後は左四つでも廻しを取れば下位に負けることはほとんど無くなった。高くまっすぐ上がる四股の美しさにも定評があった。

片男波は玉の海に対しては特に厳しく指導したとされ、大関時代に門限を破った罰として殴ったという事実も伝えられている(師匠の片男波は最高位が関脇であった)。後援者から「もう大関だから」とこれについて指摘されても「将来は横綱になる逸材だからこそ、緩めることはできない」と答えたという。この指導方法は、玉の海の強力な壁となった大鵬の育てられ方(大関になっても容赦なく師匠から殴られたという)と同質のものであった。

解説者の玉ノ海は大相撲中継で玉の海を褒めることがしばしばあり、放言とされかねない発言さえも笑っていた。ある場所のNHK中継で北出清五郎が「三人の玉の海の中で自分が一番偉い」と玉の海が尊大ですらある発言をしていたことを明かした際にも機嫌を損ねず、むしろ「自分は元関脇だからねえ」と素直に喜んでいたという。その素材が早くから認められていた証拠と言える。

大関に昇進してから1967年頃までは9勝6敗の成績が多かったため「クンロク大関」と呼ばれていた。ある日、玉の海は北の富士に対して「北の富士関、ぼく、最近、"カンロク大関"って言われています」と「クンロク大関」と呼ばれていることに気付いていない様子であった。北の富士も2022年3月場所初日のNHK大相撲中継で「貫禄と間違えてね、『とうとう俺たちも貫禄だな』」と同様の勘違いをしていたと明かした。

龍虎と並んでジャージを着用した力士のはしりとも言われる。ただし、玉の海はファッション目的ではなく、独自の調整法であるランニングのために着ていた。大関昇進後、玉の海は通常より1時間半早く起きてランニングを行うようになった。走っていた場所は明治神宮外苑の芝の上で、運動学も勉強していたので「神宮外苑の芝の上を走らないとヒザを傷める」と語っていた。ランニングは師匠の指示によって取り入れたという相撲専門文献の記述もあり、このランニングの習慣を一門の後輩である貴ノ花や輪島も取り入れていたことで知られる。1971年1月場所千秋楽の深夜、怪我で途中休場していた若き日の貴ノ花は飲酒して帰宅途中、ジャージ姿でランニング中の玉の海を目撃して我に返り、己の不甲斐なさを反省したという。この日、玉の海は14戦全勝で迎えた大鵬との本割・決定戦で連敗し、全勝優勝どころか優勝そのものまで逃したばかりだった。

横綱の現役死は1938年12月の玉錦以来だが、玉錦は二所ノ関一門の開祖であり、奇しくも玉の海は孫弟子に当たる。死因も同じ虫垂炎の悪化であった。

27歳の青年横綱である玉の海が急逝するとは当然ながら誰も夢にも思わなかったことで、片男波部屋には玉の海の手形が1枚も保管されていなかった。玉の海の死後、師匠の玉乃海太三郎が後援会に頼んで、かつて贈呈したものを返してもらわざるを得なかったほどであった。

若名乗りの玉乃島は、弟弟子の玉ノ富士が13代・片男波を継承したのち、弟子である玉乃島新に引き継がれた。

現役当時はボウリングが大好きで、亡くなる直前には女子プロボウラーとの婚約話も進んでいたと言われている。

玉の海の急死を教訓に、この悲劇を繰り返してはならないと当時の相撲診療所医師の林盈六が「力士の健康診断に血液検査は不可欠」と判断し、当時日本相撲協会・健康保険組合理事長だった二子山(初代若乃花)に『力士の健康診断の項目に血液検査を導入する』ことを提案し、実現させたという。

玉の海は自分の死を予感していたとも言われる。亡くなる前日の10月10日、部屋の女将が病院に見舞いに来た際、「昨日、突然心臓が痛み出して死ぬかと思いましたよ…」とポツリと述べたという。また、同じく見舞いに来た長谷川(佐渡ヶ嶽部屋)に対して「もう最後かもしれんから(俺の)写真を撮っておけ」とも言ったという。さらに、自身の入院直前に行われた大鵬の引退相撲の際には、二所ノ関一門の大麒麟(二所ノ関部屋)・琴櫻(佐渡ヶ嶽部屋)の両大関に対して「もし俺がいなくなったら、お前ら、後を頼むぞ」とまで言っていたことを、何人かの力士が証言している。余談ではあるが、玉の海が入院していた病室は、日本では“死”に通じると言われ、一般に縁起の悪い数字とされる「4」を2つも含む414号室であった。

現役最終場所となった1971年9月場所には、蒲郡市立西浦中学校柔道部の13年後輩である鳳凰(当時壁谷、後に関脇まで昇進)が古巣の二所ノ関部屋から初土俵を踏んでおり、翌11月場所の番付には玉の海と入れ替わるように新序ノ口となった壁谷の名前が掲載された。

通算成績:619勝305敗 勝率.670

幕内成績:469勝221敗 勝率.680

横綱成績:130勝20敗 勝率.867

大関成績:206勝94敗 勝率.687

現役在位:76場所

幕内在位:46場所

横綱在位:10場所

大関在位:20場所

三役在位:6場所(関脇4場所、小結2場所)

年間最多勝:1968年(69勝21敗)、1970年(75勝15敗・北の富士と同数)

連勝記録 :19(1971年7月場所初日 - 1971年9月場所4日目)

連続6場所勝利:84勝(1970年9月場所 - 1971年7月場所)

通算幕内連続勝ち越し記録:27場所(当時1位・2015年現在歴代6位、1967年5月場所 - 1971年9月場所)

幕内連続2桁勝利記録:9場所(1967年11月場所 - 1969年3月場所)

幕内連続12勝以上勝利:7場所(当時2位タイ・現在歴代7位タイ、1970年9月場所 - 1971年9月場所)

横綱10場所の成績は130勝20敗、1場所平均13勝2敗という恐るべき成績である。特に1970年9月場所以降に限っては96勝9敗、勝率は9割1分4厘に跳ね上がる。横綱在位中の勝率.867は、昭和以降では双葉山定次、白鵬翔に次ぐ第3位であり、その相撲の完成形を見ることが出来なかったのは考えられた以上に大きな損失だった。

生涯最後となった1971年9月場所では通算(幕内)連続勝ち越しが27場所におよび、玉錦の26場所を超える歴代新記録を達成していた(現在は歴代6位)。

横綱昇進後与えた金星は僅か3個(福の花孝一2個、藤ノ川武雄1個)で、中日(8日目)までの7日間に黒星を喫することは滅多に無かった。さらに1970年9月場所 - 1971年7月場所で、当時の最多記録である「6場所連続幕内中日勝ち越し」も達成していた。一方で千秋楽の本割には分が悪く3勝7敗(特に北の富士が相手の場合は1勝5敗だった)。

幕内最高優勝:6回(1968年5月場所、1969年9月場所、1970年9月場所、1970年11月場所、1971年3月場所、1971年7月場所)

    全勝優勝:1回(1971年7月場所)

    同点 2回

    次点 9回

    序二段優勝:1回(1959年7月場所)

    三賞:6回

      殊勲賞:4回(1965年3月場所・5月場所、1966年7月場所・9月場所)

      敢闘賞:2回(1966年1月場所・5月場所)

      金星:4個(栃ノ海2個、佐田の山2個)

      他に優勝決定戦で北の富士に1敗、大鵬に1勝1敗がある。

      玉乃嶋 正夫(たまのしま まさお)1959年3月場所 - 1964年3月場所

      玉乃島 正夫(たまのしま まさお)1964年5月場所 - 1970年1月場所

      玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)1970年3月場所 - 1971年9月場所

      ^ この愛称は、玉の海よりもむしろ玉の海のライバルだった北の富士勝昭に対して使われることが多い。

      ^ 1968年5月場所は大鵬が全休、柏戸が8日目から途中休場し、玉の海(玉乃島)は横綱との対戦がなかった。特に、大鵬には大関昇進後この時までまだ1度も勝利していなかった。また、3月場所は5日目、5月場所は7日目までにいずれも2敗を喫していた。

      ^ ただしこの横審で委員長の舟橋聖一が「疑惑を招くような相撲を絶滅して欲しい」と協会に要望し(朝日新聞1970年1月29日付朝刊スポーツ面)、千秋楽の北の富士-玉乃島戦を念頭に八百長の存在を指摘している。

      ^ 玉乃島の横綱昇進について、相撲解説者の神風正一は「当てはまるときに横綱にしてなくて、当てはまらないときにしたのはおかしい」と横審の態度に疑義を呈し、朝日新聞の解説では「意外としかいいようがない」「大鵬に衰微がはっきりしている危機感、北の富士一人を推して重荷を負わせるより「北玉時代」を築くムードづくりなどのいわゆる興行的なねらいもあって諮問した感じがしないでもない」と指摘している(いずれも朝日新聞1970年1月27日付朝刊スポーツ面)。

      ^ 大鵬は雲龍型だが玉の海とは同門で、当時生存していた不知火型の元横綱は吉葉山(立浪一門)のみであった。

      ^ 梅吉は当時58歳であり、当時の元力士のおおよその平均寿命を考えると無理からぬ問いであった。尚、梅吉は玉の海の死去から17年強が経過した1988年10月23日に満75歳で死去した。

      ^ 「腰が軽くなる」と言われ、当時の角界ではタブー視されていた。

      ^ 現在の連続勝ち越し記録の1位は、通算では武蔵丸光洋の55場所、幕内では白鵬の51場所。

      ^ それから41年後白鵬が2011年1月場所から2012年3月場所まで、「7場所連続幕内中日勝ち越し」を達成し玉の海の6場所を更新。現在「連続幕内中日勝ち越し」の最多記録は同じく白鵬で、2013年3月場所から2014年9月場所の「10場所連続」。

      ^ 北の富士と優勝決定戦。

      ^ 大鵬と優勝決定戦。

      ^ 9月場所後の10月11日に死去。

      ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p22。

      ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 創業70周年特別企画シリーズ②(別冊師走号、2016年)73ページ。

      ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p33。

      ^ 玉乃島は出場 大相撲春場所『朝日新聞』1968年(昭和45年)3月8日夕刊 3版 10面

      ^ 朝日新聞1968年5月28日付朝刊

      ^ 朝日新聞1968年5月27日付朝刊

      ^ 「大鵬自伝」(大鵬幸喜著、ベースベールマガジン社刊、1972年)、176頁で大鵬自身が認めている。

      ^ 前記「大鵬自伝」、223頁。

      ^ 朝日新聞1970年1月10日付朝刊スポーツ面

      ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p92-97。

      ^ 朝日新聞1970年1月27日付朝刊スポーツ面

      ^ 朝日新聞1970年1月28日付夕刊社会面

      ^ 朝日新聞1970年1月30日付朝刊スポーツ面

      ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p63

      ^ “「俺が死んだ方が」北の富士が語る悲運の横綱玉の海、27歳の死から50年”. 日刊スポーツ (2021年10月11日). 2023年7月22日閲覧。

      ^ 「俺が死んだ方が」北の富士が語る悲運の横綱玉の海、27歳の死から50年 日刊スポーツ 2021年10月11日14時7分 (2021年12月2日閲覧)

      ^ 本来、北の富士の土俵入りは雲龍型である。

      ^ “天龍源一郎が語る“大人” 20歳で貴ノ花に敗北感 リック・フレアーと北の富士に学ぶ大人の振る舞い | AERA dot. (アエラドット)”. AERA dot. (アエラドット) (2021年1月10日). 2024年1月29日閲覧。

      ^ "玉の海 正洋(読み)タマノウミ マサヒロ". コトバンク. 朝日新聞社. 2020年3月15日閲覧。

      ^ 玉の海の「横綱推挙状」見つかる 悲劇の力士、没50年を前に 山陽新聞 2021年10月01日 07時45分 更新 (2021年11月13日閲覧)

      ^ 元横綱玉の海、没後50年法要営まれる 北の富士とともに「北玉時代」築く 日刊スポーツ 2021年10月12日7時38分 (2021年10月20日閲覧)

      ^ ライバルであり友人「友情の土俵入り」が示した北の富士と玉の海の結びつき 日刊スポーツ 2021年10月23日10時0分 (2021年10月24日閲覧)

      ^ 共同通信 (2022年9月23日). “形見の人物画、まげ発見 横綱玉の海展で10月初公開 | 共同通信”. 共同通信. 2022年9月23日閲覧。

      ^ “元横綱・玉の海の遺品資料室開設 27歳で急逝、同級生ら手作りで”. 共同通信. 2024年10月1日閲覧。

      ^ “太融寺について”. 高野山真言宗 佳木山 太融寺. 2024年10月1日閲覧。

      ^ 『相撲』(別冊師走号)74ページから76ページ。

      ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P161-162。

      ^ 北の富士氏、クンロクとカンロクを勘違い「とうとう俺たちも貫禄」 SANSPO.COM 2022/03/14 08:00 (2022年6月27日閲覧)

      ^ 歴代唯一!「休場ゼロ」の横綱・玉の海は何が凄かったのか - NEWSポストセブン2021年5月9日配信記事より、玉輝山正則談。

      ^ “天龍源一郎が語る“時代・昭和編” 真冬でもアロハシャツを着る昭和のレジェンドといえば? | AERA dot. (アエラドット)”. AERA dot. (アエラドット) (2023年1月8日). 2024年1月29日閲覧。

      ^ 『あの人は今こうしている - 林盈六さん』日刊ゲンダイ 2015年5月21日付17面

      横綱一覧

      大相撲優勝力士一覧

      現役中に死亡した力士一覧

      高見山酉之助

      常陸山谷右エ門

      太刀山峯右エ門

      鳳谷五郎

      両國勇治郎

      西ノ海嘉治郎 (2代)

      大錦卯一郎

      栃木山守也

      常ノ花寛市

      鶴ヶ濱増太郎

      西ノ海嘉治郎 (3代)

      大蛇山酉之助

      宮城山福松

      常陸岩英太郎

      能代潟錦作

      玉錦三右エ門

      豊國福馬

      山錦善治郎

      武藏山武

      綾櫻由太郎

      清水川元吉

      沖ツ海福雄

      男女ノ川登三

      双葉山定次

      出羽湊利吉

      安藝ノ海節男

      羽黒山政司

      佐賀ノ花勝巳

      前田山英五郎

      備州山大八郎

      東富士欽壹

      増位山大志郎

      千代の山雅信

      照國萬藏

      栃錦清隆

      鏡里喜代治

      時津山仁一

      吉葉山潤之輔

      三根山隆司

      朝潮太郎 (3代)

      若乃花幹士 (初代)

      安念山治

      玉乃海太三郎

      若羽黒朋明

      若三杉彰晃

      大鵬幸喜

      柏戸剛

      佐田の山晋松

      栃ノ海晃嘉

      北葉山英俊

      富士錦猛光

      北の富士勝昭

      若浪順

      玉の海正洋

      琴櫻傑將

      清國勝雄

      栃東知頼

      長谷川勝敏

      輪島大士

      高見山大五郎

      北の湖敏満

      魁傑將晃

      貴ノ花健士

      金剛正裕

      三重ノ海剛司

      若乃花幹士 (2代)

      千代の富士貢

      琴風豪規

      隆の里俊英

      北天佑勝彦

      若嶋津六夫

      多賀竜昇司

      朝潮太郎 (4代)

      北勝海信芳

      大乃国康

      旭富士正也

      小錦八十吉

      霧島一博

      琴富士孝也

      琴錦功宗

      貴乃花光司

      曙太郎

      水戸泉政人

      若乃花勝

      武蔵丸光洋

      貴ノ浪貞博

      千代大海龍二

      出島武春

      武双山正士

      貴闘力忠茂

      魁皇博之

      琴光喜啓司

      栃東大裕

      朝青龍明徳

      白鵬翔

      琴欧洲勝紀

      日馬富士公平

      把瑠都凱斗

      旭天鵬勝

      鶴竜力三郎

      照ノ富士春雄

      琴奨菊和弘

      豪栄道豪太郎

      稀勢の里寛

      栃ノ心剛史

      御嶽海久司

      貴景勝貴信

      玉鷲一朗

      朝乃山英樹

      德勝龍誠

      正代直也

      大栄翔勇人

      若隆景渥

      逸ノ城駿

      阿炎政虎

      霧島鐵力

      豊昇龍智勝

      尊富士弥輝也

      大の里泰輝

      一覧

      年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。

      1958 若乃花幹士

      1959 栃錦清隆

      1960 若乃花幹士(※)

      1961 大鵬幸喜

      1962 大鵬幸喜

      1963 大鵬幸喜

      1964 大鵬幸喜

      1965 佐田の山晋松

      1966 大鵬幸喜(※)

      1967 大鵬幸喜

      1968 玉乃島正夫

      1969 大鵬幸喜(※)

      1970 北の富士勝昭

      1971 玉の海正洋(※)

      1972 貴ノ花満(※)

      1973 輪島大士

      1974 北の湖敏満

      1975 三重ノ海五郎(※)

      1976 輪島大士

      1977 輪島大士(※)

      1978 北の湖敏満

      1979 北の湖敏満

      1980 北の湖敏満

      1981 千代の富士貢(※)

      1982 千代の富士貢

      1983 隆の里俊英

      1984 若嶋津六夫

      1985 千代の富士貢

      1986 千代の富士貢

      1987 千代の富士貢(※)

      1988 千代の富士貢(※)

      1989 千代の富士貢(※)

      1990 旭富士正也

      1991 小錦八十吉(※)

      1992 貴花田光司

      1993 曙太郎

      1994 貴乃花光司

      1995 貴乃花光司

      1996 貴乃花光司

      1997 貴乃花光司

      1998 若乃花勝

      1999 武蔵丸光洋

      2000 曙太郎

      2001 武蔵丸光洋

      2002 朝青龍明徳

      2003 朝青龍明徳

      2004 朝青龍明徳

      2005 朝青龍明徳

      2006 朝青龍明徳

      2007 白鵬翔

      2008 白鵬翔

      2009 白鵬翔

      2010 白鵬翔

      2011 白鵬翔

      2012 白鵬翔

      2013 白鵬翔

      2014 白鵬翔

      2015 白鵬翔

      2016 日馬富士公平(※)

      2017 受賞者なし

      2018 栃ノ心剛史

      2019 白鵬翔(※)

      2020 貴景勝光信

      2021 照ノ富士春雄

      2022 若隆景渥

      2023 霧島鉄力

      1957 栃錦清隆

      1958 若乃花幹士

      1959 栃錦清隆

      1960 大鵬幸喜

      1961 大鵬幸喜

      1962 大鵬幸喜

      1963 大鵬幸喜

      1964 大鵬幸喜

      1965 佐田の山晋松

      1966 柏戸剛

      1967 大鵬幸喜 / 柏戸剛

      1968 玉乃島正夫

      1969 北の富士勝昭

      1970 北の富士勝昭 / 玉の海正洋

      1971 北の富士勝昭

      1972 輪島大士

      1973 輪島大士

      1974 北の湖敏満

      1975 北の湖敏満

      1976 輪島大士

      1977 北の湖敏満

      1978 北の湖敏満

      1979 北の湖敏満

      1980 北の湖敏満

      1981 北の湖敏満

      1982 千代の富士貢

      1983 隆の里俊英

      1984 若嶋津六夫

      1985 千代の富士貢

      1986 千代の富士貢

      1987 北勝海信芳

      1988 旭富士正也

      1989 北勝海信芳

      1990 旭富士正也

      1991 霧島一博

      1992 貴花田光司

      1993 曙太郎

      1994 貴乃花光司

      1995 貴乃花光司

      1996 貴乃花光司

      1997 貴乃花光司

      1998 若乃花勝

      1999 武蔵丸光洋

      2000 曙太郎

      2001 武蔵丸光洋

      2002 朝青龍明徳

      2003 朝青龍明徳

      2004 朝青龍明徳

      2005 朝青龍明徳

      2006 朝青龍明徳

      2007 白鵬翔

      2008 白鵬翔

      2009 白鵬翔

      2010 白鵬翔

      2011 白鵬翔

      2012 白鵬翔

      2013 白鵬翔

      2014 白鵬翔

      2015 白鵬翔

      2016 稀勢の里寛

      2017 白鵬翔

      2018 栃ノ心剛史

      2019 朝乃山英樹

      2020 貴景勝光信

      2021 照ノ富士春雄

      2022 若隆景渥

      2023 霧島鐵力

      初代明石志賀之助

      2代綾川五郎次

      3代丸山権太左衛門

      4代谷風梶之助

      5代小野川喜三郎

      6代阿武松緑之助

      7代稲妻雷五郎

      8代不知火諾右衛門

      9代秀ノ山雷五郎

      10代雲龍久吉

      11代不知火光右衛門

      12代陣幕久五郎

      13代鬼面山谷五郎

      14代境川浪右衛門

      15代梅ヶ谷藤太郎(初代)

      16代西ノ海嘉治郎(初代)

      17代小錦八十吉

      18代大砲万右エ門

      19代常陸山谷右エ門

      20代梅ヶ谷藤太郎(2代)

      21代若嶌權四郎

      22代太刀山峯右エ門

      23代大木戸森右エ門

      24代鳳谷五郎

      25代西ノ海嘉治郎(2代)

      26代大錦卯一郎

      27代栃木山守也

      28代大錦大五郎

      29代宮城山福松

      30代西ノ海嘉治郎(3代)

      31代常ノ花寛市

      32代玉錦三右エ門

      33代武藏山武

      34代男女ノ川登三

      35代双葉山定次

      36代羽黒山政司

      37代安藝ノ海節男

      38代照國萬藏

      39代前田山英五郎

      40代東富士欽壹

      41代千代の山雅信

      42代鏡里喜代治

      43代吉葉山潤之輔

      44代栃錦清隆

      45代若乃花幹士(初代)

      46代朝潮太郎

      47代柏戸剛

      48代大鵬幸喜

      49代栃ノ海晃嘉

      50代佐田の山晋松

      51代玉の海正洋

      52代北の富士勝昭

      53代琴櫻傑將

      54代輪島大士

      55代北の湖敏満

      56代若乃花幹士(2代)

      57代三重ノ海剛司

      58代千代の富士貢

      59代隆の里俊英

      60代双羽黒光司

      61代北勝海信芳

      62代大乃国康

      63代旭富士正也

      64代曙太郎

      65代貴乃花光司

      66代若乃花勝

      67代武蔵丸光洋

      68代朝青龍明徳

      69代白鵬翔

      70代日馬富士公平

      71代鶴竜力三郎

      72代稀勢の里寛

      73代照ノ富士春雄

      雷電爲右エ門

      161代 能代潟錦作

      162代 常陸岩英太郎

      163代 豊國福馬

      164代 玉錦三右エ門

      165代 武藏山武

      166代 清水川元吉

      167代 男女ノ川登三

      168代 双葉山定次

      169代 鏡岩善四郎

      170代 前田山英五郎

      171代 羽黒山政司

      172代 安藝ノ海節男

      173代 五ツ嶋奈良男

      174代 照國万蔵

      175代 名寄岩静男

      176代 佐賀ノ花勝巳

      177代 東冨士謹一

      178代 汐ノ海運右衛門

      179代 増位山大志郎

      180代 千代ノ山雅信

      181代 吉葉山潤之輔

      182代 鏡里喜代治

      183代栃錦清隆

      184代 三根山隆司

      185代 大内山平吉

      186代 松登晟郎

      187代 若乃花勝治

      188代 朝汐太郎

      189代 琴ヶ濱貞雄

      190代 若羽黒朋明

      191代 柏戸剛

      192代 大鵬幸喜

      193代 北葉山英俊

      194代 佐田の山晋松

      195代 栃ノ海晃嘉

      196代 栃光正之

      197代 豊山勝男

      198代 北の富士勝昭

      199代 玉乃島正夫

      200代 琴櫻傑將

      201代 清國勝雄

      202代 前の山太郎

      203代 大麒麟將能

      204代 輪島大士

      205代 貴ノ花利彰

      206代 大受久晃

      207代 北の湖敏満

      208代 魁傑將晃

      209代 三重ノ海剛司

      210代 旭國斗雄

      211代 若三杉壽人

      212代 増位山太志郎

      213代 千代の富士貢

      214代 琴風豪規

      215代 隆の里俊英

      216代 若嶋津六夫

      217代 朝潮太郎

      218代 北天佑勝彦

      219代 大乃国康

      220代 北尾光司

      221代 北勝海信芳

      222代 小錦八十吉

      223代 旭富士正也

      224代 霧島一博

      225代 曙太郎

      226代 貴ノ花光司

      227代 若ノ花勝

      228代 貴ノ浪貞博

      229代 武蔵丸光洋

      230代 千代大海龍二

      231代 出島武春

      232代 武双山正士

      233代 雅山哲士

      234代 魁皇博之

      235代 栃東大裕

      236代 朝青龍明徳

      237代 琴欧洲勝紀

      238代 白鵬翔

      239代 琴光喜啓司

      240代 日馬富士公平

      241代 把瑠都凱斗

      242代 琴奨菊和弘

      243代 稀勢の里寛

      244代 鶴竜力三郎

      245代 豪栄道豪太郎

      246代 照ノ富士春雄

      247代 髙安晃

      248代 栃ノ心剛史

      249代 貴景勝貴信

      250代 朝乃山英樹

      251代 正代直也

      252代 御嶽海久司

      253代 霧島鐵力

      254代 豊昇龍智勝

      255代 琴櫻将傑

      256代 大の里泰輝

      春日由三

      吉本明光

      中山晋平

      春日由三

      吉川義雄

      春日由三

      吉川義雄

      川村専一

      狩野近雄

      河上英一

      笹本恭彦

      明瀬裕

      池田太郎

      牧定忠

      春日由三

      吉川義雄

      渋沢秀雄

      横山隆一

      西崎緑

      貝谷八百子

      田付辰子

      メイ牛山

      春日由三

      吉川義雄

      岩田専太郎

      勅使河原蒼風

      千代の山雅信

      小山いと子

      吉村公三郎

      市川翠穂

      マヤ片岡

      春日由三

      吉川義雄

      三國連太郎

      小西得郎

      栃錦清隆

      青木茂高

      河上牧子

      水木洋子

      坂西志保

      田村佐紀子

      吾妻徳穂

      吉川義雄

      田中角栄

      菊田一夫

      若乃花勝治

      金田正一

      奥むめお

      森田たま

      細川ちか子

      近藤百合子

      吉川義雄

      横山泰三

      水原茂

      稲垣浩

      朝汐太郎

      沢田美喜

      杉村春子

      戸川エマ

      赤堀全子

      吉川義雄

      木下惠介

      大宅壮一

      杉浦幸雄

      若羽黒朋明

      長谷川春子

      大濱英子

      榊淑子

      谷桃子

      吉川義雄

      秋山登

      唐島基智三

      柏戸剛

      松本幸四郎

      中村汀女

      田中絹代

      秋山ちえ子

      江上トミ

      長沢泰治

      土門拳

      高田元三郎

      仲代達矢

      大鵬幸喜

      和田夏十

      勅使河原霞

      村山リウ

      森光子

      長沢泰治

      工藤昭四郎

      東郷青児

      森英恵

      大山康晴

      山内一弘

      佐田の山晋松

      藤間紫

      岡田茉莉子

      十返千鶴子

      浪花千栄子

      長沢泰治

      細川隆元

      丹羽文雄

      實川延若

      中西太

      栃ノ海晃嘉

      飯田蝶子

      貞閑晴

      新珠三千代

      花柳壽輔

      佐久間良子

      長沢泰治

      大林清

      北葉山英俊

      林与一

      古賀忠道

      春風亭柳橋

      岩下志麻

      司葉子

      長谷川町子

      林美智子

      吉屋信子

      坂本朝一

      円地文子

      安達曈子

      入江美樹

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      松下幸之助

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      今井通子

      大谷直子

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      中道定雄

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      樋口久子

      小林弘

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      志村喬

      武原はん

      玉の海正洋

      中山律子

      仲代達矢

      小野田勇

      浪花家辰造

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      大山英子

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      中山きよ子

      樫山文枝

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      森戸辰男

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      中原誠

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      中村汀女

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      栗原小巻

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      根本良夫

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      吉永小百合

      加藤剛

      三林京子

      大竹しのぶ

      古葉竹識

      三重ノ海五郎

      池田彌三郎

      浅丘ルリ子

      中村梅之助

      小野清子

      村上隆

      堤加蓉子

      カロリーナ・ピレス・ド・リオ

      若三杉壽人

      川上哲治

      川口幹夫

      市川染五郎

      上田利治

      旭國斗雄

      水島新司

      川橋幸子

      橋田壽賀子

      新井春美

      竹下景子

      川口幹夫

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      岩下志麻

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      八千草薫

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      森下洋子

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      加藤好雄

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      菅原文太

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      松本零士

      重兼芳子

      古葉竹識

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      加藤好雄

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      渡辺一雄

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      緒形拳

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      高橋洋子

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      澤地久枝

      香川宏

      生沼スミエ

      玉の海梅吉

      森英恵

      山藤章二

      池上季実子

      広岡達朗

      村松友視

      真野響子

      滝田栄

      橋田壽賀子

      前橋汀子

      市川猿之助

      香川宏

      三船敏郎

      松本幸四郎

      大原麗子

      田淵幸一

      樋口久子

      松坂慶子

      田中裕子

      隆の里俊英

      谷川浩司

      林真理子

      胡桃沢耕史

      宮尾登美子

      山口小夜子

      役所広司

      菊池綜一

      江上由美

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      黒柳朝

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      俵万智

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      千代の富士貢

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      沖清司

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      森口祐子

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      田中好子

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      ミヤコ蝶々

      曙太郎

      古橋廣之進

      大林素子

      松尾武

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      川本ゆかり

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      上田洋一

      古田敦也

      田村亮子

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      竹中直人

      原辰徳

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      上田洋一

      有森裕子

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      清水市代

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      周防正行

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      吉行あぐり

      大橋晴夫

      清水宏保

      藤原紀香

      琴錦功宗

      中村玉緒

      松平健

      俵万智

      ジェームス三木

      服部道子

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      浅利純子

      伊東律子

      出島武春

      松嶋菜々子

      内館牧子

      野村萬斎

      田村亮子

      津川雅彦

      草笛光子

      阿久悠

      福嶋晃子

      乙武洋匡

      伊東律子

      田村亮子

      長嶋茂雄

      高橋尚子

      渡辺謙

      池内淳子

      佐々木主浩

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      井上康生

      木村佳乃

      内藤國雄

      出田幸彦

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      室伏広治

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      出田幸彦

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      永野芽郁

      中村勘九郎

      夏井いつき

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      長谷部誠

      井上尚弥

      上沼恵美子

      サンドウィッチマン

      渋野日向子

      瀬戸大也

      田中圭

      戸田恵梨香

      中西麻耶

      長谷川博己

      広瀬すず

      吉野彰

      黒柳徹子

      サンドウィッチマン

      杉咲花

      染谷将太

      チコちゃん

      宮崎美子

      宮本亞門

      室伏広治

      吉沢亮

      石川佳純

      清原果耶

      小池栄子

      坂口健太郎

      谷真海

      三谷幸喜

      芦田愛菜

      黒柳徹子

      西村宏堂

      羽生結弦

      坂東彌十郎

      福原遥

      松本潤

      村上宗隆

      森保一

      吉田都

      北口榛花

      国枝慎吾

      堺雅人

      俵万智

      寺島しのぶ

      寺田宜弘

      バカリズム

      吉高由里子

      人物の画像提供依頼

      愛知県出身の大相撲力士

      二所ノ関部屋

      片男波部屋

      横綱

      NHK紅白歌合戦審査員

      勲四等瑞宝章受章者

      愛知県出身の人物

      大阪市出身の人物

      1944年生

      1971年没

2024/11/20 21:56更新

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尾崎 士郎(おざき しろう)
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尾崎 士郎(おざき しろう、1898年(明治31年)2月5日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の小説家。新聞連載小説『人生劇場』がヒットし、流行作家になった。 川崎市の春秋苑

山本 米治(やまもと よねじ)
1902年2月5日生まれの有名人 愛知出身

山本 米治(やまもと よねじ、1902年2月5日 - 1993年11月30日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。国際決済銀行理事、大蔵政務次官。金融財政通として国会内外に知られた。 愛知県蒲郡町…


千葉 実裸(ちば みら)
1986年2月5日生まれの有名人 愛知出身

千葉 美裸(ちば みら、1986年〈昭和61年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉12月)は、日本の女優、シンガーソングライター。ロックバンドSCARLET DIVAのボーカル、愛知県出身。アンビバ…

丸山 泰資(まるやま たいすけ)
1995年2月5日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 丸山 泰資(まるやま たいすけ、1995年2月5日 - )は、愛知県常滑市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 常滑…

瀬戸 貴幸(せと たかゆき)
1986年2月5日生まれの有名人 愛知出身

瀬戸 貴幸(せと たかゆき、1986年2月5日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー選手。ルーマニア1部・ペトロルル・プロイェシュティ所属。ポジションは、ミッドフィールダー。 小学校時代は名古屋F…

千葉 美裸(ちば みら)
1986年2月5日生まれの有名人 愛知出身

千葉 美裸(ちば みら、1986年〈昭和61年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉12月)は、日本の女優、シンガーソングライター。ロックバンドSCARLET DIVAのボーカル、愛知県出身。アンビバ…


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玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう)
1923年1月2日生まれの有名人 大分出身

玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全…


玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち)
1912年11月30日生まれの有名人 長崎出身

玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめき…

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