田辺朔郎の情報(たなべさくろう) 土木工学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
田辺 朔郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
田辺朔郎と関係のある人
鶴見辰吾: 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水(2003年) ※実写パートへの出演 純名里沙: 2003年 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水 四方堂亘: 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水(2003年) 磯部弘: 明日をつくった男 〜田辺朔郎と琵琶湖疏水〜(2003年、田辺朔郎) 幸野善之: 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水 純名りさ: 2003年 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水 片山東熊: 妻は琵琶湖疏水を築いたことで有名な土木技術者田辺朔郎の姉鑑子で、子供はいないため、長兄湯浅則和の子鉱三郎を養子とした。 高木早苗: 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水(2003年) 剛州: 教育映画『明日をつくった男〜田辺朔郎と琵琶湖疏水〜』 |
田辺朔郎の情報まとめ
田辺 朔郎(たなべ さくろう)さんの誕生日は1861年12月2日です。東京出身の土木工学者のようです。
父親、卒業、結婚、家族、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1944年に亡くなられているようです。
田辺朔郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)は、日本の土木技術者・工学者。工学博士。土木学会長。位階および勲等は従三位・勲一等。号は石斎を名乗る。 琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行うなど、日本の近代土木工学の礎を築いた。北海道官設鉄道敷設部長として北海道の幹線鉄道開発に着手し、狩勝峠の名づけを行った。 略歴年譜
1875年(明治8年) - 叔父の田辺太一の勧めにより、工学寮小学校(翌年廃止)に入学。 1877年(明治10年) - 工部大学校土木科入学、4年終了時に特別大賞授与。 1883年(明治16年)- 工部大学校卒業。卒業論文は、『隧道建築編』、『琵琶湖疏水工事編』であった。
1888年(明治21年) - 渡米。コロラド州アスペンを訪れ、水力発電所などを視察。 1890年(明治23年) - 琵琶湖疏水が完成。秋、北垣国道の長女・しずと結婚。 1891年(明治24年) - 日本初の水力発電所である蹴上発電所が完成。東京帝国大学教授に就任。工学博士を授与。工手学校の教務主理も兼任し、工学博士号取得 1892年(明治25年) - 濃尾地震の震災予防調査会委員就任 1893年(明治26年) - 内務省土木会委員就任 1894年(明治27年) - イギリス土木工学会からテルフォード・メダル(同会初代会長のトーマス・テルフォードの遺産により創設された賞で同会最高の賞)を授与される。腸チフスに罹患し入院。 1896年(明治29年) - 北海道庁長官を務めていた岳父・北垣国道に請われ、東京帝国大学を退任し、北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道の計画・建設に当たる。アメリカの科学誌『サイエンティフィック・アメリカン』に論文掲載される。 1897年(明治30年) - 鉄道建設費要求のため帝国議会に出席、臨時北海道鉄道敷設部長に就任し家族と共に北海道へ転居 1898年(明治31年) - 北海道庁鉄道部長就任。滝川(当時ソラチプト)から旭川までの上川線開通。 1900年(明治33年) - 北海道庁鉄道部長を免官し、ウラジオストクでシベリア鉄道を視察後、モスクワから欧州、北米の土木施設を視察し帰国。政界軍部要人に報告。 京都帝国大学理工科大学教授就任 1901年(明治34年) - 『西比利亜鉄道』上梓 1910年(明治43年) - 宮内省内匠寮御用掛に就任。 1911年(明治43年) - 列車抵抗力についての研究論文発表。大学に予算がなかったため自費で汽車製造に対して試験車ケン1を発注。 1913年(大正2年) - 政府の要請で鉄道院のための水底トンネル調査(のち関門トンネル開通事業参加)と、日本が初参加するロンドンでの万国道路会議出席のため欧州・北米視察。 1914年(大正3年) - 長男の秀雄死去。 1915年(大正4年) - 叔父の田辺太一死去。 1916年(大正5年) - 京都帝国大学工科大学長に就任。岳父の北垣国道死去。 1918年(大正7年) - 京都帝国大学を退官。退官後も大阪市営地下鉄などの各地の鉄道建設計画等に関与した。 1923年(大正12年) - 京都府が「工学博士田辺朔郎君紀功碑」を建立。 1924年(大正13年) - 友人らから『田辺朔郎博士六十年史』を贈呈される。 1944年(昭和19年) - 死去。満82歳没(享年84)。 祖父・田辺石菴 - 御家人(書院番与力)。田辺家は代々学問を以て幕府に仕えて来た家柄で,石菴は元は尾張藩儒者の村瀬海輔だったが、田辺家の養子となり、昌平黌教授や甲府徽典館の学頭を務めた。 父・田辺孫次郎(忠篤) - 抱人与力、富士見御宝蔵番となり、幕府の講武所で西洋砲術を教えた。80石。コレラにより42歳で死去。 母・ふき子 姉・鑑子(てるこ) - 片山東熊に嫁ぐ 妻・静子 - 北垣国道の長女 長男・秀雄 - 東大建築学科在学中の1914年(大正3年) に死去 次男・主計 - いとこの次郎一(田辺太一の長男で三井物産ロンドン支店長)が客死したため太一の養嗣子になる。同志社大学英文科卒業後、三井銀行勤務、登山関係の翻訳書多数。銀行勤めの傍ら「川村繁三郎」の筆名で『新小説』に小説も発表していた。 三男・多聞 - 夭折した長男に代わり嗣子となる。内務省朝鮮総督府鉄道本局釜山地方交通局長。妻の美佐子は貴族院議員有賀光豊の長女。 叔父・田辺太一 - 父の弟。岩倉遣欧使節団 随行、外務一等書記官、錦鶏間祗候。娘に三宅花圃(夫は三宅雪嶺)。 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 1924年(大正13年)2月11日 - 勲一等瑞宝章 『北海道浪漫鉄道』田村嘉子、新潮社 (1986/10) 『びわ湖疏水にまつわる、ある一族の話』田辺康雄(朔郎の孫)、自家本、1991 『明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水』虫プロダクション制作、2003年3月公開
田辺朔郎像周辺からの景色
田辺朔郎像周辺からの景色
北緯35度00分30秒 東経135度47分28秒 / 北緯35.0082678度 東経135.7910125度 / 35.0082678; 135.7910125 ^ 田辺朔郎 田中舘愛橘記念科学館 ^ 未開の大地に吹き込んだ情熱 田村嘉子、『国土交通』39号、国土交通省、2004-03-20、p,20 ^ 工學博士 田邊朔郞『沼津兵学校附属小学校』(大野虎雄、1943) ^ 田辺朔郎君『第五回内国勧業博覧会審査官列伝. 前編』(金港堂、1903) ^ 琵琶湖疏水と田辺朔郎吉田英生、日本機械学会RC196資源環境問題に調和した熱・エネルギーシステムとその基盤技術に関する調査研究分科会研究報告書・II(2004年8月) ^ 萩原良巳, 畑山満則, 岡田裕介「京都の水辺の歴史的変遷と都市防災に関する研究」『京都大学防災研究所年報. B』第47巻B、京都大学防災研究所、2004年4月、1-14頁、CRID 1050282677042052992、hdl:2433/129260、ISSN 0386-412X。 ^ 知野泰明, 大熊孝「英国土木学会初代会長トーマス・テルフォードに関する研究 : テルフォードの事績とデルフォード賞を中心に」『土木史研究』第12巻、土木学会、1992年、97-110頁、CRID 1390001204327440000、doi:10.2208/journalhs1990.12.97、ISSN 0916-7293。 ^ “琵琶湖疏水 京都域粋第16号” (2002年7月31日). 2016年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月1日閲覧。 ^ 主要な業績の説明田中舘愛橘記念科学館 ^ 阪本一之「21世紀に語り継ぎたい 東大教授のポストを捨て人跡未踏の北海道に夢の鉄道建設にかけた男:土木技術者・田辺朔郎」『開発こうほう』第455号、北海道開発協会、2001年6月、5-9頁、CRID 1521417754917286016。 ^ “田辺朔郎を思う=榊原雅晴”. 毎日新聞. (2017年2月16日). https://mainichi.jp/articles/20170216/ddn/005/070/041000c 2020年2月28日閲覧。 ^ 「叙任及辞令」『官報』1890年11月4日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 「博士授与式」東京日日新聞明治24年8月25日『新聞集成明治編年史. 第八卷』(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ The Lake Biwa-Kioto Canal, Japan - Scientific American ^ 田邊朔郞「列車抵抗力に就て」『機械学会誌』 14巻、24号、1-8頁。doi:10.11501/2312679。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2312679/3。 ^ 西川正治郎 編「第一章 明治に於ける京都帝國大學教授時代(上) 二.列車抵抗力の研究その他」『田辺朔郎博士六十年史』山田忠三、1924年、302-306頁。doi:10.11501/978761。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978761/185。 ^ 「試験車ケン1」『客車略図 上巻』1911年。doi:10.11501/2942239。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2942239/6。 ^ 「叙任及辞令」『官報』1916年4月11日(国立国会図書館デジタルコレクション) ^ 富田仁「田邊太一について : ある幕臣のフランス体験」『研究紀要』第19巻、立正女子大学短期大学部、1975年12月、16-29頁、CRID 1050845762959139072、ISSN 0385-5309。 ^ お茶の水時代の人・田辺主計(かずえ)のこと南川金一、日本山岳会緑爽会会報140号、2015年10月22日 ^ 『母の恋文』谷川俊太郎、新潮社、1994、p.47 ^ 田邉康雄プロフィール田辺コンサルタント・グループ ^ 第二篇 琵琶湖疏水開鑿大恩人 田邊朔郎博士『近代日本文化恩人と偉業』北垣恭次郎 著(明治図書、1941) ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。 ^ 『官報』第3440号「叙任及辞令」1924年2月14日。 人物
北垣国道 - 京都府知事・北海道庁長官・妻の実父 島田道生 - 京都府測量技官・琵琶湖疏水事業測量主任 後藤新平 - 鉄道院総裁 施設
京都電気鉄道 - 蹴上発電所が電力を供給した。 根室本線 - 狩勝峠 百石斎(旧田邉朔郎書斎) - 朔郎設計により1917頃建設。鉄筋コンクリート造2階建。登録有形文化財。 その他
明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水 - 朔郎を題材に2003年に公開されたアニメーション映画(虫プロダクション制作・親子映画)。
自著リスト - 国立国会図書館 北海道鉄道由来 - 大正15年5月の講演録、『北海道開発土木研究所月報』608号、2004年1月、p.4- 田辺朔郎博士六十年史 - 西川正治郎編(山田忠三, 1924) 百石斎(旧田邉朔郎書斎) - 文化遺産オンライン 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水 THE MAN WHO HAS CHANGED THE HISTORY-A DRANNAGE OF LAKE BIWA - 虫プロダクション 表 話 編 歴 古市公威 沖野忠雄 野村龍太郎 石黒五十二 白石直治 廣井勇 仙石貢 原田貞介 古川阪次郎 中原貞三郎 中山秀三郎 中島鋭治 日下部辨二郎 吉村長策 市瀬恭次郎 岡野昇 田辺朔郎 中川吉造 那波光雄 名井九介 真田秀吉 久保田敬一 青山士 井上秀二 大河戸宗治 辰馬鎌藏 八田嘉明 中村謙一 谷口三郎 草間偉 黒河内四郎 鈴木雅次 田中豊 鹿島精一 岡田信次 岩沢忠恭 吉田徳次郎 三浦義男 大西英一 稲浦鹿蔵 平井喜久松 青木楠男 菊池明 平山復二郎 内海清温 米田正文 田中茂美 沼田政矩 永田年 藤井松太郎 山本三郎 福田武雄 岡部三郎 篠原武司 富樫凱一 石原藤次郎 柳沢米吉 大石重成 高野務 岡本舜三 飯田房太郎 瀧山養 尾之内由紀夫 最上武雄 水越達雄 仁杉巌 國分正胤 高橋国一郎 八十島義之助 野瀬正儀 高橋浩二 岡部保 菊池三男 久保慶三郎 石川六郎 内田隆滋 堀川清司 淺井新一郎 岩佐義朗 藤井敏夫 竹内良夫 中村英夫 小坂忠 松尾稔 宮崎明 岡田宏 岡村甫 鈴木道雄 丹保憲仁 岸清 御巫清泰 森地茂 三谷浩 濱田政則 石井弓夫 栢原英郎 近藤徹 阪田憲次 山本卓朗 小野武彦 橋本鋼太郎 磯部雅彦 廣瀬典昭 田代民治 大石久和 小林潔司 林康雄 家田仁 谷口博昭 上田多門 田中茂義 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 日本の土木工学者 戦前日本の学者 日本の土木技術者 日本の鉄道技術者 土木学会会長 京都大学の教員 日本の宮内省関係者 日本の技術公務員 東京大学の教員 工学院大学の人物 攻玉社の人物 工部大学校出身の人物 沼津兵学校の人物 水理学に関する人物 東京都区部出身の人物 武蔵国の人物 戦前北海道史の人物 1861年生 1944年没 京都市電 北海道官設鉄道 日本の水道史 戦前の京都 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年9月 曖昧さ回避の必要なリンクのあるページ 外部リンクがリンク切れになっている記事/2024年10月 すべてのスタブ記事 工学関連のスタブ 科学者関連のスタブ項目 鉄道関連のスタブ項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 14:01更新
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tanabe sakurou
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