田代喜久雄の情報(たしろきくお) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
田代 喜久雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
田代喜久雄と関係のある人
和田俊: 田代喜久雄 - 桑田弘一郎 - 伊藤邦男 - 広瀬道貞 - 黒柳徹子 - 大橋巨泉 - 福岡政行 - 青木功 - 糸井重里 - 栗山英樹 - 黒鉄ヒロシ - タモリ - 古舘伊知郎 - 富川悠太 - 小木逸平 - 大越健介 - 香取慎吾 白木清か: 田代喜久雄 - 桑田弘一郎 - 伊藤邦男 - 広瀬道貞 - 黒柳徹子 - 大橋巨泉 - 福岡政行 - 青木功 - 糸井重里 - 栗山英樹 - 黒鉄ヒロシ - タモリ - 古舘伊知郎 - 富川悠太 - 小木逸平 - 大越健介 - 香取慎吾 上前淳一郎: 田代喜久雄 - 元テレビ朝日社長、上前の上司 河野明子: 田代喜久雄 - 桑田弘一郎 - 伊藤邦男 - 広瀬道貞 - 黒柳徹子 - 大橋巨泉 - 福岡政行 - 青木功 - 糸井重里 - 栗山英樹 - 黒鉄ヒロシ - タモリ - 古舘伊知郎 - 富川悠太 - 小木逸平 - 大越健介 - 香取慎吾 中川英造: 1983年(昭和58年)6月、後任の田代喜久雄に道を譲り相談役に退く。 小田久栄門: これが実現するにあたっては、朝日新聞社会部出身で、テレビできちんとしたニュース番組をやりたいという希望をかねがね持っていた田代喜久雄社長の決断も大きかった。 桑田弘一郎: ^ 「全国朝日放送社長に桑田弘一郎顧問選任 田代喜久雄社長は相談役に」『日本経済新聞』12頁 1989年6月30日 菅沼栄一郎: 田代喜久雄 - 桑田弘一郎 - 伊藤邦男 - 広瀬道貞 - 黒柳徹子 - 大橋巨泉 - 福岡政行 - 青木功 - 糸井重里 - 栗山英樹 - 黒鉄ヒロシ - タモリ - 古舘伊知郎 - 富川悠太 - 小木逸平 - 大越健介 - 香取慎吾 |
田代喜久雄の情報まとめ
田代 喜久雄(たしろ きくお)さんの誕生日は1917年4月22日です。熊本出身の経営者のようです。
テレビ、卒業、事件、現在に関する情報もありますね。1993年に亡くなられているようです。
田代喜久雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田代 喜久雄(たしろ きくお、1917年〈大正6年〉4月22日 - 1993年〈平成5年〉5月14日)は、日本の新聞記者・実業家。朝日新聞社専務を経て、全国朝日放送(テレビ朝日)社長を務めた。熊本県出身。 早稲田大学第一文学部仏文学科卒業。1940年(昭和15年)満州経済社を経て、朝日新聞社に入社。翌年9月応召され、南方で左肩貫通銃創を負い、内地に移送。回復後は鹿児島で本土決戦に備えていて、陸軍中尉で敗戦を迎えた。45年晩秋、「ただいま、帰りました」と兵隊そのままの挨拶をして、編集局に復帰した。 1954年(昭和29年)に社会部次長に就き、読解力の正しさ、判断力の正しさ、決断の速さ、よく部員の話に耳を傾けることで、このデスクは一躍人気を集め、59年6月、社会部長に任じられた。60年安保という戦後節目の季節が近づく中、「田代でないと安保は乗り切れない」と、時の編集局長広岡知男(のち社長)が考えての登用だった。部長在任は5年近くに及び、田代は紙面の近代化を図った。新設された第2社会面を活用して、扱う分野を硬派の領域にまで押し広げた。社会現象を表面的、細切れ的に追うのではなく、巨視的、重点的に掘り下げるべく、部下を𠮟咤した。解説雑報を導入し、長尺のルポを載せた。そのために、これはという記者を投入して、思い切って個性的な記事を書かせた。疋田桂一郎(のち天声人語子)や本多勝一の多用はその表れである。当時の部下には上前淳一郎もいた。 1962年(昭和37年)3月、読者からの投書で欧州で起きた「サリドマイド薬害」のことを知った田代は、特派員を通じて欧州の実態をつかみ、厚生省の対応を迫った上で記事にさせた。投書から2ヵ月たった5月17日付夕刊社会面に「自主的に出荷停止、イソミンとプロバンM」の見出しが出た。これがサリドマイド薬害の初報で、その夜から社会部には読者の問い合わせ、製薬会社の抗議、反論、訂正要求が殺到した。翌日、大日本製薬(現:住友ファーマ)の宮武徳次郎社長が幹部数人を従え乗り込んできて、激論数時間やりあうが、「あすはこういう記事が載ります。反論があれば用意しておいて下さい」という記事掲載の予告に始まり、宮武と田代が会合するようになり、さらに宮武が「どないしたらええんやろかナ」と悩みは相談するまでになっていく。 名社会部長と称されたが、田代はその反面でえこひいきし、取り巻きを作った。「殺してやりたい」といった部員もいたというから穏やかではない。 編集局次長、編集審議室幹事、西部本社編集局長を経て、1966年(昭和41年)7月東京本社編集局長となる。これは信夫韓一郎の強い推挙があったといわれる。69年3月取締役・東京本社編集局長、12月常務・編集担当。 1971年(昭和46年)12月常務・東京本社代表・総合企画室担当、74年6月専務・東京本社代表・総合企画室担当、77年12月専務・東京本社代表・電子計算機担当。この間、東京本社の有楽町から築地へ移転計画をまとめ、80年4月に東京本社ビルが竣工に漕ぎ着ける。 村山騒動では反村山家の急先鋒で鳴らした一方、出世の階段を上り詰め、社長の椅子を目前にすると村山家懐柔に動くなど、目的のためには手段を選ばない面もあった。結果的に、専務止まりで新聞社の頂点には立てず、テレビに転出する。 1981年(昭和56年)6月、全国朝日放送副社長に転じる(83年社長に昇格)。六本木6丁目の老朽化していた本社スタジオの建て替えに際して、森ビルに協力を要請し、計画を進めていたアークヒルズの設計を急遽変更してもらって、再開発期間中の移転先として、アークヒルズ内にテレビスタジオ(テレビ朝日アーク放送センター)を組み込ませる約束を取り付け、このテレビスタジオの土地と建物を、六本木6丁目の敷地の一部と交換し、森ビルと一緒に「六本木六丁目地区第一種市街地再開発事業」(六本木ヒルズ)に進むことで合意する。 「おれにはニュースしかわからないから」と言って、1985年(昭和60年)10月7日、竣工したアーク放送センターで久米宏をメインキャスターに据え、報道番組としては異例のコメンテーターを配し、メインキャスターがニュースに私見を述べるスタイルの社運をかけた『ニュースステーション』をスタートさせた。その一方で、同月にはアフタヌーンショー で「やらせリンチ事件」が発覚し、視聴者に謝罪するため生出演するが、番組は打ち切りとなった。 1989年(平成元年)6月、代表取締役相談役に退く。なお、田代以降、朝日新聞の社長レースに破れた者がテレビに移るというのは定番コースになる。 1993年5月14日、肝不全のため76歳で死去。 ^ 河谷 2012, p. 234. ^ 河谷 2012, p. 237. ^ 河谷 2012, p. 236 - 237. ^ 河谷 2012, p. 239 - 240. ^ 河谷 2012, p. 240. ^ 河谷 2012, p. 241. ^ 河谷 2012, p. 242. ^ 河谷 2012, p. 243. ^ 森 2009, p. 184 - 185. ^ 中川 2019, p. 169. ^ 森 2009, p. 185. ^ 河谷 2012, p. 245. 森稔『ヒルズ 挑戦する都市』朝日新書、2009年10月。ISBN 4022733004。 河谷史夫『新聞記者の流儀 戦後24人の名物記者たち』朝日文庫、2012年7月。ISBN 978-4022617293。 中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社、2019年12月。ISBN 978-4065180877。 表 話 編 歴 赤尾好夫 1957.11-1960.11 大川博 1960.11-1964.11 赤尾好夫 1964.11-1965.3 山内直元 1965.3-1970.4 横田武夫 1970.4-1974.11 高野信 1974.11-1981.6 中川英造 1981.6-1983.6 田代喜久雄 1983.6-1989.6 桑田弘一郎 1989.6-1993.6 伊藤邦男 1993.6-1999.6 広瀬道貞 1999.6-2005.6 君和田正夫 2005.6-2009.6 早河洋 2009.6-2014.6 吉田慎一 2014.7-2016.6 角南源五 2016.6-2019.6 亀山慶二 2019.6-2022.2 早河洋 2022.2-2022.6(会長兼務) 篠塚浩 2022.6- 大川博 1957.11-1960.11 赤尾好夫 1960.11-1964.11 赤尾好夫 1965.3-1985.9 伊藤邦男 1999.6-2000.6 広瀬道貞 2005.6-2008.6 君和田正夫 2009.6-2012.6 早河洋 2014.7-現在 早河洋 2014.4-2014.6 吉田慎一 2014.6-2022.6 篠塚浩 2022.6- 表 話 編 歴 大阪本社(本店所在地) 東京本社 西部本社 名古屋本社 北海道支社 福岡本部 朝日新聞 朝日新聞国際衛星版 朝日新聞縮刷版 朝日新聞デジタル ジュニア朝日海外電子版 朝日ウィークリー 夕刊朝日新聞 朝日ジャーナル 月刊Asahi 論座 SEVEN 知恵蔵 ASAHIパソコン 科学朝日(サイアス) 朝日年鑑 ヘラルド朝日 アサヒグラフ 日刊スポーツ新聞社 北海道日刊スポーツ新聞社 日刊スポーツ新聞西日本
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2024/11/23 12:17更新
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