矢口洪一の情報(やぐちこういち) 裁判官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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矢口洪一の情報まとめ
矢口 洪一(やぐち こういち)さんの誕生日は1920年2月20日です。京都出身の裁判官のようです。
卒業、事件に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。
矢口洪一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)矢口 洪一(やぐち こういち、1920年〈大正9年〉2月20日 - 2006年〈平成18年〉7月25日)は、日本の裁判官。第11代最高裁判所長官を務めた。父の矢口家治も裁判官。 第三高等学校、京都帝国大学法学部卒業 1943年 高等試験司法科試験に合格していたため、卒業と同時に海軍の法務見習尉官 1945年 海軍法務大尉、佐世保鎮守府軍法会議で終戦を迎える。司法修習は高輪1期 1948年 大阪地方裁判所 1950年 最高裁判所事務総局人事局付 1952年 東京地方裁判所 1954年 横浜地方裁判所 1955年 最高裁判所事務総局民事局付 1957年 最高裁判所事務総局民事局第二課長 1958年 最高裁判所事務総局経理局主計課長 1959年 最高裁判所事務総局経理局総務課長兼営繕課長 1962年 東京地方裁判所 1962年 最高裁判所事務総局総務局制度調査室長 1964年 東京地方裁判所 1968年 最高裁判所事務総局民事局長兼行政局長 1970年 最高裁判所事務総局人事局長 1976年 最高裁判所事務次長 1977年 浦和地方裁判所所長 1978年 東京家庭裁判所所長 1980年 最高裁判所事務総長 1982年 東京高等裁判所長官 1984年 最高裁判所判事 1985年 最高裁判所長官 1990年 最高裁判所長官を退任 1993年11月3日 勲一等旭日桐花大綬章受章 2006年 下咽頭癌のため逝去、享年86 裁判官生活の3分の2を法服ではなく背広姿で過ごした人は、矢口以外にはなく、事務総長をはじめ、総務・人事・行政・民事・経理と7局のうち、5局までを経験した。普通は、この中の1局でも担当すれば、最高裁行政の専門家として重きをなすのだが、矢口の場合は想像を超える最高裁の表裏のすべてに通じていた。そのため、「ミスター司法行政」の異名を取った。 熊本水俣病(チッソ)、新潟水俣病(昭和電工)、イタイイタイ病(三井金属鉱業)、四日市ぜんそく(昭和四日市石油・三菱化成・三菱樹脂・三菱モンサント(前記3社は現:三菱ケミカル)・中部電力・石原産業)の四大公害訴訟のときは、民事局長として、被害者の立証の難しさを緩和する理論を提唱し、早期解決に尽力した。 長官就任の際には「行政や立法は未来を先取りする仕事。司法にも先取りしたい気持ちはあるが、それは必要最小限度」「しかし、決して消極主義ではない。必要があれば毅然と行使」する、「適正、迅速な裁判が永遠の課題」と述べた。 1988年、竹﨑博允判事(当時46歳)を、1989年には山室惠判事(当時42歳)をアメリカ合衆国に派遣、1990年、白木勇判事(当時45歳)をイギリスに派遣し、陪審制及び参審制の調査を行った。しかし、陪審・参審制度の導入を既定の方針とするのではなく、「究極において司法制度のあり方を決めるのは国民」という立場から、あくまで長期的な検討課題の一つとして位置づけた。この他、1988年6月に弁護士任官制度の整備、1989年3月に裁判傍聴人メモ解禁(法廷メモ訴訟)、1987年12月に法廷撮影の部分緩和など、国民と司法の距離を縮める必要性、裁判を法曹の専売特許にしてはいけないという思いから、様々な改革を行った。1989年12月13日の最高裁の裁判官会議で28都道府県にある41支部廃止と2支部新設を決定した(規則改正施行は1990年4月1日から)。 また、1987年に森林法共有林事件に関して、最高裁大法廷の裁判長として法務大臣権限法の規定により法務大臣が裁判所に対して意見陳述する許可を出した(最高裁大法廷の裁判結果は森林法の共有林分割禁止規定について違憲とする判決)。 1990年2月に矢口が定年を迎えるときに、後任の最高裁判所長官としては、最高裁判所の経理局長を務め、最高裁判所の新庁舎を建て、最高裁判所判事として4年3ヶ月のキャリアを持つ大内恒夫が有力と見られていた。しかし、矢口が選んだのは、最高裁判事15人の中で2番目に若い草場良八であり、当時、「13人飛び抜き人事」といわれた。 1990年2月19日の最高裁の裁判官会議で国籍条項のある中で外国人の司法修習生を「相当と認めた場合」に採用する際に日本の法令順守の誓約書を提出させていたのを1991年採用の45期修習生から廃止することを決定した。 退官の際には「戦後40余年を経た司法が抱える色々な問題解決の糸口をつくってきた。司法の性格上、猫の目のように変わってはいけない面もあるが、固定化につながりやすいので、見直すきっかけをつくったということだ」と述べた。 2003年には「最高裁は実は違憲立法審査権を持った時から、もはや単なる司法機関ではなくなったのです。ある意味では政治機関です。そうした意味合いから、誤解を恐れずに言えば、長官は広い意味で政治家でなくてはならないと思います」と述べている。 死後、従二位に昇叙された(生前の位階は海軍法務大尉時代の正七位)。 『最高裁判所とともに』有斐閣、1993年。ISBN 4641027021 御厨貴 『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』 朝日新聞出版 2010年
^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊 ^ 野村二郎 2004, p. 89. ^ 野村二郎 2004, p. 191. ^ 西川伸一 2012, p. 97. ^ 野村二郎 2004, p. 192. ^ 野村二郎 2004, p. 92. ^ 読売新聞 2003年10月9日 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。 朝日新聞「孤高の王国」取材班『孤高の王国裁判所』朝日文庫、1994年。ISBN 9784022610584。 山本祐司『最高裁物語(下)』講談社+α文庫、1997年。ISBN 9784062561938。 西川伸一『最高裁裁判官国民審査の実証的研究 「もうひとつの参政権」の復権をめざして』五月書房、2012年。ISBN 9784772704960。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 表 話 編 歴 細野長良1947 三淵忠彦1947-1950 田中耕太郎1950-1960 横田喜三郎1960-1966 横田正俊1966-1969 石田和外1969-1973 村上朝一1973-1976 藤林益三1976-1977 岡原昌男1977-1979 服部高顯1979-1982 寺田治郎1982-1985 矢口洪一1985-1990 草場良八1990-1995 三好達1995-1997 山口繁1997-2002 町田顯2002-2006 島田仁郎2006-2008 竹﨑博允2008-2014 寺田逸郎2014-2018 大谷直人2018-2022 戸倉三郎2022-2024 今崎幸彦2024- 大審院長 表 話 編 歴 小林俊三1947-1951 垂水克己1951-1955 安倍恕1955-1958 大野璋五1958-1960 横田正俊1960-1962 石田和外1962-1963 近藤綸二1963-1964 下村三郎1964-1965 山本謹吾1965-1967 村上朝一1967-1968 奥野利一1968-1970 岸盛一1970-1971 岸上康夫1971-1972 市川四郎1972-1974 安村和雄1974-1975 青木義人1975-1977 戸田弘1977-1978 寺田治郎1978-1980 大塚正夫1980-1981 川島一郎1981-1982 矢口洪一1982-1984 大内恒夫1984-1985 四ツ谷巖1985-1987 杉山克彦1987-1988 草場良八1988-1989 大西勝也1989-1991 三好達1991-1992 石田穣一1992-1993 栗原平八郎1993-1994 川崎義徳1994-1996 金谷利廣1996-1997 桜井文夫1997-1999 町田顯1999-2000 泉德治2000-2002 今井功2002-2004 仁田陸郎2004-2007 竹﨑博允2007-2008 白木勇2008-2010 安倍嘉人2010-2011 富越和厚2011-2012 吉戒修一2012-2013 山崎敏充2013-2014 小池裕2014-2015 倉吉敬2015-2016 戸倉三郎2016-2017 深山卓也2017-2018 林道晴2018-2019 今崎幸彦2019-2022 中村慎2022-2024 堀田眞哉2024-現職 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 日本の最高裁判所長官 最高裁判所事務総局関係者 従二位受位者 大日本帝国海軍短期現役士官 勲一等旭日桐花大綬章受章者 癌で亡くなった人物 私の履歴書の登場人物 京都大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 京都市出身の人物 1920年生 2006年没 2024/11/20 14:28更新
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yaguchi kouichi
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